映画を見る つづき

2006-11-28 05:19:28 | Weblog
 で、本編。見たのは「椿山課長の七日間」。浅田次郎原作
のアレでありますな。

 浅田次郎の「感動モノ」というのはだいたいストーリーの骨
子が似ていて、「生きてる人間の死んだ人間に対するさまざ
まな『こだわり』、それも悪い意味の『こだわり』を、死者が現
世に甦り消してくれる」というパターンがかなり多い。「鉄道員
(ぽっぽや)」も「角筈にて」も「うらぼんえ」もこのパターンであ
った。

 この作品もおなじパターンを踏襲している。ただ大きく違う点
はいままでの作品はこの世に取り残され悔いている生者の視
点から世界を捉えていたのだが、この作品においては視点が
この世に戻ってくる死者なのだ。しかも「現世の時とはまったく
違う外見でこの世に戻ってくる」というシバリをかけたため、お
涙頂戴一本槍ではなくコメディの要素も色濃く持つこととなった。

 で、感想をひとことで言うと、「まあまあ面白かった」。安定し
た泣きのパターンの浅田節、やっぱ例の「死者が生者を許す」
シーンで、脂ハゲほんのちょぃ涙ぐみました。あのパターンには
やはり弱い。以下ネタばれ注意。

 ただやはり原作を先に読んでるこの身、映画というのは時間
的な制約もあり一部改変するのもしようがないと思うのだが、原
作では大きな意味を持っていた主人公の「邪淫の罪」が、まった
く触れられていないのはちよっとアレであった。つーか、同期入
社の女性との関係が、映画では極めてあっさりとしたものになっ
ているため、その分感動が弱いのだ。まああの部分については、
「46歳の女性の抱く思いとしては、やや重すぎ」という批判もあ
り、それで変えられたのかもしれないのだが。

 あと大きな相違といえば、原作ではラストにおいてヤクザの武
田と主人公の父親が地獄行きになるのたが、映画では全員天
国へ行けるというハッピーエンド。映画の方が「安易だなあ」とい
う感じはするものの、後味ははるかにいいというのも事実。この
辺のストーリーの料理の仕方というのは、創作者の個性がモロ
に出ている結果なのか、それとも「興行収入」という数字がシビ
アに求められる映画というもの特有の、当然の改変なのか。そ
このところを考えるのもなかなかに楽しい。

 自分が死に、この世に戻ってきたらどう行動するか。難しい問題
ですな。とりあえずよみがえるときの外見は叶美香を希望。
 

 

競馬あれこれ その3

2006-11-26 22:55:55 | Weblog
 昨日の土曜、「年に一度のG1レースのある土曜」であっ
て、東京競馬場がまた混むこと混むこと。昨年も同じネタ書
き込んだ気もするが、いま一度言わせてもらう。G1レース
は日曜に。土曜はのんびりと過ごさせてくれと。

 しかしながらきょうの主題はこれではない。つーか、「何故
勝負事というのは波があるのか」についてである。麻雀をや
る人間であればだれもが「ツキ」というものを気にしていると
思う。実際、うまくいくときは次々に必要な牌をツモり、また
危険と思われる牌を思い切って捨てても振り込むことはない。
逆に不ヅキの時は引く牌引く牌不要牌ばかりで、振込み防
ごうとオリたつもりで捨てた牌で振り込んでしまう。しかもド高
め。40過ぎて泣きたくなるのはこのような時である。

 麻雀においてはこのようにハッキリとわかる「ツキ」「不ヅキ」
であるが、競馬にもこのような「山と谷」がある。なんつーかね、
きのういつもの如く1日中東京競馬場にいて馬券を買っておっ
たのだが、なんかね、合計15レースの馬券を買い、そのうちの
10レースが当たったのである。死ぬんじゃねえか俺。

 馬連や馬単馬券はあまり買わず、単勝と複勝馬券が主なの
で、そりゃまあ配当は少ないながら当たりやすいのは事実であ
り、前述の的中馬券のうちにも、取りガミ(購入した馬券の総額
より回収したお金が下回ること。100円10点流しで1,000円の
馬券を購入、的中しても配当が10倍以下だと結局は損となる。
これをガミという)が結構あり、圧倒的勝利とは言えないのだが、
それでも普段15レース買って的中が4~5レースしかないこと
を考えると、なんか異常な当たりっぷりである。

 こっちとしては別に買い方を変えているわけではない。パドッ
クで馬をぼんやりとながめ、「ああ、こりゃいいデキだ」と思える
馬から買う。この方法にはなんの変化もない。なのに昨日のよ
うにやたら当たる時があるかと思うと、買う馬買う馬ほとんどす
べて圏外に飛んでいく場合もある。これはなぜなのか。わたし
の馬の見かたが根本から間違っているのか。それとも日によっ
てわたしの目に曇りが生じるということなのか。

