武家について

2005-06-30 21:24:22 | Weblog
 最近大河ドラマなどを見るにつけ、武家の出自など
調べると結構面白いわけだが。

 つーか、教科書やら新書の歴史本などを読んで、生
半可な歴史の知識を詰め込んだりしているのだが、平
安時代、特に紫式部や清少納言がアレしていた時代、
軍事力というのはだれが把握していたのか不思議。
どうもあの時代の中央貴族というのは、根っからの文
系、和歌や漢文、歌舞音曲に耽溺していたというイメー
ジがとれない。それだけで政治ができるとも思えないの
だが。

 でもまあ上皇に矢を射掛けた藤原隆家とか、架空の人
物ではあるが雅などとはほど遠い源氏物語に出てくる髭
黒大将とか、貴族の中にも「力」をふるうひとはそこそこ
いたのだろうとは思う。個人的に「格闘技」好んでた貴族
もたぶんいたであろうし。

 こういう「力」を駆使する存在として現れたのが「武家」
なのだろうが、これらの「武家」のほとんどが中央貴族の
末裔であるというのが面白い。武家というか、「地方を根城
にする暴力集団」が歴史の表面に大きく現れるのが承平・
天慶の乱、すなわち将門と純友の乱の時なのだが、この時
「乱」の主要な登場人物としてあらわれるのが、すべて源氏
と平氏と藤原氏。なかには臣籍降下してない皇族さえ混じっ
ているという塩梅。十世紀前半にはこんな地方の隅々にまで
源平藤橘の末裔が広がっていたわけである。

 この時代、受領階級の中級貴族は、遙任でなく本当に現地
へ赴任したわけだが、当然妻子同行でない場合もあり、その
場合現地の実力者の娘と懇ろになり、子をなす。そして任期が
切れると、妻子を現地に置いて自分ひとりは都へ帰る、という
パターンも多かったという。その場合、藤原某の息子でも、育ち
は完全に母方の実家、ということになる。そして往々にして地方
の実力者というのは、「力」でもって現地を支配していることが
多いのだ。

 と、こんな屁理屈を考えつつ奥州藤原氏と中央の藤原氏の関
係を見ていたりするのだ。

ひるめし考

2005-06-29 21:45:02 | Weblog
 さて、明後日から新職場である。有楽町である。おっち
ゃん、どうも町の雰囲気に合わないのではないかとびび
っておるよ。

 こないだ新職場のまわりをぶらぶらしたのだが、「こりゃ
困った」と思ったのが飯屋の少なさ。いや、数はある程度
そろっているのだが、「貧乏人が手軽にはいれるような飯
屋」が少ないのだ。現在社員食堂で、380円の特別定食
食って「いや~、きょうはぜいたくした」と考えてる人間が、
ランチ1200円の店にたやすく順応できるはずもない。吉
野家松屋、ガストにすき家。その手の店が見当たらないの
だ。どうもこのままでは、朝も昼もコンビニでパン買って済ま
すことになりそうである。情けないな~。

 昼飯にしても混雑した店が嫌いなので、「行列のできる
評判の店」なんて店にはもともと近づかない。だから結局、
「周囲の店より味の点でやや劣る店」の常連になることが
多い。しかも慣れなれしくされるのが大嫌いなので、店の
人間が常連扱いし始めるとそのとたんしばらく行くのをや
めにする。我ながら因果な性格である。

 さて有楽町のど真ん中、「あまりおいしくないが空いてい
て、価格もリーズナブル」という、わたしに向いた店が見つ
かるであろうか。こういう時こそ、ファストフード店のありがた
みか骨身に沁みる。「さほどまずくなく、混雑さもほどほど、
そして価格もリーズナブル」 あたりはずれがないという点で、
これほど便利な食い物屋もない。多用しすぎれば健康に悪
影響があるであろうことは十二分にわかってはいるが、いく
ら頭で理解しても行動することはなかなか難しい。あれに含
まれた多量の脂と塩分。血管になにかが詰まればあっという
間に倒れるだろう。

