moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

ソバ屋のマーチ

2004-09-16 18:11:43 | コラム、というか
楽と空間との関係については、興味がつきない。BGMなどというなまやさしい次元をはるかに超えた、なんというかもっと〈暴力的〉な拘束力が音楽にはある、と気づいたからだ。

それは、上野のとあるソバ屋での出来事だった。そこはかなり広い店ではあったが、ちょうど昼どきだったこともあり、店内は近隣ではたらくサラリーマンらでごったがえしていた。相席はあたりまえ、それでもやってくる客はあとをたたない。運ばれてきたソバを半分ほどたいらげたところで、ふと店内に流れる音楽が耳についた。「マーチ」だった。いちど気づいてしまったからにはもうだめだ。やけに景気のいい「マーチ」が気になってしかたない。挙げ句の果てには、客がみんなマーチにあわせてソバをすすっているかのようにみえてくる始末・・・。

それにしたって、なんでこの珍妙な状況にずっと気づかずにいたのか。答えはかんたんだ。ソバ屋とマーチ、どうかんがえたって結びつくはずのないふたつの要素が、なぜかその空間ではごく自然に当然のごとく結びついていたからだ。せわしなくソバをすする人々とその間をいそがしく立ちはたらく女店員たち、厨房からきこえてくるおやじの怒声・・・マーチは、このランチタイムのプチ戦争状態のサウンドトラックとしては、まさに申し分のないものといえた。

おそらく数十年にわたって、客はこうして、その店で知らず知らずのうちに〈戦争〉に巻き込まれてきた。景気のいいマーチにのって、火の玉のような勢いでソバをすすり、そしてふたたび「仕事」という名の〈戦場〉へとかえってゆく。「高度経済成長時代」と変わらぬモーレツな光景が、その上野のソバ屋では今なお日常的にくりひろげられていた。一方、休日にそんな様子をのほほんと眺めているビューティフルなぼくはといえば、そこではあきらかに浮いた存在、さながら〈非国民〉であった。

くれぐれも、ソバ屋のマーチには気をつけなければならない。