ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評】杉晴夫「栄養学を拓いた巨人たち」/難波先生より

2013-11-11 18:53:12 | 難波紘二先生
【書評】 1)エフロブ「買いたい新書」書評にNo.190: 杉晴夫「栄養学を拓いた巨人たち」を取り上げました。この人には、デュ・ボア・レーモン「宇宙の七つの謎」の向こうをはった「現代医学に残された七つの謎」という本もあります。
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1380867898


 ひと世代前の医学では、「筋収縮のエネルギー源はブドウ糖が分解され乳酸に変化する際に得られ, 酸素不足による乳酸の蓄積が疲労の原因だ」という、「乳酸学説」が支配的でした。
 これは1922年にノーベル賞を受けた学説です。その後の研究により、細胞が必要とするエネルギーの90%は、ミトコンドリア内にあるTCAサイクル由来の、ATPであることが明らかにされました。つまり、アミノ酸も脂肪酸もアルコールもTCAサイクルに入って、ATPを作るので「糖質」は生存に不可欠の栄養素ではないのです。


 これが現代の糖尿病治療食の基本理論ですが、日本の糖尿病学会は相変わらず時代遅れの学説にしがみついています。どのようにして、「乳酸学説が崩壊して行ったかを語る、研究の進展過程と研究者たちの論争も、興味深いものがあります。
 世界的な栄養学の開拓者、日本の佐伯矩(さいきただす)についても、ちゃんと述べられています。「石を投げれば糖尿病患者に当たる」といわれるほど、糖尿病、境界型糖尿病の人が増えている現在、万人必読の書と言ってよいでしょう。


 2)前に「買いたい新書」でNo.064: 森脇昭介『遺体に学ぶ:一病院病理医の人生観・死生観』(アトラス出版 ,2009/4, 1,238円, 205頁)
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1307924013
 を取り上げました。森脇先生がこの度、新しく「人間力:言葉の力」(文芸社, 2013/12, ¥1,500, 332頁)を上梓され、献本を頂いた。お礼申し上げます。


 世の中に氾濫している「…力」の付く言葉や、「校内暴力, 自力救済, 待機電力, 怪力乱心…」といった四文字熟語を収集し、自分の体験をまじえて解説文を付したものだ。
 「自分の体験」というのは、戦争中にB29の墜落現場に行き、防弾ガラスの破片やネジを拾ったら、そのネジの溝が「プラス」だったのを不思議に思った、といったようなことだ。


 私より10歳年上の大先輩で、愛媛県松山市で一人暮らしをしておられるが、元「国立松山病院」の院長を長く勤められた。病理科長時代には、早くから病理データの電算化に取り組まれ、この病院の病理解剖、病理検査、他の臨床検査データは、西日本では最初にデータベースとして最初に利用可能となった。「電子カルテ」などが叫ばれるようになる、20年も前の話である。



 索引と参考文献リストがないので、収録語数と文献数がわからないのが惜しい。見たところ1頁平均2語、平均3文献(書籍と新聞記事)が収録されているようなので、約660語を収録し、約1000冊の参考文献が使用されているようだ。


 前作以来4年、前から準備はされいたのだろうが、そ「力」という言葉に着目され、こつこつと文献から用例を集め、このような書物にまとめ上げられた先生の「根気力」と「整理力」には脱帽である。
 「力」は、英語でpower, force, ability, capability、ドイツ語でMacht, Kraft, Faehigkeit, Potenzialに相当する言葉だが、日本語ではほとんど「力」と訳されているので、学問や使用される分野により多様な意味と使い方がある。それが科学、身体、病気、政治、宗教など13章に分けて解説されている。
 余談だが、映画「スターウォーズ」でアレック・ギネスが扮する仙人みたいな老人が、ルーク・スカイウォーカーに「フォース」の存在とそれを上手く利用することを教える場面で、日本語字幕では「理力」と訳されていたのが、印象に残っている。
 あの場面では「宇宙の物理法則」と「気」を一緒にしたような概念だったが、字幕作成者も訳語に困ったのであろう。「理力」は中江兆民あたりが、使いそうな言葉だ。


 佐藤一斎「言志四録」中の「言志晩録」に曰く。「少にして学べば、すなわち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。老いて学べば、すなわち死して朽ちず」。
 高齢化社会なんぞ恐るるに足りんやである。先生は4年後、86歳でまた1書を著されるだろう。


 3) 内科医で天瀬裕康という筆名で評論・評伝・SFなどを手がけられている渡辺晋先生から、天瀬裕康編著「SF・科学・ファンタジー短歌集」(短詩型SFの会, ¥1500, 2013/5)の献本を受けた。お礼申し上げます。
 先生も1931年生まれ、森脇先生と同年、私より10歳上の大先輩だ。


 「SF短歌」というのは、向井千秋さんが2度目の宇宙飛行中に作った「宙返り何度もできる無重力」というざれ歌に、宇宙開発事業団が下2句を公募して始まったのだそうだ。約14万5000首の応募があったそうだ。


 それから以後、従来は短歌になじまないとされていた科学の世界やその言葉が、取り入れられるようになった。その手の短歌の適切な総称はないが、渡辺先生は古今の和歌・短歌からの選歌と自作を集めて一緒にしておられる。付録に詠唱のCDが付いている。


 寺山修司に面白い歌があることを知った。(P.28)
 「自らを瀆(けが)してきたる手でまわす顕微鏡下に花粉はわかし」
 この歌には解説が付いていませんが、「自瀆」はマスターベーションのこと、「花粉」は精子のメタファーです。
 つまり自分で採取した精液を、顕微鏡で観察して精子が活発に動いていることを、感心して眺めている情景を歌ったものです。寺山修司の伝記は読んだことがありませんが、彼にもそういう機会があったのでしょう。
 実体顕微鏡でなく、透過型の顕微鏡でしょう。コンデンサーを下げると限界顕微鏡として使えますから、カバーグラスをかけ倍率200倍なら、精子が泳ぐのを観察できます。


 「私が羊歯(しだ)だったころ降っていた雨かも知れぬ 今日降る雨は」
 柳澤桂子の歌だそうだが、これはセンスも科学的正確さもない。
 動物の系統と葉緑体を持ち光合成をする植物の系統は、単細胞の真核細胞が出現した時に分岐したので、柳澤桂子が植物だったことは一度もない。生命の系統進化に対する無知の産物だ。


 この人の書くものは自分の難病を医者に誤診されたことへの恨みつらみが、根底にある。
 だけど、自分の病気を客観的に眺めるだけのゆとりがあれば、セカンド・オピニオンを求めてたはずだ。自分にも一般の責任があることを彼女は忘れている。


 「科学短歌」というものが、もし成り立つとすれば、まず科学的に正確で、しかも自然に対する感動や作者の感情が盛り込まれなくてはならないだろう。
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