 しかしそれでもわたしにとっては、路地に隠れたように存在
する上品なレストランより、有名ファストフード店の方が親しみ
やすい存在であった。はじめてマックのバーガーを口にしたの
はまだ小学生の頃であったが、あの濃厚なケチャップの味は
今でも忘れがたい。はっきり言って、当時のマックのバーガー
はオシャレな食い物だったのである。

 しかし仕事よりも先に朝昼の飯を気にしているわたくし。それ
自体ダメダメでありますな。



中年の休日

2005-06-28 21:06:42 | Weblog
 きょうは休暇とって家でひっくりかえっていたわけ
だが。

 暑い。暑すぎっす。どこが6月なんだか。

 昔話語るのもアレだが、外へ出ても、暑さ自体が
昔の暑さとなにか違う。昔の夏の暑さというのは、
「太陽から降り注ぐ赤外線と、それに熱せられたア
スファルトからの照り返し」が主流だったように記憶
しているのだが、最近の暑さはなんか違う。空気自
体が熱い。それも、太陽光で熱せられたというより、
エアコンの室外機から放出された熱気がそのまま
街全体に広がってるような暑さだ。呼吸することさえ
うっとうしい。
 
 エアコンつけて部屋の中。ブリーフひとつでひっくり
返る。他人の目にはこれ以上ないくらい暑苦しい風
景だろうが、あいにく他人のことを気にしてる余裕は
こっちにはない。

 四十男として、素敵な夏のリゾートの過ごし方、て
のはどんなのがあるのだろうか。やはり観光地への
旅か。夏の北海道、かつての名馬が種牡馬として飼
われている牧場をたずねる、なんてのはいい趣味だ
とは思うが、北海道の牧場めぐりなど、自動車がない
とどうにもならない。そしてなにより、わたしには運転
免許がないのだ。

 あとは温泉ですか。しかし中年男がひとり、温泉つか
って深呼吸、というのはどうなんだろかと。「自分を見つ
め直しに来た」とでも言えば格好いいが、こっちは渋い
中年ではなくオタク系脂ハゲである。地に足がついてな
いことこの上もない。「見つめ直したのならもっとなんと
かなりやがれ」という、絶妙なツッコミがどこからともなく
聞こえてきそうである。

 これからますます増加するであろう独身中年オヤジ。
この手の人間の「標準的な休暇の過ごし方」てのが確
立されていないのは不思議といや不思議である。ビジ
ネスチャンスとして、これからかなり有力なターゲットか
もしれない。




もうすぐ高校野球の地区予選

2005-06-26 21:36:52 | Weblog
 宝塚記念、伏兵スイープトウショウの快勝という
結果になりましたが。

 わたしはハーツクライの単&複で勝負。いや~、
ゴール前大興奮。TV見ながら「ノリヒロ~っっっ!
!!」と絶叫。畳を拳で数回思い切り殴りつけまし
た。手がいたたたたでありました。

 しかし競馬も今は福島開催。競馬場へ毎週行く
わけにもいかず、土曜は場外で馬券勝って、家で
ぼんやりとTVを見る。楽しいことは楽しいのですが
いまひとつなんかアレであります。しかも間もなく夏
の高校野球の地区予選がはじまる。するとわが愛
するテレビ神奈川の競馬中継がなくなる。1年にお
いて最も憂鬱な季節であります。

 しかし「高校野球の地区予選」がそんなに大切な
ものなのか。それは、競馬の新馬戦や条件戦より
数字を稼ぐのか。野球に興味のないわたしには、ど
うも推定しにくい事柄ではあります。

 最近プロ野球の視聴率の低下が叫ばれているが、
高校野球についてはさほどでもないのだろうか。週
刊誌などでは、高校球児の実態に関してかなり生々
しい記事が載ってたりするが、それらが高校野球の
人気に影響しているという話はあまり聞かない。高
校生なんぞ、さまざまな面で精神不安定な煩悩の固
まりであり、たいていの場合「無邪気な邪気」が服着
て歩いてるようなものなのだが、いまだメディアはそう
いうアプローチの仕方はあまりしない。高校球児を扱う
場合、メディアは当然「童貞」が前提だし。事実は大き
く相違していると思うが、彼らを「商品」として扱う以上、
「清潔」の二文字から逸脱できないのかもしれない。

