ストーカーポリス Ⅱ

2007-08-30 23:04:47 | Weblog
 さて週刊文春、新潮と立ち読みをしてきたわけだが。

 扱い方が二誌とも小さい小さい。「こんなやつに退職金
が出るのがおかしい」とか論点がピントはずれもはなはだ
しいし。いや、たしかに人殺しの警察官に退職金が出るの
はおかしいけどもだ、それって中心に取り上げるべき問題
じゃないだろう。日本で唯一公的に銃器の扱いが許されて
いる職業が警察官(自衛官もあるけどさ)。その警察官が私
的な動機、それもストーカーという卑劣な動機で一般民間
人を銃で射殺したというのが問題なのであって、なによりも
知りたいのはこの「殺人犯人」の普段の行状や評判、そし
て生い立ちだ。ふつうの事件ならいくらでもやることだろうに。

 ほんと、朝青龍のことなんかどうでもいいから。どう考えた
ってこのままモンゴルに定住だから。それよりもストーカー警
官の生い立ちやらなにやらの報道をお願いする。というかだ
な、本来この手の事件の犯人分析が大好きなはずの女性週
刊誌3誌(週刊女性、女性セブン、女性自身)がほとんどこの事
件にふれていない。それはもう気味が悪いほどの黙殺ぶり。ま
さか「被害者が水ホステスだから主婦の同情を得られない」と
考えて扱わなかったわけでもあるまい。警察の方からなんらか
の「力がかかった」と考えるが普通だよな。この手の「陰謀論」
的考え方はあまり好きじゃないけど。

 こうなると日刊ゲンダイが馬鹿のひとつ覚えの如く唱えている、
「大マスコミは権力側の流す情報を批判もせずにたれ流しうんに
ゃらかんにゃら」というデタラメなアレを、ほんのちょっととはいえ
信じたくなってくる今日この頃である。女性セブンが大マスコミに
あたるかどうかはちょっとアレだが。何度でも言う。「警官が制服
姿でごくごく私的な理由により一般人を拳銃使って射殺した」ん
である。警視総監の首がとんだって全然不思議ではない事件な
のだ。

 普通なら犯人の両親に記者が殺到し、犯人の学校時代の担任
や同級生がひっぱりだされ、音声をかえられたうえで「おとなしい
けど、女生徒からは嫌われてました」的の、インタビューがガンガ
ン放映されていると思うのだが。ストーカー殺人などというのはワ
イドショーにもってこいの題材なのに、全然ワイドショー的な展開
をしていない。警察という巨大な組織は、一度所属したならば殺
人犯人でもその名誉を毀損させないという組織なのか。なんだか
なあという感じである。

 とりあえず週刊誌および夕刊紙の立ち読みウォッチングはもう少
し続けてみる。とりあえず朝青龍や姫井参議院議員の不倫どうの
こうのよりは、大きく取り上げて欲しいと思う。

ストーカーポリス

2007-08-28 22:46:48 | Weblog
 いくらなんでもマスコミのとりあげ方が地味すぎな
いかと。

 警官が拳銃使って一般人を射殺してるんだぞ? 
警察官てのは何十万人もいるのだから、そりゃ中に
はストーカー気質のひとが紛れ込んでいても不思議
はない。ストーカーなんだから相手の気持ちなんてど
うでもよくて、自分のことしか考えないわけだから、タ
ーゲットを殺しちゃうこともあるだろう。そこまでなら何
年かに一度は起こる普通の事件だ。だが、個人として
殺人を犯すのなら拳銃を使うな。警官が私的な目的を
もって拳銃でひとを殺す。これ、ものすごい事件じゃな
いのか。「警視総監が記者会見開いて頭下げる」級の。

 しかし週刊誌等を読んでもあまり詳しい記事が載って
いない。今日まで読んだ限りではとりあげてるのはアサ
ヒ芸能と週刊SPA!の神足裕二のニュースコラムだけ。
日刊ゲンダイは続報追ってるけど夕刊フジは完全に黙
殺。フジの無視ぶりは不気味なほどだ。あとは文春と新
潮に期待するしかないのか。週刊実話が力いれるとも思
えないし。

