日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

この季節の楽しみ 2014(15)

2014-06-30 23:14:24 | 野球
北海道から南下してきた全国大会展望も、出発から12日目にしてようやく中間点にたどり着きました。本日は東海の残り二県を取り上げます。

岐阜
東海四県の中でも静岡と愛知に比べて何かと地味なのが岐阜と三重の両県であり、その傾向は高校野球においても例外ではありません。昭和11年の岐阜県勢初出場以来、今なお君臨し続ける県岐阜商も、伝統と格式にかけては静岡に一歩譲るところがあります。選手権に歴代4位の28回出場し、優勝1回を含む39勝27敗の勝率.591という戦績は、早実と全く同じであるにもかかわらず、地味な印象が拭えないのは、8強以上に進出した11回のうち、8回までが昭和30年代までに集中しているという事情と関係があるのでしょう。王、荒木にハンカチ王子と、老若男女問わずに知られたスターを輩出した早実に対し、古くは森、高木、当代では中日和田など、出身者が玄人受けする選手ばかりなのも、ある意味県岐阜商らしいとはいえないでしょうか。

岐阜においては県岐阜商の存在があまりに大きく、これに次ぐのは5回出場の中京、4回出場の市岐阜商といったところで、あとは3回出場が岐阜、大垣商、土岐商と3校あるに過ぎません。そんな中、このblogでは岐阜第一に注目します。同校のかつての校名、「岐阜短大付」に見覚えのある方は、一定以上の年代か、かなりの野球好きだけではないでしょうか。そうです、好投手湯口を擁し、選手権初出場で4強入りしたチームです。その湯口がわずか三年後に怪死を遂げ、あらぬ印象をまとってしまった同校ですが、その十年後に現校名で選手権に返り咲き、今度は8強進出を果たしました。わずか2回の出場ながら、.750の勝率は歴代岐阜県勢の中でも最高の記録として残っています。

三重
岐阜にもまして地味なのが三重です。静岡、愛知四天王に岐阜商と、東海各県に最低一つは全国区の強豪がある中、歴史上そのような強豪を唯一持たなかったのが三重でした。
24勝30敗である程度健闘している選抜はともかく、24勝51敗で.320の選手権は、全47都道府県の中でも山形、富山、新潟、岩手に次ぐ低勝率で、勝ち数では岩手をも下回り、新潟、富山より1つ多いに過ぎません。寒冷地、雪国といった明らかな悪条件がなく、その気になれば東海、近畿両地域の強豪と切磋琢磨できる環境にありながら、三重がこれほど弱い理由は何なのでしょうか。自分の中では地方大会七不思議の一つです。

三重の特徴として、古くから私立が優勢だったという点が挙げられます。昭和40年代には海星と三重が台頭し、昭和50年代前半までは両校による二強時代が現出。昭和50年代後半から60年代前半にかけ、県立の明野が一時代を築いたのも束の間、平成に入ってからは再び海星、三重の二強時代が復活しました。しかし今世紀に入ると海星が失速し、連覇が一度もなく9校の代表が目まぐるしく入れ替わるという、全国的にも希に見る戦国時代となって現在に至ります。
このように、早くから私立が台頭しながらも、全国ではなかなか勝てなかったのが三重県の高校野球の歴史でした。その三重において空前絶後の戦績を残したのが、昭和30年の選手権で初出場初優勝を果たした四日市です。同校の甲子園出場は他に選手権と選抜が各1回のみ、つまりもう一回の選手権出場がなければ、湘南に続いて「選手権無敗」の珍記録を達成しているところでした。
四日市で特筆すべきは、明治32年創立の第二尋常中学校を発祥とする県内屈指の伝統校でもあることです。県内最古参はその18年前に創立された津中学校改め第一尋常中学校で、第三、第四は第二と同時に開設された現・上野、宇治山田の両校です。津といえば、全国屈指の影の薄い県庁所在地ですが、実は明治22年に最も早く市制を敷いた36都市の一つでもあります。なんだかんだで県内一の伝統を有するのは、似たような位置付けの前橋と同様であり、四日市が選抜を制する二年前、三重から戦後初めて選手権に出場したのも津でした。

ちなみに、東海地方における高校野球の歴史に先鞭をつけたのは三重だったという意外な事実があります。記念すべき大正4年の第一回大会に、東海地方から唯一出場したのが三重四中、つまり現在の宇治山田だったからです。その第一回大会で初戦敗退を喫したのが同校にとって唯一の全国大会であり、選手権3回、選抜1回の出場経験を持つ宇治山田商は、三重四中の十年後に創立された別物です。第一回が最初で最後の全国大会となったのは、当時の広島一中、現在の広島国泰寺と並ぶ二校のみの珍記録となっています。
もっとも、当時の球児にすれば、この大会がその後百年続くことになるとは予想もしなかったでしょう。全国大会なるものができ、そこで試合をして帰ってきたという程度の感覚だったのかもしれません。

最後は変わり種のチームをいくつか取り上げて終わりにしましょう。三重といえば、全国に4校しかない商船高専の一角である鳥羽商船と、全国に3校、出場校の中では2校しかない私立高専の近大高専です。高専といえば「参加することに意義がある」という存在なのが通常のところ、近大高専だけは違います。5年前は8強、3年前は4強に入り、年によっては優勝候補に挙げられたこともありました。高専初の甲子園出場が実現するとすれば、その偉業を成し遂げるのは同校以外にないでしょう。
もう一校注目するのはあけぼの学園です。上野の分校として創立された後、伊賀というごく普通の名称となって独立し、総合学科設置を設置した16年前に現在の校名になったという来歴があり、私立のような校名ながら県立校という意外性は、埼玉の伊奈学園に通ずるものがあります。
公立としては一風変わった校名もさることながら、このチームにはもう一つ特筆すべきことがあります。昨年と四年前にそれぞれ不戦敗を喫していることです。高校野球で不戦敗といえば、人数が足りなくなったか不祥事で辞退に追い込まれたかのどちらかが相場であり、同校の場合は前者にの理由よります。これはとりもなおさず同校の野球部が辛うじて存続しているということでもあり、記録が残る平成18年以降は公式戦で11戦全敗、しかも二度の不戦敗を除けば全てが10点差以上をつけられての大敗で、7年前には53対0などという試合もありました。弱小校もここまで来ると暁星国際どころではありません。史上最弱かどうかはともかく、少なくとも当代ではここが全国最弱のチームの一つといってよいのではないでしょうか。
しかし、負け続けるということは試合に出続けるということでもあります。廃部、統廃合、あるいは連合チーム結成により姿を消した無名校が、この数年に限ってもいくつあったでしょうか。どんなに打ちのめされても、毎年大会に戻ってくる気概は見上げたものです。今季ももちろん単独校で出場し、初戦の相手も決まりました。健闘を祈ります…

当初の構想をはるかに超えて拡大し、いつ終わるか見当もつかなくなった県別ネタですが、何だかんだで全都道府県の半分を超えたことになります。しかし、沖縄までたどり着くには、毎日続けてもあと二週間近くかかるわけです。今週末から来週末にかけ、全国の少なからぬ地域で地方大会が始まることを考えると、今季中の完結は事実上不可能となりました。
さらに西進して中途半端に終わるなら、半分終わったところで潔く切り上げ、残りは来年のネタとして温存しておくのが賢明でしょう。しかし、構想が膨らみすぎて挫折した過去二年から一転、今季は終始快調に進んできたため、この調子で行ける場所まで行っておきたいという考えもあります。とりあえず、明日は三日分の試合結果が集まるためそちらを扱い、さらに西進するかどうかは明後日のネタ次第ということになりそうです。
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この季節の楽しみ 2014(14)

2014-06-29 21:56:13 | 野球
小休止を一日はさんで全国大会展望を再開します。本日は東海地方に転戦し、静岡、愛知の二県を取り上げます。

静岡
静岡といえば、距離ほどの広さを感じない県の代表格です。全47都道府県中13位という面積は、北海道と東北を除けば第7位。最東端の熱海から最西端の湖西までは、東海道本線をたどって約180kmあり、岩手を一ノ関から二戸まで縦断するより長いのです。それにもかかわらず、数字ほどに遠く感じないのは、南北方向の広がりがほとんどなく、東西方向は新幹線と高速道路で結ばれていて、移動の労力が小さいからだと、このblogでは繰り返し主張してきました。これに対し、数字以上に広く感じる県の代表格は和歌山、高知、宮崎といったところでしょうか。

世間的な関心はともかく、趣味的見地から一も二もなく取り上げるのは静岡です。甲子園に舞台を移した大正13年に、静岡県勢として初出場し、二年後には同県にとり空前絶後となる全国制覇を達成。以後昭和、平成を通じて県内最多となる22回の出場記録を積み上げた名門中の名門であり、明治11年の創立以来、136年の歴史を有する文武両道の伝統校でもあります。
回数もさることながら、静岡で特筆すべきは、高校野球の草創期から現代に至るまで、途切れることなく出場を果たしていることです。すなわち、平成一桁の出場が一度もなかったのを除き、大正十年代から平成二十年代まで全ての年代で最低一度は出場を果たしており、西暦で数えれば1920年代から2010年代までの全てを網羅しています。広島商に松山商など草創期からの盟主が近年勢いを失う中、一世紀にわたり県下の最高峰に君臨してきた歴史は、我が国の高校野球史上における金字塔といっても過言ではありません。

その静岡をも上回る歴史を有するのが、明治6年創立の韮山です。伝統だけでなく、高校野球界における輝かしい戦績を有しているのも静岡と同じで、昭和25年の選抜では初出場初優勝を果たしました。同校にとってはそれが最後の選抜でもあり、飯田長姫、大宮工、徳島海南、日大桜丘、岩倉、伊野商、観音寺中央の7校とともに、選抜無敗の記録を持つ8校の一つとなっています。
初出場初優勝が最後の出場という例が選抜においては非常に多く、17校中上記の8校が同様の運命をたどりました。その中で選手権出場経験がなく、結果として「甲子園無敗」となったのは徳島海南、現在の海部一校のみですが、残る7校は選手権出場も1回のみという点で共通しています。2回もなければ3回もなく、揃いも揃って1回限りというのが何とも奇妙であり、ましてやその1回さえなければ「甲子園無敗」だったかと思うと、運命のいたずらとしか思えません。
ただし、その7校も大別すると二つに分かれます。一つは、同じ年の春と夏に連続出場し前者を制した例で、大宮工、日大桜丘と観音寺中央がこれに該当します。これは言い換えると甲子園に出場したのが一年限りだったということでもあり、ある意味「一発屋」ともいえます。これに対し、残る4校は違う年に出場しており、その中で最も大きく間隔が開いたのは、45年後の選手権に出場した韮山でした。しかも、他の三校がいずれも初戦敗退に終わる中、韮山は選手権でも2勝を挙げています。一年限りで終わった3校も、選手権では大宮工と観音寺中央が各1勝を挙げたのみであり、2勝したのは7校中韮山だけなのです。選抜無敗の記録を持つチームの中でも、選抜制覇がまぐれでなかったことを示したという点では、韮山が随一の存在ということになります。

静岡では変わり種の職業校を取り上げて締めくくります。静岡はもとより全国的にも白眉といえるのが、焼津水産、天竜林業の二校です。大漁港焼津と、林業で栄えた天竜川流域という、静岡の風土と文化をそのまま表す校名が秀逸。沼津高専も、二の線を狙いがちな高専ならではの立地です。

愛知
「偉大なる田舎」こと名古屋を擁する愛知ですが、高校野球の歴史に関する限りはきわめて都会的です。というのも、私立の強豪が戦前から君臨してきた地域といえば、他には東京と京阪神しかないからです。
昭和一桁に中京商と亨栄商、続く昭和10年代に東邦商が台頭し、これら三強の天下が長く続いた後、昭和末期から平成初頭にかけて愛工大名電が亨栄に取って代わり、新御三家を形勢して現在に至るというのが、愛知における高校野球の歴史の流れです。古くは浪商、次いでPL学園、近年は大阪桐蔭と、その時々で盟主が移り変わってきた大阪などとも違う独自の歴史が、愛知では作られてきたことになります。

私立勢が台頭する前の大正期、草創期の高校野球界に君臨したのが、愛知一中こと現在の旭丘でした。初出場した第三回大会で、敗者復活戦から勝ち上がっての優勝という、史上唯一の記録を打ち立てたのが同校で、8回の全国大会出場は今なお新御三家に次ぎ、昭和初期の古豪愛知商、元祖御三家の亨栄と並ぶ同点四位です。一中という名の通り県内最古の旧制中学であり、それどころか明治3年創立の藩校を起源とする、東海地方屈指の伝統校でもあります。
ちなみに、第2回大会に愛知県勢初出場を果たした愛知四中は、時習館と名を変えて現在に至ります。第二が岡崎なのはともかくとして、第三が津島というのは現代の感覚からするとやや意外です。錚々たる伝統校が名を連ねるのは愛知の特徴で、藩校由来の名門に限っても、明和に成章とさらに二校があります。前者は明倫中時代の第7回大会に全国大会へ出場した経験を持ち、後者は選抜に2度出場するなど、球史に名を残しているのも旭丘と同様です。

