北海道から南下してきた全国大会展望も、出発から12日目にしてようやく中間点にたどり着きました。本日は東海の残り二県を取り上げます。
★岐阜
東海四県の中でも静岡と愛知に比べて何かと地味なのが岐阜と三重の両県であり、その傾向は高校野球においても例外ではありません。昭和11年の岐阜県勢初出場以来、今なお君臨し続ける県岐阜商も、伝統と格式にかけては静岡に一歩譲るところがあります。選手権に歴代4位の28回出場し、優勝1回を含む39勝27敗の勝率.591という戦績は、早実と全く同じであるにもかかわらず、地味な印象が拭えないのは、8強以上に進出した11回のうち、8回までが昭和30年代までに集中しているという事情と関係があるのでしょう。王、荒木にハンカチ王子と、老若男女問わずに知られたスターを輩出した早実に対し、古くは森、高木、当代では中日和田など、出身者が玄人受けする選手ばかりなのも、ある意味県岐阜商らしいとはいえないでしょうか。
岐阜においては県岐阜商の存在があまりに大きく、これに次ぐのは5回出場の中京、4回出場の市岐阜商といったところで、あとは3回出場が岐阜、大垣商、土岐商と3校あるに過ぎません。そんな中、このblogでは岐阜第一に注目します。同校のかつての校名、「岐阜短大付」に見覚えのある方は、一定以上の年代か、かなりの野球好きだけではないでしょうか。そうです、好投手湯口を擁し、選手権初出場で4強入りしたチームです。その湯口がわずか三年後に怪死を遂げ、あらぬ印象をまとってしまった同校ですが、その十年後に現校名で選手権に返り咲き、今度は8強進出を果たしました。わずか2回の出場ながら、.750の勝率は歴代岐阜県勢の中でも最高の記録として残っています。
★三重
岐阜にもまして地味なのが三重です。静岡、愛知四天王に岐阜商と、東海各県に最低一つは全国区の強豪がある中、歴史上そのような強豪を唯一持たなかったのが三重でした。
24勝30敗である程度健闘している選抜はともかく、24勝51敗で.320の選手権は、全47都道府県の中でも山形、富山、新潟、岩手に次ぐ低勝率で、勝ち数では岩手をも下回り、新潟、富山より1つ多いに過ぎません。寒冷地、雪国といった明らかな悪条件がなく、その気になれば東海、近畿両地域の強豪と切磋琢磨できる環境にありながら、三重がこれほど弱い理由は何なのでしょうか。自分の中では地方大会七不思議の一つです。
三重の特徴として、古くから私立が優勢だったという点が挙げられます。昭和40年代には海星と三重が台頭し、昭和50年代前半までは両校による二強時代が現出。昭和50年代後半から60年代前半にかけ、県立の明野が一時代を築いたのも束の間、平成に入ってからは再び海星、三重の二強時代が復活しました。しかし今世紀に入ると海星が失速し、連覇が一度もなく9校の代表が目まぐるしく入れ替わるという、全国的にも希に見る戦国時代となって現在に至ります。
このように、早くから私立が台頭しながらも、全国ではなかなか勝てなかったのが三重県の高校野球の歴史でした。その三重において空前絶後の戦績を残したのが、昭和30年の選手権で初出場初優勝を果たした四日市です。同校の甲子園出場は他に選手権と選抜が各1回のみ、つまりもう一回の選手権出場がなければ、湘南に続いて「選手権無敗」の珍記録を達成しているところでした。
四日市で特筆すべきは、明治32年創立の第二尋常中学校を発祥とする県内屈指の伝統校でもあることです。県内最古参はその18年前に創立された津中学校改め第一尋常中学校で、第三、第四は第二と同時に開設された現・上野、宇治山田の両校です。津といえば、全国屈指の影の薄い県庁所在地ですが、実は明治22年に最も早く市制を敷いた36都市の一つでもあります。なんだかんだで県内一の伝統を有するのは、似たような位置付けの前橋と同様であり、四日市が選抜を制する二年前、三重から戦後初めて選手権に出場したのも津でした。
ちなみに、東海地方における高校野球の歴史に先鞭をつけたのは三重だったという意外な事実があります。記念すべき大正4年の第一回大会に、東海地方から唯一出場したのが三重四中、つまり現在の宇治山田だったからです。その第一回大会で初戦敗退を喫したのが同校にとって唯一の全国大会であり、選手権3回、選抜1回の出場経験を持つ宇治山田商は、三重四中の十年後に創立された別物です。第一回が最初で最後の全国大会となったのは、当時の広島一中、現在の広島国泰寺と並ぶ二校のみの珍記録となっています。
もっとも、当時の球児にすれば、この大会がその後百年続くことになるとは予想もしなかったでしょう。全国大会なるものができ、そこで試合をして帰ってきたという程度の感覚だったのかもしれません。
最後は変わり種のチームをいくつか取り上げて終わりにしましょう。三重といえば、全国に4校しかない商船高専の一角である鳥羽商船と、全国に3校、出場校の中では2校しかない私立高専の近大高専です。高専といえば「参加することに意義がある」という存在なのが通常のところ、近大高専だけは違います。5年前は8強、3年前は4強に入り、年によっては優勝候補に挙げられたこともありました。高専初の甲子園出場が実現するとすれば、その偉業を成し遂げるのは同校以外にないでしょう。
