ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【帰らざる河】難波先生より

2013-12-03 18:20:08 | 難波紘二先生
【帰らざる河】朝から組み替え原稿の引用文献番号の照合という、やけに骨の折れる仕事を終日続けたせいか、夕暮れには脳が疲労困憊した。




 気分転換に、島倉千代子の「東京だよ、おっかさん」、近江俊郎の「湯の町エレジー」、織井茂子の「君の名は」、藤山一郎「長の鐘」などという、古い古い歌をiTUNEで聴いたら、となりに「帰らざる河」があった。




 オットー・プレミンジャー監督「帰らざる河」(1954公開)の主題歌で、主演はマリリン・モンローの酒場女とロバート・ミッチャムのカウボーイ。

 河のほとりの孤立した町で、最後に筏で激流に乗り出し、脱出するというのがクライマックス。




 マリリンが、酒場でギターを抱えて弾き語りするのが主題歌「帰らざる河」。いつ観たか、まったく記憶がないが、映画館で観たのはまちがいないだろう。

 終日、無言の業で、音がまったくないから、疲労した脳には演歌であれ、ムードミュージックであれ、音楽は心地よく感じられる。




 藤山一郎の歌いぶりを聴いていて、今の歌手と発音が違うところに気づいた。

 今の歌手は「R」音を舌先で発音するが、

 「かたみに残るロザリオの、鎖に白きわが涙」

 と二番を歌う時に、藤山の「リ」は普通のRだが、「ロ」が「巻き舌R」になっている。

 これは江戸っ子が、「てやんでぇ、べらぼうめ」という時の「ら」と同じ音だ。



 今の歌手がこの歌を唄ったら、おそらく藤山一郎と同じ歌い方はできないだろうと思う。




 「ロザリオ」はポルトガル語(スペイン語も)で、カトリックの数珠のことだ。

 Rosarioと書いて「ロサリョ」と発音するが、日本語ではなまって「ロザリオ」となった。

 「ロザリィーオの…」とアクセントを後から2番目の音節に置いて歌っているが、「岩波キリスト教辞典」によると、ポルトガル語「rosario」のアクセントは後から第3音節にある。





 前から、「鎖に白きわが涙」の意味がわからないでいたが、辞典にロザリオの絵が載っていて、小球を10個ずつ鎖で連ねて5連とし、まさぐる時に数が数えやすいように、鎖の間隔を広くして、継ぎ目に区切りの小球を置き、この円環から5個の小球を下に垂らし、十字架をぶら下げたもの、とわかった。

 だから「仏教の数珠」と違い、細い鎖が使われているのだ。恐らく普段は首からかけておくのだろう。違っていたら、カトリックの先生、教えてください。




 「Rosarioの語源はラテン語のrosariumで花冠の意」とあるが、rosa-riumは「バラ=園」という造語だ。プラネタ-リウム、サナト-リウム、アクア-リウム(水族館)と同じ造語法だ。

 よって辞書の説明には納得がいかないが、まあ、この辺にしておこう。




 マリリンの歌もなかなかよかった。何度も聴いているのだが、歌詞を知らない。英語だから何となく意味はわかるが、それではもの足りなくなって、歌詞を書き取り、即興で日本語の歌に直すことを考えた。




 これが意外に難しい。何度も繰り返し聴いてやっと次のように書きとめた。




 THE RIVER OF NO RETURN

  If you listen, you can hear it call.


( Where Lee, Where Lee)




There is a river called THE RIVER OF NO-RETURN.

Sometime it's peaceful and sometime wild and free.

Love is a traveller on THE RIVER OF NO-RETURN.

Swept on forever to be lost in the stormy sea.

(Where Lee)




I can hear the river call NO-RETURN, NO-RETURN.
(No-return, No-return)



Where Lee,
I can hear my lover call, "come to me."




 ( )の部分は、バック・コーラスが歌う部分である。
 O.プレミンジャーというと、「悲しみよ今日は」、「黄金の腕」、「栄光への脱出」が有名だが、「帰らざる河」も監督していたとは知らなかった。


 戯れにこれを訳してみた。
「耳元に 聞こえ来る、川の呼び声

 (リーはいずこ、リーはいずこ)


 帰らざる河という名の川あり、
 時に静かに、時に荒れつつ 流れ行きぬ
 わが恋は 帰らざる河面の 旅人に似て
 とこしえに 浮きかつ沈み、荒れ狂う海 へと流れ、消え去りぬ
 (リーはいずこ、リーはいずこ)


 あの河の 呼び声聞こゆ、帰らない、帰らない
 (帰らない、帰らない)
 あの人の 呼ぶ声がする、"吾に来たれ"と」


 苦労して(ホントは楽しみながら)、書き取りを行い、訳し終わって念のためにネット検索したら、なんとYOUTUBEにマリリンの歌唱、歌詞、訳詞まであった。
 http://www.youtube.com/watch?v=HrvA7W8Q3Ss
 若い女性の訳で、詞の感覚がまったく違う。世代のちがいだな…


 それとバックコーラスのリフレインは聞き取れず、意味を推測して書き取ったが、案の定、
 LとRが聞き間違いで、本当は
 「Wail-a-ree」という一種の「合いの手」を「Where Lee」と書き取っていた。
 Leeという恋人の名前かと思ったのである。


 私は絶対音感が成立した後に、本物の英語に接したから、音の違いの聴き取りは今でも苦手だ。だから小学生からネィティブの英語に接させようというのは、よいことだと思う。


 ともかく、こうしてよく読むと、英語の映画主題歌は、歌詞も曲も日本の「演歌」とはぜんぜんちがう。シャンソンと演歌の中間にあるような感じだ。
 湯の町エレジー:3分37秒
 長の鐘:3分35秒
 東京だよ、おっかさん:3分36秒
 君の名は:3分26秒
 と比べると、2分17秒しかなく、短く、また歌詞に一番、二番という区別がない。
 日本の演歌はSP版レコードの持続時間に合わせてあるので、3分30秒が平均だが、アメリカの映画主題歌はフランキー・レーンの「OK牧場の決闘」にしても、2分8秒と短いものが多いようだ。


 先日亡くなった島倉千代子の「この世の花」、「東京だよ、おっかさん」を聞き比べていて、私が「東京だよ、おっかさん」を聴くたびに泣けてくる理由がわかった。
 塩田美奈子が唄う「津軽のふるさと」で泣けるのと同じ現象だ。



 島倉も塩田も音域が基本的に澄んだソプラノだ。美空ひばりは音域がきわめて広かったが、同じ「鞍馬天狗」の主題歌でも「越後獅子の歌」よりも「角兵衛獅子の唄」の方が私を感動させるのは、澄んだソプラノが基調になっているからだ。
 人を歌で感動させるには、まず歌詞がよくないといけないが、それだけではダメで曲がマッチしていて、歌詞に合っていないといけない。


 その点「東京だよ、おっかさん」の二番の終り、
 「逢ったら泣くでしょ、兄さんも」
 と戦死した兄が靖国で待っていると「おっかさん」に伝える歌詞と「兄さんも…」と絶唱する高い声がよくマッチしている。


 「角兵衛獅子の唄」も第1,2小節の作曲が美事だ。
 「生まれて父の顔知らず、
  恋しい母の名も知らぬ」
 全体が高音なのに、1小節の「父の」は下げて低音にしてあり、2小節の「母の」は思い切り上げてある。2小節全体が高音ソプラノになっていて、感動を生むのだ。
 第1小節はそのためのプレリュードになっている。


 なぜ、高い澄んだ楽曲がそういう感情を生むのか、それは私にはわからない。
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