 というか、「どんな方法で買うにしろこのような波が必ず生じる」
というのが結論としてはいちばん優れている気がする。上がった
り下がったり。まさしく人生のようなものでありますな。馬券はは
ずれてもそれを忘れて次へ突き進むというのが比較的容易にで
きるが、人生においてはそれをすることはなかなか難しい。失敗
を失敗と認めず、いつも同じ立ち位置でぐちぐちと粘着。これだけ
はやはり避けるべきなんでしょうな。競馬においても人生におい
ても。

映画を見る

2006-11-22 20:35:04 | Weblog
 昨日は休暇をとって映画などを見に行く。しかも海老名。
海老名市の知名度って全国的にはどのくらいなのか。

 しかし侮れない海老名の底力。駅前はかなり整備されて
いて、デカいショッピングセンターがいくつもこぉ。なにより、
駅近くにシネコンがTOHOシネマとワーナーマイカルとふた
つもある。40万都市なのに映画館がひとつ、しかも2スクリ
ーンしかないわが町田市とはえらい違いである。(南町田に
は10スクリーンのシネコンがあるらしいが)

 ※いまネットでカチャカチャ検索したところ、この町田駅前
に残った2スクリーンも今年12月で閉館だそうだ。40万都
市の駅前に映画館がひとつもないってどういうことよと。もう
新百合ヶ丘行くしかなくなるのだな。

 しかし最近のシネコン系映画館てのはアレですな、全席
指定が普通なんですな。十数年前、結構映画館に足運ん
でる時期があったのだが、その頃は座席指定といえば白い
シートがかけられた隔離された場所で、もー「ある程度の収
入のある方」「連れの女性に見栄をはりたい方」などが座る
場所であったのだ。

 それがごく普通に全席指定。「お席はどのへんがよろしい
でしょうか?」と聞かれたって瞬時に答えが出てこない。はじ
めてはいる映画館であり、席の構造知らないのだからそれも
当たり前である。とりあえず「真ん中の、真ん中辺に」というわ
けのわからん回答をする。本当はトイレなどに行きやすい真
ん中の通路際がいいのだが、はたして真ん中に通路がある
のかどうかもわからない。ま、いざとなったら観客の迷惑にな
ってでもトイレへ行こうと覚悟を決める。つーか、中入ったら案
の定一列席のど真ん中、他人に迷惑かけずに手洗い行くのは
かなり困難そうな場所でありました。

 こないだ新百合ヶ丘のワーナーマイカルへ行ったときもそうだ
ったのだが、本編の上映前、「マナー関連に関する注意」を上
映する。これはいまではもう普通のことなのか。「携帯の電源
は切れ」というのはうっかり忘れることもあるだろうが、「私語禁
止」とか「タバコ吸うな」とか、当たり前過ぎて涙が出そうなこと
を微に入り細に入り説明している。「前の座席は蹴るな」とか言
わないとやる奴がいるのか。てかそんなことをする人間は、マナ
ーについてのアニメ映画見たくらいじゃ言うとおりにしないと思
うが。

 長くなりすぎたので本編についての感想はこの次。

いじめの問題 さらに

2006-11-21 05:10:47 | Weblog
 てなわけで、「イジメの問題」というのは被害者と加
害者の二分論で解決できるものではない。ましてや、
「問題が起こってしまった後」加害者を執拗にたたいて
もなにも解決はしまい。神足裕司がSPA!の記事に
イジメ問題についてのリポートを載せていたが、その中
に「いじめる方も命がけ」という言葉があり、目からうろ
こが落ちる思いであった。

 「イジメ」という行為自体を根絶するのは困難である。
であるのなら、少なくとも、身体的、精神的にある一定
限度を越えたイジメに対して、加害者に対して多大なペ
ナルティーを課す、という方法しか解決策はないのかも
しれない。同じくSPA!で、鴻上尚史が「被害生徒を転
校させて解決をはかるのでなく加害生徒を転校させるべ
き」という趣旨のことを書いていたが、これはもっともなこ
とだと思う。ただ「だれがそれを判断するのか」「加害生
徒の親が黙ってそれを認めるのか」「転校した加害生徒
が、転校先で逆にイジメに会う可能性はないのか」なん
て問題が想定される。

 「みんな仲良く、助け合って」なんて、どう考えても実現
不可能なお題目をかかげて身動きがとれなくなるよりは、
「イジメてもかまわない。だが限度は絶対に越えるな。限
度を越えたら多大な罰を被るぞ」と教えたほうが、はるか
に被害が少なくなるような気がしてならない。

