昭和村 名前の如く昭和2年に野尻村と大芦村が合併して誕生した村です。
ここ昭和村には会津を代表する美しき木造校舎、喰丸小学校が有名ですが、
取り壊されるという話が出ては消える状態なので、
いつまで残るかは判りません。
本来はもう取り壊されている頃ですが、たまたま映画のロケに使われたことも有り
しばらく延命している状態です。
そんな喰丸小学校から野尻川沿いを下ること7~8キロ。
道路沿いに不意に現れた野尻小学校の講堂。
校舎は取り壊されてしまったようですが、木枠のガラス窓の講堂はきれいに手入れされ残っています。
門柱には今だ「野尻小学校」の名板が掲げられています。
シーソ型の旋回遊具が錆び付きながらも現存していました。
廃校記念碑らしきものは確認できませんでした。
講堂に付帯して老人福祉関係の建物も有りますが、
学校時代のものではなさそうです。
沿革
大芦小学校の分校として創立
明治34年 野尻小学校として独立
昭和55年 喰丸小学校、下中津川小学校、大芦小学校、大芦小学校畑小屋分校と共に昭和小学校に統合


奥に見える建物は老人福祉関係の建物。色合いやデザインは学校時代のものに合わせてありますが新しいものです。


積雪による破損を防ぐため2メートルの高さまで板で補強された窓。
残念ながら中を見ることができませんでした。

ここ昭和村には会津を代表する美しき木造校舎、喰丸小学校が有名ですが、
取り壊されるという話が出ては消える状態なので、
いつまで残るかは判りません。
本来はもう取り壊されている頃ですが、たまたま映画のロケに使われたことも有り
しばらく延命している状態です。
そんな喰丸小学校から野尻川沿いを下ること7~8キロ。
道路沿いに不意に現れた野尻小学校の講堂。
校舎は取り壊されてしまったようですが、木枠のガラス窓の講堂はきれいに手入れされ残っています。
門柱には今だ「野尻小学校」の名板が掲げられています。
シーソ型の旋回遊具が錆び付きながらも現存していました。
廃校記念碑らしきものは確認できませんでした。
講堂に付帯して老人福祉関係の建物も有りますが、
学校時代のものではなさそうです。
沿革
大芦小学校の分校として創立
明治34年 野尻小学校として独立
昭和55年 喰丸小学校、下中津川小学校、大芦小学校、大芦小学校畑小屋分校と共に昭和小学校に統合


奥に見える建物は老人福祉関係の建物。色合いやデザインは学校時代のものに合わせてありますが新しいものです。


積雪による破損を防ぐため2メートルの高さまで板で補強された窓。
残念ながら中を見ることができませんでした。
