思えば母の時も間に合わなかった。
離れて暮らしていたのだから覚悟はしていたし、仕方ないことだと思っていた。
でも急に、最期を看取ることが出来なかったことがつらくなってきた。
私には二人の母と父、三人も親がいたのに、誰の死に目にも立ちあえなかったわけだ。
せめて母のそばにいて手を握って見送りたかった。
父が息を引き取るのを見届けたかった。
仕方ないこと、と強がっていたが悲しくて今小さい子どもみたいになっている。
明日から遺品整理。
死んだ男の残したものは………膨大な本と書き続けた日記と写真と衣類と家具と電化製品とCDとガラクタと…
何も残さなかった男の死は哀しいが、こんなにいっぱい山のようにいろんなものを残されると…哀しむ前にため息が出る。
主が死ぬとその家に残る全てのものがゴミになるという現実。
この家にあるもので欲しいものは無い。
思い出なんて無くても私は平気。
少~し歪んでるかな私の死生観。
昔々、寺山修司が書いた歌
時には母のない子のように
あれは本当です。