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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【アウトブレイク】難波先生より

2014-08-18 12:26:09 | 難波紘二先生
【アウトブレイク】
 呉のNさんから「鹿鳴荘便り」の話題についてリクエストがあった。
<「エボラ出血熱」を取り上げて下さい。「初めてこのウイルスが発見されたのは1976年6月(WIKI)」
と早38年余になるのに、決め手となる薬、ワクチンが開発出来ない理由、エボラウイルスの特徴等、先生の知見・考察を知りたいと思っています。
 又、こういうテーマが2chで集合知として建設的な方向で議論される事にも興味があります。>

 まず事柄の性質上、これには2Ch「集合知」が関与できる余地がありません。WHOとか米CDC、EU保健衛生機構などの感染症専門家がまず対処すべき問題で、すでに英語による独自のメーリングリストや意見交換ネットが立ち上がっていると思います。日本の厚労省がなすべきことは、防疫・検疫体制の強化により日本への波及を防ぐことです。
 日本語WIKI、英語WIKIの「Ebolavirus」、「Ebola virus」、「エボラ出血熱」についての記載はおおむね正確なようです。「2014 Ebola outbreak」には今回のアウトブレイクの特徴がよく書かれています。(日本語翻訳機能を使って読んでください。)”Ebola”という名称は76年に最初の患者が見つかった際に、患者の出身地ナイジェリア北部にある小さな川の名前に由来するようです。

 「エボラ出血熱」の1977年の流行と詳細については、ローリー・ギャレット『カミング・プレイグ:迫りくる病原体の恐怖』(河出書房新社, 2000/11)というとても優れたNFドキュメントがあります。

 エイズの場合は1980年代初めに患者が見つかり、すぐにウイルス(HIV)が発見され、予防法や治療薬も開発されましたが、それには少なくとも以下にしめす二つの理由があります。
 Ⅰ. 日本に多い「成人T細胞白血病・リンパ腫(ATLL)」がすでに発見されており、それがヒト・レトロウイルス(HTLV)によると解明されていたこと。当初、日本のウイルスがHTLV-1、西アフリカの変異腫がHTLV-2、エイズを起こすものがHTLV-3と命名された。フランス・パスツール研のDr.モンタニエとアメリカNCI・Dr.ギャロの先陣争いとなり、最終的に「HIV」という名称にすることが国際学会で決められた。(特許権問題もからんでいた。)
 モンタニエは後にノーベル賞を受賞。ギャロはモンタニエ研から分与された細胞株から見つけたウイルスを混同していたことが明らかになり、「STAP事件」の小保方のようにレースから脱落。
 Ⅱ.アメリカ西海岸やニューヨークで見つかった患者の多くが白人で、しかも有名人(ハリウッドスターや国民的スポーツ選手)や弁護士、高級官僚など知的階層に多く、世論の支持もあって米NIHが膨大な研究費を投入したこと。

 今回の流行地を英文WIKIからの図で示します。

 今のところ、西アフリカのシエラ・レオーネを中心に隣国のギニア、リベリアに患者が発生しているようですが、象牙海岸、マリ、セネガル、ギニア・ビサウにも波及するおそれがあります。病院(H印)も研究所 も不足しています。「国境なき医師団」も現地に入っていますが、エイズと異なり急激に進行する病気で、有効な治療法もないのであまり期待できません。
 これらの地域の国民の平均寿命は40歳程度で、衛生状態や暮らしぶりは(一部の都市を除いて)100年前の日本の状態と考えたらよいでしょう。(曾野綾子『貧困の光景』,新潮文庫=曾野はクワシオルコールという栄養不良によるきわめて珍しい病気を目撃している。)
 8/15日経は8/2英紙「エコノミスト」記事を翻訳転載しています。
 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO75645020U4A810C1000000/
 これによるとシエラ・レオーネの首都フリータウンにある政府と東部のギニア国境に近い地域では、住民の意識と民度に大きな差があり、おきまりの部族対立・政治不信により「政府のいうことは信じない」という風土も流行に関係しているようです。