 たいていのタバコ飲みは、高校時代にタバコの味を
覚えたと思うのだが、高校球児の喫煙がおおっぴらに
なったら、その非難の度合いは傷害事件並み、という
のはどんなモンなんだろう。「汝らのうち罪なきものの
み、まず石を擲て」(ヨハネ福音書) この精神でなんと
かいってもらいたいものであるが、現実には無理なので
あろうか。

「電車男」見てきた

2005-06-25 20:12:19 | Weblog
 遅ればせながら、映画「電車男」などを見にいった。
まあ、だいだいの筋書きを知った時点で、たぶん泣く
だろうなァ、と思った。案の定であった。

 「泣ける映画」や「泣ける小説」てのは、監督やライタ
ーの技量によるところが大きいのはもちろんだが、それ
以上に、ストーリーによるところが大きい。いまだに「純
愛」と「難病」がセットになってる映画が多いのがその証
拠。「身近な人間が死を迎え、しかも俺を恨まず、ただ
ただ感謝してくれたらどうしよう」 この場面をうまく想像
させることができれば、たいていの人間は大泣きするだ
ろう。

 ネットに肩までつかって数年たった人間、しかも、他人
に虚勢をはる必要があまりない、どっから見ても敗残者た
る「出世街道ドロップアウト」の中年脂ハゲにとって、「どこ
ぞの馬の骨ともわからない有象無象の書き込みに、善意
をもって励まされる」というのは、涙腺のツボを思いっきり
突いてくるストーリーであった。

 実際、思い切り煮詰まっていた一時期、この手の匿名
掲示板で励まされ、就業時間中会社のパソのディスプレ
ー見ながら、思わず涙ぐんだことも一度ならずある。客観
的に見ればかなりキショい風景だろうが、ああいう時は恥
も外聞もあまり考えないのだ。

 ネットの板といえば悪意ばかりが問題視されていた時期
もあったが、この「電車男」現象によってなにかが変化する
のだろうか。あの手の「善意」は、ちょっとしたことで180度
転換して「悪意」に早替わりする、というのもまた事実だ。
映画では幾人、幾十人、幾百人もの人間が「電車がんばれ
ー!!」と応援していたが、あれが悪意の先導で「氏ねっ!」
にいっせいに変化することもありうるのだ。

 「善意」だからといって全面的に依存するのも誤りだし、「悪
意」だからといって100%排除するのもまた間違い、というこ
となのであろう。「薬は使い方で毒にもなる。その逆もまた可」
使い古された言い回しであるが、ネットを表現するにこれ以上
の比喩はないのかもしれない。

 さて、また今夜も肩までネットの海につかることにする。夜は
まだ長い。

シャネルの腕時計

2005-06-23 21:01:44 | Weblog
 ボーナスで時計を買った。シャネルのJ12の黒セ
ラミック。大黒屋新宿店で28万。いささか内臓に響
くお値段ではあります。(その後有楽町のコメ兵へ
行ったら、同じモノに26万の値札がついていた。2
万円損した気分でいっぱいである)

 脂ハゲにシャネル。似合わないことこのうえもなく、
もうここまでくると一種の快感である。なんかシャネル
をレイプしてる心持ち。ブルガリとどっちにしようかか
なり迷ったが、シャネルにしたのは正解であった。これ
わたしも晴れて泉ピン子やハイヒールモモコの仲間入
りである。

 キャバ嬢受けもまるで違いますな。わたしゃ基本的
に見栄はりで、その手の店飲みにいくときは、ある程
度高価な時計をしていくのだが、ロレックスなどとは話
題になり具合がまったく違う。ロレックスの時はこっち
から時計の話ふらないと気づいてもらえないが、J12
だとこっちがなにもせずともキャバ嬢の方で時計の話
題をふってくる。やはり女性にとってはシャネル、ブル
ガリ、エルメス、カルティエなんですかね。

 ブランドの価値というのはなんなのか。たとえば他人
が自分と同じ時計をしているのを発見するとかなりいや
な気持ちになるが、かといって「世界で自分だけしかし
てない、唯一無二のブランド」てなモノにブランドとして
の価値があるとも思えない。自分の個性の表現であり
ながら、同時に他の人間との共通性の表現にもなる。
そういう「矛盾」を内に含んでいるのが「ブランド」というも
のなのであろう。
 