 脂ハゲ自身が「両親と同居のキャバクラ好き44才」で
あって、境遇などを考えるととても他人事とは思えない。
しかもけっこう指名のキャバ嬢のことは本気で好きであり、
「あんなことやこんなこと」ができれば本望だというのは本
音ではあるが、世間というのは立派なものでこういう妄念
をぶち壊す道具というのをちゃんと発明してくれている。す
なわち「鏡」。ハゲでメタボリックな44才ブサイク男の姿を、
客観的に見せてくれるのがこの「鏡」という道具である。鏡
見りゃ「彼女たちが相手してくれるのは、お金払ってるから」
という「真実」がこれでもかというほどに露わになる。件のス
トーカーポリスマンは、自分の「オタク面」を鏡でしげしげとな
がめたことはなかったのだろうか。

 40ハゲがこういうことを改めて言うのもアレだが、「好きに
なる」というのは「相手の身になって考えて、相手が喜んで
くれると嬉しいな」状態のことだと思うのだが。キャバ嬢やホ
ステスに、恩着せがましくせまったりましてや「なんで電話
に出てくれないの?」などというメール送ったらウザがられる
ことは必定。この警官、水にハマりはじめたのはいつごろか
らなのか、そのへんを伝える記事もまだ出ていない。キャバ
レーにハマって間もないのならともかく、行き始めて数年経
っていたとしたらキモ客として名をはせていたのではなかろ
うか。

 とりあえず文春、新潮の記事を待つことにする。

残暑きびしく

2007-08-26 22:06:42 | Weblog
 なんだなんだこの暑さは。

 エアコンなしではとてもいられない。昔はクーラー
のある家などほんの一部で、大部分の家は扇風機
とカキ氷で暑さをしのいでいたのに。現状においては
まず不可能。そういやウインドファンなる簡易クーラー
に擬装した換気扇があったが、絶滅したのであろうか。

 「世界はなにも変わらない。変わっていくのは人だけ
だ」というのは、ヤングサンデーに連載されていた幻の
名作「黒い羊は眠らない」に出てきた名言であるが、い
や、世界も確実に変わっている。昔の暑さはもーちょっ
と「ひとに優しかった」気がする。かつての唐の都長安
は「炎熱、焼くが如し」と評されたそうだが、いまの東京
のど真ん中は「焼くが如し」じゃない。電子レンジにたた
きこまれてチンされたコンビニ弁当くらいの暑さだ。頭お
かしいので比喩がなんかピンボケであるが。

 某夕刊紙読んでたら、関東において暑さの代表地とし
て語られるのは熊谷、八王子、練馬が多いということだ
が、本当に暑いのは汐留地区再開発のビルの乱立で
海風をさえぎられた新橋近辺だという。わが職場から新
橋までは、歩いて十分ちょっとの距離。暑さの中心にい
るんだから、ただでさえ夏の暑さに弱い鬱々ハゲ、元気
がなくなるのも当然でござります。そりゃブログの更新も
滞りますわな。

 小池防災相の馬鹿発言やらひきこもり朝青龍やらスト
ーカー殺人お巡りやら、ネタとして妥当な事件はたくさん
起こっているのに、どうもこの文章を書く気にならない。題
名こそ「週刊」とはなってはいるものの、ほんとに週に一
回しか更新しなかったのは今回がはじめてである。「ブロ
グはじめて二年半で、はじめて原点に戻った」ということか
もしれないが。

 てなわけで間もなく内閣改造。アベ総理がまた馬鹿げた
人事かますのではないかと楽しみ・・・・・でなく危惧してい
たりする。つーか、もうどんな人間もってきてもどうにもなら
んとは思うけど。それをネタになにか書けるのならいいが、
あまりに馬鹿過ぎて書く気力も失せるほどだったりしたらど
うしよう。そん時ゃやはり「精神病仲間」として朝青龍のネタ
ですかね。

 てなわけでじっくりと更新していきたいと思いますです。焦
らず焦らず。

根回し

2007-08-19 22:42:03 | Weblog
 しかし小池防衛相と次官のアレ、なんつーかねぇ。

 次官の首切るのに本人に言うより先にマスコミリークが
先だなんて、そりゃ怒るわ普通。いや、この次官が「在位
四年という異様に長期で、更迭すべきだった」という理屈
は別にしてもだ。「部下なんだからどう扱ってもいい」と本
気で思ってるとしたならば、民主国家の大臣としてどうな
んスかこれは。

「携帯かけたがつながらない」とか暴露してどーすんだか。
いや、夜間に非常事態が起こった場合防衛相と事務次官
が連絡とれないなんて、ものすげーマズイことじゃないかと
思うんだが。で、その無茶苦茶な連絡体制の責任はどう考
えたって次官じゃなくて大臣にある。小池さんて、そこのとこ
が全くわかってないんじゃないだろうか。「携帯に出なかった
次官が悪い」ってことにゃならないと思うのよどう考えても。