 まあ、子供というものには学校と家庭というふたつの居
場所(現代ではこれに塾が加わるかもしれない)があり、ど
ちらかに問題を抱えていても片方の居心地がよければな
んとか耐えられるだろうと思う。だから、自殺にまで突き進
む子供というのは「その両方ともに居場所を見つけられな
かった」からであろう。その意味において、学校と同じくら
い家庭の責任も重い。新聞報道などで、自殺した生徒の
親が100%被害者の顔で学校をえげつなく非難してたり
すると、どうも違和感を感じて仕方がない。「お前だって加
害者側じゃん」と指差したくなるんですな。

 実際親の立場になってみれば、ああせざるをえないのか
もしれないですがね。「自分の責任で子供が死んだとは、
どうしても思いたくない」という気持ちは、理解できないこと
もないが、「全面的に他人に責任転嫁して、自らは清廉潔
白だと信じ込む」のはいかがなものかと思う。子供の自殺
について親に責任がまったくないなんてことは、まずありえ
ないから。

いじめの問題

2006-11-20 05:22:15 | Weblog
 まあイジメの問題がいろいろとアレしているわけであるが。

 これはもういろいろと複雑な問題を含んでいて、この手の
問題にたいして精通しているわけでもない脂ハゲがどうこう
言ったとしても、的外れになる可能性は非常に高い。それを
覚悟したうえでぐちぐち言ってみることとする。

 まあ「いじめ」というか、その類似行為というのはどんな人
間集団にでもあることで、これを根絶することはたぶん不可
能であろう。だれにでも苦手な、義務でない限り極力付き合
いたくない人種というのは必ずいるわけで、そういうたぐいの
人間と「仲良くすることを強制する」てのもひとつのイジメでは
なかろうか。「最低限の付き合いだけを行い、それ以上の深
い付き合いは極力避ける」というのは極めて正当な対処法だ
と思うが、最近ではこれも「シカト」としてイジメの一種と捉えら
れかねない。難しい話である。

 職場のセクハラ、バワハラに関しては、「行為そのものが問
題なのではなく、相手がどう感じるかが問題だ」というのがコ
ンセンサスになっている。つまり「相手の尻をさわる」という行
為、Aというひとがした場合は笑って許せるがBがした場合は
許せない、という事態は当然存在する。Bさんからしてみれば、
「Aならよくて俺だとダメだというのはどういうことだ。不公平で
はないか」という主張も当然出てくることであろうが、現状にお
いてはこのような主張はその正当性について検討されることは
ない。尻をさわられた人間が不快感を感じるのであればセクハ
ラなのである。この場合、「Aには尻をさわられているのを許して
いる」ということが、Bの行為を正当化することにはならないのだ。

 オトナなら上記の理屈はたしかに通ずる。が、子供というのは
「からかい」や「じゃれあい」をしながら人間的な関係を深めてい
くものであり、これらをすべて禁止することはできないだろう。し
かも「Aくんにからかわれるのはかまわないが、Bくんは嫌だ」と
いう場合、これはBくんに対する一種のイジメともなる。加害者と
被害者とが混然として、区別がつかなくなってくるのだ。

 なんか長くなりそうなので続きは次回で。

会話というもの

2006-11-19 05:25:03 | Weblog
 先日大阪弁美女キャバ嬢と同伴。どこで飯を食うかと
いうことになり高級焼肉店叙々苑游玄亭にはいる。つ
ーても彼女、脂ハゲが貧乏なことについてはよくご存知
なので、肉ではなく冷麺を食す。ハゲの方はカルビうど
ん。一杯千円。これがまたおいしいのでありますよ。

 でまあ、互いの近況やらお店の状況、あるいはその店
のナンバーワン、キャバオタならたいていの人間は名前
くらいは知っている超有名嬢についての噂話など、淡々
と話していたわけだが。

 隣席とはガラスのパーテーションみたいなので仕切られ
ているのだが、そこに座っているの男女カップル。曇りガラ
スなので姿はぼんやりとしか見えない。ただ、声はけっこ
う大きくはっきりとしいるので、会話は丸聞こえなのだ。

 そのうち男が、「ねえ、××って本名なの?」など言い出
した。鉄板で彼らも同伴、それもたぶん初回である。つーか、
他の同伴カップルの会話などというのは、ジックリ聞いた経
験がない。大阪弁美女との会話も、自然隣席の会話につい
てがネタになってくる。

 「いかんな」大阪弁美女、眉間にシワを寄せる
 「なにが?」
 「相手の私生活に立ち入りすぎ。どーでもいいやんか本名
なんか」
 「客としちゃ知りたいもんだとは思う。話のネタ膨らます手
段かもしれんし」
 「でも聞かれたほうは引くよ」
 「そんなモンかねぇ」よく考えたら彼女との付き合いも二年
半なのだが、いまだ本名をよく知らないのであった。そんなモ
ンなんですな。

