いい半分と悪い半分

2005-02-27 20:28:41 | Weblog
 まあたとえば、重大な事件を引き起こした犯
人は、その生い立ちやら生活ぶりをマスコミ各
誌に丸裸にされるわけである。最近では幼女を
誘拐したのちイタズラして殺し、その写真をそ
の子の両親に携帯メールで送りつけた奈良の新
聞配達員。なんか「犯人の相手をしたデリヘル
嬢」まで週刊誌に登場、「どんな風なセックス
をしたか」まで暴露されているのである。

 逆にマスコミで善玉認定されれば、悪いとこ
はあまり表面に出てこず、いい面ばかりが強調
される。数年前、新大久保駅で線路に落ちた酔
っ払いを助けようとして電車にはねられ死んだ
ふたりの人間がいたが、マスコミ各誌の「神さ
ま」扱いはなんか気持ちの悪いほどであった。

 西武をしくじった堤さんも、今では完全に悪人
認定されてしまったらしく、渡部絵美から20年
前のセクハラ暴露されるは、弟の豊島園社長から
叛旗を翻されるは、経済評論家は「あの人は独
裁者、結局は裸の王様だった」と断ざれるは、ど
うも大変な状況である。「独裁者だなんてことはも
う少し前に言えよ」と一瞬思うが、評論家も商売、
全盛期の堤氏にそんなことを言ったら、ご飯が食
べられなくなる。大人には大人の事情というもの
があるのであろう。

 さて、わたし自身を考えてみるに、わたしが
なんか起こした場合、どのように取り扱われる
だろうか。たとえば線路に落ちた女子高生を助け
ようとして命落とした場合は、「有名私大卒の
上場企業のサラリーマン。職場でも真面目で欠勤
等もなく、その堅実な仕事ぶりには定評があった」
なんかお見合いのみたいですな。

 で、逆になんかの犯人としてアレした場合は、
「仕事ぶりに飛びぬけたものはなく、出世街道か
らは完全に落ちこぼれてましたね」とか「競馬と
キャバクラが趣味で、収入の大半を費やしてたら
しいです」とか、ネガティヴなことばかり強調さ
れるのだろう。たしかに悪人は悪いことばかりして
た方が理解しやすいし、善人はいいことばかりして
たと思うほうがわかりやすい。新聞や雑誌を読む
方の立場としては。

 ただ「わかりやすいこと」が真実とは限るまい。
ひとの命をなんとも思わない盗賊が、蜘蛛の命を
助けたりする。で、蜘蛛を助けたからといって、
それだけでは決して善人とはいえない。

 ある特定の行動だけ見て人間を判断するのは、や
っぱ危険があるのでしょうなぁ。