 日本でも明治時代にはコレラが流行し、感染した場合の死亡率は80~90%でした。
 (西田長寿編『都市下層社会:明治前期労働事情』生活社, 1949に収録されている鈴木梅四郎『大阪名護貧民窟観察記』によると、明治18(1885)年、名護町3~5丁目の戸数3,083戸、人口8,965人に477人のコレラ患者が発生し、うち423人が死亡した。罹患率5.3%、患者死亡率は88.7%です。
 明治23年にこの地区の調査に入った桜田文吾『貧天地饑寒窟探検記』によると、この年の夏だけで名護町には250人を超えるコレラ死が発生したという。また明治22年(1~12月)の出産数は231人、住民の死亡数は492人で、名護町の人口増は外部からの流入によるという。
 なお「名護町」という地名は、今はない。堺筋通に「日本橋1~5丁目」という地名だけが残っている。南端の「名護橋」も今はない。この名護町のスラムが取り壊されて住民が南に移住し、名護橋の南側にあった「飛田遊郭」のさらに南に「釜崎」集落が形成された。ここが今の「西成区あいりん地区」である。)

 この名護町貧民窟と飛田遊郭を巨大な二階建て建物に納めたようなところが、満州国ハルピン市の駅裏北側にあった魔窟「大観園」で、漢人が経営者だった。満州国総務庁の調査官だった佐藤真一郎が1940~41年に行った詳細な調査報告書が残されている。(『大観園の解剖』, 原書房, 2002)

 1993年3月に、象牙海岸の首都アビジャンの「東北クマシ」地区にある一大スラムの調査をおこなったことがある。まさに「西アフリカの大観園」だった。上下水道はなく、便所は共同便所でバケツの水で排泄物を流すと、汚物は舗装していない道路の中央にある排水溝に流れ込むようになっている。これでは消化器伝染病が流行らないはずがない。昼と夜の二度訪れたが、夜は真っ暗でただ売春宿に紅灯だけがあった。
 帰途、「ペルゴラ(Pergola)」というホテルの角の通りで立ちんぼをしている若い娼婦二人に話を聞いてみると、ともにガーナからの出稼ぎで19歳の方は2年前から、18歳の女は8ヶ月前からこの商売を始めた。この6ヶ月間に仲間が2人死んだ、エイズは怖いが、カポー(capot=仏俗語:サック)を使っているので安全だ、という。(「象牙海岸ノート」未刊より)

 1885年の大阪名護町の状況は、
 1940年の満州国ハルピン大観園の状況に再現されており、55年の差がある。タイムラグはおよそ50年。
 1993年の象牙海岸国アビジャン、クマシのスラムの状況はやはり1885年の大阪名護町のレベルで、タイムラグはおよそ100年。
 リベリアにもギニアにも行ったことがないが、コウモリやネズミやサルを食べるのだから、貧困層の実情はアビジャンのスラムとあまり変わらないだろう。
 コウモリがエボラウイルスのベクター(中間宿主)だということは実証されていないが、コウモリの研究者G.M.アレンはその著書に「世界の食用コウモリ」についての1章を設けている。コウモリの多くは昆虫食性だが、食肉性、植物食性も種もいて、熱帯地方には果物、花の蜜、木の芽を食べる「フルーツ・バット」がいるという。フルーツ・バットは肉に臭みがなく、鶏肉に味が似ているという。
 アレンはリベリアで標本用に採取した茶色のフルーツ・バッドの、皮を剥いだ後の肉を、助手の黒人が食用にしたいともらい受けたことを記している。
 またA.マレーの報告(1869)として、大型のフルーツ・バットが大量に西アフリカの市場で売られていたとしている。
 熱帯地方では果物や花が年中咲いており、コウモリは冬眠しないので、食肉供給源としては適している。部族ごとに秘密の洞窟があり、そこでフルーツ・バットを捕獲するようだ。(G.M. Allen: ”BATS”, Dover, 1939)

 中生代、恐竜が全盛の時代に、小型の哺乳類が生まれました。この原始哺乳類からネズミ類やコウモリ類やサル類が生まれました。そのサル類(霊長類)が進化してヒトが生まれたので、3者は近縁関係にあります。西アフリカにはマンガビーという東アフリカとは違うサルがいますから、もしサルが絡むのであれば、これが第一容疑者でしょう。