 最初の頃はがんばって、「超うける~」などと言いつつ、手を
たたいて上半身反らして大声で笑う「キャバ嬢笑い」などをかま
し、なんとか場を盛り上げようと努力していた隣席の彼女、男
のこの手の「盛り上げに冷水ぶっかけるような一言」攻撃に次
第に気力も萎えてきたのか、だんだんと口数が少なくなってま
いりました。

 女性の口数が少なくなるのと反比例し、男のしゃべりが激し
くなること激しくなること。「俺なんかさあ」「俺はこう思うんだよ」
「××するべきだよ」系の、「自己語り説教オジサン」特有の用
語の含有率がものすごく高まり、まさに「口角泡飛ばす」という
形容がぴったりの状態。しかも身振り手振りの激しさは、「ナチ
党大会におけるヒトラーの演説」を彷彿とさせるものでありました。

 もうここまでくると、大阪弁美女も苦笑を浮かべるだけでなにも
言わない。言外に、「あんたがあんなトークかましたら、しばき倒
す」と言われているようで、ちょっぴり緊張。でもほんと、「盛り上
がる会話」というのは難しいと思う。「言いたいことだけ言ってたら
会話にならない。けれど言いたいことも言えないのならポイズン」
なわけである。「的確なボケと的確なツッコミ」、これをキッチリと習
得したいのだが、まだまだ道は遠かったりするのである。

 

結婚について

2006-11-17 04:09:42 | Weblog
 スポーツ紙ぼんやりとながめてたら「藤原紀香が陣内
智則と結婚!」てな活字がデカデカと載っておりましてビ
ックリ。「マジかマジかマジかマジか」と思わずつぶやい
ている脂ハゲでありました。

 つーか、「ドラマ共演が縁で意気投合し」なんて一文を
読んでいると、「映画で共演して付き合いはじめてできち
ゃった婚、しかし1年ちょいとで破局の瀬戸際にいる某歌
舞伎俳優N・Sと人気女優T・Y」なんてのを思い出してや
や暗澹たる気持ちに。まあ、藤原さんの場合いろいろと異
性関係の修羅場くぐってそうだから、「演技と地を間違え
る」てなことはないとは思いますが。

 しかしスポーツ紙、この脂ハゲを代表とする一般大衆が
なにを知りたいのか完璧にわかっているらしく、「お笑い
タレントと女性芸能人との結婚の例」が、きちんとした表と
なって掲載されているわけでありました。その表によると
平成元年の浜田雅功と小川菜摘にはじまり、木村祐一と
辺見えみり、レイザーラモンHGと鈴木杏奈まで17組。で
もじっと見てると柳ユーレイと川田あつ子が載ってなかった
りして、決して完璧な表ではないかと。

 それはさておき、この表に名前の出ている、乙葉やら鈴
木保奈美やら安田成美やら松本伊代の名前を見るにつけ、
なにか共通性はなかろうかと考えてみる。結論。特になに
もないというアレであった。

 それも考えてみりゃ当然の話で、深沢&田中美佐子のよ
うに明らかに「女房のほうがステータス上」の場合と、石橋
&鈴木保奈美のように「男のステータスもかなり上」とでは、
比較の対象にならないのもまたたしかではあろう。しかし二
組とも別れずに続いてますな。

 相手が「青年実業家」「スポーツ選手」「二枚目系男性芸
能人」「一般民間人」でも同様の表が作れると思うが、それ
でもやはり明確な傾向というのは発見しづらいかもしれない。
女子アナあたり、「スポーツ選手」と「青年実業家」が突出し
て多いような気がしないでもないが、これも明確な表にして
みると案外な結果が出るかもしれない。頭の中の想像と現
実とは、えてして異なる場合も多いからだ。

 しかし今年も残りあとひと月半、ノリカたん以上にサプライ
ズなカップルというのは発覚しないものだろうか。小沢真珠
あたり、最後は吉本系のややショボイ芸人と着地しそうな予
感があるが、はたしてわたしの勘は当たるのか。つーかよく
考えればこれほどどうでもいいことはないのだが、どうでもい
いことだから逆に面白がれるかもしれない。

 なお、「ひとり身40男のお前が他人の結婚についてがたが
た言うな」という真っ当かつ的を射た意見は無視いたします。
あしからず。

ネットしない日々

2006-11-16 04:23:45 | Weblog
 月曜の夜、パソコンたちあげたのだがどうしても
ADSLがつながらず、モデムのLINEランプがいつ
までもピカピカ点滅するばかり。なんかマズイこと
あるのかなと思ったものの、生まれながらのメカオ
ンチ、どうにもならずに傍観するのみであった。