 しかも後任人事について根回しまったくしてなかったとか。
「根回し」という習慣がいいのか悪いのかについては色々と
意見があるだろうが、「防衛省」という特殊な省庁の事務方
のトップに、別の省庁の出身者もってくなんてのは極めて異
例だろうし、異例なことを実現させる場合には関係各課所に
前もって「まだ決定事項じゃないですが・・・・」と話もってて事
前に応諾もらう、ってのは常識だと思うんだが。小池防衛相の
「一般常識」ってたぶん世間一般の「常識」とかなりな隔たり
があるんだろうな。

 まあ、いまの日本は平和だし、「知名度のある女を防衛相
に据えれば、少しは内閣の人気も盛り返すだろう」という、ア
ベ総理の空っぽ頭からぼうふらみたく湧き出たアイディアがも
となんだろうけど、こんな人間を防衛大臣にしたとたんこの有
様、タテマエ上人事権もってる官房長官にも根回ししてなかっ
たという。本気で馬鹿じゃないのかこのひとは。まさかとは思
うが、「わたしは総理に気に入られていて、総理も了承したん
だからあなた方はわたしの言うこと聞くべき」とでも思ったんだ
ろうか。なんか、大奥のお年寄りとかそんな感覚だぞそれ。民
主主義国家を民主主義たらしめているのはなによりも「ルール
の遵守」であって、小池さんみたいな感覚はむしろ独裁国の大
統領夫人に近い。勘弁して欲しいと思う。

 政治にはあまり興味ないし、政治家が多少悪いことしないと
なかなか成り立たないのもわかってはいるけど、それにしても
このひとは馬鹿すぎると思う。早いとこ多少は汚いことはしてて
も、調整きちっとやる人間に防衛相変えないと、日本の利益損
なっちゃうと思うのだけどねえ。
 

食品偽装

2007-08-16 05:28:18 | Weblog
 「あのハンバーグに牛肉なんぞはいっちゃいねぇ。豚肉
が三割に、あとは魚肉ソーセージをひいたものをいれた粗
悪品だ」by包丁人味平

 上記の漫画はいまから約30年前に連載されていた、古典
的なものでありますが、その頃からすでに食品の偽装が扱
われていたという・・・・まあそんなわけであります。

 「食品業界の裏」などというのには、多かれ少なかれこう
いう「客に知られちゃならねぇ」要素があるのでしょうな。つ
ーか、「こういう本来破棄すべきものをちゃんと消費すること
こそが、職人のスキルだ」と思いこんてだ時代が相当長く続
いていたのかと。雪印や不二家の例でやっと上の方が「法
令順守の大切さ」つーのを痛感してると思っているのだが、
現場にまでそういう意識はまだまだ降りてないんだろうねぇ。

 「安くておいしいもの」なんてのは目を皿のようにしてやっと
見つけられるもので、スーパーマーケットの店先にがんがん
山積みされるはずはない。それはわかっているのだが新聞
の折込ちらしをつい信じてしまうこの愚かさ。ことしの夏は中
国産のうなぎの評判の低下もあり、スーパーの目玉商品は
ほとんどが「国産うなぎ」ということになっているのだが、国産
うなぎの生産量がそんなに急に増えるはずもない。あの一部
商品に関しては生産地についてちょっとナニしてるものも相当
多いのではなかろうか。

 「食中毒出してないからいいじゃん」な現場の意識というの
を、完全に払拭するためには相当な教育・研修が必要なはず
で、「薄利多売の利益第一主義」の外食チェーン店の初期の
目標と矛盾するのがこれまたアレだ。職場のモラルを上げる
ためには「報酬の増額」というのは絶対に不可欠で、これをや
ると「薄利多売」自体ができなくなる。どう考えてもだ、いまの
廉価な食い物というのは「安全と引き換え」でないと手に入れ
ることができないのだ。

 「貧乏人は飯を食うにも命がけ」という、なんかとてもいやな
結論であるがどうもそういうことらしい。30~40年前にはサッ
カリン、チクロ、AF2、過酸化水素といった「有害物質」をばか
ばかいれていたが、それでも直接それが死因となって死亡し
たという例はあまり聞かない。「命がけ」は「命がけ」なんだろ
うが、死んじゃう確率は結構低いんじゃなかろうか、と無理矢
理安心させてきょうも立ち食いそばを食すことにする。だいじょ
ぶかあじさいそば。

