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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ほんの話】難波先生より

2014-06-23 13:24:17 | 難波紘二先生
【ほんの話】
 馬屋原先生に紹介された白上謙一『ほんの話:青春に贈る挑発的読書論』(教養文庫,1980)という本をAmazon古書で入手し読んでいる。
 定価は\440だが、古書価は\250~4,000と高騰している。

 白上は東大理学部動物学科卒の発生生物学者で、1944年山梨医専の教授、1952年山梨大教授をへて1971年京大理学部教授になったが、3年後に急逝した。
 山梨大在職中に山梨大学生新聞に「本の話」という題で書いた「読書随筆」50回分をまとめたものだ。1962年5月から1971年4月までに書かれたものが収められている。ただし死後に大学時代からの友人の碓井益雄が編んで、1976年『現代の青春に贈る挑発的読書論』(昭和出版, 1976)として単行本になったものを、社会思想社が1980年、教養文庫に入れたものだ。どういうわけか、Amazonを見ると、文庫のカバーには2種ある。
 巻末には碓井による友情溢れる17頁の解説が付されている。

白上は1913年生まれだから、61歳、定年まで2年を残して病死したことになる。同氏の『生物学と方法:発生生物学とはなにか』(河出書房新社,1972)も読んでいるが、これはかなり難しい。書き下ろしでなく、雑誌発表の論文を集めたものだからだ。『ほんの話』の最終回に、
 「消え去ることもよいことかも知れない。
  思いでだけが残り、年と共にそれが美しくなって行くのならば。」
と書いている。本人は京大への転任に際して、山梨大の学生たちに「さようなら」というつもりだったのだろうが、期せずして彼が好きだった太宰治『グッドバイ』のようになっている。

 索引がついていないから何人の著者、何冊の本が取り上げられているかわからないが、内外合わせてざっと200人、400冊といったところであろうか。専門書以外が多く、戯作本、大衆小説、推理小説、漫画なども多い。私は「本を紹介した本」を「本の本」と呼んでいるが、本が知識を述べたものなら、「本の本」をそれに対して「メタ」の関係にある。「メタ知識」の本が重要になるので、私の本棚には各分野の「本の本」が並んでいる。究極の「メタ知識」は参考文献を明示してある「辞書・辞典」である。こういう「フラクタル構造」になった本が日本には乏しいと思う。

 「読書の速さ」について書いた項(No.16)がある。清水幾太郎が「朝日」学芸欄に「本を読む場合、相当早くないと身につかない」という説を述べた一文を発表して、読者にショックを与えたのだそうだ。白上はこういう:
 「速読するほどよく理解ができるなどというバカげたことがあるはずがない。…あらかじめ理解しているもののみを読みとるためには、電光石火の読書は充分目的を達しうる。」
 基礎知識があるから速読が可能になるので、それはすでに理解している術語・用語をピックアップし、その相互関係、つながり方を拾えばよいから、1頁を1秒で読めるのである。眼と脳の協調による、ある種の情報圧縮なのである。清水のような一般化は間違いだ。

 河上肇の『自叙伝2』(岩波文庫)にこういう話が書いてある。
 京大教授をやめ、日本共産党員になった河上が昭和5年1月、京都から東京・西大久保に移住したとき、京都から護衛の青年が付けられた。玄関番の書生として住み込んだ。から「前途有望な青年として留学生のような意味あい」で送られてきた、この青年Kは「マルクス主義が研究したい」というので、河上が書いた『経済学大綱』という大部の著書を渡し、「読みながら質問するように」と指示した。
 ところがこの青年は、まるで「小説本でも読むように」、箸先をすべらせて行から行へ飛ぶように走らせて読む。二、三日すると「あれはもう読んだから、別の本を貸してくれ」という。
 「小説本を読むようにして分かるはずはないのだが、分からぬということすら分からないのだから、手のつけようもなかった。」(p.127)と書いている。
 この青年は清水幾太郎と同じである。
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