青春メモリー ・好き勝手な人生で良かったのか? 自分探しの旅に出よう !

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「拓郎」とニアミスしたっけ

2018年10月11日 | 青春回想録
あれは、吉田拓郎の人気がどんどん急上昇して来た頃だった。

深夜放送も面白くコンサートがあれば、行こうと思っていた時、学園祭で、「吉田拓郎
ライブコンサート」の開催を知り、安めのチケットを手に入れ文京公会堂へ向かった。

遅れたわけでもなかったが、すごい人で、いつまでたっても入れずもう前座が始まってしまっていた。
皆ブー、ブー騒いで、券の払い戻しよりも、ここまで来て入れないで、帰ることが、我慢ならず、何か
良い方法がないかと考え、学園祭の実行委員会主催だから、入場券を強引に渡し何とか工夫をして
マァマァマァと入っちゃいました。


何だかあわてていてわからなくなって・・。
ここはどこだろうとキョロキョロしながら奥へ入って行くとステージのすぐ近くだ !


前座が、終わったところで袖のところで立っていると何だか人の気配がして、ふっと振り返ると
「吉田拓郎」!「邪魔な学生だな」という感じで、僕の服を少し擦ってステージの椅子に座り
セッティングをしています。

間も無く幕が上がり、お得意の低音のいい声で、トークが始まりました。

ウケ狙いで、ズボンをググッと上にすりあげ観客の女の子達から失笑を引き出します。

「上手いな~」

そんなこんなで、とても満足して帰ったのは

もう、何10年も前の学生時代の貴重な思い出でした。

極真空手を習いに行こうと決意した頃

2018年10月11日 | 武道ブログ
大学寮の早朝修練を2回生になり柔道からマラソンに変更して、サッと脇へ入りサボり漫画の本を読んでいた。

それが「空手バカ一代」だった。

どんどん気持ちが入っていって著書も、それ系の漫画も何冊も読み大会も10回大会から見に行き、やるにしても骨折は必ずするだろうと思った。

それなら自主トレをしっかりやって体をパンパンにしないといけないと思い鍛え始めた。

まだ大学を卒業しても東京にいたので池袋へ興味本位で見に行ったりしていたが、小さな公園で「松井」が練習をしていた。凄く太っていた。

そして、いろいろあり、数年後に札幌に帰り昼は仕事で、高木道場に入門した。

自主トレでは拳立を卒業し5本指立て、2本親指と減らし、親指でも36回出来るようになったので、それで倒立してみると3秒立った。

腹筋・背筋・柔軟・二本指立て伏せを日課にしていたのでトレーニングセンターでも何とかついていくことができていた。
吊り下げボールも2番目までは蹴れた。たただ怖いのが昇級審査だった。筆記と魔の10人組み手(スパーリング)。組み手で負けても、鼻血・鼓膜が破れても10人終えるまでは途中棄権できないようになっていた。

そこには真の武道の姿があった。

黒帯まで頑張るのではなく黄色帯で他流派の黒帯と同等と聞いていたので、その上の緑帯を目指し通っていたが最後黄色帯を取って 終えた。根性無しである。

でも、おかげで運転であおられて表に出ても全然怖いことはなかった。
でも1度だけ負けた。彼女と一緒のやつで車で喧嘩になり互いに降りて間接蹴りを交わされバカーンと食らわされた。「族」の頭のようなやつだった。すったもんだしてると彼女が「もう行きましょうよ」でお終い

でも空手により良い経験をして、さらに挨拶がしっかりとして警察周りの営業の仕事でも、可愛がられ寝ないで走る仕事でもトコトン体がついてきてくれた。

空手を習いに行った事は間違いではなかった。 大変感謝している。