平凡

2007-08-12 23:07:59 | Weblog
 更新がやや滞り気味でありますが。

 理由は先週から社会復帰とあいなりまして、ひさび
さに満員電車乗って通勤。ひと月のブランクというのは
けっこうアレなもので疲れる疲れる。とりあえず時間外
勤務禁止ということで仕事は楽になるは早く帰れるは、
なまけもの脂ハゲとしては理想の勤務状況になったの
ではありますが、それでもやはり疲労がたまる。「労働」
というものに根本から向いてないというのが真相なのか
もしれませんな。

 しかし向精神薬というのは効きますな。先日馬券買い
に後楽園まで行った帰り、水道橋の立ち食いそば屋で
朝飯食べてドラッグを服用、そのまま帰宅したところ小
田急線でものの見事に居眠り。いままでも酔った勢いで
「気づいたら相模大野」とか「気づいたら海老名」などとい
う経験はあったのだが、今回はすごかった。「気づいたら
渋沢」。町田から三十分くらい居眠ってたことになる。まさ
に「どんだけ~」というにふさわしい事態であります。

 もう渋沢あたりになると車窓からの風景がちょっと違う。
山ばっかなんだもの。町田だって都内の人間からは「田
舎」とか「神奈川植民地」などと罵倒の対象となっている
ナニな地域ではあるんだが、渋沢の風景とはまた一線を
画する。つーか、そのときはうろたえたあまりすぐに上り
電車に乗り換えて帰宅したわけなんだが、時間があれば
あのへんの駅降りてぶらぶらするのもなかなか楽しいよう
な気もする。渋沢とか新松田とか。小田急線沿線に住んで
40年近くになるのに、厚木より向こう側というのはあまり
行ったことがない。

 「知らない角を曲がれば、それはもう旅」とは永六輔の名
言であるが、人生ぐつぐつ煮つまりのこの時期こそ、知らな
い駅で降りてまわりふらふらする「旅」が、脂ハゲのナニな
こころには必要なのかもしれない。つーてもいまは夏、外ふ
らふらしてたら確実に熱中症になりそうなので、季節が秋に
なってからね。新松田駅のまわりなんて、いったいどんな感
じなんだか。帰郷すべき田舎のない人間というのは、こうい
うとき不便だと本当に思う。

品川プログ

2007-08-08 05:34:18 | Weblog
 芸能人のブログ本なんて買ったことなかったのだけれ
ども。

 立ち読みしてたらつい面白くて買っちゃいましたよ品川
ブログ。やっぱ「芸人のリアルライフ」てなかなか一般民間
人には近づきがたいアレで。こういう、ごくごく普通の気取
らない文体の日記にはひきつけられる。

 しかし品川てひとはすごいわ。つーか、常に真っ直ぐにマ
ジ。常に直球。「いかに逃れるか」をテーマに44年間生きて
きた脂ハゲとは人間の質が根本的に違う。カウンターの飲
み屋で隣の席になったら絶対に胸倉つかまれる自信がある。
「子供時代の生活の変遷」というのがやはり人間の精神を鍛
えるのかもしれない。それが証拠に「なんの波風もない」少年
時代を送った脂ハゲは、44才の今日「こんなになっちゃった」
の感じである。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」というのはま
さしく真理なのであるな。

 ただブログにおいて、「他人や他の作品の悪口は絶対に書
かない」と記述しているのはある意味うらやましい。「他人の
悪口は酒奢って後輩に聞いてもらう」と。つーか、脂ハゲみた
いな人間はそういう「後輩」がいないからブログに他人は著作
物の悪口雑言をたたきつけているわけである。

 下品極まりない話であるが、「他人の悪口」というのは、「嫌
悪感を感じる理由を明確に説明できる」場合においてのみ、面
白いのだ。そしてその理由というのは、悪口の対象ではなく、悪
口言ってる本人がどんな人間かというのがあらわになってしまう。
「大した理由もなく上から目線」で「明確な理屈もなく他人を叩く
評論家気取りのやから」というのはネットさまよえばそれこそ馬
に食わせるほど存在する。もちろん俺も含めて。それはなにより
も自己がどんな人間か雄弁にを語るものだ。「お笑い芸人」にしろ
「映画」にしろ「テレビ番組」にしろ。

 品川氏も、「悪口は書かない」と言いつつ、「ポイズンガールバン
ドを批判してるやつ」と「ライオンズから栄養費もらってた選手を批
判するやつ」に対して、モノスゲー怒りを表明している。ふたつとも
まったくもっともな理由であり、これもまた「品川氏のホットさと直球
さ」を明確に表現したものであった。こういう「真っ直ぐな人間」を味
方につけられたらこころ強いと思う。

