ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書き込みを読んで4】難波先生より

2014-07-13 22:20:36 | 難波紘二先生
【書き込みを読んで4】
<Unknown (Unknown):2014-07-07 11:30
 ①専門的な科学の内容を分かりやすく発信し理解を求める事の重要性が、この10~15年くらいでようやく日本の科学界に浸透してきました。欧米では研究費の一定額を情報発信に使う事が義務づけられています。日本でも最近、高額の研究費にそうした条件がつくようになったので、トップダウンで意識改革を図っているというところでしょう。…
 ②科学者と市民の交流という意味で、科学コミュニケーションという言葉があります。「啓蒙」という「上から目線」ではなく、科学者と市民の双方が、科学のよりよい理解のために対話をすることが今後一層必要です。JTの生命誌研究館はこの分野で良い仕事をしていると思います。
 ③また、指摘のありますように、実力のあるサイエンスライターの不足も嘆かわしい事です。日本にもサイモン・シンのような作家がいるとよいのですが。>
 研究倫理の確立:
 米国ではバイオサイエンスの振興に際して、政府補助金の5%を生命倫理・研究倫理の振興に当てることをDNA研究でノーベル賞をもらったワトソンらが提唱して、それが受け入れられました。日本では関係科研費は少し増額されましたが、見るべき成果があがっていません。
 科学不正を防止するには、「研究倫理」の研究者を育てることとORIの創設の両者が必要ではないでしょうか…。
 科学コミュニケーションあるいはポピュラーサイエンス:
 JT生命誌館は主に理系の退職者の受け皿になっていると思います。しかし中村桂子、柳澤桂子、大沢省三、みなよい仕事をされていると思います。「日本タバコ」なので、医者には嫌われるのかも知れませんね。
 サイエンスライター:
 サイモン・シンの著書は『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)、『暗号解読』(新潮社)、『代替医療のトリック』(新潮社)くらいしか読んでいませんが、物理・数学系のライターが医学生物学の問題を扱うには無理があるように思います。日本語訳者はすべて青木薫ですね。ここにも無理があると思います。
 大メディアや大手出版社の正社員になるのが「勝ち組」で、フリーのジャーナリストになるのは「負け組」という物差しが通用しているうちは、本物のサイエンスライターは日本に登場しないでしょう。しかし「博士号」は過剰生産に陥っていますから、やがてPh.D.やM.D.のタイトルを持つ本格的なサイエンスライターが出て来ると思います。

