服装の不思議

2005-02-09 23:12:05 | Weblog
てなわけで朝っぱらからドトールで、材質はニ
ットで色はアイボリー、縦一本大きく縫い目がは
いってて、ちょっとピンクの模様が輪状に一周、
オマケにやや先太という帽子。ごく簡単な比喩を
使うなら、「皮の剥けた亀頭」そっくりな帽子を
かぶった中年女性を目撃し、コーヒーが気管には
いってせきこんだわたくしであります。つーか、
写真撮れなかったのがかえすがえすも残念。

 あの女性、どういう感覚であの帽子を選んだの
か。生まれてこのかた剥けたチンコを見たことが
ないひとなのか。それとも自らの頭をチンコに擬
すことに、なにかポジティヴな意味を見い出す人
間なのか。他人の趣味嗜好のベクトルを理解する
ことは、かように難しいことではある。

 アメ横あたりの洋品屋へ行くと、「だれがこん
なの買うんだ」という疑問が、頭に浮かばざるを
えないネクタイなどが、店頭に堂々と鎮座してい
る。白いシルク地に牡丹と蝶とか。「目立つ」と
いうことを最優先にしたとしても、ああいうネク
タイを平気でつけられる感覚というのがわからな
い。そういうネクタイをつけることが、有利とな
る職業のひとだとしても。

 ヤの方々もオタの方々も、「いかにも」というイ
メージの服装がある。ヤのひとであれば太いスト
ライプのダブルのスーツ。ギラギラ輝く指輪をし、
肩で風切り胸はって歩く。オタといえばチェック
のシャツに、ケミカルウォッシュの安物ジーンズ。
銀縁メガネにバンダナ巻いて、リュック背負って
片手に紙袋。いささか陳腐なイメージではあるが、
さほど大きくはずれてもいまい。

 やはり仲間内から離れた服装をするのは、いさ
さか勇気がいるのかもしれない。オタな服装をし
たいヤクザ、パンチにしてみたいアニメ好き、ど
っちもきっと存在していると思う。 

 さてわたしの服装の嗜好が、「福祉団体の炊き出
しの行列」に、バッチリはまるのは何故なのか。こ
のことに関して結論出すには、いま少し時間をいた
だきたい。

電車男考

2005-02-08 20:28:11 | Weblog
サンリオグッズにハマるなど、41才脂ハゲとして
王道踏み外しつつあるわたしではあるが、本日もま
たやった。電車男漫画版@ヤングチャンピオンの方
をコンビニで立ち読みし、思わず涙ぐんだ。今年後厄
だっつーのにほんとにもお。つーか、店員さんマジ不
気味だったと思う。

 ここまでひとの口に膾炙すると、ネットオタの評判が
よろしかろうはずはない。曰わく「作りだ」「ヤラセだ」
「創作だ」と。人生を斜めに見ることを生き甲斐に、騙
されることを病的に恐れるのがネットオタ。そういう
意見を見るにつけ、こっちとしては「わかってないなぁ」
と食い込んだ髪の生え際をポリポリ掻くしかない。

 あの話自体が事実であろうが虚構であろうが、たいし
た問題ではないと思うのだが。重要なのは、無関係な人
間たちが、本気で応援の書き込みをしたこと。その意味
でまさしくプロレスと同じ。今更WWEのプロレスを見
て、「ありゃ筋書きがあるんだぜ」としたり顔で唱える
人間がいれば、アホウと判断するのが真っ当な人間の立
場だと思う。