もう一校注目するのはあけぼの学園です。上野の分校として創立された後、伊賀というごく普通の名称となって独立し、総合学科設置を設置した16年前に現在の校名になったという来歴があり、私立のような校名ながら県立校という意外性は、埼玉の伊奈学園に通ずるものがあります。
公立としては一風変わった校名もさることながら、このチームにはもう一つ特筆すべきことがあります。昨年と四年前にそれぞれ不戦敗を喫していることです。高校野球で不戦敗といえば、人数が足りなくなったか不祥事で辞退に追い込まれたかのどちらかが相場であり、同校の場合は前者にの理由よります。これはとりもなおさず同校の野球部が辛うじて存続しているということでもあり、記録が残る平成18年以降は公式戦で11戦全敗、しかも二度の不戦敗を除けば全てが10点差以上をつけられての大敗で、7年前には53対0などという試合もありました。弱小校もここまで来ると暁星国際どころではありません。史上最弱かどうかはともかく、少なくとも当代ではここが全国最弱のチームの一つといってよいのではないでしょうか。
しかし、負け続けるということは試合に出続けるということでもあります。廃部、統廃合、あるいは連合チーム結成により姿を消した無名校が、この数年に限ってもいくつあったでしょうか。どんなに打ちのめされても、毎年大会に戻ってくる気概は見上げたものです。今季ももちろん単独校で出場し、初戦の相手も決まりました。健闘を祈ります…
当初の構想をはるかに超えて拡大し、いつ終わるか見当もつかなくなった県別ネタですが、何だかんだで全都道府県の半分を超えたことになります。しかし、沖縄までたどり着くには、毎日続けてもあと二週間近くかかるわけです。今週末から来週末にかけ、全国の少なからぬ地域で地方大会が始まることを考えると、今季中の完結は事実上不可能となりました。
さらに西進して中途半端に終わるなら、半分終わったところで潔く切り上げ、残りは来年のネタとして温存しておくのが賢明でしょう。しかし、構想が膨らみすぎて挫折した過去二年から一転、今季は終始快調に進んできたため、この調子で行ける場所まで行っておきたいという考えもあります。とりあえず、明日は三日分の試合結果が集まるためそちらを扱い、さらに西進するかどうかは明後日のネタ次第ということになりそうです。
★岐阜
東海四県の中でも静岡と愛知に比べて何かと地味なのが岐阜と三重の両県であり、その傾向は高校野球においても例外ではありません。昭和11年の岐阜県勢初出場以来、今なお君臨し続ける県岐阜商も、伝統と格式にかけては静岡に一歩譲るところがあります。選手権に歴代4位の28回出場し、優勝1回を含む39勝27敗の勝率.591という戦績は、早実と全く同じであるにもかかわらず、地味な印象が拭えないのは、8強以上に進出した11回のうち、8回までが昭和30年代までに集中しているという事情と関係があるのでしょう。王、荒木にハンカチ王子と、老若男女問わずに知られたスターを輩出した早実に対し、古くは森、高木、当代では中日和田など、出身者が玄人受けする選手ばかりなのも、ある意味県岐阜商らしいとはいえないでしょうか。
岐阜においては県岐阜商の存在があまりに大きく、これに次ぐのは5回出場の中京、4回出場の市岐阜商といったところで、あとは3回出場が岐阜、大垣商、土岐商と3校あるに過ぎません。そんな中、このblogでは岐阜第一に注目します。同校のかつての校名、「岐阜短大付」に見覚えのある方は、一定以上の年代か、かなりの野球好きだけではないでしょうか。そうです、好投手湯口を擁し、選手権初出場で4強入りしたチームです。その湯口がわずか三年後に怪死を遂げ、あらぬ印象をまとってしまった同校ですが、その十年後に現校名で選手権に返り咲き、今度は8強進出を果たしました。わずか2回の出場ながら、.750の勝率は歴代岐阜県勢の中でも最高の記録として残っています。
★三重
岐阜にもまして地味なのが三重です。静岡、愛知四天王に岐阜商と、東海各県に最低一つは全国区の強豪がある中、歴史上そのような強豪を唯一持たなかったのが三重でした。
24勝30敗である程度健闘している選抜はともかく、24勝51敗で.320の選手権は、全47都道府県の中でも山形、富山、新潟、岩手に次ぐ低勝率で、勝ち数では岩手をも下回り、新潟、富山より1つ多いに過ぎません。寒冷地、雪国といった明らかな悪条件がなく、その気になれば東海、近畿両地域の強豪と切磋琢磨できる環境にありながら、三重がこれほど弱い理由は何なのでしょうか。自分の中では地方大会七不思議の一つです。
