星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

モンテ・クリスト伯と「西の魔女が死んだ」。

2018-04-29 | DEAN FUJIOKA
先日ディーンさんが「モンテ・クリスト伯」についてツイートしていた中に、こんなハッシュタグがありました。

#人は死んだらどこへ行くのか

>> ディーンさんが死を意識した撮影現場のインタビューはこちら。

ディーンさんとは直接関係ないけど、このカテゴリーに入れておきます。
普遍的な問いかけだからリンクできる対象はたくさんあると思いますが、昨日、録画DVDから「西の魔女が死んだ」をたまたま見てみたら、ズバリな台詞が出てきたので。作品は梨木香歩さんの同名の小説を映画化したもの。西の魔女といえば「オズのまほうつかい」にも出てきますが、これは主人公「まい」とおばあちゃんの物語。そのシーンの台詞をちょっとだけ・・・(抜粋・要約もしています)。

***
まい「人が死んだらどうなるの?」
おばあちゃん「おばあちゃんが信じてることを話しましょうね。死ぬということは魂が体から離れて自由になることだとおばあちゃんは思っています。魂は体から離れても長い旅を続けなければなりません」
まい「じゃあ魂が、わたし?」
おばちゃん「まいは魂と体がいっしょになって、まい、なんですよ」
まい「死んだらこうやって考えてる私の意識はどうなっちゃうの? 私はそれが消えて無くなるのが怖いの」
おばちゃん「お腹がすいたら怒りっぽくなる人がいるでしょう。体が意識に影響を与えているから。死んだらその体がなくなるから、今と同じとは言えませんね」
まい「それなら体がなくてもいい。苦しむために体があるみたい」
おばあちゃん「でもね、魂は体を持っているからいろいろなことが体験できるんです。体験しないと魂は成長できないんですよ。それが魂の本質だからしかたない。草や木が光に向かって伸びていくように、魂は成長するしかないんです。それに体があると楽しいこともいっぱいありますよ」
***

草や木が光に向かって伸びていくように、魂は成長するしかない。「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんは素敵なガーデナーでもあるのでこんな言葉が出てきたんですけどね。ドラマ「モンテ・クリスト伯」第2話でファリア真海が暖に遺した言葉「光の導く方へ進め」にも通じるなあと思いました。
体が魂に影響を与える。暖の魂がモンテ・クリスト・真海という別の体を持った時、どう変わってゆくのか。転生って、そういうことなんだよね。




西の魔女が死んだ Blu-ray スペシャル・エディション
イングリッシュガーデンや手作りが好きな人にもオススメ。



西の魔女が死んだ (新潮文庫)
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。



●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(1)第一話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(番外編)第一話。 
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(2)第一話。
●モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-感想(3)第二話。
●モンテ・クリスト伯と「西の魔女が死んだ」。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画「空飛ぶタイヤ」完成披... | トップ | ラジオで「Echo」。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

DEAN FUJIOKA」カテゴリの最新記事