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星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(19)最終回。

2018-08-13 | DEAN FUJIOKA
「モンテ・クリスト伯〜華麗なる復讐」最終回のあのシーンについて書こうと思いながら2カ月が経ってしまった。
あのシーン・・・留美がいた教会が実際にどこにあって、あのステンドグラスには何の絵が描かれていたのか。信頼できるディン友さんが調べて教えてくれた。彼女はすでにその教会に行ってきたとのこと。羨ましい〜!
その絵の中の1枚は「善きサマリア人」で、どんな人にも愛を持って接しなさい、という教えを伝えるものだそうだ。

***
あるユダヤ人が旅の途中で追いはぎに襲われる。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がそこを通りかかったが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。レビ人も同様に、助けずに通り過ぎる。しかし、サマリア人(ユダヤ人がとても軽蔑している民族)が、その人を見て憐れに思い、助ける。近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日になると銀貨を宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(新約聖書 ルカによる福音書10章25節から37節 より)
***

あえてこの話に当てはめると、周囲の人に嫌われていた暖(真海)がこのサマリア人だということになるだろうか。追いはぎが入間で、その人とは留美のこと。留美の本当の隣人になったのは、真海だった、と。真海という人間をどう捉えるかという点でも、面白い見方だと思う。
一つ大きな違いは、サマリア人が助けた理由が憐れみの気持ちからだったが、真海が留美を助けた理由は敬意であり、留美への感謝だったという点。
もっとも真海もただの人助けではなく、入間への復讐を遂げるには、留美によって真相を暴露させることが最大の効果であると計算したからとも言えるけれど。


ステンドグラスの絵の意味についてまったく知らない状態で見た時、私が素直に思ったのは、留美もまた「絶望の嘆き」を抱えた人。第二の真海、プチ真海がここにいる!と。
神楽と結婚してからの夫の冷遇、そして、いま教会で、自分の息子が父親である入間に再び殺されたことを察知してしまった。
完治のからのブレスレットを入間が留美にと渡したことで気づいてしまった。母親の勘はすごいね。「船の名前は?船長さんは?」「前も生きてることに気づいてて埋めたんじゃないの?」
入間が「いいかげんにしろ!」と逆ギレ、「あの子にとって最善の方法を選んだ」と返す。それを聞いてすぐさま「人殺し!」と留美が叫ぶも、入間は置き去りにして行ってしまった。「あなたはあの子を二度も殺した」・・・・・・これこそ出口のない絶望の嘆きそのもの。留美はもうとても立ち上がれる状態ではなくなっている。





教会の扉が開いて室内にさっと光が差し込む。入ってきたのは真海。「お祈りですか?私たちの祈りは神に届いているのでしょうか?」と。
ここ、真海と留美は同じ境遇なんだと感じたシーンだ。届かない祈り、それでも祈り続け、問い続けている二人。
よく見ると、教会の中は光と闇の真っ二つに分かれた世界になっている。光の側に立っているのは真海。闇の側に座り込んでいるのは留美。闇に向かって左手を差し伸べ、留美を立ち上がらせる真海。
この瞬間の真海が何度見ても天から降り立った人に見えてしまう。(黒い闇の世界にいるはずの真海がなぜ?きっとここでは光をもたらす存在だからなのだろう。留美にとってはこう見えたのではないかと思う。)







「すべてを知ってたんですね」「ええ」。闇側と光側で交わされる歪みのない誠実な会話。「ありがとう息子に会わせてくれて」「私の計画には幾つかの誤算がありました。そのうちの一つがあなたです、留美さん。あなたの持つ強さ、母親の愛情に心から敬意を表します」。そして「これは感動をいただいた感謝のしるしです」と封筒を手渡す。
「神の裁きを」と言って、もう一度祭壇の方をきっぱりと見る真海。その封筒の中身を確認し、真海が出て行った方を見ながら留美の口から出た言葉が感動的。
「神様・・・ありがとう」
絶望の中にいても愛を失わなかった留美。息子への強い愛が希望となっていたのか。動き出した心臓のように早いテンポの音楽が重なる。留美がどん底から救い出されたこのシーンは何度見ても鳥肌。

このインタビューによれば「結構一言一言のセリフが深いんですよ。パンチラインがすごく効いてて、名言が可もなく不可もなく詰まってる。すごく良いシーンだなと思いましたね。」とのこと。


祈りについて、赦しについて、2018/7/3に放送されたラジオのインタビューではディーンさんがこんなふうに答えていた。
真海になって経済的自由、肉体的自由が得られても、ずっと気持ちは囚われたまま。赦しとは自分を赦すのか、他人を赦すのか。赦しとは誰から与えられるものなのか。
モンテ・クリスト伯の原作にあるのは、キリスト教徒が神に対して皆が持つ同じ質問。届いてます?この祈り。私のことちゃんと認識してます?みたいな。最終的にエンディングで示されるのが、待つことと、希望を持ち続けることっていうのがその一つの答えなわけです、と。

その時は出口がなくても、いつかは出口が見つかる。希望さえ失わなければ。

本当に素晴しいドラマ。何度でも見たい。そして、今なおモンクリロス。


●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(1)第一話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(番外編)第一話。 
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(2)第一話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(3)第二話。
●モンテ・クリスト伯と「西の魔女が死んだ」。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(4)第二話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(5)第三話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(6)第三話。
●「モンテ・クリスト伯」原作・TVドラマ比較<人物>
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(7)第四話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(8)暖とすみれと音楽と。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(9)第五話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(10)第五話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(11)第六話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想番外編(12)第七話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(13)第七話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(14)第八話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(15)第八話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(16)第八話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(17)最終回。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(18)最終回。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(19)最終回。
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