腹痛譚

2007-11-25 23:00:16 | Weblog
 毎度尾篭な話で恐縮ではありますが。

 また腹痛だ。今度は入浴中。元来腹をあたため
れば腹痛というものはおさまるものであるはずな
のだが、にもかわらずそれがきた。体を石鹸で洗
いつつ七転八倒の苦しみ。風呂場とトイレがひとつ
になったアレな構造の浴室であるから、便器は目
の前にある。しかし全身は泡だらけ。そのまま便
座へ座るのはいくらなんでもと、体洗い終えるまで
は必死の我慢。耐えることこそがわが人生。

 なんとか風呂上がるまでは粗相せずにすんだが、
それでもまだ問題は終わらない。バスタオルでササ
ッと体をぬぐい、全裸で用を足すのもアレなのでラン
ニングシャツを着用し、やっと便座に腰掛ける。「は
~~」という安堵のため息とともに、大量に噴出され
るナニ。とりあえずなにも汚さずにことを終えられた。
この手のことを心配するのはせめて70過ぎてからに
したいと思う。そうすりゃオムツつけて外出しても変
ではないし。

 しかしこの大腸の弱さは本当に嫌になる。外見に
似合わず神経細いから過度の緊張でもすればもう一
発でアレ、お腹から「ぐぎぎぎ~」なるノイズが鳴り出
し、「あれ?」と思っていると三分後には激烈な腹痛、
もういてもたってもいられない。だから緊張するような
行動の前には必ず用を足しておかないといけない。つ
ーか、「緊張するような行動はできる限り慎む」という
方向へ人生が転がるのも致し方ないといえるだろう。
そんなこんなでいまの人生だ。「糞ったれ」という罵倒
の言葉がなかなか似合う人生ではある。

 以前にも書いた気がするが、「床屋でヒゲそってる最
中腹痛を起こしたら」というのがなによりも嫌な想像であ
る。「天皇陛下と園遊会で歓談の最中」というのも結構
なピンチであろうが、脂ハゲが園遊会に招待されること
はまずなかろうと思われるので、これは心配する必要
はない。

 しかしこの弱い大腸、どうすれば鍛えることができるの
か。「便秘の悩み」というのはしばしば語られ、ヨーグルト
やら干し芋やらの対処法があるようなのだが、「お腹ゆる
い」に関する悩み語りはかなり少ない気がするが気のせ
いか。「正露丸飲んどきゃいいだろ」という問題ではない
のである。

 世の中は広いから、「結婚式の最中」とか「葬儀の親族
代表として挨拶している最中」とか、絶対やってはならん
時にもよおした人間もひとりやふたりこの世に存在してい
るはずである。できればそのときの「こころの傷」について
語っていただきたいものであると思う。

 

英語の必要性

2007-11-18 23:00:50 | Weblog
 「ひとととして弱っているときに限って、見知らぬ他人に
道を聞かれる」という法則を明らかにしたのは伊藤理佐で
あるが。

 最近やはり弱っているのか、後楽園で馬券買った帰り
道、新宿駅で小田急に乗り込み居眠り決めようとしたそ
の刹那、「この電車は箱根に行きますか」と訊かれたの
である。「えーと、この電車は新松田で二つに分かれまし
て、前の6両は箱根まで行きますが、後ろ4両は新松田
止まり。ここは後ろの4両なので箱根に行くには前の6両
に乗り換えないと駄目です。乗り換えるのは新松田につ
いてからで間に合うと思います」と回答したところ、いきな
し、「おー、ワタシムツカシイ日本語ワカリマセーン」と反応
された。顔はもろ東洋人なのに、英語でないとダメな外国
人女性て。女版の逆ウエンツかよ。

