【てれすこ】文科系の学問は「行きつ戻りつ」していて、進歩がない。文学にはセンスが第一と思っていて、それ自体は正しいのだが、方法論が科学的でないからだ。落語「てれすこ」の原話が無住一円「沙石集(しゃせきしゅう)」8巻16章にあるとWIKIにある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/てれすこ
そこで岩波文庫「沙石集(上・下)」(筑土鈴寛校訂)を確かめた。前に読んだ時の記憶がない。
この本は昭和17年初本で、所持本が1997年三刷りだから、ほんど売れていない。
解説に無住一圓(1886~1972)とあり、「二十世紀に死んだ人?」とまず驚く。これは「皇紀」である。だから1600を引かないといけない。鎌倉時代の人だ。あの岩波がこんな本を今でも売るくらいだから、改版のコストが出ないのだ。
問題の巻と章には該当文がない。下巻の後に 「説話索引」が載っているが「人名、事項索引」がない。巻末から本文頁を逆向きに繰ったが、どの巻にも載っていない。ネットで「沙石集」テキストを調べたが、ここにも「8巻16章」がない。
「くくるくつ」、「ひひりひつ」で検索すると、WIKIの記載かその受け売りにたどり着く。「文庫解説」を読むと、底本は京大所蔵本(10巻10冊、うち第7巻欠)とある。しかし目次には第七巻があるので、文庫に欠巻はないはずだ。
が、「写本のみにあって、流布本(版木本)にない説話は、拾遺として巻末に収めてある」と書かれていた。「拾遺」を普通の読者は読まない。念のため拾遺を読むと「米沢文庫写本巻七10章」に「魂魄(こんぱく)の俗事」というのが1頁半(下巻p.272-73)分あり、それが原話だった。これは元写本である。
手元に原本があるのに、ここまでたどり着くのに木曜日の午前中を費やした。何たる時間の浪費!文系の文献調べの何たる生産性の悪さ!
で、落語「てれすこ」の原話はこうなっている。(概要)
「ある公卿の屋敷へ雇ってほしいと男がやってきた。何ができるか尋ねたところ、力仕事などはだめだが<一切智者の判官代>というあだ名があり、いろんなことを良く知っていると答えたので、これは大事な男だと召し抱えた。
播磨の国司に任じられた際、この男「判官代」を連れて赴任した。
明石の海岸で大網を引かせたら、目も口もない、ぬるぬるとした生きものが揚がってきた。
漁師も他の人々も見たことがないという。「判官代」に尋ねたら『くくるくつ』ですと答えた。 国司は日誌にこの妙な生きもののことを記入させた。
4年の任期が終わり都に戻り、同輩と語らっている内に、明石浦での妙な生きものの話が出た。みな信じないので、干物にしてあったのを見せたが、誰も見たことがないという。先国司も名前を忘れた。日誌を探させたが出てこない。
再び「判官代」を召しだし、名前を聞いたが、前にも適当にしゃべったので、本人も前の名前を思い出せない。見れば、からからに干からびているので、『ひひりひつ』と出まかせを言った。
ところが、間もなく日誌が見つかり、そこには『くくるくつ』とあった。
日誌を読み上げた先国司が、前の名前と違うではないか詰問すると、
『あれは生のときはくくるくつと言いますが、干物になるとひひりひつと申します』と答弁した。
なるほどそうか、そういうこともあるだろう、と一同が納得した。」とある。
「鬼九郎には似ず、魂魄人なりけり。」と結んでいる。
鬼九郎というのは、前章に出てくるつまらない人物のこと、魂魄人というのは、「ガッツのある人」という意味で、男の度胸とウィットを誉めている。
この原文を見ると、生ものと干物で名前が違うのは、鎌倉時代に他にもあったのだろう。
イカ=スルメ
卵巣=数の子(ニシン)
卵巣=からすみ(ボラ)
などがそうだろうか…
文庫本の後に毎日「余録」(04年9月11日)の切り抜きが挿んであった。
「沙石集」から「医師の薬を用いるに、下医は毒を毒となし、中医は毒を毒につかい、上医は毒を薬に用う」が引用してある。引用箇所を確認しようと挿んだまま、調べるのを忘れていた。これもざっと調べたかぎりでは引用箇所が見つからない。そう決めつけるには、また半日かかるだろう。
「上医は国を癒やし、中医は病人を癒やし、下医は病気を癒やす」
というのは、何かで読んだことがあるが、余録子の引用箇所は知らない。ご存じの方はお教え願いたい。
