年末の雑雑

2008-12-28 23:47:17 | Weblog
 有馬記念も無事に終わり、「なぜ池添はもちっと早く仕掛
けなかったのか。つーかこんなとこでなぜエアシェイディが
バカ力出すのか」とさっきまで畳を打ってくやしがっていた
わたくしでありますが。

 今年は親父の前立腺がん発覚やら入院やら手術やら、
いいことがなにひとつなかったような感じがこぉ。来年こそ
はこころ静かに過ごしたいものであります。といっても、来
年になれば齢46、いつまでも変化のないネバーランドに
住み続けるわけにもいかない。マイケル・ジャクソンほどの
財力があってもあの有様、仕事における情熱&力量が著
しく低い脂ハゲといたしましては、この先の見えないど不
況の時代、なんとか日々の給与をいただいて過ごすしか
方法がございません。

 だいたい、よく考えてみれば今年もまだ終わっていない。
アメ横への買出し、大井競馬への遠征等、本年のうちにや
らねばならぬことがまだまだたくさんあるわけでございます。
残りあと3日とはいえ、どんな大事件が起こるとも限らない。
飯島愛の訃報を夕刊紙で知り、マジで「えーーっ」と声をあ
げたわたくしといたしましては、これ以上不幸な記事はあま
り見たくない。年が明けるまで世界のひとびと全員が、やた
ら「正義」というやつに固執することなく、のんべんだらりと過
ごすことを希望するものであります。しかし酒を禁じられてる
ムスリムは、どんな方法でこの「のんべんだらり」を実行して
いるのか。

 「イスラム圏では酒が飲めないからコーヒーと麻薬が代りを
した」という、虚実不明な与太話をどこかで耳にした覚えもあ
るが、コーヒーに含まれるカフェインの覚醒作用はともかくとし
て、意識朦朧、根拠なき多幸感てなナニは酒がなくてはドラッ
グで得るしかないのかもしれない。特に、「聖戦で死ねば極楽
にいける」などという話を信じ込ませるためには、ドラッグは結
構有効な手段になりうる感じもする。ただ、「アサシン(暗殺者)
の語源がハシシと同じ」という与太トリビアも聞いたことがある
が、こっちはどうも信じがたい。大麻系のドラッグは元気が出る
ようなものでなく、ぼんやりとダウナーな感じのものであろう。
だとすれば暗殺者が服用するにはもっとも不適当ではないか。
日本人が好むエフェドリン系ドラッグ(いわゆる覚醒剤ね)の方が、
暗殺者が仕事する前に服用するドラッグとして適当な感じがする。
まあ、中世アラビアにアッパー系ドラッグがあったかどうかは定か
ではないけれども。

 しかしいくら雑談とはいえ、年の瀬のこの時期にドラッグ談義と
いうのもアレである。かつて「飯島愛原理主義者」を名乗っていた
この身としては、彼女の訃報にかなりの痛手をうけているようであ
る。「抗鬱剤と眠剤の服用などなんでもない。少なくとも俺みたい
になるのがいっぱいいっぱいだ」と彼女に一言告げたかった。これ
が実現しても「あんたみたいになるのは嫌だよ」と即答されたろうが。

2008 M1グランプリ

2008-12-21 23:39:06 | Weblog
 なんかいつの間にかgooブログの仕様が変わっててびっくりし
たわけだが。

 事前に告知などあったのだろうけど全く読んでいなかった。あ
いも変わらずズボラの極みでございますな。更新しようと思った
らID記入欄がないのだもの。とまどうこととまどうこと。

 そんな脂ハゲの困惑とは関係なく、本年も無事にM1グランプ
リが終わった。優勝はノンスタイル。漫才としては王道。王道過
ぎるほど王道。

 しかし決勝においての漫才が、「笑いの神が降りた」と言える
ほど強烈なものでないのもまたたしかであった。「手堅い名人職
人の芸」というのはそれはそれで素晴らしいが、「一生に一度の
神が降りた芸」と比べるとどうしても一段落ちるところにある。エン
ジン全開チュートリアルの「自転車のチリンチリン」と比較すれば
よくわかると思う。無難。こういう評価はネガティブなものになるの
かポジティブなものになるのか。

 ナイツは肝心な決勝でスベりまくり、敗者復活オードリーは春日
のキャラが立ちすぎ、漫才で笑っているのかキャラで笑わされてい
るのかわからなくなってくるのが難。「プロフェッショナルな笑い」を
評価すべき審査員としては、オードリーの評価がきびしくなるのも
また仕方のないことだと思う。