 かつてロレックスのエクスプローラーは、木村拓哉がド
ラマの中でしたことで爆発的な流行を見たという。「あの
キムタクがしてるのなら」ということである種のムード作り
の小道具として大流行したわけだ。「キムタクがエクスプ
ローラー。俺もエクスプローラー。よって俺はキムタク」と
いう、しばしば陥りがちな誤った三段論法。もっとも流行の
原動力とは、このような「誤った三段論法」が大きな部分
を占めるのかもしれないが。

 まあとりあえず、わたしは木村拓哉でなく泉ピン子の陣
営に。少しはあつかましくなれるかもしれない。

純愛か、単なるロリコンか

2005-06-22 05:22:22 | Weblog
 なんかサンケイスポーツ読んでたら、「30男が13才
少女と駆け落ち」という見出しがデカデカと書かれて
いる。記事によると、共通の友人を介して13才の少女
と知り合った清掃業の染谷宏之容疑者(30才)が、少
女の親に面会して「交際させてください」と申し込むも
「学業の妨げになる。16才になるまで待て」と断られ、
あきらめきれず車で3日間デートをしたという。容疑は
未成年者誘拐。

・・うーん、これだけだと事情わかんないスよね。連れ
まわしてる間に性的な行為があったかどうか、という
のもアレだし。また、この男のキャラが、ジャニ系イケ
メンであったのかドランクドラゴンのつかじ風であった
のかでも、印象が完全に異なるはず。少女の方も、「い
かにも女子中学生」という感じだったのか、それとも「繁
華街たむろってます」系のギャル風であったのか。組み
合わせ的に四つの可能性が考えられるわけだ。

 男オタ×少女ギャルの組み合わせなら、映画化したら
電車男超える大当たりしそうではある。つーか、「両親に
あいさつへ行く」時点で、真面目なオタ系である可能性は
高いような気もするが。

 いま「純愛モノ」がけっこうアレらしいが、ウケル要素とし
ては「ふたりが社会的に主流ではない」というのが絶対条
件ではあろう。「男→高級官僚、女→一流企業総合職」な
んて組み合わせでも、「純愛モノ」の物語綴るのは可能だ
ろうが、一般人へのウケはいまひとつ悪いはずだ。なんと
いうか、「そういうひとたちは後先考えず異性に走ることは
ないはず」という「偏見」が、われわれ一般人にはあるから
かもしれない。

 そういや昔、アメリカで30越えた小学校の女性教師が、
教え子の男子小学生と恋愛関係に至り、ついには妊娠、
明るみに出て逮捕された、てな事件があったと記憶してい
るが、その後どうなったのだろうか。アレも解釈次第で「猟
奇ポルノ」にも「純愛モノ」にも変化しうる。真実がどこにあ
るのかは赤の他人にはなかなかわからんことではある。

 わたしが通いつめている中野キャバ嬢、わたしより21才
年下であることを思い出した。その意味では上記の事件の
容疑者を超えている。しかし、あまり「勝った」という嬉しさ
がないのは何故なのであろうか。

よしなしごと

2005-06-21 04:40:15 | Weblog
 ただ今、時間は朝の4時半。腹痛で目を覚まし、
大きな用を足して戻ってきたとこであります。いか
んがなホンマに。

 ここ数日、体調絶悪。おまけに転勤前のアレで
心身煮詰まっており、なんか、豚の角煮であれば
そろそろ食べごろ、というくらい。環境の変化に
とことん弱い人間なのである。

 こういう時こそ、キャバクラ行って大騒ぎが効果
的なのだろうが、体調いまいちではそういうわけに
もいかない。ひとりちゃぶ台の上にノーパソ乗せ、
キーボードカチャカチャいわせている脂ハゲ。時間
は午前四時。窓の外はほんのりと白みかけており、
コジュケイの「チョットコイ」てな鳴き声が遠くで聞こ
えている。牧歌的なんだか末期的なんだか、いまひ
とつよくわからない。