 まあ、時間がたてば直るかもしれんと、そのまま
NHKでやってたチャプリンの特集番組をながめつ
つそのまま就寝。しかし案に相違し、翌朝パソを立
ち上げても昨晩と同じ状態。いつまでたっても、ネ
ットがつながらない。そうこうしているうちにあっと言
う間に出勤時刻。その日は夜に約束があり、大酒
飲んで帰ったから帰宅してもネットやるヒマがなく、
そのままぐっすり。で、翌朝午前五時に起きてふた
たびネットに接続したらなんとかつながった。原因は
いまだに不明である。

 結局月曜の朝にネットした後つぎにネットしたのが
水曜の朝、まる2日ネットから離れてたのなんて何年
ぶりだか。しかし、なんというか精神衛生に悪いです
な。

 というのは、現在ヤフオクにけっこう微妙な価格で札
をいれていて、ネットができなければ落札できたところ
でなんにもならないわけである。つーか、落札したら出
品者に迷惑をかけてしまうことになる。「なんの連絡も
ない落札者」として、悪い評価がつけられるであろうこ
とは確実。出品者に迷惑かけて、しかも自分にはマイ
ナス評価。まさしく踏んだり蹴ったりである。

 なんかもういつのまにやら、「インターネット」というも
のが、わたしの暮らしから切っても切れないものになっ
てしまった。このブログも、あるいは掲示板への書き込
みも、上記のような買い物も、ネットがつながらないと成
立しえないのだ。

 そんな状況であるからこそ、およそ2日間ネットから離
れたというのは、逆に貴重な体験であったと思う。上記
のオークション関係の理由により若干イライラ感はあった
ものの、それでも耐えられないほどの焦燥感はなかった。
「ネット中毒」と呼ぶような状態には至ってはいないな、と
は思うものの、これも携帯が生きていたからかもわからな
い。この上で携帯を水に落とし、会社のパソさえ使えなく
なったとしたら・・・・・ネット上のひととのつながりが完全
に断ち切られるとするなら、ややヤバイのは間違いないと
思う。

 ま、そういう事態に備え、肝心なひとの電話番号は紙な
どにしっかり記録しておかないと危ない。ペーパーレスと
称して、なんでもかんでも電子媒体に頼るのはマジで危
険。でも、その記録した手帳やノートをどこかに見失い、い
ざという時見つからずあわてるのがわたしだったりするの
である。

競馬あれこれ その2

2006-11-12 23:45:48 | Weblog
 カワカミプリンセスの1位入線降着という、モノスゲー
結末で終わったエリザベス女王杯だったわけだが。

 むかーしメジロマックイーンが秋の天皇賞でおなじこ
とやらかした時は、それはまあいろいろと大騒ぎになっ
たわけである。当時はまだまだインターネットなるもの
はそんなに普及してなかったのだが、さて、今回の降
着に関してネット掲示板でどんなことになっているか、
競馬系のネットから距離置くようになって数年のこの身、
いまさら覗くのもやや怖かったりするわけである。「イッ
タイひとたち」てのはますます増殖しているだろうし・・・。

 ディープインパクトの凱旋門賞後のクスリの話とか、あ
れも板上ではすごいことになってたんじゃないかと思う。
遠征時の馬の管理とかの話は、関係者でないとわから
ない種々の問題があるはずで、結果だけ見て「管理が
悪い」というのはたしかに正解かもしれんが、どうもわた
し的には好きになれない。「3着だったのは不幸中の幸
いだな」くらいの感想しかないのである。

 そういえばディープインパクトの次走のジャパンカップ、
外国馬が三頭しか参加しないという。日程がブリーダー
ズカップから中二週、そりゃいくらタフな外国馬でも二の
足踏むよな、である。欧州最強牝馬の呼び声も高いウイ
ジャボード、ブリーダーズカップメア&ターフを勝った後ジ
ャパンカップに出走するらしいが、このキツイローテでは
多くを期待するのもちょっとアレだ。

 ディープインパクトにハーツクライ、さらにもしかしたら二
冠馬メイショウサムソンも出走するというのだから、回避
続出も納得できる話ではあるのだが、それでも九頭立て
なんかになっちゃったらちょっと嫌だ。しかもノーマークの
逃げ馬(コスモバルクあたり)がチンタラ逃げの前残りを決
めたりしたなら・・・レース後の静けさを想像するとこれま
たちょっとナニである。(有力どこがケツから行く少頭数の
場合、流れが落ち着いてノーマークの馬の逃げ切り、て
パターンはけっこうあるのだ)