 なおエボラ出血熱をヒントに架空の疫病の大流行を描いた映画に、ウォルフガング・ペーターセン監督「アウトブレイク」(米, 1995)がある。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/アウトブレイク_(映画)
 彼は「Uボート」(独, 1981)で一躍世界的な監督になり、その後アメリカに移住した。この「アウトブレイク」はザイールでの第一次流行を踏まえており、舞台は米本土とニジェール川流域である。
 主演のダスティン・ホフマンが疫病と闘う米陸軍軍医大佐を演じていて、好演だった。
 ペーターセンはかつてのヒッチコックのように、スリルとサスペンスのある映画を得意とするが、作風はオーソン・ウェルズに似ている。未見の方にはレンタルDVDででも、一見をおすすめする。

 製薬会社は営利目的で新薬を開発するので、慈善事業はやりません。
 エイズの延命薬を開発したものの、最大の患者国であるアフリカ諸国には買う金がなく、国際外交レベルの折衝により原価提供させられたという苦い経験があるので、研究開発には熱心でないでしょう。

 エボラウイルスは「フィロウイルス(Filovirus)科」に属し、遺伝子として1本鎖のRNAを持っています。Filo-は「糸状」という意味で、外形が糸状虫みたいに細長いところから来ています。この科のウイルスには「マールブルグ病」(やはり発熱、下痢、全身出血を起こす)のウイルスがいますが、遺伝子に10%以上の違いがあり、ウガンダなど東アフリカにいる別種のウイルスです。
 フィロウイルスの遺伝子RNAは細胞に感染すると「RNA依存性RNA合成酵素」の作用により、mRNAが作られ、以後細胞内のタンパク質製造工場を乗っ取ります。この点で、RNA「逆転写酵素」により、一旦DNAを合成して細胞の核内に潜り込むレトロウイルスと自己複製の原理が異なり、AIDS研究で得られた知見はすぐには、この病気の予防・治療に役立ちません。
 インフルエンザ・ウイルスは気管上皮細胞の表面にある糖タンパク質性の受容体(本来は別の機能がある)に結合することで、細胞内に侵入します。エボラウイルスの場合も、NPC1とTIM-1という2種の受容体が関係しているようです。NPC1は血中コレステロールの「運び屋」タンパク、TIM-1は気管、角膜、結膜の細胞につよく発現されていますので、これらの組織がエボラウイルスの侵入門戸となるようです。

 一般に細菌やウイルスの持つ遺伝子も「利己的遺伝子」ですから、感染して宿主を殺せば、自分も死んでしまう運命にあります。もっとも利口な「戦略」は宿主を殺さず、ほどほどに子孫を残す方法です。それは「共生」という道です。健康な人体の中にも病原性がないか、ほとんどない多くのウイルスや細菌が共生しています。中には大腸に住みついて、積極的に消化吸収に寄与している細菌もいます。

 エボラウイルスをふくむフィロウイルスは、これまでに知られていない1本鎖RNAウイルスで、「RNA依存性RNAポリメラーゼ」という特殊な酵素を利用して増殖します。1980年代初期に見つかったエイズウイルスの場合も、その後、50年以上前から存在していたことが証明されています。エボラ熱も西アフリカの風土病として昔から存在していた可能性があります。
東アフリカのウガンダが英国の植民地だった頃、D.バーキットはここで小児に悪性リンパ腫が多発していることを発見しました。「バーキットリンパ腫」がそれで、その培養細胞株から後に新種のウイルス「EBウイルス」が発見されました。