 でもやっぱり飲み屋では隣になりたくないと、これまた切実に思
ったりするのだ。つーても現在売れてる芸人さんであって、俺が行
くような店には絶対行かないと思うので、その点は実に安心だが。

オタ女子

2007-08-05 23:28:15 | Weblog
 「となりの801ちゃん」がなんかかなり売れてるようで。

 2巻が出るのはまだしも、ドラマ化されてDVD発売とか。
「腐女子」という隠語があまり好きでないので「オタ女子」と
言わせてもらうが、「オタ女子」に関する書籍がどうもジリジ
リと増加しているような気がする。この秋の一大ムーブメン
トになるんでしょうかね。

 しかし電車男等の「オタ男子モノ」と明らかに違うのは、男
の場合「自らが主人公となり、自らの視線で物語を作ってい
く」のだが、オタ女子を扱ったモノの場合、「付き合った女が
標準型かと思ったら実はオタ女で云々」の、男視線で描かれ
たものが売れている、つーことか。オタ女子譚のほうが気楽
に読める、というのはたしかかもしれない。基本的には男の
ノロケ話であるし。「オタ男の冒険譚」だとどうしても肩に力が
はいるわけだが、罪のないノロケ話というのは軽く読み流せ
るし。

 しかし「中高生の頃から、異性同志のからみあいに興味持
つ」という感覚は女性特有のものであるな。男性用成人雑誌
見れば「女同志のからみの写真」というのもたしかにあり、あ
れ見てやや性的な興奮を覚えるのもまたたしかであるが、オ
タ女子がボーイズラブ小説読んで感ずる興奮とはやや質が異
なる気がする。その点、一歩踏み込んだ研究というのはどっか
にないものかと。

 上記の作品群、いずれも「彼氏から見たオタ彼女の振る舞い、
言動」を戯画化したものであるから、「オタ特有の粘着度」がス
トレートに表現されていない。またオタ女子に関して、あくまで
「外見はある程度魅力的な女性」として描かれている。(彼氏視
線だから当然といえば当然であるが) これが「チェックのネルシ
ャツ」に象徴されるオタ男子のイメージとは異なる点と言えるだ
ろう。「オタ男子」がいじられる場合は、言動や行動よりもまずそ
の特異な外見に言及される場合の方がはるかに多かろう。「外
見がジャニーズ系なオタ」というのも当然ながらある程度の数は
いるのだろうが、理論上はあくまでも「例外」なのである。

 オタ女子でも当然、「外見がどうもにっちもさっちも」という方も
相当数いらっしゃるはずで、いや、むしろそっちの方がマジョリ
ティという可能性もあるんだが、その点どうなのか。このへんの
考察はすすめるといやな方向にいきそうなのでやめておくが。

 そういえば青木光恵のキャバクラ描いた漫画にも、「同人誌の
印刷代稼ぐためにキャバ嬢やってる」という設定の女性が出て
いたな。キャバクラ系の雑談板見たら、「オタのキャバ嬢集合」
というスレが立ってて、まーなんつーか44才脂ハゲにはまった
く理解不能の会話を続けていた。

 オタ女子、急増しているのかもしれない。
 

豆腐屋の消滅

2007-08-04 06:35:45 | Weblog
 家の近くをふらふらと徘徊していたら、もう数十年
続いていた豆腐屋がいつのまにやら廃業していた。
さもありなん、である。

 これで、たぶん気軽に歩いていける範囲内に豆腐
屋は一軒もなくなったかと思う。なんか寂しい。いや、
うちじゃ当然の如くスーパーで売ってる大量生産豆
腐を食べてたわけで、実害はなにもないんですけど
ね。

 「量り売りの味噌屋」というのも見なくなって久しい。
大きなスーパーの中や、都内のある程度繁華な商店
街には残っているのかもしれないが、少なくとも住居
近辺、町田駅近辺では知らない。やはり「大量生産、
コストダウン」の量産型には負けてしまうということか。

 その割には「手作り風パン屋(あくまでも「風」ね)」と
いうのはさほど減っていない。「軽い昼飯にパン」とい
う人種がある程度存在しているからか。まあ、量産型
パンとの味の違いがデカい、というのがいちばんの原
因かもしれない。豆腐も「豆腐屋の豆腐」と「量産型豆
腐」の味の相違はけっこうあると思うのだが、冷奴で食
べると顕著な味の違いも、味噌汁やマーボー豆腐やす
き焼きの具にするとあんまり目立たなくなっちゃう。そ
こが弱点だったのかもだ。