名古屋は曲がりなりにも都会だと思うことの一つに、いかにも都会らしい職業校の存在が挙げられます。名古屋市工芸がそれです。美術系の学科を設けた高校は数あれど、専科ということになると自ずと都市部に限られ、しかも芸術と野球は必ずしも結びつきません。高校野球に登場するのは他に高岡工芸、大阪工芸、高松工芸だけではないでしょうか。しかし、それ以上に貴重なのがその名も瀬戸窯業です。窯業高校なる存在の奇抜さもさることながら、それが瀬戸という最もふさわしい名を冠しているところは見事というほかありません。
名選手を生んだ無名校が複数あるのも都市部ならではで、以前紹介した山内の起工を筆頭に、杉浦を生んだ挙母新改め豊田西、岩瀬の母校西尾東などがあります。昨年はその起工と西尾東の直接対決が実現し注目を浴びた、のかどうかは不明ながら、このblogにとっては恰好の話題となりました。挙母は一度だけ選抜に出場しているという点で、野村の峰山、江夏の大阪学院大、古田の川西明峰と共通しており、無名校というにはやや語弊はあるものの、プロを輩出している名門とは明らかに異質の存在です。

愛知の最後は美しい響きの校名で締めくくります。注目するのは黄柳野と杜若です。「黄柳野」と書いて「つげの」と読ませたり、愛知の県花カキツバタを校名にする感性が只者ではありません。どちらも歴史の浅い私立校で、上位進出を狙うチームではないものの、ゆかしい校名が毎年一度か二度現れては消えていく儚さは、道東の無名校にどこか通ずるものがあります。

明日東海地方の残り二県をめぐれば、北海道から数えて24都道県と全体の半分になり、暦の上でも六月が終わって一区切りです。そこで切り上げ西日本を来年に回すか、さらに西進するかは展開次第で考えます。おやすみなさいzzz
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この季節の楽しみ 2014(13)

2014-06-28 22:29:23 | 野球
甲信越と北陸を三日でさらい、全国大会展望は一休みです。本日は四日目から昨日までの試合結果を振り返ります。

・第四日(6/24)
北北海道の釧根地区と南北海道の室蘭地区が開幕。先行していた函館地区と合わせ、8試合の開催でした。釧根地区では標津、標茶と北海道らしい地名がいきなり登場。室蘭地区では3回の選抜出場経験を持つ鵡川が初戦を危なげなく突破しました。先日知内を紹介したとき、北海道の郡部から甲子園に出たのは選抜3校、選手権が2校だと申しましたが、3回も出場しているのは鵡川だけで、あとは全て一回限りです。その鵡川も、道内最激戦区の室蘭地区では苦戦が続き、夏の本大会からは五年間遠ざかっています。しかし今季は出場校が23校に減り、あと二勝すれば地区代表です。健闘を祈ります…といいたいところなのですが、次戦が三日後のため、結果は既に出ています。後述の通り格下にも思える室蘭東翔に惜敗し、鵡川の短い夏は終わりましたorz

・第五日(6/25)
釧根地区と室蘭地区で各3試合、函館地区で2試合の計8試合でした。中でも注目は釧根地区です。
不世出の横綱大鵬を生んだ弟子屈と、本土最東端の根室が登場する中、白眉といえるのが阿霧釧東白でした。阿寒・霧多布・釧路東・白糠の四校連合だと気付いた人は、かなりの北海道通でしょう。阿寒に霧多布という、道内でも屈指の印象深い校名が単独で見られなくなったのは残念ながら、最東端の霧多布から最西端の白糠まで、100kmにまたがる広域連合はいかにも北海道らしいものがあります。
去る五月、霧多布から釧路まで走ったときは、北海道の快走路でもかなりの距離に感じたものです。道東の球児たちはあれだけの移動をこなしながら練習を重ねてきたのでしょうか。延長戦の末初戦を突破した健闘ぶりに敬意を表したいところではありますが、数日分をまとめた弊害が再び露呈し、二日後の次戦で散ったことが既に判明しています。初戦から二戦目までわずか二、三日という過密日程も北海道ならではです。
このほか、函館地区では離島勢の奥尻が登場。同地区唯一の1回戦から勝ち上がってきた伝統校の函館西を下しています。

・第六日(6/26)
函館地区で試合がなく、釧根と室蘭で各3試合のみの開催。話題らしい話題といえば、昨年46年ぶりの本大会進出を果たした標津が、初戦突破の二日後に散ったという程度でしょうか。試合のあった釧路は標津から直線距離でも100km, 北海道の快走路でも片道二時間はかかる距離です。二年連続の本大会進出を逃したとはいえ、長距離移動を中一日で二度乗り切った標津の球児たちには敬意を表したいと思います。

・第七日(6/27)
釧根で2試合、室蘭と函館で各3試合の開催でした。羅臼が初戦で姿を消し、前出の釧根地区四校連合と郡部の星鵡川、それに二日目に登場した伝統校の函館商も二戦目で敗退。盛りの短いエゾヤマザクラのごとく、北海道では早くも花が散りかけてきました。その一方で知内は二戦目にも勝ち、地区代表まであと1勝に迫っています。

最後に前言を撤回しなければなりません。昨日抽選が行われた新潟大会で、「練習試合」と酷評した組み合わせが激変したのです。各組につき2校ずつのシード校を中心に、全88チームを8組に分けるというもので、「村松×新井」など、上越と下越のチームが初戦でぶつかるところは、同じ地区のチーム同士を組み合わせていた過去二年とは全く違います。あえて違う地区のチームを組み合わせる長野大会ほどの見応えはないものの、新潟もようやく他県並みとなってきました。前回の改革は一年で頓挫しましたが、今回は果たして受け入れられるでしょうか。

★北北海道大会
・釧根地区1回戦(6/24)
 標津7-0厚岸翔洋
 標茶0-2釧路明輝
・釧根地区1回戦(6/25)
 阿霧釧東白5-4釧路高専(延長12回)
 釧路商7-3弟子屈(延長11回)
 根室2-7釧路江南
・釧根地区1回戦(6/26)
 標津1-8x武修館
・釧根地区2回戦(6/27)
 釧路北陽15-0阿霧釧東白
 釧路商6-2羅臼
★南北海道大会
・室蘭地区1回戦(6/24)
 室蘭工2-11鵡川
・函館地区2回戦(6/25)
 函館西6-7奥尻
・室蘭地区2回戦(6/27)
 鵡川0-2室蘭東翔
・函館地区3回戦(6/27)
 函館商3-4x函館高専
 知内5-2函館大谷
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この季節の楽しみ 2014(12)

2014-06-27 23:14:48 | 野球
高校野球の全国大会展望もこれで十日目、本日は北陸の残り二県を取り上げます。

石川
奇跡的に残った公立校の聖地富山とは対照的に、かなり早い段階から私立勢に席巻されたのが石川の高校野球界です。
今でこそ私立校が幅をきかせる東北でも、それらの多くが台頭してきたのは昭和50年代後半から60年代にかけてです。茨城の常総学院、埼玉の浦和学院などが頭角を現わしたのも、昭和60年代に入ってからでした。私立勢が古くから優勢だった地方といえば、三大都市圏と南北海道、宮城、栃木、長野に広島などごく一部に限られており、大半の地方では昭和60年前後まで公立校の天下だったわけです。しかしながら石川では、公立校中心の勢力図が昭和50年代の初頭から一変しました。昭和37年、昭和47年に初出場していた金沢と星稜が黄金期に突入し、昭和51年の第58回から、今世紀最初の第83回まで、26大会中21大会で両校が代表の座を占めたのです。
宮城と奈良に続き「二大政党制」が確立したかに見えた石川大会でしたが、その翌年、文字通り彗星のごとく出現したのがご存知遊学館です。快進撃はその後も続き、同年を含む12大会中5大会で代表権を獲得。今世紀の13大会で数えれば、金沢と遊学館が5回で並び、星稜の2回に大差をつけました。史上最高の名勝負と語り継がれる箕島戦、松井の五打席連続敬遠など、甲子園に幾多の伝説を作った星稜の時代は去ったかのようにも見えます。
しかし、長い歴史を振り返れば、五年十年、あるいはそれ以上の低迷を経て復活した名門も少なくありません。新たな二大政党制が確立するのか、三国時代に突入するのか、あるいは新勢力が台頭するのかについては、少なくともあと十年経たなければ判断のしようがないでしょう。とはいえ、石川の高校野球界が三十年に一度の転換点にあることだけは間違いがなさそうです。
ちなみにその遊学館、初出場した当時は創部二年目の快挙として話題になったものでした。しかし、正真正銘の新設校だった常総学院、大阪桐蔭などとは違い、同校が長い歴史を持つことは知る人ぞ知る事実です。明治37年創立の女子校を、共学化の上改称したという来歴は、昨年の青森代表である聖愛に通ずるものがあります。

ところで、古くから私立王国となった石川ですが、それ以前の公立全盛期に双璧だったのが金沢泉丘と金沢桜丘です。各4回の出場は、今なお上記の私立御三家に続く石川県勢4位の記録として残っています。
特筆すべきは、両校が県内屈指の伝統校でもあるということです。金沢泉丘は明治26年創立の石川県尋常中学、後の金沢一中、金沢桜丘は大正10年創立の金沢三中を発祥とします。地方における公立の伝統校の格式は、都会人の感覚からは信じがたいほど高いものです。私は金沢を訪ねたとき、学習塾の校舎に泉丘、桜丘両校の合格者数が大きな幟で掲げられているのを見て、両校の由緒正しさを改めて実感したことがあります。

石川で最後に取り上げるのはおなじみの高専ネタです。同大会には石川高専、金沢高専の二校が出場します。前者は国立で、金沢の東隣の津幡という意表を突く立地が高専らしく秀逸。後者は全国に3校しかない私立高専の一つです。神奈川のサレジオ高専には野球部がないため、地方大会に登場するのは三重の近大高専を合わせた2校のみということになります。

福井
福井といえば、鳥取と並び、例年出場校が32未満となる数少ない大会の一つです。シードされれば即16強、最低4勝すれば甲子園という環境は、4勝してもまだ16強という都市部のチームには天国のように映るのでしょう。しかし、ぬるま湯に浸かっているからといって、福井県勢が必ずしも弱いわけではなく、北陸三県の中では出場回数、勝率ともに最高です。
出場回数に差がつくのは、もちろん一県一代表でない時代があったからであり、その時代に君臨したのが敦賀でした。17回の出場は、22回の福井商に次ぐ2位であり、2校ある次点の7回に大差をつけています。特に戦前は独壇場といった感があり、敦賀商時代の大正14年に福井県勢として甲子園初出場を果たして以来、九年間で八回出場を果たすなど、福井県勢11回の出場のうち10回を占めました。戦後最初の代表となったのも当然ここであり、旧制中学、高等女学校と統合されて現校名となった後も、計6回の出場を果たしています。昭和30年代以降は全盛期の勢いを失うものの、昭和54年、55年と連続出場を果たし、15年前にも代表を獲得しているのが、今やすっかり普通の県立高となった桐生などとは違うところです。

富山ほどではないにしても、公立校が今なお優勢なのが福井大会であり、福井の真打ちといえば福井商です。22回の出場は、福井工大福井、敦賀気比ら私立勢に大差をつけており、今世紀も四連覇を含め13大会中9大会を制しました。つまり、茨城における常総学院のような、頭一つ抜けた存在ということになります。
出場回数が同等以上の公立商業高校といえば、28回の県岐阜商、26回の松山商、23回の徳島商、同じ22回の広島商に高知商の5校があります。しかもただ出場回数が多いだけではなく、県岐阜商、松山商と広島商は全国制覇の経験を持ち、残る2校も選抜の優勝経験を有る名門中の名門です。しかし、これらの錚々たる古豪に比べ、福井商には特異な点が二つあります。
一つは戦績です。南北海道で北海を取り上げたとき、選手権に20回以上出場したチームの中で、同校が勝率最下位であることを紹介しましたが、負け越しているのもその北海と福井商、徳島商の2校のみなのです。選手権では最高が4強1回のみで8強もなし、選抜でも準優勝、4強、8強が1回ずつという戦績は、上記の5校に比べると明らかに見劣りします。
もう一つ顕著に異なるのは歴史です。上記5校は、どれも県内における高校野球の草創期から、盟主として君臨してきたという歴史を有します。それに対し、草創期における福井の高校野球界に君臨したのは前出の敦賀です。戦前における福井商の全国大会出場は、昭和11年の1回のみであり、二回目は37年も後でした。そこから40年の間に、二度の四連覇を含む21回の出場を積み上げたわけです。金沢に星稜など、その時代から台頭してきた私立校はいくつかあっても、公立校がこの時代に頭角を現わし、その後数十年単位で君臨したという例は他にありません。遅咲きの公立校として全国随一の存在といえるのが福井商なのです。

歴代の出場校を語るときに欠かせないのが、福井工大福井とともに7回出場している若狭です。敦賀が低迷期に入った昭和30年代から40年代にかけて、武生、三国とともに三国時代を形勢したのがここでした。実は藩校から続く伝統校でもあり、県内では藤島も同様の歴史を有します。

北陸地方を縦断したところで、四日分の試合結果が集まりました。東海地方へ転戦する前に、明日はこれらの試合結果を振り返る予定です。
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この季節の楽しみ 2014(11)

2014-06-26 22:52:22 | 野球
昨日は長野止まりとなった高校野球の全国大会展望、本日は来春開業の北陸新幹線をなぞりつつ、新潟、富山をめぐります。

