来たるべき「死」にそなえ

2005-02-01 20:38:01 | Weblog
知り合いのブログを見ていたら、「急病で救急車を呼
んだ時、変な柄のTシャツを着ていて、云々」という
記述があった。たしかに、いつ病気で倒れるかは人知
の外である。約15年前、半年のインターバルをおい
て職場の人間がふたり続いて亡くなったことがあった。
ひとりは金曜日まで元気で働いていて、月曜出社した
ら来ていない。「あれ、○○さんどうしたの?」と同
僚に問うと「○○さん昨日亡くなったんだって・・・」

 もうひとりの場合はもっと衝撃的であった。職場が移
転することとなり、新しい職場での什器のレイアウトを
決めるため、わたしは新事務所でそのひとと待ち合わせ
をしていた。しかし時間を過ぎて、いつまでたっても現
れない。連絡もない。しびれを切らし事務所に電話をい
れると、「あのな、××さん昨晩亡くなったんだって・
・・」 あの時ほどの大声をあげたのは、ズボンまくっ
たら15cmくらいのムカデが張り付いてることを発見
した高校二年の時以来だったと思う。

 ふたりとも決して病弱などではなく、むしろ頑強な
40男であったが、突然の死にそんなものは関係ない
らしい。「いつ死をむかえてもいいように」というの
は、別に戦国時代の武士に限った話ではなく、現代に
生きるサラリーマンにこそふさわしいのかもしれない。

 さて通勤途中で突然倒れた場合、身元確認のため所
有物があれこれされるのであろうが、その場合はたし
て大丈夫なのか? わたしは常時パンパンに中身の詰
まった、ビニール製のショルダーバッグを愛用してい
るが、中身といえば雑誌と新聞、文庫本に筆記用具、
あとはキャバクラの割チケとキャパ嬢の名刺だ。女性
に縁のない40ハゲとしては、かえって妥当過ぎる中
身である。

 しかし問題は携帯電話だ。職場が嫌いで仕事が嫌い。
よって登録に仕事関係の人間はほとんどない。学校時代
の友人とも疎遠であり、現在つきあいのある人間は皆無
に近い。携帯使って連絡とるのは、キャパクラのねーち
ゃんとネットの知り合いである。そしてその2種類の人
間とも、わたしの前では本名を名乗らないのだ。

 だからわたしの携帯には、奇妙キテレツな名前ばかり
が並んでいる。姓のない、変に艶っぽい女性名が羅列さ
れてるのはまだしも、「ゲビ子」「クサチュー」「小学
生」など、40男の持つ携帯電話の登録として正気の沙
汰ではない。

 この携帯を所持している限り、わたしは意地でも突然
死はしないと思う。万一の時は、浮かばれぬ悪霊となる
こと疑いなしである。