Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

閏  年

2012-02-29 19:30:15 | 日記
◆4年に1度の閏年(うるうどし)の2月29日に誕生日を迎えた著名人をちょっと調べてみました。 ’40年は昨年亡くなった原田芳雄さん,’48年は作家の赤川次郎さん,’52年はタレントの峰 竜太さん,’68年は女優の飯島直子さん,’84年は歌手”いきものがかり”の吉岡聖恵さん……といったところか。 さすがにレスラーはいないみたいですね。

実際は2月29日に生まれても,出生届を2月28日だったり,3月1日として提出してる人もいるみたいです。 現に原田芳雄さんは’41年2月28日,峰さんは3月1日として届け出ていてみたいです。 レスラーの中にも2月28日生まれといった人が,Zero1の田中将人選手を始め何人かいるみたいだけど,実際はどうなんだろうか……?

昨日28日は私の大好きなある男性歌手の誕生日でした。 確か59歳になるんでしたね。 もし,亡くなっていなければの話ですけど……。 この方は13年前に既に鬼籍に召された訳ですが,私を始め多くの ファンの中では生き続けて居るんです。

その人の名は〈村下孝蔵〉さんといって,広島生まれのシンガーソング・ライターで,数多くの楽曲を残していますが,亡くなった後も多くのCDが発売され,また彼を偲んで ”メモリアル・イベント”が,毎年行われて来ました。

自ら作って歌った 「初恋」 , 「踊り子」 , 「春雨」 , 「ゆうこ」 , 「陽だまり」 ……といった名曲の他にも,他の歌手に楽曲を提供したものもあるんです。 その数もかなりの数になります。 一度聞いてみたい気がしますけれどね。

三田寛子の 「初恋」 と 「夢路」 ,高田みづえの 「かげふみ」 と 「似顔絵」 ,柳葉敏郎の 「あなた踊りませんか」 ,中森明菜の 「踊り子」 ,柏原芳恵の 「ソネット」 ,前川 清の 「酔いしれて」 ……まだまだたくさん有って書ききれません。(笑)

村下さんの ニック・ネームというか, レスラーだったら "鉄人" ルー・テーズとか "人間発電所" ブルーノ・サンマルチノとか "黒い魔神" ボボ・ブラジルっていう アレですけど,何だと思いますか? それは "歌人" ……まさにピッタリのネーミングです。 美しき日本の美しき歌の伝導師(これは私の ネーミングです) が亡くなってこの6月で13年になりますが,亡くなる数年前に見た彼の アコースティック・ライブが私にとって最初で最期になってしまいました……。  <茨城>

※写真は在りし日の村下孝蔵さん。 尚,歌手名は敬称略。

テレビで聞いたイイ話し!

2012-02-28 16:30:14 | 日記
◇ここ数日の寒さに,また風邪を引いてしまったみたいで……この冬だけでも何回目になるんだろうか。 今まで,こんなに繰り返し風邪を引く事なんて事は無かったのにね。 カルガリーやミネアポリスに住んでる時でさえ,こんな事は無かった。 やっぱり年の性かな? そうは思いたく無いけど。(笑)

天気予報だと,3月に入ると グンと気温も上がるみたいだけど,どうなんだろうか? 月初めはぐずついた雨の日が多いみたいだけど,6日には最高16度まで上がる予想です。何れにしたって「暑さ寒さも彼岸まで」の諺(ことわざ)どうりに,この寒さももうひとつきぐらいの辛抱だと思うんですよね。


今日の昼間は久々にテレビを見ていたら『ごきげんよう』に武田鉄矢さんが出ていた。 昨年の秋に,確か心臓疾患を患って入院していたって ヤフーの ニュースで見ていたけれど,久々に見た”金八先生”は顔もホッソリして,大分痩せた感じがしました。 その鉄矢さん,面白い話をしていましたね。

永 六輔さんと共に武田鉄矢さんの話はいつ聞いても”蘊蓄”(うんちく)があって,引き込まれてしまいます。 今日の話はそれほどじゃなかったけれど(笑)……心臓の手術の日が偶然,自身の母親の命日と重なり,それから何日か経って退院すると決まった日は,崇拝する〈坂本龍馬〉の命日だったという。