新潟
全43県の中で三番目に広いのが長野なら、四番目はお隣の新潟です。しかし、組み合わせの妙と個性的な校名で楽しめる長野大会とは対照的に、お寒いばかりなのが新潟大会です。
まず戦績がひどすぎます。選手権の勝率が最低なのは山形で、次が富山だと先日申しましたが、その次にくるのは新潟です。23勝53敗で.303の戦績は、富山とは負け数で一つ、勝率で4厘差に過ぎません。しかも選抜に至っては、12回の出場で3勝しかしておらず、出場数、勝数、勝率のどれをとっても最下位。春夏を通算すれば、全国一の弱小県が新潟なのです。
このような体たらくの原因として、過去にも繰り返し指摘してきたのが、新潟大会特有の抽選方法です。県内を四つの地区に分け、初戦から異なる地区のチーム同士を組み合わせる長野に対し、新潟では県内を大きく上越、中越、新潟、下越に分けるまでは同じながら、序盤からから終盤まで同じ地区のチーム同士で大会を進めます。その結果、準々決勝以上に進んでも、同じ町、あるいは隣町のチームが仲良く顔を合わせ、見ていて白けることが少なくありませんでした。雪国という悪条件もさることながら、「ご近所同士の練習試合」でぬるま湯に浸かっている現状こそ、新潟県勢が甲子園で勝てない原因だと繰り返し主張してきたわけです。
その新潟大会に劇的な変化が生じたのは三年前のことでした。初戦の組み合わせが、長野のごとく異なる地区のチーム同士に変わったのです。しかし、新潟もようやく目覚めたかと思ったのも束の間、翌年には再び失望させられる結果になりました。移動の負担を嫌う「抵抗勢力」が暗躍したか、再び同じ町、あるいは隣町同士の練習試合に戻ってしまい、改革は一年にして潰えたのです。彼等に自浄作用を期待するのは難しいのかもしれませんorz

上記のような組み合わせがまかり通る現状において、新潟大会は日本文理と新潟明訓のどちらが勝つかという一点に集約され、東北の高校野球と同様興ざめ以外の何物でもありません。よって関心は自ずと伝統校に絞られます。かような観点から注目するのは、何といっても長岡です。藩校の流れを汲む伝統もさることながら、会場が甲子園に移る以前の第5回大会から三年連続出場を果たすなど、草創期の新潟の高校野球界に君臨し、戦前戦後合わせて6回全国大会に出場した戦績は見事です。全国大会とは無縁ながら、上越には同じく藩校の流れを汲む高田もあります。
藩校と並ぶ新潟大会の見所といえるのが離島勢です。相川、佐渡、佐渡総合に羽茂と、同じ島に四つもチームがあるところは、沖縄本島に次ぐ面積をもつ佐渡島ならではというべきでしょう。中でも佐渡は三年前の選抜に出場し、甲子園出場経験を持つ数少ない離島のチームの一つとなりました。

富山
新潟もさることながら、富山の弱さもかなりのものです。8強6回が最高で、4強以上が一度もないという戦績は、全47都道府県で唯一無二。今季の山形県勢の結果次第では、勝率、勝数とも最下位に転落する可能性さえあります。
山形、新潟の両県と違い、北陸の雪などたかが知れているわけで、冬場の天候を言い訳にすることはできないでしょう。しいて苦戦の理由を挙げるとすれば、歴史上私立の強豪校が一度も出現していないという点でしょうか。過去54回の選手権を振り返っても、私立が代表となったのは昨年の富山第一以下、不二越工、高岡第一が各一回しかなく、「公立依存度」の高さは山口をも押さえて全国一です。石川における星稜のような盟主をもたず、実力の近接する、悪くいえば五十歩百歩の県立勢が代表の座を分け合ってきた結果、県大会は突破できても全国レベルの強豪に通じないということは考えられます。
もっとも、私立校が台頭してきた結果、全体の底上げがなされる一方、終盤の展開が読めてしまい白けるという弊害が、東北地方を中心に起きているのも事実です。趣味的な観点からすれば、公立校最後の聖地というべき富山には、これからも変わらずにいてもらいたいという気がしないでもありません。

このように、富山の高校野球の歴史は公立校によって作られてきました。中でも出場回数で突出しているのは16回の高岡商、15回の富山商の両校であり、5回出場の新湊、4回出場の桜井を除けば、複数回の出場経験を有するのは各2回の魚津と滑川だけです。ところが、わずか2回の出場ながら、そのうちの1回で双璧をも超える伝説を残したのが魚津でした。そうです、今から56年前、徳島商を相手に選手権史上初の引き分け再試合を演じたのがここでした。近年は1勝か2勝できれば上出来という戦績ではありますが、紙面の片隅に魚津の名を見つけて、伝説の名勝負に思いをいたすのは、茨城における取手二に通ずる楽しみです。

富山でもう一校注目するのが富山高専射水です。先日紹介した仙台高専広瀬が電波高専の後身なら、こちらは全国に5校しかない商船高専の一つであった富山商船を出自とします。今なお残る4校と違い、唯一日本海側に位置するのがここで、北前船で栄えた富山らしい職業校です。対をなす富山高専本郷はかつての富山工業高専であり、二番手三番手の都市に点在する高専にしては珍しく、県庁所在地に位置しています。

明日を使えば北陸の残り二県が終わるでしょうか。そうすると四日分の試合結果が集まるため、明後日は試合結果を振り返るという流れが予想されます。列島を縦断できるかどうかは微妙ながら、どうにか東海・北陸まで到達する目処は立ってきました。
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この季節の楽しみ 2014(10)

2014-06-25 23:26:27 | 野球
昨日は土曜と休日のみ開催の沖縄大会で試合がなく、代わって北北海道大会が開幕しました。しかし、依然として一日あたりの試合数が少なく、blogの題材も不足気味です。試合結果は二、三日経ってから振り返ることにして、中断していた全国大会展望を再開します。

山梨
全47都道府県の中でも、山梨ほど中途半端な位置付けの県が他にあるでしょうか。「首都圏」と称して関東と同列に扱われることもあれば、中部に組み入れられたり甲信越に組み入れられたりもします。そうかと思えば、電話番号の上3桁は静岡と同じです。このような中途半端さは、高校野球においても例外ではありません。全都道府県に出場枠が与えられた第40回と第50回を除き、一県一代表が定着する第60回まで、山梨県がどの地区に属してきたかをまとめると次のようになります。

4-8 甲信大会 山梨・長野
9-16 甲信越大会 山梨・新潟・長野
17-21 甲神静大会 神奈川・山梨・静岡
22-39 山静大会 山梨・静岡
41-49/51-56 西関東大会 埼玉・山梨
57-59 北関東大会 群馬・山梨

上記の通り、甲信越、南関東、東海に北関東とたらい回しにされてきたのが山梨県勢の歴史でした。長野、神奈川、静岡はともかく、全く接してもいない群馬と一括りにされるのは、それだけ山梨が半端ということでもあります。このような中途半端さはとりもなおさず影の薄さにつながり、選手権の出場回数は全47都道府県中滋賀の44回、沖縄の46回に次いで少ない49回。37の出場校も、東日本では次点に大差をつけての最少です。

その山梨大会で注目するのは、なんといっても甲府一です。全国に数ある一高の中でも、伝統にかけてはここが全国屈指だと先日申しました。その中でも甲府一が特に秀逸なのは、甲府二が甲府西と改称されてもなお「甲府一」を名乗り続けているところです。昭和10年に山梨県勢初にして戦前唯一の出場を果たしたのも、当然ながらここでした。
甲府一が県内最古の旧制中学なら、20年後に設置された分校が都留であり、その翌年に第二中学として創立されたのが昨年の代表校日川です。私立全盛の今日、山梨でも津東海大甲府、山梨学院大付、日本航空の私立御三家が幅をきかせる一方で、甲府工を筆頭に日川、甲府商と公立勢が健闘しているところは頼もしいものがあります。過去10大会で6校という変化に富んだ代表校の顔ぶれは、ある程度終盤が読めてしまう東北地方とは対照的です。

長野
全国49の地方大会の中でも、戦いの進め方において唯一無二の特徴を有するのが長野大会です。たとえば北海道なら、全道を10の地区に分けて予選を行い、各地区の代表が本大会へ進むという工夫がありました。ところが、岩手、福島に次ぐ全国4位の広大県である長野では、全く逆の手法がとられます。県を東信、北信、中信、南信の4地区に分けるところは北海道と同じでも、初戦は必ず異なる地区のチーム同士が対戦するように組み合わせるのです。広い県土に満遍なく町が散らばり、各地域の独立志向が強い信州において、高校野球が県歌「信濃の国」と並ぶ「民族融和」の象徴となっているわけです。他県においては、遠く離れた町のチーム同士が当たるかどうかは偶然の産物なのに対し、長野では全ての試合がそのような遠距離対決となり、紙面に載った試合結果を追うだけでも飽きることがありません。どこのチームに注目するというより、組み合わせの妙を楽しむのが長野大会の真骨頂なのです。

印象的な校名が多いのも長野大会のよいところです。梓川、犀峡、高遠、蓼科、白馬といった校名が旅情を誘い、北佐久農、更級農、下伊那農、南安曇農、下高井農林に須坂園芸と農業高校が六校あるのが信州らしく、今はなき更級郡の名を冠した更級農は特に秀逸です。
一口に信州といっても、東信北信と中信南信では気候も文化も全く違い、それは校名にも如実に現れています。たとえば東信北信では、長野、長野西、長野東に長野南、飯山に飯山北、須坂に須坂東、屋代に屋代南、上田に上田東といった具合に、同じ町の高校を東西南北で区別するのが主流です。これに対して中信南信では、松本ならば松本深志、松本蟻ヶ崎、松本県ヶ丘に松本美須々ヶ丘、諏訪ならば諏訪清陵に諏訪双葉と、その土地にゆかりのある名前をつけます。
中でも個人的に思い入れがあるのは、花見の際に毎年立ち寄る松本美須々ヶ丘です。校庭を囲む桜並木が印象的な同校ですが、実は前身の松本市中、市松本時代にそれぞれ一度選手権に出場した経験を持ちます。県内最古の伝統校たる松本深志と対照的に、一見するとごくありふれた県立校にも思える同校が、戦後最初の代表校だったという意外性は、もちろん自分の好むところです。松本蟻ヶ崎は高等女学校を発祥とし、松本県ヶ丘も松本深志に続く第二中学の流れを汲むなど、松本の高校はそれぞれ歴史を持っています。
これに対して南信の白眉といえるのが、高等女学校を発祥とする創立113年の伝統校、飯田風越です。これと対をなす飯田長姫も捨てがたいものがあります。同校は飯田商時代の昭和10年に長野県勢5校目となる選手権出場を果たし、昭和29年の選抜では、信州に初めて紫紺の大優勝旗を持ち帰りました。それが同校最後の甲子園となり、「選抜無敗」の記録をもつ8校の一つとなって現在に至ります。戦前の選手権出場がなければ、三池工にも海南にも先んじて、「甲子園無敗」の記録を樹立するところだったわけです。そんな歴史を有する飯田長姫も、統廃合により昨年から「飯田OIDE長姫」なる無粋な校名に変わってしまいましたが、球史に残る「長姫」の二文字が活かされたのはせめてもの救いでした。同様に近年の統廃合で生まれた新設校として、木曽青峰があります。高く聳える山々と木曽川の流れを連想させるよい校名ではありますが、統合により失われた「木曽山林」の存在感があまりに大きく、この校名をどうにか残せなかったものかと惜しまれますorz
ちなみに、長野県の校名の付け方は北海道に似ており、「長野県松本深志高等学校」「長野県長野高等学校」といった具合に、いちいち「県立」を付けません。一見すると私立のような校名ながら、実は公立というところも多く、塩尻志学館、中野立志館、丸子修学館の三校は全て県立です。丸子修学館は春夏合わせて11回の甲子園出場経験を持つ古豪、丸子実の後身でもあります。「一高」「二高」の名称を好む茨城にしてもそうですが、高校の名前も所変われば品変わるです。

ところで、近年の高校野球界において進境著しいのは東北勢ですが、これは見方を変えれば他の地域が凋落しているということでもあります。その最たる存在が長野ではないでしょうか。今世紀に入って以来、選手権では初戦突破が3回、2勝したのが1回で、あとの9回はいずれも初戦敗退、つまり通算5勝13敗の勝率.278と苦戦しています。県下の盟主松商学園も五大会続けて代表を逃すなど、往年ほどの勢いが見られません。
91回に及ぶ長野県勢の出場歴からすれば、歴代最多となる35回出場の名門とて、平均すれば二、三年に一度の出場に過ぎないわけです。改めて松商の戦歴をたどってみると、五年続けて出場したこともあれば、五年続けて逃したこともあります。しかし、六年続けて代表権を逃すということになると、戦中戦後の混乱期を除き例がありません。盟主が初の屈辱にまみれるどうかは、今大会における見所の一つとなりそうです。

甲信越の三県を一回にまとめるつもりが、ネタの宝庫である長野大会でかなりの時間を消費してしまいました。過去の実績からしても、一日二県が妥当なところかもしれません。新潟は明日に回します。おやすみなさいzzz
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この季節の楽しみ 2014(9)

2014-06-24 23:51:56 | 野球
北海道から順に、各地の見所を独自の視点から綴ってきた今年の高校野球ネタですが、開設当初から続けてきた本来の姿は、朝刊に掲載された前日の試合結果を振り返るというものでした。本日は列島縦断を小休止して、序盤三日の戦いぶりをさらいます。