 あの話の主人公は、電車男本人ではない。応援の書き
込みをする、幾十人もの有象無象だ。上記の漫画にあた
っては、案の定、ひとりの名無しがクローズアップされ
ていた。はじめは嘲笑して見ていたが、そのうち本気で
応援を始める。その応援は、決して他人のためではなく、
他でもない自分のためだ。かつての自分を投影し、同じ
間違いを犯さぬよう、力の限りアドバイスをする。仮に
それが面とむかっての忠告ならば、ウザいことこの上も
ないだろう。だが匿名の板上ならば、受け入れたければ
受け入れればよく、無視したければ無視すればよい。何
の責任も生じない。そして書き込んだ方もそれについて
は何も期待しない。言いっぱなしの快さ、無責任の崇高
さ。現代における「無償の善」とは、こういう形でしか
成り立ち得まい。

 「匿名性からくる無責任」を、蛇蠍の如く嫌うひとも
いる。だが「無責任な発言」だからこそ救われることも
ある。いわゆる「いいひと」の「善意の押しつけ」より
も、「便所の落書き」に救われる場合があることを、識
者とよばれる人間はも少し考えたほうがいいのではない
か思う。




 


料理の変遷

2005-02-07 20:01:31 | Weblog
昭和38年、西暦に直すと1963、わたしが生を受けたのは
この年だ。同年生まれにはKONISHI、北尾にダウンタウ
ン。唐沢寿明は星座も同じ、ついでに血液型も同じだそうだ。
このことからも、占いは迷信ということがよくわかる。

 もういい加減よい年であるので、体の節々にガタがくる。朝
目覚めると体が痛い。のびをすれば足がつる。歯を磨いたら吐
き気で苦しむ。平均寿命の半ばを過ぎ、ウルトラマンならカラ
ータイマーの色が、青から黄色に変わるころだ。この苦しみも
妥当なところか。

 オッサン故に昔話を語ってみるが、「30年前、牛肉はすべ
てご馳走であった」と聞いたら、牛丼世代はなにを思うか? 
当時の漫画でご馳走といえば。ローストチキンかビフテキ(こ
の表現自体がもぉ)であった。ファミレスがない時代、ビフテ
キとは一流レストランで食すべきものであった。当然ウェイタ
ーが蝶ネクタイしている店ね。疑うものは吉沢やすみの「ど根
性ガエル」を、隅から隅まで見て欲しい。ご馳走と言えばすき
焼きにビフテキ。にぎり寿司など「ほんのちょっとの贅沢」に
過ぎない。「金持ちは肉を食い、貧乏人は魚を食う」 こんな
図式があっさり覆るとは、40のオッサン的に、過去を振り返
ると感慨深い。

 徒然草にこんな記述がある。最近上流にもてはやされている
カツオについて老人曰わく、「カツオという魚はいやしい食べ
物で、自分らが若い頃は決して身分の高い人に供するものでは
なかった」 このように、若者が老人になるくらいの短い時間
のうちに、食物に対する概念は容易にひっくり返る。鰯が高級
魚になり、安価な食べ物としてマグロがイメージされる時代も、
もう少しでくるかもわからない。

あるいはまた「愛のエプロン」で、女性タレントの見せるゴ
ーカイな調理法、あれが世間の流行となり、大いなる大衆性
を獲得する日がくるかもしれぬ。あまり長生きしない方が賢明
なのかも


文文文文文

2005-02-06 22:31:46 | Weblog
益体もないブログをはじめて以来、愚にもつか
ない文章をダラダラと書いているが、所詮素人
の悲しさ、ひとを楽しませるような文はなかなか
書けない。やればやるほど、「文を書くプロ」の
仕事の難しさを考える。プロはやっぱプロですな。

 昔面白がって文体模写というのをやったことが
ある。かと言っても日本の文豪レベルの模写なんぞ
できっこない。やったのは競馬予想の文体模写。個
性のある予想家ほど文の構成、使用する単語、論理
運び、文のリズム等が統一されてるので、模写はそ
れほど困難でなかった。清水成駿の文体模写など、
割によくできていたと思う。