 こういうボンヤリとした時間というのは、なにものに
も替えがたい貴重な時間である。まぶたつむって居
眠りこくもよし、なにも考えず馬鹿な顔してボケっとす
るもよし、「ああ~、叶美香はいい女だなあ」と、ひと
り静かにつぶやくもよし。

 ただ惜しむらくは、腹がクークーと音をたてていること
だ。間違いなく腹痛の前兆。まもなく、手洗いへダッシ
ュすることになる。そのときになってあわてぬよう、ここ
ろの準備はしっかりと。

 あ・・・きたきたきた。そしてまた手洗いへ。きょうは夏
至。いろんな意味で、暑苦しい日になりそうであります。

花田家騒動その3

2005-06-19 20:01:47 | Weblog
 しかし花田家騒動、まだまだあとを引いております。

 わたし自身はひとりっ子で、「兄弟の確執」というモノに
ついて全く無縁であるので、実際のところ語る資格はな
いのではあるが。ただ、生まれてから成人するまでひと
つ屋根の下で一緒に暮らしていれば、それはイロイロと
あるだろう。歴史的にも、足利尊氏&直義みたく殺しあ
ったアレもあることですし。

 ただ昨今、次男の行動のハジけっぷりのものすごさ。
こないだ休暇とって、朝の目覚めにテレビつけたらいき
なり貴乃花親方。となりには酒焼けした顔のみのもんた。
時計を見ると早朝の6時半。「朝飯にカルビ丼」のような
膨満感であった。少しは見る立場に立って欲しいと思う。

 で、印象的だったのはちょっと肯定されると、親方、心
底嬉しそうな顔するのね。なんか、いくら相撲取りとして
名声あがっても、常にこころはさびしかったひとなのかな
と。相撲そのモノを人生として捉え、相撲に関するいい悪
いをすべて生のまま人生の尺度にしてしまったら、周囲の
人間と摩擦が生じるのも当たり前だ。対する長男にとって
相撲は単なる「職業」。「かつて横綱であった」というのは
彼にとって商売上の肩書き以外のなにものでもない。次男
にとってはそういう「ものの考え方」が根本的に許せない
のかもしれない。

 中学出てからひとつの「職業」に専心し、それ以外のこと
を考えずに生きる生き方を「是」として育ってきた以上、今
さら方向転換がきかない、というのは理解可能ではあるが。
「世界には、自分と違うものの見方をする人間がたくさんい
る」ということを理解しないとああなる、という、反面教師と
してなら見事なまでに世の中に貢献している。

 あと兄弟決戦のヤオ問題についても、あんなん、兄弟で
真剣勝負などできると思うほうがアレである。相撲のヤオ
の問題は、「星が金で売り買いされている」ことが問題な
ので、いわゆる「片八百長」なんてのは昔からある。あの
決定戦を「不正なヤオ」として、いまさら鬼の首とったよ
うに言う方がオカシイのだ。


 

来たるべき夏にそなえ

2005-06-18 05:09:59 | Weblog
 6月も後半、夏至が過ぎて梅雨が明ければもう本格
的な夏でありますな。というか、もう蒸し蒸しな気候は
始まりかけており、寝苦しさ倍増。ここだけの話、ブリ
ーフさえ脱いでノーパンで眠ることもしばしばでありま
す。あまりみっともいい話ではないですが。

 たいていのひとにとって夏というのは喜ばしい季節の
ようであるが、わたしにとっては話は別。典型的な「冬
型人間」であって、夏というのはできたらよけて通りたい
季節である。冬の寒さは布団かぶって丸まっていれば
やりすごせるものだが、夏の暑さはそうはいかない。エ
アコンかけて素っ裸、おまけにかき氷数杯食べてさえ、
暑さは去らず頭ぼけ~、という事態は十分ありうるのだ。

 暑さに強い人間は、ここを先途と海に山、行楽地へと
活動的になるのだろうが、冬型のこちらとしては家に籠
もってエアコンかけてふーふー言っている。たまに外出
して、路上で飲む一缶の発泡酒、夏の楽しみといえば
それくらいのものだ。