・第一日(6/21)
例年より少し遅めの6月21日、南北海道の函館地区と、沖縄の2大会から今季の地方大会は始まりました。それぞれ2試合、7試合という限られた試合数ながら、blogのネタには好適な試合がいくつか出現しています。
まず函館地区では、先日紹介した明治時代の高等女学校の流れを汲む伝統校、函館西が初戦を突破。もう一試合では35対0の大量得点差試合がいきなり飛び出しました。勝ったのは函館地区の真打ち、函館大有斗です。過去にも度々語った通り、これほどの大量得点がつくのは、勝った方が強いからというより負けた方が弱いからという場合が多く、強豪校が無名校を叩きのめすという試合は、ありそうでなかなかないものです。もちろん、大差の負けを笑っているわけではありません。初回に13点、2回に9点、3回に再び13点を取られながらも、最後の4回を無得点で切り抜けた意地には敬意を表したいと思います。
ちなみに、初日早々2回戦が始まるのは、出場25校に対して3枠の函館地区では、1回戦は1試合のみ、あとは全て2回戦以上となるからです。1試合限りの1回戦に勝った函館西は、次戦で離島勢の奥尻と対戦します。

年により数日前後することはあっても、沖縄が開幕一番乗りなのは毎年変わりません。開幕した週末に離島勢の試合を組み、開幕式と初戦を一度の移動で済ませるという、いかにも沖縄らしい仕組みについても同じです。しかし、その離島勢が揃いも揃って敗れるという展開が過去何度あったのでしょうか。全国大会出場経験を持つ八重山商工がコールド負けを喫し、過去四年で4強2度に8強1度の八重山も古豪豊見城に惜敗するなど、今季の離島勢は開幕と同時に全滅と相成りました。7試合中5試合が9回まで戦われ、1点差が3試合、2点差が1試合あるなど、離島勢の実力が明らかに劣っていたわけではないだけに惜しまれますorz

・第二日(6/22)
一日遅れで室蘭大会が開幕。沖縄と合わせて13試合が戦われました。
自らの趣味的観点からは、苫小牧、函館、沖縄と3校登場している高専に注目です。苫小牧、函館はともかくとして、沖縄高専は本島北部の名護にあり、「大都市に高専なし」の経験則が見事に当てはまっています。また函館地区では、函館商、函館中部という道内屈指の伝統校同士の対決を前者が制しました。
しかし、この日最大の話題は、なんといっても興南が初戦敗退を喫したことでしょう。四年前に甲子園で春夏連覇を果たし、我が世の春を謳歌したこのチームも、翌年は県4強止まり、過去二年は8強入りも逃して苦戦が続いています。昭和50年代後半、豊見城に続いて一時代を築いた同校も、息を吹き返したのは七年前の選手権に出場したあたりからで、それが24年ぶりの甲子園出場でした。沖縄水産が勢いを失って以降戦国時代となっていた沖縄の高校野球界を、再統一したかに見えた興南でしたが、第二次政権も長くは続かなかったようです。果たして次の返り咲きはあるのでしょうか。

・第三日(6/23)
函館地区で知内が初戦を突破。北海道の郡部から選手権に出場したのは広尾と中標津だけだと先日申しましたが、実は選抜を合わせても五校が加わるに過ぎません。その五校の中でも、21年前に郡部初の選抜出場を果たしたのがここです。その一度限りの選手権は初戦敗退に終わったものの、近年でも三年前の南北海道大会で8強入りするなど、南北海道の郡部勢としては北海道栄、鵡川などと並んで健闘しているチームの一つです。
週末だけを使って悠然と戦われる沖縄大会ですが、今季は初日から三日続けて試合が行われました。沖縄戦終結を記念する「慰霊の日」が月曜と重なったからです。本日は記念すべき沖縄勢初出場を飾った首里に加え、那覇と名護が初戦を突破し、沖縄本島における旧制中学出自の伝統校が揃い踏みを果たしました。なお、旧制中学のある町には高等女学校もあるのが通常のところ、沖縄ではいずれも戦闘により壊滅し廃校となっています。合掌…

★南北海道大会
・函館地区1回戦(6/21)
上ノ国・上磯1-6函館西
・函館地区2回戦(6/21)
南茅部0-35函館大有斗
・函館地区2回戦(6/22)
長万部2-9x函館高専
函館商7-1函館中部
・室蘭地区1回戦(6/22)
苫小牧東9-1苫小牧高専
・函館地区2回戦(6/23)
知内5-2函館大柏稜

★沖縄大会
・1回戦(6/21)
八重山農2-7読谷
豊見城南3-1宮古工
沖縄水産2-1八重山
八重山商工0-10x嘉手納
豊見城3-2宮古
那覇西3-2久米島
宮古総合実2-9那覇工
・1回戦(6/22)
興南1-2x前原
・1回戦(6/23)
美里2-4首里
北谷0-7那覇
名護9-7球陽
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この季節の楽しみ 2014(8)

2014-06-23 23:41:59 | 野球
開幕までの数日で全49大会の見所をさらうつもりが、結果としてはとんだ見立て違いでした。丸一週間を費やしてようやく東京に到達です。

北関東までの各県では、強豪校を挙げるとしても一つか二つがせいぜいでした。その点東京ならば枚挙に暇がありません。しかし、改めて通算戦績を調べると、選手権の出場回数では早実、日大三、帝京の三校が二桁で、他校に比べ頭一つ抜け出ており、優勝経験があるのもこの三校と桜美林に限られます。関東一、修徳、創価、堀越などの名だたる強豪も、夏に限ればたかが5回の出場なのです。三強とそれに続く集団の間には、いわば横綱と大関の関係に似た格の違いがあるようです。
しかし、番付上の違いはあるとしても、今日の相撲界ほど歴然とした実力差が生じているわけではありません。たとえていうなら、千代の富士が独走を始める前の、昭和50年代後半のようなものとでもいえばよいでしょうか。北の湖が去る一方で隆の里が好敵手として立ちはだかり、これに琴風、若嶋津、朝潮、北天佑といった大関陣が加わって、終盤のつぶし合いで展開が二転三転した時代です。「終わってみれば千代の富士」となりやすいところもよく似ていますorz

★東東京
東と西に分かれる東京の地方大会ですが、何分都会だけに個性は乏しく、趣味的見地からは北海道の北と南ほどの違いを感じません。しかし、東と西で一つだけ明確に違う点があります。東日本では北海道の利尻、奥尻、新潟の佐渡と並ぶ数少ない離島勢の存在です。新島が三年前の夏を最後に姿を消し、三宅も四校連合の一角に組み入れられるなど、少子化の影響が否応なしに押し寄せる中、今年も大島、大島海洋国際、八丈と三校の離島勢が単独での出場にこぎ着けました。練習相手を探すにも一苦労という環境はいかんともしがたく、いずれは儚く散る運命の離島勢ではありますが、大島は八年前に8強、三年前にも16強に入り、八丈は五年前に16強入りするなど、知られざる実力校でもあります。今季は何回紙面に登場するか注目です。

変わり種の職業高校が多いのは都市部の特徴であり、その一つとして東東京には昭和鉄道があります。その名の通り鉄道員の養成を目的にした、きわめて貴重な職業高校がここで、我が国において同校と双璧をなすのが、同じく東東京の岩倉です。その岩倉は、全盛期のPL学園を倒して選抜を制した経験を持ち、なおかつそれが最初で最後の選抜出場という「選抜無敗」の記録を持つ八校のうちの一つでもあります。
昭和鉄道と岩倉の両校がいかにも都会らしい職業高校だとすれば、意表を突くのが都農産です。このほか西東京にも都農業と瑞穂農芸があります。青森でさえ四校だった農業高校が、就農人口全国最小の東京に三校あるという意外性が秀逸です。
東東京の職業校でもう一つ注目するのが、大阪、神戸を含め全国に3校しかない公立高専の一つ、産業技術高専です。このチームで思い出すのは、初戦でいきなり帝京にぶつかり、ものの見事に粉砕された三年前のことです。震災のあおりを食って春の都大会が中止され、シード校を選べなかったために実現した、強豪校と無名校の対戦でした。この一戦は仕方がないとしても、変わり種の職業校は弱いという経験則はこのチームにも当てはまり、統廃合で現在の校名となって以来、選手権は八年連続の初戦敗退となっています。悲願の初勝利を挙げられるかどうかに注目しましょう。

★西東京
西東京の注目校といえば、何といっても日野でしょう。都立の星として五年前に4強、一昨年は8強に進出。昨年は決勝にまで残ったものの、西の横綱日大三高の前に惜しくも屈したという悲運のチームです。しかし、遠軽などに比べてあまりに注目されすぎるため、天の邪鬼としてはかえって敬遠したくなります。代わって純然たる趣味的見地から取り上げるのが八王子桑志です。
東京の出場校を眺めていると、東に三商、西に四商、五商と数字を振った商業高校が目を惹きます。三、四、五だけがあって一と二がないのは、一商には野球部がなく、二商は統廃合で姿を消したからです。そして、その二商の流れを汲むのが八王子桑志なのです。軽薄な名称がまかり通る現代にあって、繊維産業で栄え「桑都」と呼ばれた八王子にちなんだ校名は、先日紹介した大子清流などと同様、新設校の名称として出色ではないでしょうか。

神奈川
言わずと知れた最激戦区の神奈川ですが、激戦ぶりは出場校の多さだけに由来するものではありません。過去の出場校を振り返っても、多士済々の顔ぶれは戦国時代の様相を呈しています。
代表校が目まぐるしく入れ替わってきた埼玉の球史と違い、神奈川の高校野球界には一時代を築いたチームがいくつか登場しました。しかしそのどれもが長期政権を確立するには至らず、十年弱で入れ替わりを繰り返してきたという歴史があります。まず、戦前に出場した六回をそれぞれ二回ずつで分け合ったのが、Y校こと横浜商、神奈川商工に浅野の三校でした。昭和24年には初出場の湘南が神奈川県勢初の全国制覇を果たし、なおかつそれが同校最後の選手権となって、史上3校しかない「選手権無敗」の記録を保持するに至ります。
神奈川の高校野球界で最初に一時代を築いたのは、「二高の中の二高」こと法政二です。昭和27年に初出場を果たして以来、十年間で五連覇を含む七度にわたり代表権を獲得し、全国制覇、準優勝と4強がそれぞれ一度という戦績は、まさに一世を風靡するものでした。しかし泰平の世は長く続かず、五連覇を達成した翌年から、同校は20年以上に及ぶ長い低迷期に入ります。それと入れ替わるように、東京五輪の年からは武相が五年で四度の出場を果たすも、やはりその後は鳴かず飛ばず。翌年からは東海大相模の時代が始まり、九年間で七度の選手権出場と、これまた独壇場を築きました。
法政二、武相に東海大相模と、一強が我が世の春を謳歌してきた神奈川の高校野球界でしたが、翌年からは二強時代が始まります。49代表が定着した昭和53年に、横浜が15年ぶり二度目の出場を果たせば、翌年には横浜商が実に46年ぶりの選手権出場という復活劇を演じ、数年後にはそれぞれ全国制覇と準優勝を成し遂げるなど、平成初頭までの神奈川は両校の二頭政治でした。しかし古豪復活も束の間、横浜商は次第に勢いを失い、代わって台頭してきたのが文武別道のマンモス校桐蔭学園でした。その桐蔭学園も今世紀には失速し、代わって一文字違いの桐光学園が台頭。横浜と桐光学園を軸にしつつ、新興の横浜隼人、古豪の慶應に東海大相模といった勢力が入り乱れ、連覇が一度もない戦国時代に入って現在に至ります。
このように、いくつかのチームが一時代を築きながら、いずれも数年で新興勢力に取って代わられるところは、中国の五代十国時代のようでもありますが、横浜商に慶應など古豪の復活も加わり、まさに「事実は小説よりも奇なり」です。数多の強豪校が作ってきた神奈川の高校野球の歴史には、全国屈指の見応えがあります。

もっとも、自身の関心は強豪校の栄枯盛衰の「歴史」であり、どこがこの戦国時代を制するかについては、それほどの興味がありません。自らの趣味的観点から神奈川の高校野球を語るにあたっては、例によって伝統校に着目します。
今やこのblogの定番となりつつある伝統校ネタも、繰り返すうちにある程度傾向がつかめてきました。大抵の県では県庁所在地に最古の旧制中学があり、それが県下屈指の進学校でもあるということで、これまで紹介した中では札幌南、盛岡一、仙台一、水戸一、前橋、浦和などがそうでした。それでは、神奈川でこれに相当するのがどこなのか、ご存知の方はいらっしゃるでしょうか。答えは横浜翠嵐でもなければ湘南でもありません。希望ヶ丘こそ、明治30年に創立された旧制横浜一中の流れを汲む県内最古参なのです。空襲で焼け出されて郊外に移転したとき、相鉄が造成した新興住宅街にちなんで改称されたという来歴があるそうで、校地を寄進した相鉄への配慮があったのかもしれません。
昭和26年に一度とはいえ選手権にも出場し、歴代五校目の代表校となった実績もあります。今でこそ陳腐に思える新興住宅街の名も、当時は斬新に映ったのでしょうか。字面からして郊外の新設校に思えるこの高校が、実は県内屈指の伝統校の一つだったという意外性は、このblogの題材としてはまさにおあつらえ向きです。
ちなみに「一つ」というのは、これにも勝る伝統校が神奈川にはあるからです。過去にも何度か取り上げた小田原がそれです。希望ヶ丘が開校した三年後に藩校を改組したのが旧制中学としての起源であり、以後それぞれ一中、二中と称されます。厚木と横須賀が三中、四中で続き、次いで登場したのが後に横浜翠嵐となる第二横浜中です。前出の湘南はそれらに次ぐ県下六校目の旧制中学でした。