<ビバルディ (酒井重治):2014-07-08 01:32
① ビバルディがヴィヴァルディと表記されるようになってかなり経ちますが、私は「ビバルディ」で通しています。それがイタリアに行って通用しなくとも、「ビバルディ」は日本語なのだと言ってやります。和製英語で通じないものも多くあると聞きますが、それらもすべて「日本ではそう言うのだ」と外人に言ってやるつもりです。
② ②名前を名乗る時ですら、マイネームサカイシゲハルと、苗字を先に言ってやるのです。
それが日本語としての名前を表す順序だからです。それくらい日本人として誇りを持ちたいと思っております。>
 作品名の翻訳:
 Websterの人名辞典「New Biographical Dictionary」を愛用していますが、例えばゲーテの項では「若きウェルテルの悩み」は「Die Leiden des jungen Werthers」(1774)というように、作品名はドイツ語で書かれています(英訳なし)。サン=テクジュペリの「星の王子様」は「Le Petit Prince(小さな王子)」としてフランス語で載っています。夏目漱石の代表作は「Wagahai wa Nekodearu」、「Bothchan」、「Kokoro」として掲載されています。
 アカデミー賞受賞映画の日本でのタイトルを見ると、1960年代以前は直訳ないし翻案型が多かったようです。
 「All Quiet on the Western Front(西部戦線異状なし)」(1930)
 「Grand Hotel(グランド・ホテル)」(1932)
 「Gone with the Wind(風と共に去りぬ)」(1939)
 「Going My Way(我が道を行く)」(1944)
 「The Bridge on the River Kwai(戦場に架ける橋)」(1957)
しかし、最近では英語タイトルのカタカナ表記が増えてきたようです。
 「Gandhi(ガンジー)」(1982)
 「Amadeus(アマデウス)」(1984)
 「Platoon(プラトゥーン)」(1986)
 「Forrest Gump(フォレスト・ガンプ)」(1994)
 「Titanic(タイタニック)」(1997)
 「A Beautiful Mind(ビューティフル・マインド)」(2001)
 かつて国際的な学会やビジネスのパーティで、日本人は話題について行けず、壁際に立っているので有名でした。映画や小説の題名を日本語で覚えているから、英語の題名が理解できず、会話に加われなかったのです。「哀愁(Waterloo Bridge)、「心の旅路(Long Way Home)」など邦題自体はすぐれていますが、原題と無関係なので、原題を知らないと話が噛み合いません。
 Webster人名辞典がde facto グローバル・スタンダードになっている以上、それに従うのが賢明だと私は思いますが、酒井さんが「日本語表記」にこだわり、外人との意思疎通に悪戦苦闘されることを否定するつもりはありません。
 人名の語順:
 日本人の「氏名」は、普通「家系名(姓)+個人名」の順になっていますが、一般庶民が「姓」を名乗ることを許されたのは、明治維新以後のことで、それ以前には「屋号」しか許されていませんでした。姓の起源は多くは地名由来です。「酒井」は愛知・三河・碧海郡・酒井が発祥の地です。これとのつながりは不明ですが、富山県、福井県に多い姓ですね。(「日本名字家系大事典」,東京堂出版)
 外国でも姓の本体は「誰それの息子」というものが多い。マッカーサーは「アーサーの息子」という意味で、Macはアイルランド語で「息子」を意味します。「マクドナルド」、「マッキントッシュ」はすべて同じことです。
 テロリストの首魁「オサマ・ビンラディン」のビンラディンは「ラディンの息子」という意味です。
 もともと「姓+名」で個人識別をする方法は人口が増加し、名だけでは個人が識別できなくなって、リンネの「二項命名法」の影響を受けて発生したもので、古代からあるものではありません。ソクラテスもプラトンも名前だけで姓がありません。
 ビルマ(ミャンマー)人には今でも姓がなく、「アウンサン・スー・チー」のように長い名前が普通です。彼女の名前は父親の「アウンサン」と母親の「スー」に固有名の「チー(澄んだ)」を付け加えたものです。(「人名の世界地図」,文春新書)日本では「スーチー女史」と書かれスーチーが姓と思われているが、全部が「名前」です。しかし「じゅげむじゅげむ」のような長い名前だと、省略するのはやむをえないでしょう。
 人名の呼び方を「名前=姓」の順にするのは、修飾語が後に来るヨーロッパ語の習慣です。
 東洋の人名もそうなるのが当たり前、と思っていましたが、1975年頃、米国に留学中、韓国の独裁者朴正煕大統領(今の朴槿恵大統領の父)が「Park Chung-hee」と呼ばれているのを知り、驚いた記憶があります。 http://en.wikipedia.org/wiki/Park_Chung-hee
 「朴槿恵」も英字紙ではPark Geun-hyeと表記されています。
http://online.wsj.com/articles/south-korean-president-park-reshuffles-cabinet-1402632310
 これは1960年「日米安保条約改定」の際の岸信介首相(今の安倍首相の祖父)が英語WIKIで扱われているのと大きな違いです。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Nobusuke_Kishi
 日本人名だけが別格:
 日本語名をヨーロッパ語で呼ぶ際に、人名の呼び順にどうして逆転が生じたのかはわかりません。ちなみに「魯迅」はLu Hsuenと中国語発音の通りにWebster辞書に収録されています。
 明治政府は幕末に結ばれた「不平等条約」の改正に大変な努力をして、アジアで最初に対等条約を実現した国ですから、もしHirofumi Itoと英字紙に書かれるのが屈辱的と感じていたら、当然これも変更を要求しただろうと思われます。
 そうしなかったということは、「国際基準」に合わせる方が得策、と思ったのではなかろうか、というのが私の仮説です。実際に韓国の「Park Geun-hye」という姓名を見て、「Park」が名前で「Geun-hye」が姓だと思っている欧米人は多いと思います。日本人の場合は、こういう誤解が生じる可能性がありません。
コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 7-12-2014鹿鳴荘便り/難波先... | トップ | 【ヘビのウロコ】難波先生より »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
英語力 (酒井重治)
2014-07-13 22:55:39
日本人が国際的な会合で話が合わず孤立するのは単に英語力が足りないのと、欧米人たちの思いやりの無さを表していると思います。
中国人などと話す場合が多いのですが、私は相手が日本の事をあまり理解していないが為に間違った覚え方をしている事ぐらいの理解はできると思いますし、それが原因で会話ができないとは思えません。
むしろ欧米人相手なら英語力さえあれば誤解を話題にして真実を教え合う事ができます。

英語表記ですがNationalは普通はナショナルと読みますけど、ネイショナルと表記すべきでしょうか?
いいえ、ナショナルで良いと思います。
返信する
Unknown (Unknown)
2014-07-14 05:33:52
>物理・数学系のライターが医学生物学の問題を扱うには無理があるように思います。

仰る通り、サイモン・シンは、物理・数学系の著書が秀逸ですね。『暗号解読』『フェルマーの最終定理』がお気に召したようでしたら『宇宙創成』もお勧めします。一転、最新刊の『代替医療のトリック』は代替医療が専門のエルンスト教授との共著であるにも関わらず、煮え切らない印象を持ちました。

外国人との話題に関して。
書籍や映画のタイトルだけでなく西洋文化そのものについて背景となる知識が私には根本的に不足しているので、相手が思いやりを持って説明してくれない限り話を完全に理解するのは難しいです。これも「教養」ですね。聖書(旧約・新約)とかシェークスピアは、欧米人にとっては常識です。

外国人の名前に関して。
ロシア人の~ビッチ(ヴィチ?)とか~ブナ(ヴナ)というのも、~の息子という意味ですよね。姓ではなく父称という独特の体系なので、McやMacと同列には論じられませんが。
ロシア人以外でビッチがつく場合(ミロシェビッチなど)は、父称とは関係がないはずです。

また(一部の)スペイン人の名前がとても長くて面白いですね。ピカソの本名は、Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Crispiano de la Santísima Trinidad Ruiz Picassoだそうです。


>酒井さん
nationはnéɪʃən "ネイション"ですが、
nationalは、nˈæʃ(ə)nəl "ナショナル"です。(1つ目の"ナ"は"ナ"と"ネ"の中間音)
返信する
Unknown (Unknown)
2014-07-14 05:34:33
ピカソと発音記号が文字化けしたorz
返信する

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事