ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

7-12-2014鹿鳴荘便り/難波先生より

2014-07-13 13:16:18 | 難波紘二先生
娘と孫2人が戻ってきて1ヶ月がたった。日曜日に婿のエドもやって来て、さし当たり大家族になった。エドは私のような書斎派と違い、プラクティカルなエンジニア・タイプで身体を動かすのを厭わないから、台風8号接近に伴う二階の雨樋の落ち葉除去とか、トラックの通行のじゃまになっている裏の縦道に突き出した木の枝の伐採とか、ジェット噴射機で壁や玄関アプローチのタイルの清掃とか、要するに手間仕事を全部やってくれた。
 娘も婿も今回は「国際運転免許」を取得して戻って来たから、家内の車か私の車を自由に乗りこなしている。カーナビのある私の車が便利なようで、今朝は弟夫婦が山口の「サファリパーク」へ連れて行ってくれるとかで、五日市の弟宅まで私の車で出かけた。この「ダイハツ・ミライース」の新型車の公式燃費が35.2Km/Lで、ガソリン車の燃費首位になったという7/10「産経」記事の話をしたら驚いていた。私の車は昨年夏のモデルだから33.4キロだが、実感としてほとんど燃料代がかからないという印象がある。

 7/8火曜日、広島大学文書館「創設十周年記念」行事に参加した。
 娘に車を持ち帰ってもらうため、一緒に行き、すこし早く着いたので生協の書籍売り場に行き、例の「星の王子様」を孫のために買うことにした。二人で「横書きハードカバー版」と「ジュニア版」を見比べたら、「横書き」は大人用で漢字にルビがほとんどなく、絵はカラー。ジュニア版は縦書きで、漢字にほぼルビがあり、絵はモノクロ。「小学5,6年生用」とあった。孫は小学2年生と幼稚園生だし、やっとひらがなを覚えたところだから、ちと難しいが読み聞かせにはよいだろうと、母親用も含めて2種を買った。

 「文書館」は、外務省出身の小池聖一さん(総合科学部)が大学図書館とは独立して立ち上げたものだが、今や2室体制で大学の文書約1万7000点、個人からの寄贈文書約14万点を収蔵するようになったという。専任教職員3名でこれを整理するのだからさぞかし大変だと思う。
 「広島大学士会館」2Fで行われた記念行事には70名ほどの参加者があった。牟田泰三前学長や平岡敬元広島市長の姿もあった。
 小池館長の基調講演とそれに続いたシンポジウム演者の話を聞いて、日本の図書館はまだしも、公文書や重要私文書の保存と利用というのは、非常に遅れているのを痛感した。夏目漱石も森鷗外もカルテが保存されていないから、彼らの死病が本当は何であったのかわからず、あーだこうだという揣摩憶説がはびこる。漱石・鷗外のパトグラフィーについての書物はそれこそ汗牛充棟だが、真相の解明にはちっとも貢献していない。
 今、カルテの電子化が進んでいるから「5年で廃棄」というようなバカなことがなくなり、文書館のようなところで永久保存する方向に行ってほしい。

 17:30から図書館隣の生協3階の宴会場で行われたレセプションでは、シンポジストだった大濱徹也先生(筑波大名誉教授)、中見立夫先生(東京外大教授)とお話する機会があった。大濱先生と秦郁彦の話になり、「東大法学部卒、大蔵省入省」の有能な財務官僚で、参事官の時に役人をやめて学者になったとお聞きしてびっくりした。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6
 どうりで『旧制高校物語』(文春新書)、『病気の日本近代史』(文藝春秋)、『世界戦争犯罪事典』(文藝春秋)などのように、著作の幅がひろいわけだ。
 竹内洋『教養主義の没落』(中公新書, 2003)以来、大学でも教養教育を軽視する傾向がつよくなったが、「教養は常識の基盤であり、専門外の分野で正しい判断をするのに欠かせない」という点で、二人の意見が一致した。
 少し疲れを覚えたので、娘に迎えに来てもらい、18:30頃宴会場を後にして帰宅した。

