ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【騒音】難波先生より

2016-02-01 14:48:00 | 難波紘二先生
【騒音】
 帰りは15:40高松駅発の「快速マリンライナー」に乗り、岡山駅で新幹線に乗り換えたのだが、「福山駅でこだまに乗り換えればよい」と思って、来たばかりの鹿児島行き「さくら」に乗り、福山で降りたのが大間違いだった。福山での乗換は「のぞみ」と連絡するように「こだま」の時刻が設定されており、結局1時間待ちになった。これだと在来線でも西条駅に到着できる時間である。だが、新幹線東広島駅に駐車してあるので、そうはいかない。
 初めホームで待ったが、なかなか「こだま」の案内がでないし、寒いのとホームでの列車発着の案内(上りと下り)、エスカレーターやエレベーターについての注意案内、そういった多重のアナウンス音量の大きさと多重化によるノイズにうんざりして、地階の待合所に移動した。だが、ここも同じような騒音環境だった。
 やっと来た「こだま」に乗って東広島までたどり着き、車を運転して自宅に戻ったら19:30だった。行きは3時間ですんだが、帰りは4時間近くもかかった。

 山に隠っていると、まったく静謐で、降る雪の音が聞こえるくらいだ。(実際にボタン雪が着地する時には微かな音がする。)そうなると、音に対する感覚が研ぎ澄まされて来るのかも知れない。久しぶりの列車旅行では、騒音の多さ・高さに神経が草臥れた。高松駅前のホテルから、裁判所まで行きは高橋さんと一緒に、帰り一人で駅まで歩いたのだが、その間の町の騒音にも草臥れた。市街地に住んでいると、多分これを「騒音」と自覚することはないであろう。

 哲学者のバートランド・ラッセルは「騒音は人間を不幸にする最大要因の一つだ」と述べている(「幸福論」, 岩波文庫)。けだし名言だと思った。特に福山駅の新幹線待合室で乗り継ぎの「こだま」を待つ間、過剰な構内案内が何種類も同時に聞こえるのには参った。
 亡くなった叔父は耳鼻科で精神科医という変わった経歴の人物だった。1946/6/1の「夕刊ひろしま」という新聞に載った「騒音に想う」という一文があり、そこにある会合のスピーチで「現代はSOSの時代である。Sは騒音、Oは汚職、Sはストロンチウム90を意味する」と駄洒落を飛ばしたら、爆笑を誘ったとある。(しかしストロンチウムが問題になったのは、第五福竜丸が被爆した、1954/3のアメリカによるビキニ水爆事件でのことだから、叔父の随筆集「鳴竹庵雑想」の誤記ではないかと思う。)
 それはともかく古来騒音を嫌った大人物として、カーライル、フローベル、ミュッセがあげられ、ショーペンハウエルは「騒音は天才を害なう多くの災いの一つである」と述べた、と書いてある。ラッセルの原本「Conquest of Happiness」の刊行は1930年のロンドンで、邦訳は1959年、最初、みすず書房から「ラッセル著作集6:幸福論」として出ている。
 してみると、欧米ではすでに1930年代までに「騒音」を忌避する良識があり、叔父は耳鼻科医として独立して同様の結論に達したものとみられる。叔父には「新幹線騒音に思う」という1975/5の別の評論もある。ただしこれは列車騒音についてで、構内アナウンスの騒音の話ではない。今や一過性の列車騒音よりも、のべつ幕なしの、プラットフォームや駅待合室での騒音の方が問題だと思う。

 昨1/30の夜は風呂にお湯を張る時にバスタブの中に長さ1.5cm位の小さなムカデがいるのを見つけた。手で摘むわけにもいかないので、熱湯で殺して、排水口に押し流した。それにしてもこの真冬、どこに潜んでいたのか不思議である。
 今日1/31には、書庫に本を探しに行って、通路に黒い紐のようなものがあるのを見つけた、よく見るとこれが長さ3cmくらいの小さなヤモリだった。踏んづけたと見えてペチャンコになっている。これもなぜそんなところにいたのか不思議だ。

 標本皿に入れフラッシュで撮影したので、体表の紋理がよく見える。
 ムカデもヤモリも音無で歩くから私は好きだ。これらがノイズを立てて歩きまわったら、やりきれない。JRも少しは騒音が旅客に与える迷惑ということを考えたらどうだろう。
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