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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【語源・翻訳語・新語】難波先生より

2015-03-10 16:14:38 | 難波紘二先生
【語源・翻訳語・新語】
 もともと「吸血鬼伝説」は古代ギリシア・ローマにはなかった。ドイツのザルツブルグあたりの山中にあったヴェーウルフ(人狼、狼男)伝説が東に波及する過程でVampirに変わり、英語でVampireになった。ギリシアには吸血鬼という意味だけが伝わり、意訳されて現代ギリシア語である「ブリコラカス」(噛みつく者)となった、というのが「吸血鬼」の語源と発祥の地を探る私の「研究」からくる暫定的な結論です。これについてはポリドリ『吸血鬼』の紹介の項で詳述を予定している。

 日本語の場合も、外国語が省略されたり、固有語が短縮されたりして、新語になる例は多い。
米語のナイト・ゲームは「ナイター」という和製英語になり、今や外国でも使われている。「当たり前だい、べらぼうめ!」という江戸のいなせなお兄さんの啖呵は、「あたぼうよ!」に変わった。最近では「だめな埼玉」から「ださい」が生まれたといわれている。
 携帯電話が「ケータイ」に、スマートフォンが「スマフォ」に変わる現象を見ていると、「日本語は(子音と母音が結合して音節になっており)便利な言葉だな」と思う。英語やフランス語ではこうはいかないので、各単語冒頭の文字をつなげて略号をつくる。だからワード・オーダーにより略号が逆になることがある。
 「獲得性免疫不全症候群」は、英語ではエイズ(AIDS)だが、フランス語ではシダ(SIDA)になる。WHOもILOもUNもTPPも同様だ。ソシュール=チョムスキーの言語理論によると、シニフィエ(措定語)とその語により意味されるもの(シニファン)との間には何の関係もないという。確かにTPPの場合、文字面からは内容の推定がつかないが、日本語の「ださい」や「スマフォ」は一度聞いたらすぐ理解でき、記憶が容易だという利点がある。

 学術用語の起源をめぐる話について、「科学」という日本語の語源はどうか?という質問が友人の渡邊昌さんから寄せられた。
 これについては、命名者は西周で、Scienceという英語から、ラテン語の語源が「Scindo(切り裂く) +Ens(本質、本体)」であることを承知した上で「分科された学問」という意味で「科学」という訳語を作ったという説が、定説として日本では行われている。以下、この定説を検証してみたい。

 三省堂『新明解語源辞典』によると「科学」の初出は、「明六雑誌」22号(明治7年)に載った西周(にし・あまね)「知説(四)」という論文だという。
 「明六雑誌」は上巻が岩波文庫で1999/5に出たきり、残りがなかなか出なかったが、2009/8に語句索引付きの下巻が出て、三巻本がやっと完結した。
 索引を見ると「科学」という用語は、西のこの論文で1箇所使われているだけだ(「知説(四)」、中巻p.236)。西はここで、フランスの哲学・社会学者オーギュスト・コント(1798〜1857)の「実証主義」の理論を踏まえた議論をしている。
 コントには「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」(1822)という著作があり、”Science”の学としての重要性だけでなく「術」としの重要性を、最初に全面的に評価した哲学者の一人である。コントはScienceには5つの領域があるとした。天文学、物理学、化学、生理学、社会学であり、そのうち彼は「社会学」を建設するのを生涯の仕事とした。

 西周の科学に関する文章を引用する。
 「かくの如く学と術とはその趣旨を異(こと)にすといえども、しかれどもいわゆる科学に至りては、ふたつあい混じて判然区別すべからざるものあり」。(「明六雑誌(中)」p.236, 岩波文庫)
 ここで西は科学の前に「いわゆる」という形容詞をつけている。この形容詞は、用いようとする言葉がすでに世に知られているか、あるいはそれに否定的なニュアンスを加えたい時に、(例えば「いわゆる」のように)用いられるのが普通だ。従って、「科学」の初出はこの箇所ではないとも考えられる。

