ある宇和島市議会議員のトレーニング

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【日本海】難波先生より

2014-02-18 12:37:50 | 難波紘二先生
【日本海】2/14「産経抄」が「日本海」は日本による命名ではないと論じている。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140214/plc14021403360001-n1.htm
 「日本が勝手に日本海と命名したものではない」という産経抄氏の主張は間違っていないが、18世紀フランスの軍人ラ・ペールズが作成した海図に初出というのは間違いである。
 1785年、国王ルイ16世の命令で蝦夷、韃靼海域を調査したフランス海軍のラ・ペールズ大佐は1797年にパリで「シナ海・韃靼海域発見全図」を刊行しており、その中に「日本海(MER DE JAPON)が確かにある。
 しかしながら、2/10のメルマガに地図を示したように、1602年イエズス会のイタリア人宣教師マテオ・リッチが作成した「坤與(こんよ)万国全図」に「日本海」と漢字で書かれているのが最初である。
 何でも中国のものならあり難がる国なのに、どうしてこの地図が朝鮮に普及しなかったのか不思議だ。
 韓国は現在、「古くから東海の名称を使用してきた」と主張しているが、李王朝の地理学者李重煥による「択里志」(1751)の地図には「東抵大海」(東は大海により境される)とあり、「東海」は普通名詞として使用されていたことが明らかである。
 本文(漢文)における、北海と東海についての記載を比較する、
 徳積島 在忠清瑞山北海中 (徳積島は 忠清(道)瑞山の北海中に在り)
 となっており、
 然東海処倭与我国之間 旧有水宗如嶺 彼此不相通(然るに東海は倭と我が国の間にあり、かつて嶺の如き波濤があり、彼我相通ぜず)
 となっている。
 「徳積島」は仁川の西、京畿湾に浮かぶ「徳積群島」の主島であり、京幾湾は黄海につながっている。この海を韓国では「西海」と呼んでいる。西海の東に北海があるという馬鹿な話はないので、この「瑞山北海中」は「瑞山の北の海」という意味で、「北海」は絶対座標としての地名ではなく、相対座標を表す普通名詞であることが明らかだ。
 李重煥の「東西南北」の使い方が、このように相対座標としての用法だということが確定すれば、「然東海処倭与我国之間」の意味は明瞭で、「然るに倭と我国の間に東の海処(あ)り」となり、「東海」は固有名詞でなく、「朝鮮東方の海」という相対的位置を表す名称である。これは「択里志」に見られる、「東抵大海」、「南抵大海」(この場合、海は対馬海峡)という使い方と同じである。
 いずれにせよ、韓国側があくまで「東海」を主張するのであれば、マテオ・リッチの「坤與(こんよ)万国全図」(1602)よりも古い正真正銘の証拠を提示するべきであろう。
 いま、16,17世紀に朝鮮人、中国人、ヨーロッパ人が日本海または東海について記載したものがありはしないかと、陳舜臣「乱中日記」、ヘンドリック・ハメル「朝鮮幽囚記」、N.ウィットセン「朝鮮国記」やそれに含まれる中国の朝鮮関係記述を読んでいるが、どうもアジア人は海に名称をつけるという習慣がなかったように思われる。
 1816年に朝鮮西部の海岸と琉球を探険した英国海軍艦長ベイジル・ホールの「朝鮮・琉球航海記」(岩波文庫)には、「黄海」はあるが「日本海」は挙げられていない。
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