もう, 「死んだっていいぐらいの気持ちだった」 と言っていた武田さんだったが,退院日が延びて ガッカリ! (笑)本人いわく”普通の日”だったけれど,奥さんは 「何言ってんのよ,私たちの結婚記念日でしょ」 ですって。 武田さん,大事なご自身の "結婚記念日”を忘れていたんですね。(笑)


そして,この後にチャンネルを変えて 『徹子の部屋』を見ると私の好きな〈サンドウィッチマン〉が出ていて間もなく一年を迎える<東日本大震災>の話をしてました。

昨年の3月11日に故郷でテレビ番組の収録をしてる最中に大地震が発生……今までにも色々な番組で,その時の体験を話していたけど今日初めて聞いて驚いたのは,震災の翌日3月12日には日本各地から警察や消防の車が来ていたという事。

その中には「湯布院」の車もあったとか。 そして,これほどまで「日本が一つ」になった事が無かっただけに,これからもずっとこの気持ちを続けていければ……とも話していたけど,もうあの大震災から一年経つんだ,と改めて実感しました。 <茨城>

今日も今日とて……

2012-02-27 15:00:14 | 日記
◆あと数日で3月になろうというのに寒いよね。 ダイエットの為の朝食メニューはシリアルに牛乳をかけたもの+レタス・サラダ+パン2枚程 ……といったもの。 最初の三週間で3㌔痩せたけど,その後はちょっぴり リバウンドしてしまった。(笑)いま体重計の針 ……じゃなかった数字は71㌔を示していました。

最近ハマっていると言う程ではないが,その朝食の為に買うパンの袋に付いているシール。 別に シールが目当てじゃないが,朝に パンを食べる様になってから パンを欠かさないので自然に シールも貯まってきたんです。 主に食べているのは ライ麦入りと十二穀の食パンですが,どれを買っても当然 シールは付いてます。

ヤマザキは20点で白い ボールを,Pascoの方は30点で シリコン・スチーマーが,貰えるんですが,締め切りまで大分日にちもあるし結構貰えそう。 (笑)ボールはサラダを入れるのにちょうどいいだろうし,スチーマーは 「蒸す」 , 「煮る」 , 「焼く」 , 「冷やす」 ……の四役をこなすので便利ですね。 これが今のささやかな楽しみですかね。(笑)

さて,今朝は目覚めと共にジミー鈴木のブログに目を通し,パリを満喫(笑)してベッドから抜け出した。 寒いので,これが中々踏ん切りがきかないのだけど,起きない訳にいかないし……。ベッドに入る時には既に空腹(晩飯から有に7時間以上は経っている)だったので朝食を食べないという訳にもいかない。 (笑)と言う事で,また新な一週間が始まりました。 <茨城>

ボンソワ~ パリ~

2012-02-26 03:00:13 | 日記
◇今頃,ジミー(鈴木)はパリでのんびりと”至福の一時”を満喫してるんだろうな~(笑)若い頃はアメリカやカナダやメキシコ以外の国には殆ど行ってみたいという気持ちにならなかったけど,今ではすっかり欧州大スキ人間になってしまいました。(笑)

今”一番”行ってみたいのはやはり〈パリ〉だけども,その次はイタリアですかね。 ローマに,ミラノ,ナポリ,サンレモ,フィレンツェ,そしてヴェネチア……と行ってみたい所ばかりです。 唯一,行った事のあるドイツのブレーメンにはまた行ってみたいですね。

何故か,最近 パリを扱った番組をよくやっている。 一昨夜は日テレの 『アナザースカイ』に,映画 『GANTZ』に出ていた女優・夏菜が一年ぶりに”思い出の地” パリに行き,懐かしい人に会ったり,思い出の場所を訪れていた。 彼女,実に楽しそうだった。

昨晩は10時からNHK-BSプレミアムで 「天海祐希  パリと女と~魅惑の新オルセー~」 を放送してたが,今晩も続きをやるので楽しみ。 番組の最初に天海がちょっと長い滞在になるので…と言う事で,ホテルでなく アパルトマンを借り,部屋の窓を開けるとそこの正面にはオルセー美術館の建物が デンと構えていました。