 陰気な話で恐縮だが、この世に生をうけて四十余年、
親戚も幾人か鬼籍にはいっているのだが、そのほとんど
が初夏から真夏にかけてなのである。父方も母方も、双
方ともアンチサマーな血統らしい。そのふたりの子として
生を受けたわたしは、そりゃ夏に弱いのも道理であろう。
運命がどう転がっても、チューブのメンバーにはなれなか
ったのだ。

 精神面に関しても、落ち込みかけるのは常に夏である。
真っ赤な太陽から降り注ぐ赤外線が、わたしという人間を
中身からジンワリと焼き尽くす。備長炭使用の老舗の焼
鳥屋の如く。するとただでさえ弱いマイ精神、あっという間
にグツグツと煮詰まる。判断力が衰え、迷路の奥にますま
す迷い込む。悪循環であります。

 さて、こういう「夏の脅威」に対抗するにはどうすべきか。
逆療法みたいだがやっぱり酒飲み。歌って踊ってヘイヘイ
ホホー、である。カラオケで歌うは夏の歌。ビーチボーイズ
でも熱唱することにする。さーひんゆーえっせ~♪

ネタがないので読書感想文 その4

2005-06-16 20:43:39 | Weblog
「この花魁のほうでも、いろンなお客を扱うなかには、
ごくいい人というなァ、きっとあるんだそうですな。も
っとも、中にゃァいやなやつもまじって来るんですか
ら、花魁てェ商売も、なかなか大変なもンであります」

 ちくま文庫から出た「志ん生廓ばなし」に所収の
「文違い」という噺の冒頭。なんかもぉ、「花魁」を「キ
ャバ嬢」と読み替えればまともに現代でも通用する噺
ばかり。この「文違い」の内容も、間夫(まぶ。なんつー
か、花魁が本気で惚れてる男のこと)が金に困ってると
いうので、さまざまな手練手管で客から金を巻き上げ
ようとする花魁。ところがこの間夫の方では、貢がれた
その金をまた別の女に貢いでいたという・・・。客とキャ
バ嬢とホストの関係に見立てれば、もうストレートに歌
舞伎町で起こってそうな噺であります。

 他にも風紀(キャバ嬢と従業員ができてしまうこと)を
扱った「お直し」、色恋営業の顛末を描いた「三枚起請」
など、江戸から明治が背景の話であるにもかかわらず、
とてもそんなに昔の話とは思えない。そしていずれもが
哀しく、そして面白い。この手の男女関係だけは、時代
の変化をあまり受けてないようである。

 いまだキャバクラに偏見を持つひとは多数いて、そうい
うひとたちはたいていキャバ嬢の「嘘」について指弾する。
そういうひとたちの前提は、客がキャバ嬢の嘘に一方的
に騙されているとする。そりゃそういう客も多いだろうが、
全員が全員、教祖の空中浮揚をマトモに信じてる頭のいっ
ちゃった真面目な信仰者のような人間ではないのだ。

 そういう、アンチ水商売の人間にはこの本をぜひ読ませ
たい。「百年以上前から、そんなことはみなわかってるん
だって」

「五人廻し」のサゲは、「俺ってイイ客だよなぁ」と自惚れて
いる馬鹿客の肝を猛烈に冷やし、「茶汲み」の客と花魁の
鮮烈なやりとりは、「騙すとか騙されるとか、知力の勝負に
比較すれば小さい問題だな」と思わせる。ひまがあったら是
非読んでいただきたい。 

ヤフオク日和

2005-06-14 21:25:29 | Weblog
 というわけでヤフオクでIH炊飯ジャー落札。メー
カー希望小売価格26,000円のところを、なんとたっ
たの10,000円。(送料と振り込み料あわせて)

 なんか、ジャパネット高田やトーカ堂テレショップ
のアレ風ですが。しかしネットオークションてのは安
いモノ多いでんな。安価な商品を提供してくれる店
といえば、なんといってもカメラ系量販店であるが、
オークションの品物は、ポイントバックを考慮しても
量販店の価格より2~3割安い。いったいどういうル
ートで商品を入手しているのか、非常に興味のある
ことである。