 山田雅人というタレントがいる。たいした芸もな
くテレビにのさばっており、どうも不快で致し方な
かったが、この方が競馬業界にかなり深く首を突っ
込んでいた時期があった。で、この方が某スポーツ
紙に競馬の予想を書いていた。早速模写なんぞをし
てみたが、それによってわかったのが、この方の競
馬に対する思いがいかに浅く、また頭脳も明晰でな
いということだった。「文はひとなり」というのは
まさしく至言であったのだ。

 最近、家のポストに某宗教団体の機関紙がよくは
いっている。たぶん信者獲得運動の一環なのだろう
が、これに書かれている文章がなんともはや。他の
宗教団体のトップを激烈に攻撃しているのだが、こ
れが下品なことおびただしい。2ちゃんねるの煽り
キャラでさえ赤面しそうな下品さだ。辛らつな皮肉、
批判と品のよさというのは本来両立可能なものであ
る。(たとえば魯迅のネチネチとした批判文など、
相手が自殺すんじゃねぇかと思えるほどの辛らつさ
だが、決して下品ではない)だがこの機関紙の批判、
非難は、品が無いうえに説得力にも欠けている。
こういうものを真面目に書くひとの仲間には、あま
りなりたいとは思わない。

 やっぱり「人生いかに生きるべきか」と「新×社
の悪あがき」とかいう記事を一緒に並べてはいかん
と思うのだが。

「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」
開祖の罵倒はやっぱ品がある。少なくともコピーライ
ターの資質は充分にあるのではないか。開祖を尊敬す
るのであれば、もちっと罵倒にも工夫をすべきであろ
う。

HOBBYに首ったけ

2005-02-05 00:07:58 | Weblog
スーパーで買い物などをする。複数の店を比較し、
一円でも高いモノを買ったと知ると、歯噛みしてく
やしがる脂ハゲ。同じ男がキャバクラなどへ行き、
「ドリンク頼んでもいいですか~♪」と甘い声でさ
さやかれると破顔一笑、即座に応諾する。そのドリ
ンクはたいていの場合一杯千円(税・サービス料は
含まず)。昼間の買い物で一円単位をセコセコ節約
しても追いつく額ではない。

 このように人間の金銭感覚というのは理屈のみで
は割り切れない。 普段吝嗇で知られている人間が、
趣味に関しては信じられない大金を平然と投じる。
男の趣味としてヤバイのは車、カメラに腕時計だそ
うだが、案の定、わたしも40近くになって腕時計
にハマった。一般人にとって新品10万円の時計と
いうのは結構な高級時計のはずだが、時計オタにと
っては単なる中堅機に過ぎない。「せめて中古30万
くらいの時計が欲しいな~」と欲望はどんどん膨ら
んでくる。「そんな高い時計買っても、時間に変わ
りがあるわけじゃないだろ」というのはわたしの母
親の発言であるが、これはまさしく的を射ている。
ただその言葉の「正しさ」が理解不能になってくる
ところが、「趣味」のタチ悪いところなのだと思う。

 この間中野の時計屋をぶらぶらしていたら、婦人モ
ノの新品フランクミュラーに38万の値札がついてい
るのを見、思わず「やっすぅぅぅぅ」と大声をあげて
しまった。38万の時計を見て「安い」と感じるその
ことが異常だとは思うが、高級時計をショーウインドウ
越しにずっと見ているとそういう感覚にもなってくる。
新宿の某時計店の、中古売場に1500万(内税)の
値札のついた宝飾時計が置いてある。ああいうものを
見るにつけ、時計狂いの業の深さを思わずにはいられ
ない。

 服はほぼ量販店の安物で固めているのに、何故腕時
計のみ高級ブランドなのか。答えはごく単純であり、服
は自分で見るものでなく他人から見られるもの。対して
腕時計は自分が見るものだからだ。「他人から見られる
こと」を軽視するというのは、老化の証拠だとどこぞの
記事で見た記憶があるが、もしそれが本当ならば、わた
しは生まれた直後から老化していたのかもしれない。