ともかく本は索引(人名、事項)を充実し、引用者は引用箇所がチェックできるような引用をしてもらいたい。知的労働の生産性はそれにより格段に向上する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/てれすこ
そこで岩波文庫「沙石集(上・下)」(筑土鈴寛校訂)を確かめた。前に読んだ時の記憶がない。
この本は昭和17年初本で、所持本が1997年三刷りだから、ほんど売れていない。
解説に無住一圓(1886~1972)とあり、「二十世紀に死んだ人?」とまず驚く。これは「皇紀」である。だから1600を引かないといけない。鎌倉時代の人だ。あの岩波がこんな本を今でも売るくらいだから、改版のコストが出ないのだ。
問題の巻と章には該当文がない。下巻の後に 「説話索引」が載っているが「人名、事項索引」がない。巻末から本文頁を逆向きに繰ったが、どの巻にも載っていない。ネットで「沙石集」テキストを調べたが、ここにも「8巻16章」がない。
「くくるくつ」、「ひひりひつ」で検索すると、WIKIの記載かその受け売りにたどり着く。「文庫解説」を読むと、底本は京大所蔵本(10巻10冊、うち第7巻欠)とある。しかし目次には第七巻があるので、文庫に欠巻はないはずだ。
が、「写本のみにあって、流布本(版木本)にない説話は、拾遺として巻末に収めてある」と書かれていた。「拾遺」を普通の読者は読まない。念のため拾遺を読むと「米沢文庫写本巻七10章」に「魂魄(こんぱく)の俗事」というのが1頁半(下巻p.272-73)分あり、それが原話だった。これは元写本である。
手元に原本があるのに、ここまでたどり着くのに木曜日の午前中を費やした。何たる時間の浪費!文系の文献調べの何たる生産性の悪さ!
で、落語「てれすこ」の原話はこうなっている。(概要)
「ある公卿の屋敷へ雇ってほしいと男がやってきた。何ができるか尋ねたところ、力仕事などはだめだが<一切智者の判官代>というあだ名があり、いろんなことを良く知っていると答えたので、これは大事な男だと召し抱えた。
播磨の国司に任じられた際、この男「判官代」を連れて赴任した。
明石の海岸で大網を引かせたら、目も口もない、ぬるぬるとした生きものが揚がってきた。
漁師も他の人々も見たことがないという。「判官代」に尋ねたら『くくるくつ』ですと答えた。 国司は日誌にこの妙な生きもののことを記入させた。
4年の任期が終わり都に戻り、同輩と語らっている内に、明石浦での妙な生きものの話が出た。みな信じないので、干物にしてあったのを見せたが、誰も見たことがないという。先国司も名前を忘れた。日誌を探させたが出てこない。
再び「判官代」を召しだし、名前を聞いたが、前にも適当にしゃべったので、本人も前の名前を思い出せない。見れば、からからに干からびているので、『ひひりひつ』と出まかせを言った。
ところが、間もなく日誌が見つかり、そこには『くくるくつ』とあった。
日誌を読み上げた先国司が、前の名前と違うではないか詰問すると、
『あれは生のときはくくるくつと言いますが、干物になるとひひりひつと申します』と答弁した。
なるほどそうか、そういうこともあるだろう、と一同が納得した。」とある。
「鬼九郎には似ず、魂魄人なりけり。」と結んでいる。
鬼九郎というのは、前章に出てくるつまらない人物のこと、魂魄人というのは、「ガッツのある人」という意味で、男の度胸とウィットを誉めている。
この原文を見ると、生ものと干物で名前が違うのは、鎌倉時代に他にもあったのだろう。
イカ=スルメ
卵巣=数の子(ニシン)
卵巣=からすみ(ボラ)
などがそうだろうか…
文庫本の後に毎日「余録」(04年9月11日)の切り抜きが挿んであった。
「沙石集」から「医師の薬を用いるに、下医は毒を毒となし、中医は毒を毒につかい、上医は毒を薬に用う」が引用してある。引用箇所を確認しようと挿んだまま、調べるのを忘れていた。これもざっと調べたかぎりでは引用箇所が見つからない。そう決めつけるには、また半日かかるだろう。
「上医は国を癒やし、中医は病人を癒やし、下医は病気を癒やす」
というのは、何かで読んだことがあるが、余録子の引用箇所は知らない。ご存じの方はお教え願いたい。
ともかく本は索引(人名、事項)を充実し、引用者は引用箇所がチェックできるような引用をしてもらいたい。知的労働の生産性はそれにより格段に向上する。
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