 「ゴジラ」(1954)
 戻って仕事して、夜10:00過ぎに母屋に帰ると娘夫婦がBS1で映画「ゴジラ」を観ていた。1954年、東宝製作の「ゴジラ」第一作だ。「梅昆布茶入り甲類焼酎」のお湯割りを飲みながら一緒に見ていると、科学者の役の志村喬とその弟子で「オキシジェン・デストロイヤー」を発明した平田昭彦までは顔がわかったが、後の人物はさっぱり分からない。
 日本語放送だから婿のエドにセリフはわからないが、私は昔、カナダのフランス語圏、ケベック付近のモーテルで、村祭りに来たサーカスの少女と村の少年との初恋を描いたフランス映画をTVで見て、感情移入してしまい、涙を流した経験があるので、よい映画はセリフがなくても、わからないでも理解できると思っている。新藤兼人「裸の島」がそうだ。
 娘に「同時通訳したら…」と言ったが,「訳せない」というので、そのまま見ていた。ゴジラによる東京の破壊シーンまではわかったらしいが、平田昭彦の科学者と新聞記者の宝田明がゴジラの潜む海底にもぐり、オキシジェン・デストロイヤーを仕掛けるあたりになると「理解不能」になったらしく、エドは「グッドナイト」と言って席を立った。
 科学者と自己犠牲:
 この映画のハイライトは、平田昭彦の博士がオキシジェン・デストロイヤーの技術が兵器として利用されるのを防ぐために、ゴジラを破滅させた後に、自ら潜水服の呼吸チューブを切断する点にある。「生命と引き換えに敵を倒す」という「特攻隊」の思想だ。
 興味深いことに、この思想は小松左京『日本沈没』(1973)にも受け継がれている。太平洋プレートの潜り込みにつられて、日本列島が海没するのを止めるために、深海艇で生還不能地点まで潜り、ロケット弾を発射してプレートに亀裂を入れる二人の青年航海士は、まさに「ゴジラ」に出て来る科学者のレプリカである。
 こうしてみると「戦前・戦中」世代には「特攻隊」思想が生きていたのではないかと思う。「偽悪」をテーマにした米映画に「リバティ・バランスを撃った男」(主演ジョン・ウェイン)、「偽の売国奴」(主演ウィリアム・ホールデン)があるが、自己犠牲を評価した欧米の文学・映画を私は知らない。
 香山滋と伊福部昭:
  WIKIで「ゴジラ」を見ると原作者「香山滋」の名前が出て来ないが、映画は私が中学1年生の頃で、もとより映画館もない田舎の村だから見ていない。ただ、当時の少年向け雑誌(「少年クラブ」だったか?)で、香山の連載を読んだ記憶がある。「ゴジラ」はゴリラとクジラを合わせた造語だと、その頃から知っていた。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B1%B1%E6%BB%8B
 ゴジラの脅威を表現する伊福部昭のテーマ曲は、スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」の序章、「人類の夜明け」に使われたリヒャルト・ストラウス「ツァラトストラかく語りき」の一節と同じように有名になった。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD
Yahooニュースの「デジタル朝日」は<「ドシラ、ドシラ」。「ゴジラ」のこのテーマは実は、伊福部音楽の土俗性を、もっとも鮮明かつシンプルに示すものだ。二つの和音を執拗(しつよう)に繰り返し、切り詰められた数個の音を反復。聴く者を徐々に原初的な感覚へと陥らせつつ、怒濤(どとう)のクライマックスと陶酔を引き寄せる。>と評している。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140709-00000003-asahik-ent
  今年、米国版「ゴジラ」が公開され大ヒットしたらしいが、日本公開が楽しみだ。
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2 コメント

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ゴジラ (酒井重治)
2014-07-13 14:56:53
宝田明や平田昭彦主演してい時代の「ゴジラ」の結末が
特攻精神の名残だったとは驚きです。
スバらしい日本人の美学が映画に異か活かされてきたんですね。
しかし、犠牲をも凌ぐような、自らの命を落とさずに解決するような展開がこれからは必要かと思います。
映画、物語の中だけの話ですけどね。
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訂正 (酒井重治)
2014-07-13 14:59:03
平田昭彦主演してい→平田昭彦などが主演していた

映画に異か活かされて→映画に活かされて
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