昨年の秋に改築されたばかりだという〈オルセー美術館〉は,1900年に駅舎を改装して作られたという,世界でも類を見ない珍しい美術館だとか。 絵画の事はよく分からないけど,ルネ,ゴッホ,ルノアール …等々,教科書や雑誌等で見た事のある絵画がたくさん出てきた。 でも,これはやはり実際に自分の”目”で見てみたい,と思った。

パリ北部 〈モンマルトルの丘〉にある『 ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は,今は レストランみたいだが,昔は ダンス・ホールだったらしい。 外観は昔の面影を残していて,シンボルの "ムーラン" が聳 (そび)え立つ。 ルノアールが描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 は本物を見てみたい。 これも〈オルセー美術館〉にある。

確か,ピカソもこの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を描いていた……様な気がします。 モンマルトルには『ムーラン・ルージュ』と言う有名なキャバレーもあるけれど,共に店の シンボルは大きな風車(ムーラン)。 風車といえば, オランダの イメージがあるが ……19世紀に,この地区にあった14の風車は小麦をひくのに使ってたとか。 この番組で昔の パリに触れ,今までにも増して パリに行きたくなった! <茨城>

※写真はパリの有名なキャバレー『ムーラン・ルージュ』……フランス語で”赤い風車”を意味する。

1964

2012-02-25 12:00:13 | 日記
◇1964(昭和39)年ってどんな年だったろう。 いま映画館でやっている『ALWAYS三丁目の夕日’64』は,人気漫画の実写版で大 ヒット! その”第三弾”として,今回は3Dという事でより リアルに描かれているのだろうか?

ちょうど日本が”高度成長期”の真っ只中にあって……何と言ったって,この年には 〈東京オリンピック〉 が開催され,これに合わせて東海道新幹線や高速道路など交通網が発展してった訳です。 そしてテレビも白黒から カラーへと変わり,時代も大きく変わろうとしていました。

テレビが カラーになったからといって,直ぐに一変した訳ではなく,新聞の テレビ欄に カラー放送の場合は”カラー"と書かれていたと記憶してます。 だから,まだまだ白黒での放送が主流で, カラー放送はほんの一部でしたね。

勿論,テレビそのもの……本体を買い替えなくてはならないのですけど,まだまだテレビ自体が高額でしたし,カラー・テレビが一般家庭に普及したのは,いつ頃だったろうか? この1964年は力道山の急逝('63年 12月)によって, プロレス界も大きな転換期を迎えていました。

力道山の死によって,豊登を軸に吉村,芳の里,遠藤の "四天王"が 『日本プロレス』 を引き継ぎ……米マット界で三大 タイトルに挑戦するなど既に, トップ・ エベンターとなっていた ジャイアント馬場を帰国させ,新な スターの誕生となりました。

この年には "春の祭典"ワールドリーグ戦で豊登が初優勝。その豊登と組んだジャイアント馬場が日本で初めてタイトル (アジア・タッグ選手権)を獲得しました。 6月には馬場さんの故郷・新潟で大地震が起き,青山和子の 「愛と死をみつめて」 がその年の 『日本レコード大賞』に輝きました。

もう48年も昔の出来事だけど,この頃の日本は活気があった様な気がします。 毎日が楽しかった……。 勿論,子供だったからと言ってしまえばそれまでだが,正に『三丁目の夕日』そのものだったのでは。 あの頃の日本にはもう二度と戻る事は出来ないだろうが,懐かしさと共に平和な日本への想いがあの映画の ヒットに繋がっているのではないだろうか。

巷ではビートルズの曲が次々とヒットし,美空ひばりの「柔」や村田英雄の「皆の衆」,都はるみの「アンコ椿は恋の花」,坂本 九の 「明日があるさ」,ザ・ピーナッツの 「ウナ・セラ・ディ東京」……と,続々とヒット曲が生まれて歌われた。私は九ちゃんの歌や芹 洋子の「夜明けの歌」が好きだった。 映画は「モスラ VS ゴジラ」に夢中になっていた。(笑) <茨城>

※写真は,第11代アジア・タッグ王者になった豊登(右)とジャイアント馬場