ももママの心のblog

猫が大好き。有料老人ホームで生活相談員をしています。映画が好きだけど、なかなか見られません。

からし種のたとえ

2006-01-28 | キリスト教
それは、からし種のようなものである。
日曜日の子どもの礼拝で説教をすることになっていた。聖書箇所は有名なイエスのたとえ話である。(マルコによる福音書 4:30~32)からし種は小さいが、畑に蒔くと成長してどんな野菜より大きくなり、葉の影に空の鳥が巣を作れるほど大きくなるという。それを神の国にたとえている。
神の国と言うと天国。そして、死んだら行くところと長年思っていた私であるが、ここで言っている神の国とは、神様の支配が完全に行われているところという意味である。愛と平和と平等、正義が行われるところと言って良いだろう。それは雲の上の事ではなく、私たちが生きている現実世界の事であり、神の国の実現については、私たち一人一人が関係する事である。
神の支配がすべてを覆う世界の実現に、私たち一人一人が関係すると言っても、たいそうなことを望まれているわけではない。小さなことが大切とここでイエスは言っている。
公民権運動ではマーティン・ルーサー・キングが有名だが、子どもたちに公民権運動の発端となったバスボイコット運動の話をすることにした。奴隷解放がされたと言ってもきつい差別の中で暮していた当時の黒人たちの生活を伝える事はできないが、ごく普通の人であったローザ・パークスの行動がこの運動のきっかけになった。ウーピー・ゴールドバーグ主演で映画化されているのでそれで知った方もいるだろう。(私もそのクチ)
当時何もかもが白人用と黒人用に分けられ、バスも白人は前の方、黒人は後ろの方に座ると決まっていたし、混んで来たら黒人は白人に席を譲らなければならなかった。もちろん、ちゃんとお金を払っていても、である。
 1955年の12月1日、アラバマ州のモンゴメリー(黒人の多い南部で、差別のきつい街です)で、一人の黒人の女の人が買いものを終えてバスに乗り込んだ。それがメイドをしていたローザ・パークスである。その日、ローザがバスに乗り込んだ時、バスはまだ空いていて、黒人席の最前列に座った。ところがいくつかの停留所を過ぎたところで、白人席が一杯になってしまって、何人かの白人が座れずにいた。するとバスの運転手が黒人席の方にやって来て、最前列に座っていた人たちに言った。「オイ、黒んぼ。席を代われ!」 何人かの人は言われるままに席を代わったけど、ローザだけは控えめに言ったのである。 「No, sir.」拒否したのである。今の時代だったら、当然の行動と言えるかもしれない。 ところが当時は違った。白人だというだけで威張っていた時代である。その運転手はその足で警察を呼びに行って、ローザを逮捕させてしまった。このことを聞いたモンゴメリー市の黒人住民たちは、すぐに抗議の集会を開き、バスの運行を管理していたモンゴメリー市当局に抗議をした。そしてその抗議運動の指導者として、ローザの通っていた教会に赴任したばかりの当時まだ26歳だった若い牧師を選んだのである。その牧師こそ、M.L.キング牧師でした。 キング牧師が抗議運動の方法として取り入れた方法がバスボイコット運動でした。キング牧師の呼びかけに応えて、それから1年間、モンゴメリーに住む5万人の黒人たちが目的地まで、バスに乗らず黙々と歩き続けたのです。このバスボイコット運動が公民権運動の発端となって、全アメリカを覆っのである。1968年4月4日、にキング牧師は暗殺されてしまうが、その意思は引き継がれ、50年経っても私たちを感動させてくれる。
最初はローザ・パークスが座席を譲ることを拒否した事から始まったバスボイコット運動が、公民権運動として発展し、アメリカの新しい法律を作るまでになったのである。
最初は小さな小さなからし種のような事から、大きなものが育った。イエス様が言ってるのは最初から大きなものを求めることではない。心の中にある小さな種を大切にして畑に蒔くことを求められているのだと思う。
子どもたちはどう受け取ってくれただろうか?

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