関東地方を縦断して14都道県の16大会をさらい、ようやく全体の三分の一弱が終わりました。一区切りついたところで気分転換を兼ね、明日は実際の試合結果を振り返ってみようかと思っています。積み残しは33府県、まだまだ先は長そうです…
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この季節の楽しみ 2014(7)

2014-06-22 22:58:47 | 野球
南北海道と沖縄で待望の地方大会が開幕、初日の試合結果が新聞に載りました。新聞の紙面に載った前日の試合結果を追いかけ、その背後にある各地の文化と歴史に思いを馳せるのが、この趣味の原点でもあり、本来ならば今日から試合結果の記録に移行するところです。しかし、経験上ある程度予想された通り、初日の段階では試合数が少ない上に展開も予想通りで、さしたる話題が出てきません。これなら序盤戦は数日単位でまとめればよいでしょう。本日は引き続き各県の見所を取り上げます。

埼玉
埼玉の高校野球でまず特筆すべきは、57回という選手権出場回数の少なさです。これより少ない県はいくつもあるとはいえ、関東に限れば栃木と並ぶ最小で、茨城の61回、群馬の66回をも下回ります。あまりに面倒なので数えはしませんが、出場校の総数と出場回数の比率を求めれば、おそらく全国最多になるのではないでしょうか。
選手権に初出場したのは昭和24年、つまり戦前の出場は一度もなかったということで、該当するのは他に高知、滋賀、宮崎、沖縄の四県しかありません。これは偏に、関東の他県と出場権を争う時代が長かったからですが、見方を変えれば群馬における桐生のような強豪が現れなかったということでもあります。東京圏に埋没し、他県の陰に隠れて目立たないという埼玉の特徴が、高校野球の歴史にもそのまま現れているのです。

このような背景もあり、埼玉からの出場校は幅広く分散しています。選手権に出場した埼玉県勢は、昨季終了時点で23校。数にすれば、27校の長野、29校の大阪、28校の兵庫と福岡など上には上がいるものの、それらはいずれも90回前後出場した上での記録です。57回で23校という数を単純に割り算すれば、1校あたりの出場回数は2.5回に満たず、これは44回で17校の滋賀、66回で24校の山口、55回で22校の宮崎、46回で16校の沖縄などをも押さえて全国最小となっています。このことからも、突出した強豪が存在しない埼玉の特徴が一目瞭然です。
チーム別の出場回数を数えると、春は浦和学院の9回が最多で次点は3回の花咲徳栄、夏はやはり浦和学院の12回が最多で、次点は5回の大宮です。浦和学院が頭一つ抜け出てはいるものの、上位校の実力が拮抗しており、最終的にはどこが勝ってもおかしくないという特徴がこの結果に表れています。しかもドングリの背比べではなく、昨春は浦和学院が選抜を制しました。強豪校がぶつかり合う迫真の展開を好む向きには、埼玉大会が好適といえるでしょう。

上記の通り埼玉の高校野球の歴史は浅く、今まで綴ってきたような古豪と伝統校の話題がほとんどありません。そんな中、しいて注目するのが熊谷です。昭和24年の選手権に埼玉県勢として初出場を果たし、その二年後には決勝まで進出した、埼玉の高校野球界における先駆者がここです。
熊谷市といえば、館林などと並び夏の暑さで話題になる場所です。今では北関東の一都市といった程度の印象しかないこの町ですが、中山道の宿場町としての歴史は古く、上野からの鉄道が最初に終点としたのも熊谷でした。我が国屈指の要衝である大宮は、青森方面への分岐駅として後からできたものだったのです。このように、熊谷は県内屈指の歴史を有する町であり、市制が敷かれたのも県内では川越に次ぎ川口と並んでの二番目で、浦和にも大宮にも先んじています。その町を代表する、浦和と並ぶ県内最古の中学が、埼玉初の選手権出場を果たしたのは、決して偶然の産物ではなかったのです。

その熊谷が準優勝した六年後に選手権初出場を果たし、いきなり4強となったのが大宮であり、翌年以降も10年間で4度にわたって選手権に出場します。その後は甲子園に戻れないまま現在に至るものの、5回の出場記録が今なお県下第二位なのは上記の通りです。
大宮に代わって翌年出場権を獲得したのが、その年の選抜を制した大宮工でした。しかしながら大宮と同様天下は長続きせず、その夏に一勝したのが同校最後の甲子園となっています。結果としては、選手権に出場しなければ春の海南、夏の三池工と並ぶ史上3校目の「甲子園無敗」の記録を達成するところだったわけで、そう考えると惜しいような気がしないでもありません。
その後川越工、深谷商、熊谷商と職業高校を中心とした代表校が目まぐるしく入れ替わり、昭和40年代末から50年代末にかけては上尾が一時代を築いて、昭和60年に私立勢として初の代表権を獲得したのが立教でした。その翌年に浦和学院が初出場を果たし、いきなり三連覇して今日の隆盛に至るというのが、埼玉における高校野球の歴史です。戦国時代から天下統一への移り変わりを見るかのような時代の流れは、常総学院の天下となった茨城に通ずるものがあります。しかし上記の通り、浦和学院の天下は必ずしも盤石ではなく、いつ下克上が起きてもおかしくはありません。選抜制覇を足がかりに泰平の世を築くのでしょうか。それとも寝首を掻かれるのでしょうか。

千葉
私立全盛の今日にあっても、千葉は今なお公立校が幅をきかせる数少ない大会の一つです。選手権の出場回数は、上から順に12回の銚子商、8回の習志野、7回の成田と千葉商、6回の県千葉に5回の市船橋、拓大紅陵と続き、これら上位7校のうち、成田と拓大紅陵を除く5校が公立です。今世紀こそ木更津総合、千葉経大付といった新興の私立勢に押されつつあるものの、それでも13大会中5大会で公立校が代表となっているのはさすがといった感があります。逆に、昭和50年代後半から台頭してきた東海大浦安、拓大紅陵の両校には、近年さほどの勢いがありません。
千葉の公立校で特筆すべきは、ただ出場権を獲得するだけではなく、全国大会でも健闘していることで、三年前にも習志野が8強に進出しました。これが東京なら、公立校は甲子園に出られるだけで大したもの、勝てば奇跡といわんばかりの扱いです。全国レベルの公立校がしのぎを削る千葉大会は、都市部にあって貴重な存在といえます。
趣味的見地から興味を惹くのは、県千葉が6回の出場を果たしていることです。県千葉といえば、関東では浦和と並ぶ公立進学校の双璧であり、県内でも藩校出自の佐倉に次ぐ伝統を有します。その県千葉が出場回数で県下の五指に入ることは、在校生すらほとんど理解していないのではないでしょうか。それもそのはず、最後の甲子園は昭和28年、つまり60年も遠ざかっています。近年の戦績も毎夏一勝できれば御の字といったところであり、今でも上位に食い込む盛岡一などとは別次元です。しかしながら、選手権出場6回という戦績は、この高校の名門たる所以を雄弁に物語っています。

都市部になると何分数が多すぎて、個々のチームを追いかけるにも限度はあります。そんな中、千葉で毎年注目しているのが暁星国際です。野球好きにとっては小笠原の出身校としておなじみでしょう。このチームを殊更に取り上げるのは、名選手を生んだ無名校の中でも、「無名度」にかけてはここが屈指の存在だからです。
同様の無名校として、南海皆川を生んだ米沢興譲館、巨人軍終身名誉監督の御出身校である佐倉を既に紹介しました。しかし、一口に無名校といっても、野村の峰山、江夏の大阪学院、古田の川西明峰など、一度とはいえ甲子園出場経験を持ち、毎年そこそこ健闘するところも多く、正真正銘の無名校は限られてきます。現実の問題として、毎年初戦で敗退しているような弱小校に、後年プロで名をなす選手が入学してくる可能性などまずないでしょう。しかし暁星国際は、山内を生んだ愛知の起工、山本浩二を生んだ広島の廿日市などと並ぶ数少ない例外の一つなのです。
弱いにもほどがあるといいたくなるほど、同校の戦績は惨憺たるものです。七年前の選手権千葉大会で初戦に勝って以来、公式戦は目下18連敗中。そのほとんどが相手に10点以上の差をつけられての完敗で、36点取られたのを最高に、20点差以上の敗戦も3回あります。負けの数こそ東大野球部に及ばないものの、点差の合計ではこちらの方がはるかに上ではないでしょうか。
しかし、弱小校と笑っているわけではありません。球史に残る大打者がこのチームから出たという意外性が、自分の興味を刺激するのです。加えて、度重なる惨敗にも挫けることなく、春、夏、秋と単独校で出続ける気概は見上げたものだと思います。

暁星国際と同様、趣味的な見地から欠かせないのが犢橋、匝瑳、八街です。「こてはし」「そうさ」「やちまた」と読める県外人はどれだけいるのでしょうか。一発ではまず読めない、しかし一度聞いたら忘れられない風変わりな地名に、無個性な埼玉とは対照的な千葉の個性が現れています。九十九里、関宿といった旅情を誘う地名も秀逸。とかく無個性な校名ばかりの都市部にあって、字面を追うだけでも楽しめるのが千葉大会の特徴の一つです。

六日をかけて南下してきた全国大会展望も、次回でようやく東京にたどり着きます。丸一週間をかけ、関東地方をさらったあたりが一区切りでしょうか。とりあえず明日まではこの調子で続ける予定です。
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この季節の楽しみ 2014(6)

2014-06-21 23:47:56 | 野球
北海道から南下してきた高校野球の全国大会展望も、先へ行けば行くほど歩みが鈍り、昨日はついに茨城一県限りとなってしまいました。残る39都府県の40大会をさらうのに、一夏では足りなくなる可能性も出てきましたが、ともかくこのまま進めます。本日取り上げるのは北関東の二県です。

栃木
栃木の強豪といわれて、作新学院以外にいくつか挙げることができる人は、地元でも決して多くないのではないでしょうか。甲子園で春夏それぞれ一度の優勝経験を持つ作新学院ですが、出場回数自体は春夏それぞれ9回と決して多いわけではなく、選手権の出場回数だけなら宇都宮学園改め文星芸大付の10回が上です。それに次ぐのが佐野日大と足利工の6回、宇都宮南の5回といった面々で、どれも名前を聞けば思い出しはするものの、一時代を築くほどの隆盛を誇ったチームがありません。強豪同士が終盤でぶつかり合う南関東と違い、突出した強豪校が存在しないというのが的確のような気がします。戦前戦後の古豪、泣く子も黙る伝統校、風変わりな職業高校といった話題も他県に比べ希薄で、趣味的見地からすると、関東で最も話題に乏しいのは栃木ということになるかもしれません。

天の邪鬼の信条には悖るものの、しいて注目校を挙げるとするなら作新学院です。もちろん、この強豪が無名校を蹴散らして勝ち上がるのを期待しているわけではありません。
近年こそ五大会中四大会で甲子園出場を果たしている強豪にも、今日に至るまでにはかなりの浮き沈みがありました。昭和33年の選手権初出場でいきなり4強に入って三年後には全国制覇、昭和40年代にも江川を擁して一世を風靡したという戦績は、栃木県勢として出色です。しかしその間連続出場が一度もなく、江川を擁して出場した昭和48年は九年ぶり四度目の出場でした。その五年後に五度目の出場を果たして以降は低迷し、21年ぶりに代表の座を勝ち取ったのが五年前のことです。
このように、栃木の盟主も常に盤石だったわけではなく、二十年もの雌伏を経て今日の隆盛を築いたのでした。長きにわたり低迷しながら見事復活を遂げたという点で、作新学院は高校野球界において特異な存在です。そんな歴史を追いかけるのが自分流の楽しみ方なのです。

群馬
北関東三県の中でも、栃木と群馬はとりわけ似ているような気がします。海がなく、冬は寒くて夏は暑く、面積と人口がほぼ同じで、片や東北新幹線と東北道、片や上越新幹線と関越道が県土を南北に貫き、どちらも東武が乗り入れて、都内からの距離も大体同じです。このような類似性は、高校野球においても例外ではありません。70弱の出場校も、全国区の知名度を持つ強豪が少ないところなども実によく似ています。

そんな中、昨年は前橋育英が選手権初出場初優勝という快挙を達成して話題をさらいました。以前も語った通り、この初出場初優勝という記録自体は思ったほど珍しいものではなく、現時点で選抜では17校、選手権では15校が達成しています。よって、趣味的見地から注目するのは、同校が「選手権無敗」の記録を保持できるかどうかです。
無敗を維持するということは、これからも選手権に出場する限り優勝し続けるか、一度も出場せずに終わるかの両極端ということになります。前者に該当するチームは古今東西存在せず、後者の例として湘南と三池工の二例があるのみです。これに対して選抜無敗の記録は、ジャンボ尾崎を擁した徳島海南改め海部以下7校が保持しています。選手権無敗の記録が極端に少ないのは、過酷な条件下で勝ち続けなければならない選手権の厳しさの現れだと考察したことがありました。その貴重な記録は三たび出現するのでしょうか。今後数年、同校の戦いぶりから目が離せなくなるかもしれません。