 しかしこれではノンスタイルよりオードリーの方が仕事増えそうで
はある。ナイツは「寄席拠点」であることを売りにしてしまったから、
バラエティへの進出を控えざるをえないだろうし。「試合に負けて漫
才で勝った」的な感じになったのがオードリーと。あのキャラ立ちは
バラエティに使いやすそうだし。

 しかしダイアン面白かったのになあ。やはりトップバッターというの
は大不利なんであるな。審査員の方でも、最初では明確な基準が
こころの中でできあがらないから、やたらハードルが高くなってしま
うのかもしれない。前半少しダレていたのはたしかで、それを松本
人志が指摘していたが、漫才全体にはさほど影響はなかったと思
うのだが。後半に出ていれば、もう少し点数も伸びたはずだと思う。

 麒麟も南海キャンディーズも予選落ちという、なんか「芸人も確実
に世代交代しているな」という感慨。また来年は新たなダイナマイト
な芸人が出てくるのであろうな。淘汰のきびしい芸人業界、これ以
上きびしいのはグラビアアイドル業界くらいしか思いつかないほどの
きびしさである。一時バラエティを確実に支配していた山田邦子が、
UHFのローカル通販番組でわざとらしく驚いているのを見るたびそう
思う。芸人さんたちも生き残るよう精進を続けていただきたいものだ
と思う。

読み間違い&勘違い

2008-12-14 22:42:56 | Weblog
 麻生総理の漢字の読み間違いが話題となっている昨今で
あるが。

 漢字の読み間違いなどだれにでもあることで、幾度も書い
たことであるが脂ハゲ自身つい数年前まで「暴露」を「ぼうろ」
と読んでいた。イエス曰く、「汝らのうち、罪なきもののみまず
石をなげうて」であって、脂ハゲには「踏襲」を「ふしゅう」と読
もうが「頻繁」を「はんざつ」と読もうが石を投げる資格はあま
りない。

 ただこの手の読み誤りを公的な席でやれば、「あのひと馬
鹿なんじゃないの?」と思われるのは致し方なく、イメージダ
ウンをいかにして最低限のとこですますかが政治家としての
技量であろう。つーか、漢字読めないことを逆手にとって自虐
的なジョークで切り返すとか。日本において育ちのよい人間と
いうのは、幼少時より「あんたサイコー、あんたグレート」で育
てられてきているせいか、他者を笑いものにすることには長け
ているが自らを笑うことには長けていない。辞任会見のときの
福田前総理とか、山本高弘にマジ切れして、「鼻の穴は大き
いがケツの穴は小さい」ことを露呈したオダユージ大センセイ
とか。もっともオダユージ大センセイの育ちがよかったかどうか
は、脂ハゲはあまり知らないのであるが。

 麻生総理が頻りに引き合いに出す祖父・吉田茂元総理は、
英国文化に肩までどっぷりと浸った方であり、英国流のユーモ
アというものもよく分かっていた御仁なのではなかろうかと。で
あるなら、孫の太郎ちゃんもそういうとこを受け継げばいいのに
と思うのだが、「漫画好き=オタク」の路線でいまだやっていっ
てるんだから不思議といや不思議だ。ゴルゴ13にあんまり笑
いの場面はないぞ。

 現代日本をダメにしたのは小泉元総理と竹中元経済財政相
だと半ば本気で思っている愚か者の脂ハゲではあるが、それ
でも彼らには「お笑い」がたしかにあった。小泉氏など、自分が
「変人」であるという評判を逆に利用したんだから策士である。
「マジメ」というものに対する評価が軽くなっている時代の風潮
をものの見事に利用した。「公約を守れないことなどたいしたこ
とではない」なんて、政治家という職業そのものを否定している
決定的な発言なんだが、言った人間のキャラがキャラゆえ深く
ツッコむ人間がだれもいなかった。あの発言を現状の麻生総理
がやったら間違いなく内閣が吹っ飛ぶ。小泉元総理の「時代の
潮目の読み方」というのは天才的であったなと今でも思う。もっ
とも、「政策が時代にあってるか」という問題に関しては、あくま
で結果論かもしれないが盲目であった。現代日本の不幸の源
はそこにある。

 とりあえず、麻生総理は漢字の読み間違いを「芸」にまで昇
華させることが肝要である。周囲のスタッフもその点考えろと。
ミスしないように注意すればするほど、「べらんめい調の気さく
な政治家」という虚像がどんどんクラッシュしていき、ひいては
総理の存在意義そのものが根本から揺らいでいく。その結果
が支持率の低下に他ならない。まあ、今さら遅すぎる気がしな
いでもない。