 バーキットリンパ腫(BL)は倍加速度24時間という恐るべき癌ですが、そのウイルスは「伝染性単核症」別名を「キッス病」というアメリカの高校生、大学生に流行る病気の原因だと判明しました。後に、このリンパ腫では染色体に、第8番染色体の一部が第14番に移動(転座)していることが判明し、転座部分からc-mycという「がん遺伝子」が発見されました。C-mycは発生の初期に関係する細胞分裂を促進する遺伝子です。
 Myc遺伝子は山中さんが最初にiPS細胞を樹立したときに、組み込まれた4種の外部遺伝子のひとつに入っていたほど重要な遺伝子です。EBウイルスは2本鎖DNAウイルスで、フィロウイルスとは全然ちがいますが、その研究は医学・医療に多くの新しい発見をもたらしました。
 エボラウイルスの研究も、同じように貢献する可能性があると思いますが、そのためには疫学的調査が必要ですし、きちんとした疾病発生・罹患、死亡についての統計も必要になります。
 リベリアはアメリカからの逃亡奴隷が樹立した国で、南北戦争の前の1847年に成立しました。国名のLiberiaは「自由の国」という意味です。アフリカ最初の独立国です。
 長らく「逃亡奴隷」の子孫たちがこの国を統治してきましたが、1980年代にネイティブがクーデターを起こし、以後20年間内戦や隣国シエラ・レオーネとの戦争が続き、いまでは世界の最貧国のひとつになっています。治安が悪く、研究者も医療援助者も大変危険な目にあうので、関わるのに二の足を踏んでいます。
 感染細胞株の樹立に成功し、適切な哺乳動物モデルが確立されれば、「レベル4」の実験室で、科学者はこのウイルスに喜んで取り組むでしょう。

 WHOはRNA合成酵素阻害剤、抗体カクテルなど開発途上にある薬の使用を検討するようですが、人体実験によい機会と考えているメーカーもあるかもしれない。
 http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/int/201408/537889.html
 薬容量、注射量などは実際に患者に投与すればすぐに決められる(何人か死なせたあとで)。しかし著効があるとわかっても、在庫が足りるかどうか。ロットで作るからすぐには間に合わない。

 「パンデミック(世界同時大流行)」を恐れている人が多いかもしれないが、私はちっとも怖くありません。ご参考までに中国新聞「緑地帯」(1986/6/10)に発表した随筆を再掲します。

「病理医の眼5:未知との遭遇
 エイズ(AIDS)とは<後天性免疫不全症候群>の略称である。いったん発症すれば、90%以上の死亡率を持つこの病気が『救済(Aids)』という意味の英語と同音なのは皮肉である。
 この病気はHTLV3という特殊なウイルスが性交や輸血により感染し、人体の免疫機能の中枢を担う特殊なリンパ球(ヘルパーT細胞)を破壊するために生じる。免疫能が完全に欠落するため、身体中がありとあらゆる微生物の巣窟となり、悲惨な死に至る。
 エイズは1973年ごろまでは、アフリカのウガンダの森に孤立した小部族の地方病であった。アミン独裁政権の暴政はこの小部族を難民と化し、このうちザイールに逃げて売春婦となった者から、中央アフリカの免疫のない黒人に伝染した。ここからの出稼ぎ労働者がヨーロッパとカリブ海のハイチ島に病気をもたらし、アメリカへはニューヨークの男性同性愛者がハイチの男性売春夫からもらって帰った。
 <ペストの再来><人類滅亡の危機>等と一部のマスメディアは吹聴するが、このウイルスが猛威を振るっているのは、人類の大部分にとって未知の病原体だからにすぎない。免疫能が獲得されていないから激しく発症するのである。歴史上こんな例はいくつも見られる。
 コロンブスが新大陸から持ち帰った梅毒は、16世紀のヨーロッパで荒れ狂った。同時期に新大陸に入った天然痘は原住民のほとんどを絶滅させ、労働力不足から黒人奴隷の導入を招いた。
 俗に『はしかのようなもの』と言うが、麻疹(はしか)が日本に侵入したときは、それどころではなかった。<上天皇から下庶民に至るまで、貴賤老少、男女を問わず、一人として免れる者無く、死者 甚だ多し>とある。(富士川游『日本疾病史』)
 エイズ・ウイルスの感染力はB型肝炎のそれよりも弱い。きちんとした専門知識をもった医師はエイズを恐れることもない。未知との遭遇は警戒しなければならないが、パニックに陥る必要はない。人類がエイズで絶滅することは絶対にない。人類絶滅の本当の脅威は、完全に既知の、人間の創り出した、核兵器の方なのである。」
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