船橋情報ビジネス専門学校

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日本サッカーのシンボルマーク

2024-07-19 08:35:32 | Weblog

こんにちは、事務の粕川です。今日から梅雨明け、夏本番、体調管理に留意して暑さを
乗り切りましょう。

少し前ですがGWに熊野三山へ詣でて参りました。
熊野といえば今では紀伊半島の南端に位置し、関東ではなかなか行きにくい場所に位置し、
人口減、高齢化の波が押し寄せる地方の町です。しかし、古来から水運が盛んで開けて
いたことから、船を水難から守り、安全な航海を祈願する場所として熊野で神社が成立し、
古来より天皇家との係わりが深いこともあり大きな神社として発展したと思われます。

天皇家との関係は、日本の国生みのイザナギ神の墓で「花の岩屋」という日本最古の神社の
ひとつが熊野に鎮座しています。また、初代神武天皇の大和国入りをこの地から行ってい
ます。古代より日本成立に深く係わっている土地なんですね。

八咫烏(やたがらす)については、この地から神武天皇の大和入りを道案内したことで知られ
ています。神武東征を成功に結びつけたことから事業等を成功に導く神として各神社では祀られ
ているようです。

しかし、熊野の地と神社の言われでは、八咫烏がサッカーは結びつきません。
日本サッカー協会のシンボルマークが八咫烏(やたがらす)がなぜ採用されたのか?
私も知りませんでした。

答えは熊野那智大社近くにある2012年女子W杯サッカー優勝メンバーの足型のモニュメント
がある場所にありました。
その由来が記されている碑があります。そこには「和歌山県那智町(現那智勝浦町)出身の中村
覚之助(明治11年-39年)という人物が、日本にサッカーを広めた人物で、明治35年(19
02年)東京師範4年の時、フットボール部を創設。これが現在のサッカーの日本での始まりと
され、中村氏の出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏をヒントに発案されデザイン
化したとされている。」とありました。

今でも日本サッカー協会の方は大きな大会があると詣でてくれると地元ガイドの人が
教えてくれました。

熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社それぞれに八咫烏は祀られております。
それぞれ八咫烏をモチーフにしたモニュメントがあり、比べて見るのも面白いです。
サッカーファンの方には、是非、詣でて頂きたい神社です。


尚、神社ごとに異なる八咫烏デザインの「牛王宝印」が受けられます。なかなか文字に
味があり、魔除けのお札としてとして人気でお土産によいです。我が家では熊野那智大社の
お札を購入し飾りました。
今年のパリ五輪のサッカー競技では「お札」を手元において熱く「JAPAN」を応援
できそうです。

 


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