【新聞論評】
日曜日の新聞の「書評欄」は最近つまらない記事が多い。それで最近は各紙1面コラムが取り上げている本を読むことが多い。「日経」の「春秋」や「産経」の「産経抄」が取り上げる本には参考になる良書が多い。
「産経」日曜版の早稲田大教授石原千秋による「月刊・時評文芸」は個人名をあげての批判があり、あえて論争を挑発しようという意図が窺われ、「論争」というものが絶えて久しい論壇では、異色のコラムである。4/24(日)の同コラムでは姜尚中の漱石「こころ」読み違いや、作家円城塔が文学賞選考委員としてふさわしくない理由が述べてある。
公開の紙面でこれだけ批判されたのだから、俎上に載った二人には反批判の自由と義務があると考える。
文科省による「文系学部縮小・再編成」の意向が明らかにされて、大あわてで文系が吉見俊哉「<文系学部廃止>衝撃」(集英社新書、2016/2)というような本を出しているが、「文系の存在理由」はとっくに終わっている。ウソだと思うなら「日経」4/25が報じた「主要企業1005社の2016年度採用実績数と2017年度採用予定数」の業種別一覧表を見るがよい。

「産経」の書評欄が宮家邦彦評で、山内昌之「中東複合危機から第三次世界大戦へ」(PHP新書、2016/2)を推奨していた。山内は以下のように、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%98%8C%E4%B9%8B
北大文学部卒で全共闘世代である。東大で学歴ロンダリングの後、数多くの著書を書いているが、まともな訳書が1冊もない。
書評に引かれて上記書を読んだが、およそ散漫で何がいいたいのか分からない。無根拠に危機感を煽り立てているだけとも思える。
4/25「産経」にその山内のコラム「歴史の交差点」が載った。(添付2)

読んであきれた。今や彼は「フジ・サンケイグループ」の電波芸者である。
何よりも「世界戦争(World War)」についての基本理解がない。
「世界史」の誕生は岡田英弘「世界史の誕生:モンゴルの発展と伝統」( ちくま文庫, 1999/8)が明らかにしたように、アジアとヨーロッパが密接に接したのは13世紀ジンギス・カンの指揮の下、「モンゴル帝国」出現してからである。それまでにもイスラム世界はジブラルタル海峡を渡ってスペインを占領していた。だからイスラム世界とキリスト教ヨーロッパはすでに8世紀にはグローバル化していた。
しかしヨーロッパ、アジア、イスラム世界がグローバリズムに巻き込まれたのは「元帝国」の成立によってである。岡田はこれを「世界史の誕生」と呼んだのだ。「世界史」が成立していない時代に「世界戦争」は存在しようがない。
「世界戦争(The War of The Worlds)」という言葉を最初に使ったのは、作家のH.Gウェルズ(1866-1946)である。この本は不幸にも邦題が「宇宙戦争」(角川文庫、2005/5)となっているが、書かれたのは1898年で、彼はすでに来たるべき「世界戦争」を予期していた。
H.G.ウェルズは「第一次世界大戦」を「The Great War(大戦争)」と呼んだ。まさか国際連盟を結成した人類が、二度目の大戦争を起こすとは彼も予想していなかったのだ。それで1922年に出版された初版「A Short History of the World」(Penguin Classics)では「The Great War」と書かれている。没後に翻訳された「世界史概観」( 岩波新書、1966/6)では、「第一次世界大戦」となっている。p.123)
ちなみに軍事史を中心として、
Hew Strachan:The First World War. Penguin Books, 2005
Peter Calvocoressi et al. :The Penguin History of The Second World War. 1972, Penguin Books
というような専門書でも、ちゃんと「世界大戦」という言葉を用いている。
すでに1970年代から米国の高校「歴史教科書」には「第一次大戦」「第二次大戦」という用語があった。
つまり「世界大戦」という呼称は、H.G.ウェルズの「The War of The Worlds」と「The Great War」に由来するものであり、世界がグローバル化して必然的に生じた戦争である。
山内はその名称の由来を知らず、ペルシア戦争やペロポネソス戦争を引き合いに出して、「局地的な大戦争」という意味に「第三次世界大戦」という用語を使用しているが、見当違いもはなはだしい。「世界大戦という言葉は欧米列強の辞書になく」などとは、休み休みいえ。
日曜日の新聞の「書評欄」は最近つまらない記事が多い。それで最近は各紙1面コラムが取り上げている本を読むことが多い。「日経」の「春秋」や「産経」の「産経抄」が取り上げる本には参考になる良書が多い。
「産経」日曜版の早稲田大教授石原千秋による「月刊・時評文芸」は個人名をあげての批判があり、あえて論争を挑発しようという意図が窺われ、「論争」というものが絶えて久しい論壇では、異色のコラムである。4/24(日)の同コラムでは姜尚中の漱石「こころ」読み違いや、作家円城塔が文学賞選考委員としてふさわしくない理由が述べてある。
公開の紙面でこれだけ批判されたのだから、俎上に載った二人には反批判の自由と義務があると考える。
文科省による「文系学部縮小・再編成」の意向が明らかにされて、大あわてで文系が吉見俊哉「<文系学部廃止>衝撃」(集英社新書、2016/2)というような本を出しているが、「文系の存在理由」はとっくに終わっている。ウソだと思うなら「日経」4/25が報じた「主要企業1005社の2016年度採用実績数と2017年度採用予定数」の業種別一覧表を見るがよい。