三重の特徴として、古くから私立が優勢だったという点が挙げられます。昭和40年代には海星と三重が台頭し、昭和50年代前半までは両校による二強時代が現出。昭和50年代後半から60年代前半にかけ、県立の明野が一時代を築いたのも束の間、平成に入ってからは再び海星、三重の二強時代が復活しました。しかし今世紀に入ると海星が失速し、連覇が一度もなく9校の代表が目まぐるしく入れ替わるという、全国的にも希に見る戦国時代となって現在に至ります。
このように、早くから私立が台頭しながらも、全国ではなかなか勝てなかったのが三重県の高校野球の歴史でした。その三重において空前絶後の戦績を残したのが、昭和30年の選手権で初出場初優勝を果たした四日市です。同校の甲子園出場は他に選手権と選抜が各1回のみ、つまりもう一回の選手権出場がなければ、湘南に続いて「選手権無敗」の珍記録を達成しているところでした。
四日市で特筆すべきは、明治32年創立の第二尋常中学校を発祥とする県内屈指の伝統校でもあることです。県内最古参はその18年前に創立された津中学校改め第一尋常中学校で、第三、第四は第二と同時に開設された現・上野、宇治山田の両校です。津といえば、全国屈指の影の薄い県庁所在地ですが、実は明治22年に最も早く市制を敷いた36都市の一つでもあります。なんだかんだで県内一の伝統を有するのは、似たような位置付けの前橋と同様であり、四日市が選抜を制する二年前、三重から戦後初めて選手権に出場したのも津でした。
ちなみに、東海地方における高校野球の歴史に先鞭をつけたのは三重だったという意外な事実があります。記念すべき大正4年の第一回大会に、東海地方から唯一出場したのが三重四中、つまり現在の宇治山田だったからです。その第一回大会で初戦敗退を喫したのが同校にとって唯一の全国大会であり、選手権3回、選抜1回の出場経験を持つ宇治山田商は、三重四中の十年後に創立された別物です。第一回が最初で最後の全国大会となったのは、当時の広島一中、現在の広島国泰寺と並ぶ二校のみの珍記録となっています。
もっとも、当時の球児にすれば、この大会がその後百年続くことになるとは予想もしなかったでしょう。全国大会なるものができ、そこで試合をして帰ってきたという程度の感覚だったのかもしれません。
最後は変わり種のチームをいくつか取り上げて終わりにしましょう。三重といえば、全国に4校しかない商船高専の一角である鳥羽商船と、全国に3校、出場校の中では2校しかない私立高専の近大高専です。高専といえば「参加することに意義がある」という存在なのが通常のところ、近大高専だけは違います。5年前は8強、3年前は4強に入り、年によっては優勝候補に挙げられたこともありました。高専初の甲子園出場が実現するとすれば、その偉業を成し遂げるのは同校以外にないでしょう。
もう一校注目するのはあけぼの学園です。上野の分校として創立された後、伊賀というごく普通の名称となって独立し、総合学科設置を設置した16年前に現在の校名になったという来歴があり、私立のような校名ながら県立校という意外性は、埼玉の伊奈学園に通ずるものがあります。
公立としては一風変わった校名もさることながら、このチームにはもう一つ特筆すべきことがあります。昨年と四年前にそれぞれ不戦敗を喫していることです。高校野球で不戦敗といえば、人数が足りなくなったか不祥事で辞退に追い込まれたかのどちらかが相場であり、同校の場合は前者にの理由よります。これはとりもなおさず同校の野球部が辛うじて存続しているということでもあり、記録が残る平成18年以降は公式戦で11戦全敗、しかも二度の不戦敗を除けば全てが10点差以上をつけられての大敗で、7年前には53対0などという試合もありました。弱小校もここまで来ると暁星国際どころではありません。史上最弱かどうかはともかく、少なくとも当代ではここが全国最弱のチームの一つといってよいのではないでしょうか。
しかし、負け続けるということは試合に出続けるということでもあります。廃部、統廃合、あるいは連合チーム結成により姿を消した無名校が、この数年に限ってもいくつあったでしょうか。どんなに打ちのめされても、毎年大会に戻ってくる気概は見上げたものです。今季ももちろん単独校で出場し、初戦の相手も決まりました。健闘を祈ります…
当初の構想をはるかに超えて拡大し、いつ終わるか見当もつかなくなった県別ネタですが、何だかんだで全都道府県の半分を超えたことになります。しかし、沖縄までたどり着くには、毎日続けてもあと二週間近くかかるわけです。今週末から来週末にかけ、全国の少なからぬ地域で地方大会が始まることを考えると、今季中の完結は事実上不可能となりました。
さらに西進して中途半端に終わるなら、半分終わったところで潔く切り上げ、残りは来年のネタとして温存しておくのが賢明でしょう。しかし、構想が膨らみすぎて挫折した過去二年から一転、今季は終始快調に進んできたため、この調子で行ける場所まで行っておきたいという考えもあります。とりあえず、明日は三日分の試合結果が集まるためそちらを扱い、さらに西進するかどうかは明後日のネタ次第ということになりそうです。