 「ジャパンカップは外国馬から買う」を習慣にしているわ
たしにとって(昨年もアルカセットの単と複とった)、どうも今
年のJCは買いづらいことになりそうである。

 しかしデルタブルースの次走は有馬あたりか。南半球一
の大レースたるメルボルンカップ、あれに勝つというのはひ
と昔前ならまさしく「夢」であった。それを菊花賞馬とはいえ
最近はスランプ気味だったデルタブルースが勝っちゃうての
がすばらしい。凱旋レースを早く見たいものである。

洗髪について

2006-11-11 06:02:21 | Weblog
 ハゲであるにもかかわらず、というかハゲであるからこ
そ、となるのかよくわからないが、洗髪は毎日欠かさずし
ている。

 でまあシャンプーなどに凝ってみたりもしているわけだ。
つーても、根が生来吝嗇極まりないのがこの脂ハゲ、髪
によいとされる高級馬油シャンプーやら、あるいは備長炭
エキス入りシャンプーやらは決して使わず、ドラッグストア
で1本380円で安売りしているやつとか、あるいはダイソ
ーで売ってる1本100円のものばっかである。

 しかし安モノは安モノなりに、成分見てみると保湿成分
アロエエキスやらオリーブ油やら、あるいは天然コムギプ
ロテインなどがはいっていてにぎやかなことこのうえもな
い。いわゆる「髪によいとされる成分」のオンパレードであ
る。その割りには、洗髪後髪がキシキシしている感がある
のはご愛嬌だ。

 頭髪の減少に苦しむ中年男としては、もっと髪の手入れ
に対して切実な思いを抱くべきなんであろうが、シャンプー
については「頭皮の脂がとれりゃいい」的な考えしかない
のでありますな。ネットにてハゲについて書かかれたサイ
トやブログなどを見ても、これほど「安シャンプー使って喜
んでるハゲ」は見当たらない。その意味で特異といえば特
異なのかもしれない。

 「ハゲから髪を守る」という目的からすれば、それこそさま
ざまなエキスのはいった高級育毛用シャンプーか、あるい
は逆に「化学的な成分を排した、昔ながらの石鹸」を使うか、
どっちかを主張するひとが多い。まあ、育毛についての議
論はそれこそ百家争鳴、ハゲの数だけ持論があるような状
態であるから、育毛用シャンプーの有効成分に対する能書
きも、モノスゲー数があるわけである。上記でふれた馬油や
備長炭エキスにとどまらず、海藻エキスやら七種類の植物
からとったハーブやら、またあるいはまたササニシキエキス
やら、森羅万象ありとあらゆるモノが育毛物質になっている
ような有様。「鰯の頭も信心から」とはこういう状態のことを
言うのかもしれない。

 逆に「石鹸洗髪」を主張する人間は、「化学物質はすべて
悪」みたいな、どーもエコロジスト信仰にとらわれているよう
でなんかいやだ。石油系の合成物質はすべて体に対して悪
い、みたいな主張がほとんどなんである。石鹸で髪を洗うの
がそんなに育毛に効果があるのなら、ハゲというのは石油系
合成シャンプーの普及以後急速に増加したはずなんであるが、
そんな話はあまり聞いたことがない。どうなんですかねそこの
ところは。

 ちなみに昨晩使ったのはダイソーで買ったハーブエキス入り
100円シャンプー。寝癖がゴーカイについております。

缶コーヒーのジョージア

2006-11-08 04:08:03 | Weblog
 最近、町田近辺の自販機でも、マックスコーヒーをよく
見かけるようになった。なんか隔世の感がジンワリとこぉ。

 茨城出身の知り合いから、「マックスコーヒー」なるもの
の存在をはじめて聞いたときは、「えー、冗談だろー」と言
った覚えがある。飲料のナショナルブランドとしては最大
手のコカコーラが、そんな一部地域限定の飲み物を作っ
ているとは、にわかには信じがたかったからである。

 その後千葉県内にはじめて出張に行き、知り合いの言
が本当だということを知った。好奇心に負けて買って飲ん
だが、その独特かつ強烈な甘みは、「こりゃ東京じゃ売れ
ないかもだな」と思わせるのに充分であった。つーか、糖
尿病患者が間違えて口にしたら、命の問題になるんじゃ
ねえかと思わせるくらいの甘みであった。

 それがとうとう町田くんだりまで進出してきたわけだが、
コカコーラの販売戦略になにか変化が起こったのか。コカ
コーラライトやらダイエットコークやら、時代はあの手の強
烈な甘みから離れているような気もするのだが。

 例によってネットで調べてみるに、この手の飲料は、結構
「地域限定品」というのが多いらしい。マックスコーヒーの他
にも、静岡・山梨近辺では「ジョージアマイコーヒー」なる製
品もあるということだ。これについてはあまり聞いたことがな
い。あんまり特徴的な味ではないのかしらん。