 きょうも腕には39万のヴァシュロンが巻かれている
が、それに関して他人から反応があったことはない。
自分が思うほど、他人は自分を見ていない。これはやはり
思いっきり真実なのであるな。



今日、麩の味噌汁

2005-02-03 20:04:31 | Weblog
「お前この世でいちばんこわいものはなんだと思う?」
「俺は島倉千代子がロックンローラーになったらこわい
と思うよ」
           (いがらしみきお「根暗トピア」)

 人間である以上、「苦手」「こわいもの」というのはたい
てい存在する。地震、雷、火事、オヤジ。ゴロがいいので人
口に膾炙しているが、天災とオヤジを同一視するのはオヤジ
に対するゴマスリである、という説もあるらしい。もっとも
ブリーフひとつで片手に包丁、「電波が電波が」とつぶやき
つつ街を彷徨するオヤジがいれば、このこわさは天災を凌駕
するとは思うが。

 わたし自身は高所がダメだ。かつて工場の見学で、100m
近い高さの煙突にのぼったことがある。エレベーターで数分間、
ドアが開いて、「さあ見晴らしいいですよ」
見晴らしいいのはたしかであるが、床がグレージング(鋼鉄製
の網みたいなやつね)で下が丸見え、眼下に広がる広大な風景。
誇張でもなんでもなく、あの時はマジで膝が笑った。小便漏ら
さなかっただけみっけものである。

 生き物ならばムカデがダメ。前にも書いたが忘れもしない高
校二年の世界史の授業中、どうも脚に違和感を感じるのでズボ
ンをまくったところ、15cmはあるムカデが脚に貼り付いて
いた。それ以来あの足の多い生き物を、目にするだけで耐えら
れない。一度家の湯舟につかっている時、ふと壁を見ると妙な
棒状のものが貼り付いている。裸眼0.1の両目を近づけ、正
体を見極めたらそれがムカデであった。全裸でムカデに対峙す
るこの経験、ムンクの叫びの如く絶叫したのは言うまでもない。

 落語の「饅頭こわい」にも見られるように、「こわいもの」
ネタの話は盛り上がる。フロイト理論を振り回すつもりもない
が、「あるものをこわがる」というのはその人間の人生経験を
語ることに他ならないかもしれない。抗菌グッズの多さを見る
に、いまの人間はそんなにもばい菌がこわいのか、とトイレに
はいっても手を洗わない脂ハゲは考えるのだ。


ハードゲイはとんこつラーメンの夢を見るか?

2005-02-02 23:12:34 | Weblog
通勤途中の道に、「熊おやじ」というラーメン屋が新しく
開店していた。「熊ってことは北海道風かな」とか、「そう
いえば熊のことを『山おやじ』と呼ぶ地方もあるんだよな」
とか、そういうことより先に、生々しいハードゲイ画像が頭
に思い浮かんだわたしは、やっぱ少しネットに溺れすぎなの
かもしれない。すみません。

 しかしやはり「熊おやじ」である以上、筋骨隆々、髭まみ
れのワイルドな「C.W.ニコルと足利尊氏を足して2で割
ったような男性」が、麺をゆでて欲しいものだとは思う。ジャ
ニー喜多川さん好みの美青年が厨房にいたなら、それはや
はり反則であろう。

 まあ、「名前と実体の乖離」というのは、さほど珍しいもの
でもなく、有名どこでは「日本生まれのナポリタン」とか「日
本原産のインドりんご」とか。「アンデスメロン」がアンデス
山脈とはなんの関係もない、「安心ですメロンの略」というの
は、かなりひとの口にのぼっている。

 食材・料理における「地名の魅力」というのはなぜか大きい。
松阪牛にしろ讃岐うどんにしろ、その地名を消したらただの肉
でありうどんであり、有り難みは雲散霧消する。わたしは北
海道に行ったことは未だにないが、それでも「札幌ラーメン」
がどんなものかは知っている。それが本当に札幌で作られてい
るものと同じがどうかは別として。