茨城の常総学院、栃木の作新学院、それに群馬の前橋育英と、柄にもなく有力校の紹介が続いてしまいました。ここからは本題に戻りましょう。
群馬の高校野球を語る上で欠かせないのが古豪の桐生です。春12回、夏14回の甲子園出場はいずれも県内最多。しかもただ回数が多いだけではありません。二度の選抜準優勝を含め、8強以上が合わせて10回という戦績は、群馬はもとより北関東でも随一です。しかし、一県一代表が定着した第60回の選手権を最後に35年間甲子園から遠ざかり、同校の栄華を知るのも一定以上の年代だけとなりました。
近年の目立った戦績といえば、八年前の春季関東大会準優勝と、五年前の選手権での県8強程度。夏は二勝できれば上出来、初戦敗退も日常茶飯事というのが同校の現状です。一口に古豪といっても、近年でも時折上位に食い込むところ、呆気なく姿を消すところなど様々であり、桐生は今や後者の部類に属するといってよいかもしれません。しかし、ともすればごく普通の県立高に思えるチームが、その昔は全国制覇を争う強豪だったという意外性がよいのです。

本日最後に取り上げるのは前橋です。地理ヲタ鉄ヲタはともかく、日本人を無差別に抽出したとして、群馬の県庁所在地が前橋だと即答できる人は、果たして何人に一人なのでしょうか。「県庁所在地の最高路線価」を高い順に並べた場合、前橋は鳥取と並んで最下位争いの常連だと以前申しました。実際のところ、さほど大きな街でもなければさしたる見所もない前橋は、立ち寄る理由を探すのに毎年苦労する県庁所在地の一つです。交通の要衝である高崎の方が、人口も多い上に市街も賑やかで、なぜ前橋などが県庁所在地なのかと、自身常々不思議に思っています。
しかし、群馬における旧制中学の歴史をたどった場合、最も古いのは明治10年創立の前橋であり、高崎はその二十年も後になって県内六ヶ所に設置された分校の一つなのです。市制を施行したのも県内では前橋が最も古い明治22年で、北関東では水戸に三年遅れ、宇都宮には四年先んじての第二号でした。大正時代に群馬県勢として初の甲子園出場を果たし、翌年群馬県勢初にして大正最後の白星を挙げたのも前橋であり、春夏六度にわたり甲子園に出場した戦績は、これまた選抜二回のみの高崎を上回っています。今まで小馬鹿にしていた前橋が、実は由緒正しき町だと知ったのも、高校野球のおかげです。

本日南北海道と沖縄で地方大会が開幕、明日の朝刊に試合結果が載ります。それまでに全国各地の見所をさらうつもりが、結局北関東という半端なところで時間切れとなってしまいました。もっとも、今月中は北海道と沖縄で細々と戦われるに過ぎず、さほどの話題が出てこない可能性もあります。七月の上旬に北海道の地区大会が終わると、試合が全くない日も何日か出てくるものです。そんな日の穴埋めには、この都道府県別展望がおあつらえ向きでしょう。どこまでたどり着くかは不明ながら、今後も状況に応じて適宜綴っていきたいと思います。
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この季節の楽しみ 2014(5)

2014-06-20 23:25:22 | 野球
遅々たる歩みで列島を南下している高校野球の全国大会展望、本日は白河、もとい勿来の関を越えて関東に入ります。

関東の高校野球における最大の特徴を挙げるとすれば、まずは出場校の多さということになるでしょう。それは結果として試合数の多さにつながり、地方大会ならではの「大量得点差試合」が必然的に増えてきます。加えて、特定校が長きにわたって代表の座を独占するという現象も起こりづらくなり、近年の東北各県で生じている、あまりに筋書き通りで興ざめするという弊害とも比較的無縁です。強豪校が時代とともに移り変わる結果、「あの人は今」の高校野球版とでもいうべき話題が少なからずあるのは、関東ならではの特徴ではないでしょうか。

それでは、茨城から順に注目校を見ていきます。
茨城の強豪といえば「常総学院」と答えるのが十中八九で、「水戸商」と答えるのは一定以上の年代に限られるのではないでしょうか。特定校が長きにわたり君臨するという点で、関東の異端児といえるのが茨城大会です。しかし、春夏合わせて22回の甲子園出場と2回の優勝を誇る全国屈指の強豪も、宮城の二強ほどの絶対的な地位にはありません。今世紀こそ13大会中9大会で代表の座を占めてはいるものの、それ以前は11年間で3回しか甲子園に進めないなど、苦戦した時代はありました。選手権出場回数15回は歴代34位タイと、並み居る強豪の中ではごく平凡な数字にも見え、26回の松山商、23回の鳥取西、22回の広島商といった古豪の偉大さを思い知らされます。激戦区の関東地方で長きにわたり君臨することの難しさと、高校野球における伝統の重みというものを実感させられる数字です。
その常総学院を創立からわずか四年で甲子園に導き、全国屈指の強豪に育てたのは、かの名将木内監督でした。そして、その木内監督が率い、茨城県勢初の全国制覇を達成したのは、これもあまりに名高い取手二です。桑田・清原の両巨頭を擁する全盛期のPL学園を討ち果たし、不滅の伝説を作ったこのチームですが、その年を最後に名将が常総学院に転じて以来、甲子園の出場経験はありません。昨夏29年ぶりの選手権出場を果たした箕島、今春22年ぶりに甲子園へ返り咲いた池田など、かつて一世を風靡したチームの復活が話題となっている昨今とはいえ、初戦を突破できれば御の字という近年の取手二に、そのような復活劇を期待するのは難しそうです。しかし、この校名が紙面の片隅に人知れず登場しているのを見て、往年の名勝負に思いを馳せる瞬間こそ、茨城大会における最大の見所といっても過言ではありません。

ちなみに、取手二があるからには、当然ながら取手一があるわけです。知名度ではかなわないものの、取手一も選手権に三年連続三回の出場を果たしており、回数だけなら四回の取手二に引けをとりません。これらの二校を含め、同じ町の高校に第一、第二と機械的に校名を振るのは茨城の特徴でもあり、選手権の出場経験を有する茨城県勢19校のうち、該当するのが竜ヶ崎一、取手二、取手一、水戸一、鉾田一、土浦一、日立一、下館一、下妻二と9校あります。しかしながら二番手の宿命というべきか、二高は取手と下妻しかありません。先日紹介した盛岡一が「一高の中の一高」なら、取手二は神奈川の法政二と「二高の中の二高」を争う存在といってよいでしょう。
このように茨城の伝統ともいえる一高、二高の校名ですが、少子化の影響により、二校の維持が難しくなった地域もあります。その結果両校を統合して生まれたのが大子清流です。近年の市町村合併で軽薄きわまりない地名が数多く生まれた中、地元を流れる久慈川にちなんで「清流」と名付ける感性には心憎いものがあり、自身毎年注目している校名の一つです。同様に、近年の統廃合で生まれた新設校として磯原郷英、高萩清松などがあり、前者は王に756号本塁打を配給したことで語り継がれる鈴木康二朗の出身校、磯原の後身でもあります。

茨城でもう一校注目するのは霞ヶ浦です。北海道の注目校として、過去四度にわたり北北海道大会の決勝で敗退した遠軽を取り上げましたが、この霞ヶ浦も過去六大会中四大会で決勝に進出しながら、いずれも涙を呑んだという悲劇の主人公です。それにもかかわらず、遠軽ほどの思い入れが湧かないのは、過去に一度選抜出場を果たしているのに加え、旅した頻度が北海道よりはるかに少ない茨城であること、北海道の郡部の公立校と暖地の私立校では、条件の厳しさに格段の差があることなどに由来しています。しかし、これほどまで運に見放されたチームということになると、天の邪鬼としては必然的に興味が湧いてくるというものです。見事宿願を果たすか、またしても返り討ちに終わるか、このチームの戦いぶりに注目です。

最後に余談を一つ付け加えて終わりにしましょう。このネタをまとめていて気付いたのは、地図上でほとんど同じ広さに見える北関東の三県の中でも、茨城は突出して出場校が多く、当然ながら人口も多いということです。茨城の人口は三百万人に迫り、二百万をわずかに超える栃木、群馬両県の五割増です。北海道、福岡、静岡に次ぎ、京都、広島よりも多いというのですから大したものです。都心から40kmも移動すれば茨城との県境を越える一方、栃木も群馬も最低70kmほど距離があることからすれば、茨城の人口が多いのはある意味当然とはいえ、これほどの差があるとは知りませんでした。少なくとも今年に関する限り、岩手県勢の出場回数が埼玉県勢をも上回ると知ったのに匹敵する発見です。追えば追うほど新発見があり、初夏の夜は瞬く間に更けていきます。

北関東の三県を一日でさらうつもりが、茨城だけでかなりの字数に達しました。北海道と東北をまとめたときもそうだったのですが、一晩で一地域というのは能力の限界を超えているようです。全国縦断という目標はさておき、少なくとも平日は一日一県にとどめるのが現実的でしょう。他の二県は明日に回します。おやすみなさいzzz
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この季節の楽しみ 2014(4)

2014-06-19 23:56:38 | 野球
東北を縦断するつもりが北東北で終わってしまった極私的全国大会展望、本日は南東北に入ります。

宮城
高校野球を語るとき、「筋書きのないドラマ」などという陳腐な台詞を持ち出すのは好みません。しかし、あまりに筋書き通りというのも考えものです。この点、東北、仙台育英の双璧が代表の座を分け合う宮城は、天理と智辯が君臨する奈良と双璧をなす、最も興ざめする地方大会といえるでしょう。
一県一代表以上となった第60回以降で数えると、奈良は昨年までの36回中33回を双璧が占めており、両校が昨年決勝どころか4強にすら残れないという珍事が起きたときには、大いに話題となったものでした。これには及ばないにしても、宮城はで36回中31回が筋書き通りの展開です。仙台一を始めとする伝統校が勝ち上がっても、いずれはこれらの餌食になる運命と思えば、興ざめするのも致し方のないところではあります。
しかし、戦前にわずか4度の出場経験しかない宮城県勢も、今季三勝すれば東北勢として唯一の勝率5割に到達します。そして、通算60勝の九割がこの二強によるものです。昭和30年代前半に東北が、後半に仙台育英が台頭して以来、東北の高校野球界を半世紀以上にわたり牽引してきたのが両校だったわけです。今や東北どころか全国屈指の強豪に数えられる他県の私立勢も、全国大会の常連校となったのはせいぜいこの十数年に過ぎません。むしろここでは見方を変え、長きにわたり全国レベルで戦い続けてきた両校に敬意を表すべきなのかもしれません。

このように、勝敗を追い始めると宮城の高校野球はつまらなくなります。そこで全く別の視点から捉えるならば、宮城の注目校として筆頭に挙げたいのが仙台高専広瀬です。そもそも、高校野球に高専が出場するということを、どれだけの人々が理解しているのでしょうか。しかもこの仙台高専広瀬はただの高専ではありません。全国に3校だけ存在した「電波高専」の後身なのです。このような変わり種を追いかけるのも、地方大会ならではの楽しみといえます。変わり種であればあるほど、高校野球界では無名なのが常であり、同校も現在の名称に変わって以来、選手権は四年連続初戦敗退という戦績に終わっています。悲願の初勝利を挙げることができるかに注目です。
ちなみに、「広瀬」とつくのは他にも仙台高専があるからで、もう一つは「仙台高専名取」です。五年前、高専の再編により電波高専と工業高専が統合された際、従来の仙台電波高専が「仙台高専広瀬」、宮城高専が「仙台高専名取」と名を変えて現在に至ります。統合したといいながら、校舎はもとより部活も別々、しかも名取が臆面もなく「仙台」を称するのはいただけませんが、ともかく校名こそ変われ、これにより電波高専の系譜が今なお受け継がれているわけです。
仙台高専名取の例に限らず、高専という教育機関の多くは、県下第二、第三の知る人ぞ知る、言い換えると県外人はまず知らない中規模以下の都市に多く分布しています。東北ならば、名取に加え一関、鶴岡などがその部類に属するといってよいでしょう。八戸、秋田、いわきなど、一定規模の街にあるのはむしろ例外で、西日本へ行けば行くほど「大都市に高専なし」の経験則が当てはまってきます。今後の展開に応じ、それらについても適宜紹介していく予定です。

山形
これまで取り上げてきた東北北海道の伝統校も、この名門の前ではさすがに色褪せてしまいます。岩手の真打ちが盛岡一なら、山形でこれに相当するのは何といっても米沢興譲館です。藩校の流れを汲む伝統校が、山形に南下したところで初登場となりました。
藩校という出自からすると、この手の伝統校が西日本に偏るのは致し方のないところではありますが、会津と並ぶ東北の双璧といえるのが米沢興譲館です。五年前の8強を除けば例年一勝か二勝するのがせいぜいの、高校野球界では無名の存在ながら、実はホークス一筋に通算222勝を挙げた皆川の出身校でもあります。大選手を生んだ藩校出自の伝統校といえば、有名なのは巨人軍終身名誉監督の御出身校である佐倉ですが、両校は全国大会の出場経験を持たないという点でも共通しています。プロの出身校といえば、誰もが知る強豪校が大半だけに、大選手を生んだ無名校というのは印象に残りやすく、このblogでも「鳶が鷹を生んだ」と題して何度となく取り上げてきました。もちろんそれらも展開に応じて適宜紹介していきます。