 考えてみれば「ジョージア」という名前自体がローカルな地
名である。「コカコーラ発祥の地であるからジョージアという名
前をつけた」そうだが、それなら別にコーヒーに限った話じゃね
えじゃねえかと。わたしゃずっと、「ジョージアでコーヒー豆がと
れるから」と思っていた。こういう勘違いが、わたしの恥の源泉
となるわけである。コカコーラももうちょっと考えて欲しいと思う。

 他の缶コーヒーが、「いかに厳選された原料を使っているか」
(有機栽培うんにゃらかんゃらとか、コロンビア政府公認なんち
ゃらとか)、あるいは「いかに旨味を引きだす製法によって作ら
れているか」(遠赤外線焙煎法とか、粗挽ネルドリップとか)を広
告戦略として強調しているのに引き換え、ジョージアコーヒーっ
てその手のことをほとんどしていない。本家のコカコーラの広告
がほとんど「イメージの強調」だけであるのにやはり追随してい
るのか。まあ、わたしの舌が馬鹿なのか、他社の製品と比べて
さほど味に差があるように思えないのは事実ではあるのだが。

 きょうあたり数年ぶりにマックスコーヒーを飲んでみるかなと。
デブにはある意味麻薬っぽい気もいたしますが。

カレー曜日

2006-11-07 05:30:12 | Weblog
 ネタがないのでまた夕飯ネタであります。昨晩はカレー。

 しかしカレーという食い物、日本人は実によく食いますな。
正確な統計を調べたわけじゃないですが。平均的な日本人
であれば週に一杯か二杯は必ず食しているような。もともと
軍隊の糧食として便利だったため、全国に広まったというの
が通説のようであります。海軍カレーなんて有名ですし。

 カレー汁をあつあつご飯にかけるだけでたいへんおいしい
わけでありますが、ここで満足しないのが日本人の知恵、ド
ーナツの中へいれてみたり、うどんにかけてみたり、あるい
はラーメンへ入れてみたりカレーという料理はあらゆる料理
と合体し、その味付けをスパイシーにしているわけでありま
す。

 しかしそう考えるとカレー丼てのはすごいなと。ドンブリ飯
にカレーをかける。これでカレーライスと違う食い物を演出す
るのがすごい。カレー丼の場合、かけるカレーがかつぶし、
煮干ダシなどを利かせた、和風っぽい味に仕上げられてい
るわけですが。あれを普通の皿に盛った飯にかけたら、かな
り雰囲気の異なる食べ物になると思う。和風のどんぶり飯に
盛るからこそ、「カレー丼独特の味」が出るように思えてなら
ない。

 カレーといえば牛次郎原作、ビッグ錠画の「包丁人味平」が
原体験としてあるわけなのだが、あれに出てくる味平カレー、
あれはカレーに醤油をいれて寝かせたものだという。これだと
まんま「カレー丼」に思えるのだがいかがか。よくいる子供の
ように、カレーに醤油いれて一晩寝かせたこともあるのだが、
漫画のように「ものすげーおいしい」というわけにはいかなかっ
た。現実はなかなかきびしいものである。

 てなことをダラダラ書き込んでるうちに、本気でふたたびカレ
ーが食べたくなってきた。中村屋のチキンカレーなど食べたい
なあ。インドでは宗教上の理由により、牛を食用とはしないの
で、「牛肉入りインドカレー」というものはありえないと聞いたが
アレは本当か。つーか、インドにもキリスト教徒はいるだろうし、
そういう人間の間ではひそかに「牛肉入りインド料理」てなもの
が作られているのではないのか。

 そういえば「カレーライスとライスカレーの相違点」なんての、
70年台の大喜利ではよくネタになったものであるが。ライスカレ
ー絶滅の原因についての考察はまた後日。

すき焼きすき焼き

2006-11-05 21:01:11 | Weblog
 先般、家ですき焼きなどを食した。野菜嫌いで普段肉
ばかり食うておる血液ドロドロの脂ハゲであるが、食うの
は牛丼や中華屋での回鍋肉定食が多く、すき焼き食う
のは実は久しぶりなのであった。

 スーパーで自腹切って牛肉を買う。普段肉売り場など
にはあまり行かない中年男(43才)、こういうとき困るのは
相場知らないから、なにが安いか見極めがつかないとい
うことだ。ただ肉のよしあしくらいは素人目にもややわか
る。霜降りの、脂身がきれいに筋ではいってるやつはや
はり高く、赤身と白い脂身がきっちり分離している肉は安
い。値段をとるかおいしさをとるか。貧乏ハゲは肉のパッ
ク詰めを手に取り、穴のあくほど見つめつつしばらく逡巡
する。