 わたしが落札した経験のあるのは、腕時計、電化
製品などが多いのだが、これらの商品の安さも特筆
ものである。時計なんて、Gショックの海外仕様のや
つが4,000円だもの。送料と振込手数料上乗せしても
5,000円しない。これがヨ○○シあたりの時計売り場
で、ほぼ同一の国内仕様品買おうとすれば、8,000円
を越えている。あれだけの価格競争力を持つヨ○○シ
でさえかなわないのだ。個人経営の時計屋がどんど
ん店を閉めているのもある意味当然だったりするわけ
だ。

 やはり、これほど安価な商品ルートといえば、倒産
品や金融品が多いのだろうか。かつて、「工場がつぶ
れて、給料代わりに万年筆(他の商品てせも可)もら
った」と称し、路上において粗悪な商品を売りさばく、と
いう詐欺な商売人がいたそうだが、「倒産品」の魅力
というのは一般人にとっても魅力的な響きを持つので
あろう。

 あとは「少々難アリ」品とかもそう。要するに、そのあ
まりの安さをうまく説明できる理由を、俺みたいな一般
民間人は訊いてみたいとおもっとるわけだ。それが理
解できない理由であれば、「安かろうわるかろう」の粗
悪品として、さほど食指が伸びなくなる。

 ボーナスも出、ふところも普段よりあったかい昨今、
「安物買いの銭失い」なる言葉をこころに刻みつけ、ネッ
トオークションを覗くことにする。ああ、また時計買っちゃ
いそう・・・・。

新キャラ投入

2005-06-13 20:54:36 | Weblog
 山口県の爆弾投入少年、いい塩梅で話題になって
いますな。案の定、小学校の頃の寄せ書きなどが抽
斗の奥から引っ張り出されて、「将来の夢」に「ゲーム
のキャラクター」と書いたことが針小棒大に取り上げら
れて騒ぎになってますが。また、どこぞのアホウな大
学教授がテレビゲームと暴力性の関係をしたり顔で説
くのでしょうか。つーか、それより彼の寄せ書きの斜め
上、思いっきり将来の夢に関して、「世界せいふく」と
書いた子供の方が、内容的には問題があるような気も
しますが。

 新聞報道によると、あまりに無口なため、「彼には長
い回答を要する質問はしないよう、教師間で取り決めら
れていた」てな記事があってポカーンとした。こんな取り
決め、贔屓以外のなにものでもないのではないか。こん
な露骨なえこひいき、周囲の生徒が気づかないわけは
ない。「俺たちは当てられるのが怖くて必死で勉強して
いるのに、お前はいいのぉ~」てなモンである。しかも、
極度の無口というのは障碍でもなんでもない。己が周囲
と溶け合う方法を知らないことから起こった、それこそ十
割自己責任である。

 なんらかの後天的なショック、天災等、だれにでも理解
しうる原因があるのならともかく、自分の意思で周囲との
コミュニケーションを絶ったわけであろう。そりゃからかわ
れるのも、冗談のネタにされることも覚悟せねばなるまい。
「自分のしたことがおかしければ、いい意味においても悪
い意味においても、他人からネタにされる。これはごく当然
の話であって、自分から社会を遠ざけるような方向で動いて
いるのにもかかわらず、他人の指弾をうけずに生きようなど
とは、それこそ「いいとこ取り」が過ぎる生き方だと言えよう。

 しかし、こういう田舎の町では、彼のやったことがひとの脳
裏から完全に消える日は永遠に来るまい。この町中に留ま
る限り、「爆弾事件」は彼の名前とともにずっとかたり続けら
れるわけだ。それも結構つらそうな役どころである。

 しかし、何故将来の夢が、「ゲームのキャラクター」だったの
だろうか。特定のキャラ(たとえばドラえもんとか、三国志の劉
備とか)でなく、何故「ゲームのキャラクター」などという総合的
なものに落ち着いたのか。不思議である。

 来週あたり、週刊誌にもう少しくわしい記事が載るであろう。
その時には、もう少し突っ込んでこの事件について考えてみた
いとおもっている

辞令が出ました

2005-06-12 20:04:38 | Weblog
 さて、転勤である。

 指を折って数えてみたが、入社以来九つめの職場
ということになる。ひとより多いのか少ないのかは、
あまり他人と比較したことがないのでわからない。ま
あ、どう考えても「有能な会社人間」とは言えないオ
ッサンであるので、他人との比較を無意識的に避け
ているからかもしれない。