近年の山形といえば、もちろん酒田南と日大山形の二強時代です。一定以上の年代ならば、「東海大山形」の名を思い出す人も多いのではないでしょうか。そうです、桑田と清原を擁する全盛期のPL学園に、29対7の大差で敗れたことで今なお語り継がれる、ある意味気の毒なチームがここです。しかし、甲子園の常連校のように思っていたこのチームも、甲子園は十年前の選抜が最後、選手権に至っては18年も遠ざかっています。
改めて過去の記録を繙くと、東海大山形が甲子園の常連だったのは、昭和50年代後半からの十年弱だったことが分かります。すなわち、初出場した昭和57年以降の八年間は、過半の五回を同校、残る三回を日大山形が占めました。しかしこの二強時代も長くは続きません。平成最初の選手権で五回目の出場を果たして以降、東海大山形は一時の勢いを失い、その後の甲子園出場は選手権と選抜各一回のみに終わります。入れ替わるように台頭してきたのが、平成9年に初出場を果たした酒田南でした。以後17回中10回をここが、4回を日大山形が占め、それまでとは違った形の二強時代に移行して今日に至るわけです。
このような栄枯盛衰から思うのは、二大政党が競ってきた英米の政治史です。不動の二強が君臨する宮城の高校野球界を米国の二大政党制にたとえるなら、山形の高校野球界は、保守党、自由党の時代から保守党、労働党の時代へと移り変わった英国の政治史そのものといってよいでしょう。強豪校には本来無関心ながら、王朝の興亡を見るかのような強豪校の移り変わりの歴史を追うのは楽しいものです。

ところで、夏の高校野球でしばしば話題となるのが、勝利数、勝率などに関する県別の通算成績です。近年躍進めざましい東北勢とはいえ、過去の戦績を積み上げられると、西高東低の傾向が顕著に表れてきます。中でも山形は、昨季の終了時点において全47都道府県中勝率、勝利数とも最下位です。しかし、20勝53敗で勝率.274の戦績が、23勝54敗、勝率.299の富山に比べて決定的に劣っているわけではなく、一夏で取り返せない差ではありません。仮に富山が初戦敗退すれば、3勝で勝利数は同点、勝率では逆転できることを考えると、8強、4強まで進出すれば、この不名誉な記録を返上することができるかもしれません。昨年の戦績は過去最高の4強、今や不可能な芸当ではないでしょう。健闘を祈ります…

福島
自身最も多く旅した東北の中で、とりわけなじみの深い土地といえば、何といっても会津のある福島です。しかし、同じくなじみの深い信州などと違い、福島の高校野球にさほどの思い入れはありません。自身にとって福島の高校野球とは、藩校ゆかりの伝統校である会津の戦いぶりを追いかけることにほぼ集約され、あとはせいぜい勿来と勿来工の二校に注目する程度でしょうか。
しいて他の注目校を挙げるとすれば、やや月並みながら磐城でしょう。戦前の選手権出場はわずかに二回という野球空白県だった福島において、最初に出現した有力校が、旧制中学出自の伝統校でもある磐城でした。昭和38年の選手権に初出場して福島県勢初勝利を挙げ、八年後には東北勢として史上三度目、戦後二度目の決勝進出を果たすなど、春夏合わせて九度にわたる甲子園での戦績は、勝利数、出場回数といった数字の面では聖光学院に及びません。しかし、ジャッキー・ロビンソンが黒人大リーガーとして、野茂が日本人大リーガーとして道を切り開いたのと同様、福島の高校野球界を切り開いたこのチームには、永遠不朽の功績があるといっても過言ではないでしょう。

東北地方を二日で縦断、明日は白河の関を越えて関東に入ります。おやすみなさいzzz


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この季節の楽しみ 2014(3)

2014-06-18 23:29:06 | 野球
高校野球の地方大会を展望しつつ、列島を北から南へ縦断しようというこの企画、本日は津軽海峡を越え東北地方を南下します。
二年連続選手権の決勝を戦った光星学院改め八戸学院光星を筆頭として、過去五大会中四大会で、東北から最低一校が四強以上に進出。西高東低の勢力図は様変わりし、深紅の大優勝旗が白河の関をいつ越えるのかが、今や夏の高校野球における見所の一つになったといっても過言ではありません。しかし、このblogはそのような世間の関心には何の関係もなく、あくまで独自の視点を貫きます。

東北地方といえば、自身最も多く旅した土地です。しかし、高校野球の趣味的見地から捉えた場合、東北は決して見所の多い地域ではありません。その理由として、各県の上位陣がほぼ固定化されているという点が挙げられます。東北と仙台育英の双璧が長きにわたって君臨する宮城を筆頭にして、青森ならば青森山田と八戸学院光星、山形ならば日大山形と酒田南の二強が競り合い、福島にいたっては聖光学院の一人勝ちです。代表校が多少なりとも分散しているのは岩手、秋田の両県だけであり、それも今世紀の13大会で見れば、岩手は4校、秋田は6校で代表の座を分け合っているに過ぎません。このように上位陣が極端に固定される結果、戦いが進めば進むほど筋書き通りの展開となり、見ていて興ざめするとでも申しましょうか。
たとえば一口に北海道といっても、南と北では昨日延々語った明確な違いがありました。甲信越なら、山梨、長野、新潟の各県で、規模も展開も全く違います。北陸に転じれば、星稜、遊学館、金沢の私立三校がしのぎを削る石川が東北と似たような状況なのに対し、富山は毎年混戦となる県であり、福井ではいまだに公立校が君臨するなど、やはり県ごとの明確な違いがあります。もちろん、私立の有力校が切磋琢磨してきたことにより、東北の高校野球が大きく底上げされたのは事実でしょう。しかし、地域性という要素が、高校野球の楽しみの少なからぬ部分を占めることを考えると、どこへ行っても同じ展開という東北の高校野球には、合理性、経済性を突き詰めた全国チェーンのような味気なさを感じてしまうのです。

そんな東北に共通する見所を挙げるとすれば、blog開設当初から取り上げている「遠距離対決」ではないでしょうか。かような観点から白眉といえるのは何といっても長野ですが、東北も捨てたものではありません。北海道に次いで面積第2位の岩手、第3位の福島など広大県が多く、六県のうち宮城を除く五県が、都道府県の面積の10傑に入っているからです。長野に比べて街の分布が偏っている結果、対戦の数としては必ずしも多くはないものの、青森の津軽と下北、岩手の北三陸と県南、秋田の県北と県南、福島の会津と浜通りなど、広い県土の両端にあるチームがいきなり初戦で当たったときなどは、思わずほくそ笑んでしまいます。
北海道ほど個性的ではないにしても、「○○館」「××内」など東北らしい地名はいくつかあり、全国津々浦々にある農業高校も、東北の地名がつくと俄然それらしく見えてくるのが不思議です。

それでは、注目校を県別に見ていきます。

青森
青森といえば、北東北の中で最も多く足を運んだ土地であり、特に弘前の頻度は群を抜いています。城下町である弘前には伝統校が多く、中でも真打ちの弘前は、今年創立130年を迎える旧制中学出自の名門で、その歴史は県都にある青森高校をも上回ります。その弘前高校と昨夏の県大会の決勝を戦い、初出場を勝ち取った聖愛は、二年違いの創立128年です。どちらが勝っても初代表と話題になった一戦は、県内屈指の伝統校同士の対決でもありました。
この弘前をも超える歴史を有するのが、明治五年創立の東奥義塾です。このチームの名が全国に知れ渡ったのは、「122対0」という伝説のワンサイドゲームを戦い、一躍B級ニュースの主役に祭り上げられた16年前でした。その印象しか持たなかった自分は、弘前市内に移築保存された東奥義塾の「外人教師館」を訪ねたとき、同校がいかに由緒正しき名門であるかを知り、自らの不明を恥じたものです。しかも、ただ歴史が長いだけではありません。昭和30年代から50年代にかけ、通算四度の選手権大会出場を果たした古豪でもあります。
ちなみに、件の試合で敗れた深浦は、その後木造深浦と名を変えて現在に至ります。正式には木造高等学校深浦校舎といい、早い話が分校です。同様の分校が複数出場するのは青森の特徴であり、他には青森東平内、大湊川内などがあります。もともと単独校だったのが、少子化の影響により近年分校扱いとなったものであり、創立から一貫して分校だった和歌山の日高中津などとは成り立ちが違うものの、今や三校以上の連合チームもある中、単独で出場する分校は貴重な存在といってよいでしょう。

青森の高校野球を語る上で欠かせないのが三沢です。高校野球の楽しみ方の一つとして、その昔全国大会を席巻した、しかし今は長らく遠ざかっているチームに注目するというものがあります。このblogでも、「鶯鳴かせたこともある」と題して、開設当初からその手のチームを追い続けてきました。かような観点から見た場合、青森で随一、全国でも屈指の存在といえるのが三沢です。今から45年前、選手権大会において史上初の「決勝引き分け再試合」を戦い、我が国の高校野球史上における不滅の伝説を作ったのがこのチームでした。
一口に古豪といっても、大正時代の草創期から長らく君臨し、近年新興勢力に取って代わられた伝統校もあれば、いわば「一発屋」に近い存在まで様々です。この点、当時のエース太田幸司を擁した春夏合わせて三回限りの出場経験しかない三沢は、紛れもなく後者の部類に属します。昨年は初戦敗退、例年も一勝できれば御の字という戦績は、無名校と何ら違いがありません。それでも五年前に県4強まで進出したときには、その健闘ぶりを全国紙までが報じたものでした。四十年経っても世間の注目が集まるのは、それだけ先人の業績が偉大だったということでもあります。
余談ながら、引き分け再試合を制した松山商も、前者の部類の代表格として、このblogに毎年話題を提供してくれる「常連校」です。済美、今治西など格上の相手には全く歯が立たず、県大会の終盤を待たずに敗退するのが近年の常であり、当時を含め五度にわたって全国制覇を成し遂げた昔日の面影はありません。それでも敗退するたび全国紙に報じられるのは、三沢と同じ理由によるのでしょう。

ところで、東北の農業高校はいかにもそれらしいと先ほど申しました。しかし、青森で「農」とつくのは名久井農、柏木農、三本木農に五所川原農林の四校であり、数にすれば他県に比べても特段多いわけではありません。東北には農業高校が似合うなどという考えは全くの偏見に過ぎず、八戸水産などの方がよほど青森らしいともいえるのです。しかし、上記のうち三校が、柏農高校前、三農校前、五農校前と駅名にまでなっているのは、全国広しといえども青森しかありません。三農校前は過去帳入りしましたが、それはそれとして…

岩手
岩手の真打ちといえば盛岡一です。全国各地に「一高」がある中でも、仙台一と並ぶ双璧といえるのがこの盛岡一だと私は思います。実際のところ、Web上で「一高」と検索したとき、最初に現れるのは仙台一、次いで甲府一、盛岡一、水戸一の順であり、自分の感覚はあながち誤ってはいないようです。
これらの四校は、歴史のある城下町で、我が国の教育制度の草創期から続いてきたという点において共通しています。しかし、そのような伝統校で「一高」を名乗るものは必ずしも多くありません。大半の「一高」は、何の変哲もない高校が名乗っているだけというのが実態です。それだけに、一高の看板にふさわしい伝統を持つこれらの名門は、非常に貴重な存在といえます。
盛岡一について特筆すべきは、高校野球界においても見事な戦績を残していることです。大正時代の第3回大会に初出場しいきなり4強、その二年後に再び4強という戦績は、実は岩手県勢として花巻東をも上回る空前絶後の偉業なのです。さすがは名門というべきか、上記四校はいずれも選手権大会の出場経験を有するものの、戦前に五回、戦後も四回の選手権大会出場を果たしている盛岡一の戦績は突出しています。近年では、花巻東と決勝を戦った五年前が印象に残るところであり、その後も4強、8強、16強を一回ずつ経験している実力は伊達ではありません。やはり盛岡一こそ「一高の中の一高」です。

その盛岡一と並ぶ古豪が福岡です。岩手の福岡と聞いて、県内最北端の二戸だと分かるのは、よほどの地理ヲタか鉄ヲタのどちらかではないでしょうか。ましてやその小さな町に、県内三番目の歴史を持つ旧制中学があったこと、そのチームが盛岡一と並んで岩手の高校野球界に君臨した時代があったことを、今ではどれだけの人々が理解しているのでしょうか。
夏の高校野球が一県一代表以上となったのは、36年前の第60回からであり、それ以前の時代から通算すると、各県の出場回数は大会の回数を下回るのが通常です。台湾、朝鮮、満州を除くと、最も出場回数の少ない滋賀などは95回中44回しか出場していません。そんな中、岩手県勢は東北六県の中で最多となる72回の出場を誇ります。全都道府県の中でそれ以上の出場回数なのは、毎年二代表が選ばれる北海道と東京、あとは大阪、兵庫、愛知、長野、京都、福岡、和歌山、静岡、広島、神奈川の10都府県しかありません。岩手の出場回数は千葉と並び、埼玉よりも上なのです。これも偏に、戦前戦後の東北において、盛岡一と福岡の双璧が君臨してきたからです。福岡が十回、盛岡一が九回という出場回数は、花巻東の七回を押さえて岩手の二傑を占めています。和歌山中、海草中の両雄を擁した和歌山が、都市部の都府県並みの80回出場しているのと同様の現象が、岩手においても起きていたということです。甲子園には28年のご無沙汰ながら、昨年も県8強に進出するなど、初戦敗退がほとんどなく、例年二勝か三勝するのはさすが古豪といった感があります。
ちなみに、三番目が福岡なら二番目はどこかといえば、150km南下した最南端の一関一です。盛岡一に先んじて、第2回大会に岩手県勢として初出場したのがここで、春二回、夏四回の出場経験を持つ古豪の一つでもあります。

