Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

日本平で「きょうだい会」(2)

2017-01-31 23:02:27 | Weblog

 朝7時に目を覚ました。カーテンを開けると空気の澄んだ晴天の中で昨日よりはっきりした富士山が見えた。室内は暖かかったが、窓越しに見た外は、より寒さが厳しそうであった。朝食はホテル玄関正面のラウンジに設けられていた。昨夜は分らなかったが、ここには若い家族ずれのお客さんが占めていた。朝食はバイキングであり、一角のテーブルに座って食べたが、周りは、東洋人の家族のようで、言葉から中国人かと思った。大きな声を出すような人はいなかったが仕草で分かった。多分いま中国は春節であり、この日本平から富士山の眺めは良いとネットで広がっているのだと思った。バイキングは美味しそうで、いつもの朝食より多めの料理を食べた。ここでも、ラストオーダーの午前9時以降まで話し込んでいた。

 今日は義弟が午後1時に病院に行くことになっていて、妹も同行することからそれまでに帰らなければならない。それ故、予定していた三保の松原やいちご狩りを止め、代わりに母の妹で私達きょうだいに良くしてくれた90歳を超えた叔母さん夫妻が施設に入っていることから見舞いに行くことにした。6人いた母のきょうだいも今は2人だけになり、その一人も介護施設に入ってしまった。その方は、体は弱っていたが頭はしっかりしていて、施設に入っていることは自分の子供以外は誰でも知らなかった。しかし瀬名の妹は、その叔母さんに可愛がられ以前見舞いに行ったことがあり訪ねることにした。

 そこは、市内大浜地区にある施設で、あまり大きくなく、こじんまりとした施設であった。そこに夫妻で入っていたが叔母さんは、以前と変わらない様子に見えたが体の自由は以前より利かなくなっていた。御夫妻で喜んでくれ私達が帰るのを嫌がって離さなかった。この施設は介護士が昼夜2人の面倒を見てくれるところで安心して預けられたと聞いた。そこを出て、妹達は義弟を迎えに行き病院から帰ってきてから昼食をすることになった。それ故私は一旦家に帰った。妹から電話があったのは午後1時40分ごろで「病院の診察が終わったので今から迎えに行く」とのこと、その自動車に乗って昼食を食べに行った。

 その店は、清水公園に近い寿司屋で姪が知っていた。「鮨処〇〇〇」と云ったが初めての店であったが、行くと音楽の先生ご夫妻も来ていた。奇遇で驚いたが先生はこの店の常連のようであった。きょうだい会には義弟も入って5人になったが、板張りの床に掘りごたつのようになっていたところに座った。この店は本マグロや南マグロを使ってマグロ丼が人気があり私達はそれにした。食べたが、それは満足できるものであった。そこから、大谷の久能いちごを販売に店に行った。インフルエンザで来れなかった三島の弟に贈るためであった。ここで解散となり次回のきょうだい会を楽しみにしてみんなと別れた。