日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

この季節の楽しみ 2015

2015-06-17 23:29:19 | 野球
梅雨に入って旅から旅の暮らしが一段落するこの時期、それに代わって生活の中心となるのが高校野球です。地方大会の開幕を今週末に控え、毎年恒例の「地方大会展望」が本日の朝刊に掲載されました。
昨季は高校野球ネタが久々の復活を遂げた一年でした。年を追えば追うほど話題が集積されていき、記述が膨大になりすぎてblogにまとめきれないという消化不良が過去二年にわたり常態化していた中、昨年は鬱積していたものを吐き出すかのごとく、連日数千字単位でblogに綴り、六月の後半から七月の末まで、一日も欠かすことなく高校野球ネタを続けたわけです。我ながらよくこれだけ書き連ねたものだというのが実感で、今となっては本人ですら読み返すのが面倒になっています。それだけに、今年も当時と同じだけの労力を高校野球の記録に注ぎ込めるかは未知数であり、少なくとも昨季のような「県別ネタ」を繰り返すつもりはありません。常々申していることではありますが、風の吹くまま気の向くままに綴って行ければといったところでしょうか。

自分にとって高校野球の真髄とは、劇的な展開でもなければ球児達の汗と涙でもなく、「地域性」の一言に尽きると以前から申してきました。思うに、劇的な試合展開、その背後にある人間模様といったものが注目されるのは、高校野球がプロに比べて技術的に劣る結果、そのような側面に自ずと焦点が絞られるということであって、極論すれば副産物です。それがあたかも高校野球の本質であるかのように理解されているのは、マスコミによる刷り込みの結果ではないでしょうか。たとえば、高校野球の代名詞でもある一塁へのヘッドスライディングが、技術的にいって何の合理性もないことは、常々指摘されているところです。それを汗、涙、闘志などという美辞麗句で飾り立てる風潮が、天の邪鬼には引っかかります。
それでは、プロにはない、高校野球にしかない楽しみは何かと考えたとき、行き着いたのが「地域性」という答えでした。今でこそプロにも多少の地域性が出てきたとはいえ、それはあくまで北海道、東北、九州といった程度の地域性です。都道府県、さらにはそれを細分化した地域ごとの個性が滲み出るのは、高校野球の地方大会ならではの楽しみだと私は思っています。各地特有の地名に始まり、校名の付け方、抽選方法、日程の組み方に至るまで、各大会にはその都道府県ならではの個性があり、さらには我が国の中等教育の変遷、強豪校の栄枯盛衰といった歴史までが反映されています。朝刊に載る試合結果を眺めつつ、その背後にある各地の風土、文化、歴史といったものに思いを致すことこそ、自分にとっての高校野球の真髄なのです。

主催者である新聞社が多用している「高校野球100年」なる表現に、個人的には違和感を覚えます。そもそも100年とは、前身である旧制中学時代の全国大会が初めて開催された年を基準にしており、全国大会などというものが開催される時点で、学生野球はとうの昔に普及していたからです。しかるに、全国大会の歴史をそのまま高校野球の歴史であるかのようにいうのは、あまりにも手前味噌というしかありません。
もっとも、この大会が存在したおかげで、高校野球がこれほどまでの国民的行事となったのは事実です。青少年のスポーツが学校の部活動を中心に普及している我が国は、国際的に見ても非常に特異な存在だと以前小耳にはさんだことがあります。諸外国ではそもそも部活動としての野球が存在しないか、存在してもごく一握りの精鋭だけのもので、頂点を本気で目指す強豪から寄せ集めの素人集団に至るまで、数千ものチームにより戦われる全国大会は存在しないというわけです。そうだとすれば、高校野球は我が国固有の文化といっても過言ではないでしょう。その文化を楽しむ機会が今年も訪れました。100年の節目を迎えた今大会、どのような名勝負・迷勝負が飛び出すかを楽しみにしています。
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