岩手といえば、忘れてはならないのが不来方です。古い地名には、近年の市町村合併によって生まれた軽薄な地名などとはおよそ次元の違う、繊細な美意識が込められています。これを「こずかた」と読ませる先人の感性には脱帽するしかありません。福島の勿来と並ぶ、古式ゆかしい東北の地名の双璧だと思います。全国大会の出場経験こそないものの、例年初戦敗退がほとんどなく、一昨年などは4強にまで進出した実力校でもあります。今季はその名を何度目にすることができるでしょうか。

なお、生来の天の邪鬼としては、被災地のチームを殊更に取り上げるのは好みません。三年前の震災と今の野球を結びつけ、ドラマに仕立て上げようとするかのようなマスコミの姿勢が引っかかるのです。もっとも、八戸水産と並んで三陸らしい職業高校が岩手にもあります。宮古水産の戦いぶりには注目です。

秋田
北陸の福井、近畿の和歌山、四国の高知、九州の宮崎といった具合に、その地方で一つだけ突出して遠く感じる県というのがあります。東北においては何といっても秋田でしょう。酒どころにもかかわらず、めぼしい酒場が全くないという土地柄もあり、秋田は自身にとって最もなじみの薄い東北の県となっています。このようななじみの薄さは高校野球においても例外ではなく、青森、岩手ほどの話題が秋田にはありません。
しかし特筆すべきは、県下一の伝統校が、いまだに県内屈指の強豪校でもあるということです。もちろん秋田のことであり、明治六年の創立は、盛岡一、仙台一をも上回る東北屈指の古さです。その名門が、県内ではもちろん最多、東北でも宮城の二強に次ぐ19回の選手権大会出場を果たしています。今世紀の全国大会出場は11年前の選手権のみ、過去五年を振り返っても一昨年の県8強が最高と、公立校のご多分に漏れず苦戦してはいるものの、「文武別道」の私立校が幅をきかせる今日、秋田は静岡、済々黌などと並ぶ、文武両道を行く伝統校の代表格です。

昨日もかなりの長文でしたが、今日はそれをも大きく超え、なおかつ白河どころか念珠関にも至りませんでした。沖縄にはいつ着くのやら…
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この季節の楽しみ 2014(2)

2014-06-17 23:42:53 | 野球
高校野球の地方大会について、久方ぶりに綴ってみると昨日申しました。気が変わらぬうちに早速始めます。題して「全国大会展望・私の場合」です。
内容は読んで字のごとし、マスコミ各社が繰り広げる「全国大会展望」を、自分なりの視点から綴るというものです。もちろん、優勝候補を予想するなどという陳腐なことをするわけではありません。blog開設以来六年間追い続けた結果、大会ごとの特徴であったり、毎年blogの話題を提供してくれる、「強豪校」とは全く異なる意味での「常連校」がある程度はっきりしてきたため、それを一通りさらうというのが趣旨です。
以下の内容には、過去の焼き直しも少なからず含まれます。というのも、数万単位の試合を追い続けた結果、自分にとっての高校野球の楽しみとは、つまるところマンネリズムに他ならないと気付いてきたからです。それでもなんだかんだで飽きないのは、組み合わせの運不運、勝負のあやといった野球本来の要素が加わるためなのでしょう。同じ名所で花見を繰り返しても、天候、開花状況といった偶然の要素に少なからず影響される結果、毎年訪ねても飽きないのと同じ理屈です。これは見方を変えれば、ある程度までが定型化されてきたということでもあります。その定型化された部分を取り出してみようというわけです。

前置きはこのあたりにして、まずは北海道から順に見ていきます。
北海道の高校野球の特徴といえば、なんといっても「地区予選」という独自の仕組みではないでしょうか。他の都府県とは桁違いに広い北海道だけに、南北に分割するだけでは対応できず、北に六つ、南に四つある支部ごとに予選を行い、それぞれの支部から選ばれた代表が、北北海道、南北海道の各大会を戦うというものです。支部ごとに代表枠の数が違い、最大となる札幌地区には7枠が割り当てられる一方、最小である小樽と名寄は2枠のみというのが、目下世間の注目を独占している「2014FIFAワールドカップ^TM」に似ています。
その地区予選を、最短の名寄地区はわずか三日、最長の札幌地区でも十日足らずで戦い、そこから半月の中休みを経て、一週間そこそこの本大会で南北の両代表が決まります。甲子園まで最大8勝を要する全国屈指の激戦区で、短期決戦の極みというべき緊迫した戦いが繰り広げられているわけです。広い大地でのびのび白球を追いかけるという先入観とは裏腹に、北国の球児たちは過酷な転戦を繰り返すことになります。

それでは、各大会の注目校を見ていきます。もちろん世間の評判とは何の関係もない、自分自身の趣味的見地から選んだチームです。

★北北海道
繰り返し語ってきた通り、自分にとって高校野球の原点とは、新聞に載るたった一行の試合結果から、旅した土地に思いを馳せることにあります。かような観点からすると、最も心惹かれるのが北海道、とりわけ北北海道の地区大会に登場する小さな町のチームです。
北海道に渡ったとき、文字通りに何もない道を延々走っていると、時折現れるごく小さな町にも、人々の生活の臭いが感じられて、やけに懐かしく思えることがあります。そんな町の名前を冠した高校が、紙面の片隅にさりげなく登場しているのを見つけ、その町を訪ねたときの記憶をしみじみと振り返るのがよいのです。
旭川、釧路、帯広、北見といったある程度大きな町の高校はさておき、北北海道の高校は多かれ少なかれそのような一面を持っています。その中からあえていくつか絞るとすれば、やはり北海道らしい響きの地名でしょう。それも、字面からして美しい地名というのはとりわけ心惹かれるものがあります。白眉といえるのは何といっても霧多布、他にも訓子府、女満別、興部、美幌、足寄、音更、鹿追、弟子屈など枚挙に暇がありません。佐呂間、阿寒に羅臼といった、北海道の大自然を連想させる校名もまた秀逸です。

宿命といわなければならないのは、これら郡部のチームは地区予選でおよそ姿を消すということです。昨年も、北北海道大会に進出した16強のうち、郡部のチームはわずかに3つでした。過去の代表校を振り返っても、北海道大会が南北に分割されてから昨年までの55回のうち、郡部のチームが出場権を獲得した例は30年前の広尾と24年前の中標津しかありません。郡部から選手権大会を勝ち上がるのは、それほどまでに難しいことなのです。長く雪に閉ざされ、練習相手を探すのも容易でないという環境からすれば、それも致し方のないところでしょう。いかにも北海道らしい地名が、年に一度か二度紙面に現れ消えていくという儚さは、ある意味北北海道ならではの見所といってよいかもしれません。

そんな中、郡部としては別格の強さを誇るのが遠軽です。このチームが四度にわたって代表の座に王手をかけながらも、その都度涙を呑んできたことについては、過去に綴った通りです。その健闘ぶりが認められ、昨年の選抜大会で甲子園初出場を果たしたことについても記しました。しかしながらそのとき感じたのは、「21世紀枠」なる余計な注釈がついたことによって、初出場初勝利の価値がわずかに減じられてしまったという歯がゆさでした。自力で出場権を勝ち取るだけの実力がありながらも、常にあと一歩及ばないところは、相撲にたとえるなら稀勢の里のようなものといえばよいでしょうか。
しかし、このようなチームであればあるほど、判官贔屓の心情に強く訴えるものです。高校野球の勝ち負けには本来無関心ながら、彼等の戦いぶりには今年も一喜一憂することになるでしょう。

★南北海道
話題の豊富な北北海道に比べ、南北海道にそれほどの見所はありません。六つの支部に比較的偏りなく散らばる北北海道に対し、南北海道は全出場校の半数近くが札幌地区という一極集中型だけに、校名も「札幌」を冠したものが非常に多く、悪くいえば無個性です。倶知安、寿都、真狩、壮瞥など、北海道らしい地名がないわけではないものの、数が全く違います。

そんな中、南北海道ならではの見所を挙げるとすれば、函館、小樽の伝統校ではないでしょうか。函館ならば函館中部、函館西と函館商、小樽ならば小樽潮陵に小樽桜陽といったところが代表格です。
自分流の高校野球の楽しみ方として、「伝統校に注目する」というものがあります。ある程度大きな街には、我が国の教育制度の黎明期から続いてきた高校が必ずあるものです。そのような伝統校の名前を紙面の片隅に見付け、先人が作り上げてきた歴史と伝統に思いをいたすのが、場合によっては試合結果を追いかけるより楽しいのです。
かような観点から見た場合、そもそも他の都府県に比べて歴史の浅い北海道には、見所がほとんどないようにも思われます。実際のところ、江戸時代の藩校を出自とする創立三百数十年の名門に比べれば、北海道の伝統校などたかが知れてはいるのです。しかし、そんな中でも別格といえるのが函館と小樽です。今や名古屋に次ぐ大都市となった札幌も、道内最大の都市となったのは昭和10年代のことであり、それ以前は函館、小樽の方が上でした。旧制中学、高等女学校、商業学校を出自とする三校が揃い、そのどれもが一世紀を超える歴史を有するのは、道内では函館、小樽の二都市しかありません。小樽商に野球部はありませんが、それはそれとして…
風格こそ上記二都市に譲るものの、東西南北の道立四天王を擁する札幌も、伝統校の数にかけては道内随一です。中でも春夏合わせて47回の全国大会出場を誇る北海は、明治18年創立という道内最古の私立校でもあります。道内での圧倒的な強さと裏腹に、全国大会ではなかなか勝てない内弁慶ぶりもこのチームの特徴で、選手権に歴代最多タイの35回出場しながら17勝で.327の勝率は、出場回数20回以上のチームとしては、次点に一割以上の差をつけられての最下位ですorz

ちなみに、北では16ある本大会の出場枠が、南では15という半端な数になります。以前は南北どちらも16強で戦っていた本大会において、南だけ1枠減ったのは三年前のことでした。それまで4枠だった室蘭地区が3枠に減らされたためです。
これにより、代表枠に対する倍率に関して地区ごとの格差が大きくなったばかりか、南北海道の組み合わせで余った1チームは、その時点で8強以上が確定するなどの不公平が生まれました。去年の例でいうなら、14チームが2枠を争う小樽地区では、シードされれば2勝で本大会に進出でき、さらにくじ運がよければそこから3勝で甲子園です。ところが25チームに対して3枠の室蘭ならば、地区予選で最大4勝、本大会で原則4勝しなければなりません。しかも、同じ地区にはあの駒大苫小牧を筆頭として、北海道栄、鵡川といった強豪がひしめき、無名校がそれらの壁を乗り越えるのは至難の業です。かくも理不尽な仕組みがなぜ導入され、今なおまかり通っているのかが、自身にとって北海道の高校野球に関する最大の謎でもあります。

東北まで進むつもりが、結局北海道だけで終わってしまいました。どうやら開幕までに列島を縦断するのは難しそうですね…
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この季節の楽しみ 2014

2014-06-16 21:59:42 | 野球
旅から旅の暮らしが終わると入れ替わるように始まるのが、夏の高校野球の地方大会です。今週末に開幕する南北海道と沖縄を皮切りにして、全国各地の戦いぶりを紙面で追いかけるのが、今後一ヶ月の生活の中心となります。今朝の朝日新聞にも「地方大会展望」なる特集が丸々三面を使って組まれました。いよいよこの季節が来たかと思うと、高知の開花の便りを聞く三月下旬のような高揚感が迫ってきます。
このblogを開設した六年前、旅の閑散期の穴埋めとして、高校野球の話題を思いつくまま綴ったのがそもそもの始まりでした。それが年を重ねるにつれ深みにはまって行き、四年目の後半からは構想が膨らみすぎてまとめきれないという事態に陥り、一昨年昨年はblogに一度も掲載できず、そのまま今季の開幕に至るわけです。日毎紙面に登場するたった一行の試合結果を眺め、旅した土地に思いを馳せることから始まったこの趣味ですが、毎年掘り下げて行くにつれて、一口に地方大会といっても「所変われば品変わる」だということに気付いてきました。それがblogにまとめきれなくなった最大の理由でもあります。その日の試合結果を眺めるだけならともかく、そこから過去の戦績、学校の歴史といったことまで調べ出すと、とにかく膨大な時間を消費するのです。まとめきれる範囲で端折るという芸当が、凝り性の自分にできるはずもありません。復活を試みながらも挫折するという展開が、今の時点でありありと予想できます。
しかし、一昨年、昨年と二季にわたって追いかけた結果、過去blogに綴ってきたのとはやや異なる見方が蓄積されてきたのは事実です。毎日の更新は難しいとしても、今季の開幕に先立ち、それらの視点から地方大会を概観してみるのも一興でしょう。その構想自体、またしても拡大しすぎてまとめきれなくなる可能性は十分にあるものの、明日以降時間の許す範囲で綴ってみたいと今は考えています。もし実現すれば三年ぶりの復活です。お楽しみに(ニヤリ)
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