 西周(1829〜1897)は、岩見・津和野藩の藩医の長男として生まれ、1853年、ペリー来航に際して警備要員として江戸に派遣され、黒船にショックを受け、脱藩して江戸に留まり、洋学を勉強、ジョン万次郎から英語を習い、幕府蕃書取り調所のお雇いをへて、1862年オランダに留学している。明治3(1870)年、新政府の「兵部省」に出仕、官職としては陸軍畑の事務官を務めている。他方、私塾「育英舎」を設立、1870/11そこで「百学連環」という講義をしている。(この講義録は刊本になっていないが、門下生永見裕による講義筆記録があるという。)
 ところでこの講義では、西はサイエンスの訳語として「学」を用いているとされる。(未見)
 「明六雑誌」1号(明治6年4月)掲載の西周の論文「洋字をもって国語を書するの論」では、サイエンス(学)、アーツ(術)、リテラチュア(文章)、モラル(礼儀学)がカタカナで表記されている(括弧内は、「百学連環」での訳語、という)。
 ところが西は「知説(四)」の初めの方では「学」と「術」の違いを述べる条で、こう書く。
「事実を一貫の真理に帰納し、またこの真理を序(つい)で、前後本末を掲げ、著して一の模範となしたるものを学(サイーンス)という。すで学によりて真理瞭然たるときは、これを活用して人間(じんかん)万般の事物に便ならしむるを術(art)という」。
 このように彼の著述では、フランス語Science(英語と同綴り。発音だけ違う)の訳語が、<音のカタカナ表記>→<学>→<科学>と短期間の間に揺らいでいる。
 井上哲次郎編『哲学字彙』(明治14年)において、「Science」の訳語として「理学」および「科学」が採用されたという(未見)。この時すでに東京帝大が発足し「理学部」が設置されていたから、「科学=自然科学」という理解が以後、急速に世間に広まったものと思われる。
 しかしながら、中江兆民が明治19年に出した『理学鉤玄』は哲学総論の本で、「理学」とは哲学を意味している。ここではサイエンスは「学科」あるいは「学」、ナチュラル・サイエンスは「物理学」と訳されている。今日、物理学と呼ばれているPysique(英Physics)は「物性学」になっている。これは唯物論者であった兆民の思想的立場からすると、当然の訳語ともいえる。
 そういうわけで西の「いわゆる」の用法にやや疑問が残るものの、「新明解語源辞典」の記載が間違いだと主張するに足る、明白な証拠を発見できなかった。

 ラテン語の「スキエンチア」に由来するScienceの日本語訳が「科学」として定着するに至ったのは、「明治14年の政変」以来、国家モデルとしてドイツ(プロシア)が採用され、官費留学は主にドイツに派遣されたせいもあると思う。井上哲次郎は明治17年からドイツに留学、ドイツ観念論哲学を6年間研究して、帰国後、東大文学部の初代哲学教授になった。
 ドイツ語ではサイエンスをWissenschaft、自然科学をNaturwissenschaftと呼ぶ。このヴィッセンシャフトには「知(ヴィッセン)の枝(シャフト)」という意味がある。これはラテン語の意味論的な翻訳語である。
 自分の名前に「哲」の字があることで「哲学」に限りない誇りを抱いていた井上にとって、サイエンスとは「知の枝葉」つまり「科学」にすぎなかったのであろう。こうして「自然科学」という用語が一般化し、フランスのコントがポジティブな意味で使ったのとは逆に、ドイツの影響が強くなった日本では、ネガティブな意味あいが強化されたのではないだろうか、と思う。

 同じように現代ギリシア語では「知」を「エピステメ—」といい、「自然科学」を「テティケス・エピステメー」という。Thetikosは「実証的な、確定的な、実用的な」という意味である。ここでもサイエンスは意訳されている。

 「スキエンチア」というラテン語は大プリニウスの1世紀にも、アウグスティヌスの5世紀にもなくて、C.H. ハスキンズ『十二世紀ルネサンス』(みすず書房, 1989)によれば、12世紀にスペインのコルドバとシシリア島のパレルモで、アラビア語文献が大量にラテン語に翻訳された際に生まれたものだという。
 しかし自然科学が本格的に立ち上がるには、コペルニクス『天球の回転について』(1543)が出版され、ガリレオにより追試確認される必要があった(T.クーン『コペルニクス革命』、講談社学術文庫)。

 『翻訳の思想:日本近代思想体系15』(岩波書店、1991)における加藤周一の論考「明治初期の翻訳」(同書pp.342-380)によると、この時期の翻訳方法には4種があるという。
1) 蘭学者の訳語を踏襲したもの=医学、自然科学に多い。例「神経」、「門脈」(共に杉田玄白『解体新書』が初出)。「水素」、「酸素」、「重力」、「遠心力」なども蘭学者の訳語。
2) 中国語訳を転用したもの=社会、法律関係に多い。例「権利」、「義務」
3) 古典中国語の語彙を転用したもの=例「自由」(『後漢書』の「百事自由」から)、「文学」(『論語』では「学問一般」の意。西周はLiteratureの訳語にした。)「意識」、「観察」、「分類」、「演繹」なども同様。
4) 新しく造語したもの=西周によるものに、「主観」、「抽象」、「定義」、「帰納」などがある。
 Societyは初め福沢により「人間(じんかん)」と訳されていたが、これが人の意味に用いられることが一般化して、「社会」と訳し直された。これは「会社」という用語が先に普及したので、会社もひっくるめたより大きな「人の集合体」として、文字を逆にして「社会」としたのではないか。

 いずれにせよ、物を措定する訳語と抽象的な概念を表す訳語には、原語との意味のズレの度合いが異なり、つねに注意することが必要となるだろう。
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