 しかし、最近その「地名」について細分化が著しいような気
がする。東京ラーメンはまだしも、荻窪ラーメンというのはど
うなのか? あの狭い地域に密集するラーメン屋の調理法に、
なんらかの共通点があるのか。ラーメン屋密集地域のラーメン
屋というのは、ある程度の個性・独自色がないと生き残れない
はずだ。だとすればそのような「調理法の共通性」なぞ、むし
ろ邪魔に思えるのだが。中野もかなりのラーメン屋密集地域で
はあるが、「中野ラーメン」といえるような共通性は存在しな
いし。

「ラーメン屋密集地域で生き残っているラーメン屋だからおい
しいはず」という錯覚を覚えさすことが目的なのか。であれば
概念上の「地名ラーメン」というのは、どういう経緯で生まれる
のだろうか。東京ラーメンだから鶏がらスープのしょうゆ味、
とストレートにつながるのは、豚骨好きとしてやや納得しがたい
ものがある。

 とりあえず近々「熊おやじ」に行ってみよっと。ボウイ・ジョ
ージみたいなオッサンが麺をゆでていたらどうしよう。

来たるべき「死」にそなえ

2005-02-01 20:38:01 | Weblog
知り合いのブログを見ていたら、「急病で救急車を呼
んだ時、変な柄のTシャツを着ていて、云々」という
記述があった。たしかに、いつ病気で倒れるかは人知
の外である。約15年前、半年のインターバルをおい
て職場の人間がふたり続いて亡くなったことがあった。
ひとりは金曜日まで元気で働いていて、月曜出社した
ら来ていない。「あれ、○○さんどうしたの?」と同
僚に問うと「○○さん昨日亡くなったんだって・・・」

 もうひとりの場合はもっと衝撃的であった。職場が移
転することとなり、新しい職場での什器のレイアウトを
決めるため、わたしは新事務所でそのひとと待ち合わせ
をしていた。しかし時間を過ぎて、いつまでたっても現
れない。連絡もない。しびれを切らし事務所に電話をい
れると、「あのな、××さん昨晩亡くなったんだって・
・・」 あの時ほどの大声をあげたのは、ズボンまくっ
たら15cmくらいのムカデが張り付いてることを発見
した高校二年の時以来だったと思う。

 ふたりとも決して病弱などではなく、むしろ頑強な
40男であったが、突然の死にそんなものは関係ない
らしい。「いつ死をむかえてもいいように」というの
は、別に戦国時代の武士に限った話ではなく、現代に
生きるサラリーマンにこそふさわしいのかもしれない。

 さて通勤途中で突然倒れた場合、身元確認のため所
有物があれこれされるのであろうが、その場合はたし
て大丈夫なのか? わたしは常時パンパンに中身の詰
まった、ビニール製のショルダーバッグを愛用してい
るが、中身といえば雑誌と新聞、文庫本に筆記用具、
あとはキャバクラの割チケとキャパ嬢の名刺だ。女性
に縁のない40ハゲとしては、かえって妥当過ぎる中
身である。

 しかし問題は携帯電話だ。職場が嫌いで仕事が嫌い。
よって登録に仕事関係の人間はほとんどない。学校時代
の友人とも疎遠であり、現在つきあいのある人間は皆無
に近い。携帯使って連絡とるのは、キャパクラのねーち
ゃんとネットの知り合いである。そしてその2種類の人
間とも、わたしの前では本名を名乗らないのだ。

 だからわたしの携帯には、奇妙キテレツな名前ばかり
が並んでいる。姓のない、変に艶っぽい女性名が羅列さ
れてるのはまだしも、「ゲビ子」「クサチュー」「小学
生」など、40男の持つ携帯電話の登録として正気の沙
汰ではない。

 この携帯を所持している限り、わたしは意地でも突然
死はしないと思う。万一の時は、浮かばれぬ悪霊となる
こと疑いなしである。