 結局は財布の痛みをこらえつつおいしさをとる。「栃木産
和牛 170g 1700円」価格表示とともに、「レジにて50
%引き」というインチキくさいシールが貼ってあるものを選
び出す。「ならはじめから半額で表示しろや。消費者だまし
てんのか」とも思うが、こういう表示が魅力的に見えちゃう
のもまた事実。俺の頭がヨワイせいだろうなやっぱし。
 
 「170g 850円」というのが、果たして高いのかリーズ
ナブルなのか。牛丼一杯と比較しても、どうもこのピンとこ
ない。こういう意味において、中年男は足繁くスーパーに
通い、「日用品の世間的な相場」というのを熟知する必要
があると痛感。スーパーにおける牛肉の相場も知らずに、
新聞の経済面だけ読んで、「物価が高いな」と知ったかこ
いても上滑りするだけだからだ。

 ま、そんなわけで鍋に「エバラすき焼きのタレ」、豆腐そ
の他の具と、上記の肉および冷蔵庫に保管されてあった
安牛肉(オーストラリア産肩ロース切り落とし)をぶちこみ、
ぐつぐつぐつと煮込む。生卵を割り、煮込んだあつあつの
肉を卵に放り込み、はふはふはふと言いつつ口にいれる。
炊きたてのご飯と煮込まれた牛肉。あいますなあ。特に
上記の栃木産和牛、さすがダイエーで買っても霜降り肉、
噛むと独特の甘みが口中いっぱいに広がりこのおいしい
ことおいしいこと。「こころも体も暖まる」というのはまさにこ
のことだと思う。

 生きてるうち、あと何回くらいこの幸せをかみ締められる
のかと、ややセンチメンタルな気持ちにもなってきますな。
あまりに幸せ過ぎて。今度はもっと高価な肉、「山形産ロ
ース切り落としすき焼き用」あたりに挑戦してみたいと思う。
100g600円くらいを覚悟して。

倉田真由美の迷走

2006-11-03 21:06:50 | Weblog
 「倉田真由美の作品がけっこう好きだ」というのは、こ
のブログでも過去に数回書いた覚えがあるが。

 今でもその気持ちに変わりはなく、「薄っぺらいなー」
と思いつつ共感できるとこも結構あり、立ち読みだけは
結構しているわけだ。「学校の勉強はそこそこできるが
地頭はあまりよくない」「情より理が優先する」等、この
脂ハゲと共通するところがかなりあるからであろう。ただ
近作二冊を立ち読みしたところ、どうもこの「誤った方向
へかなりなスピードで突っ走ってる」ような感じがして仕
方がない。彼女がどっちの方向へ向かおうと知ったこと
ではない、というのもまた事実なんだが。

 さて近作、例のあまり変化のない恋愛論なのだが、そ
の著書によると「30過ぎて本気で男と惚れあった」ことが
冒頭の漫画に記されている。これがどうにも「薄い」のだ。
まあ、恋愛論書いてるんだから自身の経験を売り物にせ
にゃならんというのは理解できる。しかしそれにしたって
深みなさすぎ。描写や感受性、その他もろもろのモノが悪
い意味で幼い。つーか子供返り。「自らの熱狂ぶりを、客
観的かつ冷静に見る第三者的視点」があってこそオトナの
エッセイだと思うのだが、それが見事に破綻している。しか
も本人にその自覚はほとんどない。たぶん間違いなく倉田
本人は、「自己の観察が冷静にできている」と思いこんでい
るはずである。

 悲しいのは、「一緒にいて安らぐひとがいちばん」などと過
去に書いたことを、ほとんど全否定している点である。いや、
別に過去の否定自体は悪いことではない。ただ、過去を全
否定するのであれば、同時に、「現在感じていることも、未
来になったら否定するかもわからん」という疑念を、まったく
持ってないとしたならこれはただのアホである。世の中には
「アホ」と「立派なひと」を兼任している人間も多くいるが、そ
ういう人間は間違いなく「理より情を優先させる人間」である。
「理を優先させる人間」がアホになったら、それだけで存在
価値は激減する。「倉田真由美が誤った方向へ突っ走って
いる」と感じたのは、つまりはそういう意味なんである。

 要するに、「恋愛に熱中すると、さまざまなことが混乱しち
ゃうタイプ」なんですかね。彼女が過去の恋愛遍歴、いわゆ
る「だめんず渡り」について、「今から思うと~」てな文を多用
して表現するのも、「当時はまったく気づいてなかった」の裏
返しにすぎなかろう。つーか、「気づいてなかった」のではな
く「気づきたくなかった」の可能性の方がやや強かったんでな
いか、と邪推するわたくしである。

 まあ異性に対して、「仕事への姿勢」をかなり上の優先順
位にもってきている倉田氏である。今後自らの仕事の質が低
下しないようお祈りするばかりである。大きなお世話だけどね。