 しかし米国の不況やら自動車会社の不振やら、これからどう
なっていくのか。もしこのうえ新型インフルエンザの大流行が起
こったら、時代そのものがメタメタであろうな。今から新興宗教の
教祖となるべく準備に走った方が、金儲けの手段としては有効
かもしれない。

 

智恵子抄の偽善 その2

2008-12-07 23:25:01 | Weblog
 「百年の誤読」(岡野宏文、豊崎由美著 ちくま文庫)に
よると、高村光太郎の妻智恵子さんは統合失調を発症し
入院したわけなんだが、光太郎さん、見舞いに行ったこと
が数回しかなかったという。ウィキで調べてみると入院期
間は3年にも渡っているのに。3年の間に数回って、もし
本当なら少しひどすぎるのではなかろうか。智恵子さんの
死因は当時不治の病とされた結核であり、結核患者に近
寄りたくなかったという、極めて人間的な動機だったのか
もしれないが。

 脂ハゲはとても俗な人間であり、高村光太郎のような高
邁な理想を掲げた芸術家とは生まれからして肌が合わない
のかもしれないが、それでもどうもなんかこの。「口語自由
詩の完成」として世に喧伝される「道程」にしろ、「ああ 自然
よ 父よ。 僕を 一人立ちさせた 広大な父よ。 僕から目を離
さないで 守る事をせよ」という一節を読み、「父からの守りを
要求するなんて一人立ちした人間のすることじゃないじゃん」
というツッコミいれてたのが小学校時代のわたしだ。結局は
なんか詰めが甘いのだこのシトは。

 「ぼろぼろな駝鳥」にしろ、あの独善性はなんなのか。「な
にが面白くて駝鳥を飼うのだ」というこの詩人の目には、駝
鳥を見て喜んでいる子供の姿が見えていない。駝鳥のほう
だって、自由と引き換えに生命の保証をされた現況を、真か
ら嫌がっているかどうかなどわかるはずもない。だいたい、
高村光太郎は野生の、自然な姿の駝鳥を見たことなどなか
ったのではないか。万一、勝手に脳内に理想的な野生の駝
鳥のイメージを作り上げ、それが目の前にいる動物園の駝鳥
と差異があるからといって怒っているとしたなら、それはもう
芸術家でも詩人でもない。単なるクレーマーである。

 詩人、彫刻家としての名声は言わずもがなのひとだが、こ
ういう「思い込んだら一本道」のひととは、あまり近づきたくな
いというのが本音である。氏が戦争賛美の詩を書いて、それ
を懺悔して田舎にこもったというのは割りと有名な話であるが、
「飯を食うため戦争賛美する」というのは弱き者の代表たる芸
術家としてそんなに罪に思うことでもあるまい。が、それまで
の作風が作風だ。他人を上から目線でしか捉えられない、プ
ライドが山より高きアーチストが、「自己正当化のために下司
な他人との交わりを絶つ」という行動。それ自体が他人の目を
意識したパフォーマンスに思えて仕方がない。脂ハゲの性根
が腐ってる証拠なのかもしれないが。

 少なくとも「智恵子抄」は、世に思われているような芸術家と
その妻の生と死を描いた純愛詩集などでは断じてない。妻の
智恵子さん自身がもともとが画家であり、結構多くの人間から
評価されていたなんてことは描かれていない。実家は裕福な
造り酒屋で、当時の女性としては最高の学歴である日本女子
大学校卒である、ということも黙殺されている。なぜか。それら
は光太郎さんの理想の妻としてのイメージからはずれていたか
らだと思う。

 「百年の誤読」の豊崎氏は「金」という詩を引用して言う。「『智
恵子よ。夕方の台所が如何に淋しからうとも、石炭は焚かうね』
 てめぇで焚け!」。これについて光太郎について好意的な解釈
をしていたブログがあったが、うなずけない。「石炭を焚こうね」で
なくて「石炭は焚こうね」なのだ。要するに、「さまざまな不満があ
るけれども、最低限石炭は焚こう」ということを智恵子さんに言っ
てるわけで、「お前の稼ぎがちゃんとしてれば石炭でも石油でも
なんでも焚いてやるよ」などと、下町のおかみさんライクに智恵子
さんが言い返せないのをわかったうえでこういう詩を書いているの
である。なんというか。

 やはり脂ハゲと体育会系は合わない。あいも変わらずヘナヘナ
な結論であるな。