 「添加物なし商品」を売りにするスーパーが、ある程度
商売として成立している現状を見るにつけ、この手の「ハ
ンドメイド系商店」も、やり方によっては結構盛り返しそう
な気もするのだが。もちろん、実際に商売となるのはハン
ドメイド「風」の店で、裏では大資本が介入しているアレな
のかもしれないが。

 まあ全国に「シャッター商店街」が増えている昨今、個
人商店というのはどんどん淘汰の方向に行ってしまうのか。
「客との個人的な関係」を築いているはずの米屋と酒屋、こ
れもどんどんコンビニに業態転換してるとこ多いし。こういう
店は顧客とのコミュニケーションと「重い商品」を家まで配送
してくれる、という点でスーパーに買っていたはずなのだが、
最近は「通信販売」という強敵が出てきた。パソコン扱える
世代が高齢者の中に増加してくると、これらの個人商店は
ますます辛くなるかもしれない。

 「鍋持って豆腐を買いに行く」という経験をもつ人間が少な
くなるのはさびしいことだ。あ。「豆腐屋のラッパ」という言葉
も、もう完全に「死語」なのであろうな。脂ハゲがギリギリ間
に合った最後の世代なのかもしれない。

 

忠直卿行状記

2007-08-02 05:27:17 | Weblog
 とキャバ客の類似性。

 表題は菊池寛の小説でありまして、そこそこ有名では
ないかと。内容をかいつまんで申しますと、やや単純で
思慮の足りないところはあるものの、豪放磊落、ちょっと
のことは気にしない周囲の人間にも優しい根は善人の殿
様が、ある日下記のような家来の会話を聞いてしまう。
「殿の剣術の上達ぶりはどうじゃ?」
「いや、かなりなご上達じゃ。勝ちを譲るのに以前ほどの
苦労がなくなった」
このやりとりを聞いた殿様、今までの全部が家来のおべ
っかであったのかと何もかもが信じられなくなり、「ひとの
本当の感情がみたい。殿様としてではなくひとりの人間
として接して欲しい」という欲求から、家来や領民に対し
て悪逆非道の行いをふるうようになる、という内容であり
ます。

 「おべっか」や「世辞」というものに我々は常に囲まれて
おり、営業職のサラリーマンならこれを使わないと仕事そ
のものが不可能だろう。「人間関係」というものが存在する
ところ、すべてこの手のモノがなかったら関係が潤滑に運
ばない。同僚の子供の写真を見れば、「どこの星で発見さ
れた異性物だよこれ」などという、正直な感想は決して言
ってはいけない。「こりゃまたかわいいお子様で」というの
が常識というものだ。

 さて、キャバクラである。キャバクラというのは高い金出し
て若い娘さん(あまり若くない場合もあるが)の「会話の拒否
権」を買う。(うわーなにこの脂ハゲ。額のギトギト具合が人
間とは思えないよ)と思ったところで、「わたしこんなオッサン
の隣に座って話なんかできません。臭そうだし」なんてこと
を言うことはできない。「いらっしゃいませ。お酒お強いんで
すか」などという、これ以上ないほどのどうでもいい会話を続
け、客をある程度愉快にしないとならない。考えてみりゃ難
儀な商売である。

 そこではやはり「世辞」や「おべっか」が必須となってくる。
「ほんとですか。すごーい」とか「わたし、お客さんみたいな
ひとタイプなんですよ~」とか。こんな言葉をいちいち真に受
けていたら野暮の骨頂であるが、かといって「そんな営業ト
ーク聞き飽きたんだよ」という顔をするのもまた愚かしい話で
ある。ここはひとつ、脂オヤジの顔を見ながら、「お客さんみ
たいなひと、けっこうタイプですよ」などという、ストレスメータ
ーの針がレッドゾーンにはいりそうな「世辞」を言う娘さんのけ
なげさに感動し、「またまたまた。うまいねえ」と微笑みながら
答えるのが正しい。キャバ客が上記の忠直卿になるのだけは
避けないとならないのだ。

 安くもない金を払って「世辞」を買う。そういう店が尽きること
がないのは、世の中には「世辞」に飢えている人間が常に一
定数(それもけっこう多く)存在しているということだ。考えてみ
りゃこれらのひとの境遇は、上記忠直卿よりはるかにツライか
もしれない。