 で、上記の言葉を英訳しようとしたが「分かれる」という
のがどうしても出てこない。今から思えば「シェア」で充分
意味通じたと思うのだが、いや、まさか外国人とは思って
おらなかったので頭の中は完全パニック。「アット 新松田
でジストレイン、フロントパートとリアパートにシェア、オンリ
ーフロントパートシックスカーズゴートゥー箱根。ヒアイズリ
アパート、ユーマストムーブフロントパート」とでもルー大柴
風に言えばある程度伝わったと思うのだが、まあ、エマー
ジェンシーに対応できないのがこの脂ハゲ、後悔はあとの
フェスティバルである。

 パニック起こした脂ハゲの隣に座っていた、ヒゲにメガネ
の若いにーちゃんが見かねて立ち上がり、流暢な英語で
あれこれ説明してくれた。なお彼は都会人らしく(あとで経
堂で降りた)、新松田がどのへんかわかりかねてたようで、
幾度も「新松田ですよね?」と俺に尋ねてきた。俺は「そう
です。新松田です」と幾度もうなずき、なんか横から見てる
と俺のしゃべりをヒゲメガネのにーちゃんが通訳してるよう
でなんつーか。いや、すべてがヒゲメガネにーちゃんの力
である。実際に英語使ってネイティヴと話した体験なんて、
大学の教養課程の、しかも1年だけのことなんだから。しか
し「分かれる」程度の単語さえ瞬時に頭に浮かばなかった
のは衝撃。全部を服用していた抗鬱剤と安定剤のせいにし
てしまいたいしまいたい。

 こんな恥辱がアレするのであれば、たしかに英会話教室
が隆盛を極めるのもたしかだと思った。つーか、小田急もい
い加減全部が全部箱根まで行けばいいのにと。といっても
昔は「後ろ4両は相模大野で別れて藤沢行」が主流であっ
たから、少しはマシになったともいえるのだが。

 二度と外国人が道を聞いてきませんように。なお、ブロンド
女性と黒人の若い女性は例外としておこう。

早起き

2007-11-11 04:56:46 | Weblog
 てなわけでひさびさ早起き。というか睡眠剤飲み忘れた
だけなんでありますが。

 ぼけっとしてたまに服用し忘れると、安定剤と抗鬱剤の
効き目というのはハッキリと実感できますな。なんかこぉ、
頭が普段と比べて妙に鋭敏になったような錯覚。こう書く
となんかポジティヴでありますが、実のところをいえば「頭
が鋭敏=妄想抱きやすい。不安を感じやすい」ということ。
多少頭がぼんやりとしていた方が人間つーのは正常なの
かもしれません。しかも「錯覚」だし。

 「俺は頭がハッキリしている」と感じること自体、「誇大妄
想」のやや手前なわけで。「世の中のことを全部わかった気
になる」というのがいちばん危ないアレなんでしょうな。20
代前半にはありがちなことでありますが、それが40才過ぎ
てまで続いていたらやっぱりデンジャラス。「机上の論理」と
「世の中の実態」というのは、合致しないことが99%以上で
しょうから。

 わたしのように「人生の密度」が発泡スチロール並みにス
カスカの人間でもそう思うんですから、さまざまな経験をし、
いろんなことを「肌で知っている」人間には、上記のような誇
大妄想は、まあアホらしくて屁も出ないに相違ありません。
でもネットの普及によって、案外その手の人間が多いことが
わかってまあなんと言うか。自分自身を棚に上げて言うなら
ば、逆に、その手の人間だからこそ「ネットによる自己表現」
というのにハマってしまうのかもわかりません。昔ならこの手
のことを世間に訴えるには自費出版しか方法がなかったわけ
で。あれはお金がけっこうかかるらしいですし。

 しかもネットの場合、言葉の使い方によっては結構他者の
反応を呼び込むこともできますし。町へ出て拡声器使って、
「わたしは世界を統括する真理をついに発見しました。アイン
シュタインは間違っている!」と叫んでも、反応する人間は皆
無でしょうけども(かかわりあいになるの怖いしね)、ネットだと
すぐに反応が返ってくる場合もありうる。町中で反応する場合
と異なりある程度の距離が保てるから。反応されれば、それ
が「罵倒」でも「誤解釈の部分に関する冷静かつ親切な指摘」
でも同じように嬉しくなったりする。なぜならば、目的は「真理
の啓蒙とそれによるリスペクトの獲得」なんてものじゃなくて、
「自己の存在を他者、それもなるべく多くの人間に知ってもらう
こと」だから。

