電車男考

2005-02-08 20:28:11 | Weblog
サンリオグッズにハマるなど、41才脂ハゲとして
王道踏み外しつつあるわたしではあるが、本日もま
たやった。電車男漫画版@ヤングチャンピオンの方
をコンビニで立ち読みし、思わず涙ぐんだ。今年後厄
だっつーのにほんとにもお。つーか、店員さんマジ不
気味だったと思う。

 ここまでひとの口に膾炙すると、ネットオタの評判が
よろしかろうはずはない。曰わく「作りだ」「ヤラセだ」
「創作だ」と。人生を斜めに見ることを生き甲斐に、騙
されることを病的に恐れるのがネットオタ。そういう
意見を見るにつけ、こっちとしては「わかってないなぁ」
と食い込んだ髪の生え際をポリポリ掻くしかない。

 あの話自体が事実であろうが虚構であろうが、たいし
た問題ではないと思うのだが。重要なのは、無関係な人
間たちが、本気で応援の書き込みをしたこと。その意味
でまさしくプロレスと同じ。今更WWEのプロレスを見
て、「ありゃ筋書きがあるんだぜ」としたり顔で唱える
人間がいれば、アホウと判断するのが真っ当な人間の立
場だと思う。

 あの話の主人公は、電車男本人ではない。応援の書き
込みをする、幾十人もの有象無象だ。上記の漫画にあた
っては、案の定、ひとりの名無しがクローズアップされ
ていた。はじめは嘲笑して見ていたが、そのうち本気で
応援を始める。その応援は、決して他人のためではなく、
他でもない自分のためだ。かつての自分を投影し、同じ
間違いを犯さぬよう、力の限りアドバイスをする。仮に
それが面とむかっての忠告ならば、ウザいことこの上も
ないだろう。だが匿名の板上ならば、受け入れたければ
受け入れればよく、無視したければ無視すればよい。何
の責任も生じない。そして書き込んだ方もそれについて
は何も期待しない。言いっぱなしの快さ、無責任の崇高
さ。現代における「無償の善」とは、こういう形でしか
成り立ち得まい。

 「匿名性からくる無責任」を、蛇蠍の如く嫌うひとも
いる。だが「無責任な発言」だからこそ救われることも
ある。いわゆる「いいひと」の「善意の押しつけ」より
も、「便所の落書き」に救われる場合があることを、識
者とよばれる人間はも少し考えたほうがいいのではない
か思う。