「ギョエテとは 俺のことかと ゲーテ言い」という
川柳は、割に有名なものだと思う。外国語を日本語に
表記するのは難しい。先日「シャネルのプリミエール
をキャバクラのねーちゃんに買ったことがある」とあ
る掲示板に書き込んだところ、「ありゃプルミエール
っつーんだよ。バカじゃねぇ?」と絵に描いたような
煽りを食らった。むかついたわたしは、フランス語の
発音記号をひっぱり出し、こういう硬直したバカヤロウ
の考えを粉砕しようと試みたが、仏語に対する知識不足
の悲しさ、反論材料を集められず、そのうちその話題は
流れていった。掲示板耽溺者として、そのくやしさは比
類がなかった。
競馬系の板でも、外国の馬名の表記がしばしば論争の
タネとなる。いちばん口の端にあがるのは、名種牡馬た
るDanzig。こんなん、大学で独語とった人間であれば、
「ダンツィヒ」以外発音のしようがないのだが、この馬
が米国で調教された米国馬だ、というのが肝である。米
国人、字面のとおり忠実に、「ダンジグ」と発音してお
り、国際派をもってならす某名騎手もそれにならって
「ダンジグ」と発音。なもので、「ダンジグと発音しな
いのはおかしい」というバカタレの群が、そりゃもう大
騒ぎさ、なのである。どっちだっていいじゃん、という
いい加減な輩(含ワシ)は肩身がとても狭かったりする。
とかくこの世は住み難い。
カリフォルニアのリーガン州知事が、いつの間にか「レ
ーガン」大統領になっていたなんてこともあった。たぶん
報道機関が話し合い、表記の統一というか訂正をはかった
のだろうが、こっちはまだたしか高校生、「なんか理由が
あって改名したのか」と困惑した。プロレスラーにもすご
いのがいて、レーン・ゴルトというレスラー、改名もして
ないのに次の来日ではレネ・グレイになっていた。原語の
発音はどうなのか、深く考えさせられる。
歴史の授業を思い出しても、「イスラム教の教祖はだれ?」
という問題に、「モハメッド」と書いて×を食らった生徒が
いた。その教師、「ボクサーと勘違いしちゃダメだ」と言っ
て笑っていたが、今から思えばこの教師の方が誤り。「マ
ホメット」と「モハメッド」、原語の方に違いはないのだ。
そんなに原語の発音を珍重したけりゃ、「ローマの休日」
のあの女優さんを、オードリー・ヘボンと呼べと、どこぞ
の中心で叫びたい気分ではあるが、生まれついての穏便気質、
「波風立たせず」が座右の銘、やっぱりちゃんとヘプバーン
と呼んでいる。どっちだっていいじゃん、と本気で思う。
故・オードリーさんが柳眉を逆立て、「pは発音しないのッ!」
と断固として主張する姿は、やはり想像しにくい。
「原語に近い」というのは理想であっても、発音体系が
異なる以上、完璧に近づけるのは不可能だ。胡錦濤主席を
「コキントウ」と漢字でそのまま読んじゃうほうが、むし
ろ健康的な気がするのだが。隣国の元首の長男のひとは、
やっぱ「マサオ」と呼ぶべきだと思う。いかにも「マサオ」
風の顔だし。
川柳は、割に有名なものだと思う。外国語を日本語に
表記するのは難しい。先日「シャネルのプリミエール
をキャバクラのねーちゃんに買ったことがある」とあ
る掲示板に書き込んだところ、「ありゃプルミエール
っつーんだよ。バカじゃねぇ?」と絵に描いたような
煽りを食らった。むかついたわたしは、フランス語の
発音記号をひっぱり出し、こういう硬直したバカヤロウ
の考えを粉砕しようと試みたが、仏語に対する知識不足
の悲しさ、反論材料を集められず、そのうちその話題は
流れていった。掲示板耽溺者として、そのくやしさは比
類がなかった。
競馬系の板でも、外国の馬名の表記がしばしば論争の
タネとなる。いちばん口の端にあがるのは、名種牡馬た
るDanzig。こんなん、大学で独語とった人間であれば、
「ダンツィヒ」以外発音のしようがないのだが、この馬
が米国で調教された米国馬だ、というのが肝である。米
国人、字面のとおり忠実に、「ダンジグ」と発音してお
り、国際派をもってならす某名騎手もそれにならって
「ダンジグ」と発音。なもので、「ダンジグと発音しな
いのはおかしい」というバカタレの群が、そりゃもう大
騒ぎさ、なのである。どっちだっていいじゃん、という
いい加減な輩(含ワシ)は肩身がとても狭かったりする。
とかくこの世は住み難い。
カリフォルニアのリーガン州知事が、いつの間にか「レ
ーガン」大統領になっていたなんてこともあった。たぶん
報道機関が話し合い、表記の統一というか訂正をはかった
のだろうが、こっちはまだたしか高校生、「なんか理由が
あって改名したのか」と困惑した。プロレスラーにもすご
いのがいて、レーン・ゴルトというレスラー、改名もして
ないのに次の来日ではレネ・グレイになっていた。原語の
発音はどうなのか、深く考えさせられる。
歴史の授業を思い出しても、「イスラム教の教祖はだれ?」
という問題に、「モハメッド」と書いて×を食らった生徒が
いた。その教師、「ボクサーと勘違いしちゃダメだ」と言っ
て笑っていたが、今から思えばこの教師の方が誤り。「マ
ホメット」と「モハメッド」、原語の方に違いはないのだ。
そんなに原語の発音を珍重したけりゃ、「ローマの休日」
のあの女優さんを、オードリー・ヘボンと呼べと、どこぞ
の中心で叫びたい気分ではあるが、生まれついての穏便気質、
「波風立たせず」が座右の銘、やっぱりちゃんとヘプバーン
と呼んでいる。どっちだっていいじゃん、と本気で思う。
故・オードリーさんが柳眉を逆立て、「pは発音しないのッ!」
と断固として主張する姿は、やはり想像しにくい。
「原語に近い」というのは理想であっても、発音体系が
異なる以上、完璧に近づけるのは不可能だ。胡錦濤主席を
「コキントウ」と漢字でそのまま読んじゃうほうが、むし
ろ健康的な気がするのだが。隣国の元首の長男のひとは、
やっぱ「マサオ」と呼ぶべきだと思う。いかにも「マサオ」
風の顔だし。