 で、辞令が出るとご挨拶などするのであるが、「い
ろいろと今まで御迷惑をかけました。新しい職場へ
移っても、ここで学んだことを生かしましてうんにゃら
かんにゃら」などという、口がカユくなってくるタテマエ
99.9%な挨拶であって、面白くもなんともない。ああい
う場でこそ、ウケを狙った小粋なスピーチなどをしたい
のであるが、空振ったときの「いかんともしがたい」雰
囲気を考えるとなかなか決行に踏み切れない。「自ら
の勇気のなさ」を心底痛感する。

 もともと精神的に弱い面があるので、「環境の変化」
というのは好きではない。転勤や引越しといった「環境
の変化」が、うつ病の引き金になるのは周知の事実。
「決まりきった習慣」に頼って人生こなしている気質の
人間にとって、「環境の変化を機に自らを変えていこう」
などという考えは無縁のものである。新しい環境に対し
て、いちいち頭で考えて対応しようとするので、疲れて
しまうんですな。生きるスタミナに満ち溢れているタイプ
の人間ならば、こういう環境の変化に対しても反射神経
で対応できるのだろうが。

 しかも新職場、さまざまな土地の人間の寄せ集まりで
あるうえ、仕事の量もかなり増加することが予想される。
人間関係で摩擦、仕事多くて摩擦、仕事のやり方変わっ
てまた摩擦、などという、とてもいやな事態の可能性も考
慮にいれておかないとアレである。摩擦のしすぎで血行
がよくなりそう、などと、冗談の切れ味もいやな感じで鈍
ってきているのである。

 さて、あと三週間足らず、グチグチと悩んで日を過ごす
ことにする。ねちねち。

好物と健康

2005-06-11 04:22:41 | Weblog
 以前にも書いた記憶があるが、「食い物のおいし
さ」というものの本質は食い物の内側にあるのでは
なく、味わうこっちの方の問題である。真夏の満腹
時、脂こってりの家系ラーメンなど拷問用具にも等
しいが、それと同じものが真冬のさなか、腹ペコで
どうしようもない時すすりこむであればそれこそ天上
の美味であろう。

 だからこそ体調を整えないとうまいものが食えな
い。無頼派気取って体を酷使するのもたしかにひと
つの生き方だが、自らの我慢強さを誇るより飯がお
いしく感じられる方がなんぼかいい。そしてありがた
いことに、食い物のうまさと価格の高さは相関関係
にはない。味付け海苔と白いご飯だけでも十分「美
味」というものは体感できる。「おいしさ」というものが
食べ物本体に内在するものでない以上、これは当然
のことなのだが。

 しかし年をとると、おいしいものばかり食べていると
体調を崩す、という、なんとももどかしい矛盾点が露わ
になる。先般、健康診断の結果が出たのだが、血中
コレステロールと肥満度が要注意であった。産業医の
先生のご指導は、「運動しろ。脂モノ減らせ」。あまり
にごもっとも過ぎて文句もない。しかしあつあつのポテ
トフライやら、タレの味がジワッとしみ込んだやわこい
豚の角煮、備長炭でじわわ~っと焼いたカルビ肉など、
医者の小言くらいで断てるものではないのだ。

 しかも、季節はもうすぐ夏なのだ。夜の暑さに掛け布
団蹴飛ばして眠る夜も徐々に多くなってくる。汗ばむ夜、
風呂上がりにグイッと傾ける生ビールで満たされた中ジ
ョッキ。つまみはチーズかポテトフライ。あるいは焼き鳥。
そばに気の置けない、バカ話ができる知り合いがいれば
まさにサイコー。「生きる喜び」など、キャバクラ以外では
普段滅多に感じぬわたしではあるが、このような状況は
「至福」と呼ぶ以外言葉を知らない。

 「至福」と「健康」のどっちをとるかという微妙な問題。若
い頃なら、暴飲暴食してもなんの痛痒もないのだが、いや
はや、年はとりたくないものである。「塩」か「脂」か「砂糖」
について、命がけで断たねばならない日が、そろそろ近づ
いてきているのかもしれない。その日が来るまで焼き肉た
くさん食べよっと。