 ここまで書いてきたところで某掲示板の某固定ハンドルの方
が、頭に浮かんできました。その方、数回テレビに出たことを幾
度も幾度も自慢げに書いておられましたが、つまりはテレビ出
演の方がネットよりもさらに上記の目的にかなっているからであ
りましょう。視聴率0.1%くらいの番組でも、それを視聴する人
間はたぶん十万単位、ブログなどとは比較になりません。

 「目立ちたい」「他者に認められたい」という欲望はむしろごくあ
りふれたもので、たしかマズローの段階説でも語られていた記
憶がぼんやりとありますが、それも行過ぎると破滅の元、日本
人は和を重視なわけであります。つーか、こんな益体もないこと
を長々とつづるなんて。本日の教訓は、「医師に処方された薬剤
は、ちゃんと指示通り飲まないといけない」。おあとがよろしいよ
うで。

象の背中

2007-11-04 21:59:56 | Weblog
 この映画、筋書きだけ読むと感動しそうではありますが。

 職場の知り合いの方、奥さんと一緒に行こうと誘ったら断ら
れたという。「こんな、死ぬ間際に初恋の女に会いに行くよう
な不誠実な男の出てくる映画なんか見たくない」と。奥さまの
立場にしてみれば至極真っ当な理屈であります。

 男女逆にして考えてみればよろしい。長年連れ添ったカミサ
ンが、不治の病におかされたとする。ところがカミサン、残され
た短い月日をダンナと一緒に過ごそうとはせず、初恋のひとや
ら喧嘩別れした友人と会うことで時間を消費する。許せるかこ
れ。「相手のことを考えてれば許せるはずだ」とかいう、そうい
う問題ではないと思うのだが。実質的に夫婦関係が破綻して
ないと、こんな行動は起こさないような感じがする。実際に妻
や夫がいる人間は違う感じ方をするのだろうか。

 まあ、実際に映画見てみればその点はきちんと「だまされる」
ように描かれているんでしょうが。実在の女性はそんなに男の
都合のいいよう動きはしないんじゃなかろうか。短い余命を知り、
「苦労かけるだろうが、一緒に生きてくれ」と頭下げる男ならまだ
しも、うやむやのうちに亭主の行動のすべてをわだかまりなく許
すなんてありえないのではないか。

 やっぱり人間、「いつも自分の都合のいいように動いてくれる
異性」の存在を願うのは、当然というか当たり前というか、普遍
的なものなのかもしれません。若いオタクが生身の女性と距離
をとり、二次元美少女に耽溺するのもしかり、「愛の流刑地」人
気で、日経新聞の部数が伸びたというのもしかり。自分が勝手
なことをしても、すべて許してしかもこころから愛してくれる異性
の存在。なにやっても怒んないんだからそれはもうやりたい放
題。いや、こういう存在は現実においてはむしろ歪んだ関係で
あろう。

 地に足つけて生きていくのがもっとも肝心。相手の気持ちを類
推し、「こんなことをすれば嫌がるだろう」「こういうことをすれば喜
ぶだろう」と常に考え、嫌がるであろうことはやめ喜ぶであろうこ
とは実行する。そうすりゃすべて円満におさまると思うのだが、や
っぱり人間、自己の利益を考えちゃうからなあ。自分の支払った
コストに見合うベネフィットが得られないと、イライラするのは仕方
のないことなのかもしれない。

 問題は、「自分の支払ったコストは大きく見え、それにより得たベ
ネフィットは小さく見えがちだ」ということなのだな。「俺はこれほど
つくしてやったのに・・・」のたぐいの女々しい台詞の源泉。このたぐ
いの台詞だけは、一生言わずに生きていけたらと本当に思ってい
る。難しいことなのはわかっちゃいるが。