「産経」の書評欄が宮家邦彦評で、山内昌之「中東複合危機から第三次世界大戦へ」(PHP新書、2016/2)を推奨していた。山内は以下のように、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%98%8C%E4%B9%8B
北大文学部卒で全共闘世代である。東大で学歴ロンダリングの後、数多くの著書を書いているが、まともな訳書が1冊もない。
書評に引かれて上記書を読んだが、およそ散漫で何がいいたいのか分からない。無根拠に危機感を煽り立てているだけとも思える。
4/25「産経」にその山内のコラム「歴史の交差点」が載った。(添付2)

読んであきれた。今や彼は「フジ・サンケイグループ」の電波芸者である。
何よりも「世界戦争(World War)」についての基本理解がない。
「世界史」の誕生は岡田英弘「世界史の誕生:モンゴルの発展と伝統」( ちくま文庫, 1999/8)が明らかにしたように、アジアとヨーロッパが密接に接したのは13世紀ジンギス・カンの指揮の下、「モンゴル帝国」出現してからである。それまでにもイスラム世界はジブラルタル海峡を渡ってスペインを占領していた。だからイスラム世界とキリスト教ヨーロッパはすでに8世紀にはグローバル化していた。
しかしヨーロッパ、アジア、イスラム世界がグローバリズムに巻き込まれたのは「元帝国」の成立によってである。岡田はこれを「世界史の誕生」と呼んだのだ。「世界史」が成立していない時代に「世界戦争」は存在しようがない。
「世界戦争(The War of The Worlds)」という言葉を最初に使ったのは、作家のH.Gウェルズ(1866-1946)である。この本は不幸にも邦題が「宇宙戦争」(角川文庫、2005/5)となっているが、書かれたのは1898年で、彼はすでに来たるべき「世界戦争」を予期していた。
H.G.ウェルズは「第一次世界大戦」を「The Great War(大戦争)」と呼んだ。まさか国際連盟を結成した人類が、二度目の大戦争を起こすとは彼も予想していなかったのだ。それで1922年に出版された初版「A Short History of the World」(Penguin Classics)では「The Great War」と書かれている。没後に翻訳された「世界史概観」( 岩波新書、1966/6)では、「第一次世界大戦」となっている。p.123)
ちなみに軍事史を中心として、
Hew Strachan:The First World War. Penguin Books, 2005
Peter Calvocoressi et al. :The Penguin History of The Second World War. 1972, Penguin Books
というような専門書でも、ちゃんと「世界大戦」という言葉を用いている。
すでに1970年代から米国の高校「歴史教科書」には「第一次大戦」「第二次大戦」という用語があった。
つまり「世界大戦」という呼称は、H.G.ウェルズの「The War of The Worlds」と「The Great War」に由来するものであり、世界がグローバル化して必然的に生じた戦争である。
山内はその名称の由来を知らず、ペルシア戦争やペロポネソス戦争を引き合いに出して、「局地的な大戦争」という意味に「第三次世界大戦」という用語を使用しているが、見当違いもはなはだしい。「世界大戦という言葉は欧米列強の辞書になく」などとは、休み休みいえ。
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