吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

エジプト・トルコの旅(その2/2009年7月20日~21日)

2022-03-02 10:17:00 | 愚行を固執すれば賢者となる
さて(その1)からの続きです。

エジプトへ行く前、アラビア語を専攻している友人からアラビア語をちょっとだけ教わりました。

友『アラビア語で「貴方」は「アンタ」って言うんだ。アラビア語には「アンタ・アホヤ」って挨拶があって「アホヤ」は「兄弟」なので「(アッラーの御前では)あなたはわたしの兄弟」という意味になる』
私『へー』
友『車をぶつけられて、降りてきた相手が「アンタ・アホヤ」と言うのを聞いて怒り狂った日本人がいる、という笑い話があるんだよ』
私『そりゃオモシロイなあ(笑)』

さっそく使ってみました。
エジプトの土産物屋で店員に近づいて(親しみをこめたつもりで)・・・
私『アンタ・アホヤ』
店『誰がアホやねん💢(なぜか大阪弁🤪)』
私『・・・』💦
大失敗でした(笑)⤵️。

せっかくですからビラミッドとスフィンクスの写真を飾っておきましょう。


※ギザの三大ビラミッド群。


※クフ王のビラミッド(映画『トランスフォーマー/リベンジ』で壊されたヤツです❗)


※この門をくぐるとスフィンクスがっ‼️


※スフィンクスとビラミッド、抜群の構図。

スフィンクスを観た後は、例によって観光客相手の土産物屋へ。エジプトの香水瓶を売り付けられそうになりましたが、ワタシはそんなものはマッタク関心がナイのです。添乗員の目を掠めて隣のお店へ・・・添乗員は『指定された土産物屋さん以外は行かないでください(吹っ掛けられますよ)』と言っていたけれど、ナニ構うことはない、キチンと交渉すればいいのです。

隣のお店で、エジプト民族衣裳のガラベーヤを発見。『日本円でもOK』、と言うので値段を聞いたら『3000円』、昨日の切手事件(その1をご参照ください)でコチラも鍛えられています。臆せず『ちょっと高いな~もう少しマケてや~』と、言う。タチマチお返事が『2000円』・・・『あ~惜しいな~決めないとバス出ちゃうよな~どうするかな~❔』と、少しずつ焦らして1500円まで値切りました。

これが高かったのが安かったのかは今でもわかりませんが、もはやゲーム感覚で値切りを楽しむことができるようになりました。

で、この後の行程では、私はガラベーヤを着た変な日本人になって旅行を続けました(笑)。

この日はエジプトを離れて空路トルコへ、カイロ空港からイスタンブール空港までひとっ飛びです。

🎵飛んでイスタンブール✈️

ホテルは街中のビジネスホテル風、風情はなかったけど商店街に近いのが取り柄でした。
明けて翌日、イスタンブール市街を散策です。


※イスタンブールの海岸、ローマ時代の城壁が残ってます。


※遺跡が街中にフツーに存在してます。

何だか小汚かったエジプトに比べると街はキレイだし、抜けるような青空。いいなぁ。
実はトルコは『付け足し』というか、まるきり『おまけ』のつもりだったのですが、行ってみるとトルコは良かった。エジプトより格段にイイ‼️

昼食に入ったレストランで『奥の壁がやけに風情があるなあ』と思ったら、何とローマ時代の城壁をそのまま建物の壁にしてレストランを建てたのだとか😮ソンナコトしてイイノカ❔

レストランは良かったのですが、看板を見ると確かに『シーフード』って書いてあるのに、出てきた料理はハンバーグ的な肉料理・・・誰だ‼️このセッティングはヽ(´Д`;)ノやはりトラピックスの旅行は良くない⤵️💦。


※ブルーモスクがウツクシイ。


※アヤソフィアは年季が入ってます。


※中庭から見たブルーモスク。

次回は、いよいよブルーモスクの内部に入ります。
乞うご期待。
(つづく)





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2 コメント

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モバさまへ (くりまんじゅう)
2022-03-02 15:55:04
交渉上手でガラベーヤを着たモバさまは 頭に輪をかぶれば『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥールそっくりだったと思います。

イスタンブールへ入りましたね トルコは見どころ満載で おお~~なつかしい。ブルーモスクとアヤソフィアは近くて ブルーを出て歩いてアヤへ移ったと思いますが なんせ10年前でして記憶もあいまいです。

トルコの観光地では現地の子ども達の団体に何回か会いませんでしたか?その子達が 中国・韓国・日本人をどう見分けるか知りませんが 日本人のツアーだけに寄ってきて ジャパン ジャパン と言いハイタッチです。

移動のバスの中で添乗員から話がありました。モバさまはご存知でしょうが私はそのとき 初めて聞きました。

明治23年トルコのエルトゥールル号が和歌山沖で海難事故にあい 嵐の海を命からがらたどり着いたトルコの船員達を 串本町の漁民が助けて厚く看護し 傷が癒えた彼らを 日本政府がトルコまで送り届けた話です。

この話はトルコの小学校の教科書にも載っており 以来世界一の親日家となったトルコの子ども達が 各地で私達に握手を求めました。かつて日本にひどい目にあったと子どもの頃から教えられ 頭にすり込まれる 韓国の子ども達とは大違いです。

ときは流れ 現在のプーチンのようなフセインが隣国に侵攻したとき 当時イランに駐在していた日本人に 〇時までに国を出て行かねば攻撃する と宣言しました。当時の小泉首相は急きょ トルコ政府に助けを求めトルコは 日本人のためにチャーター機を2機用意してくれ 日本人全員が無事 国外脱出できました。

このときトルコの自国民には 陸路で国外脱出せよとの命令で トルコの人達は自力で国外脱出となりました。
大昔の海で受けたご恩を 空で返したという美談になりました。

その親日家のトルコも いつの頃からかきな臭くなり 安心して観光できる昔とは コロナ前から違ってきていました。いい時代にトルコへ行かれましたね。

モバ様の記事から だんだん10年前の記憶が 少しずつよみがえってきます 次を楽しみに待っております。 
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Unknown (管理人)
2022-03-03 10:29:50
くりまんじゅうさま、コメントありがとうございます。
トルコは良かったです。

エルトゥールル号の話はよく知っています。
それの恩義を感じて日本人救出にチカラを尽くしてくれたトルコ、あまりなじみのない国でしたが行ってみて大好きになりました。

これで政治が安定していたら言うことないンですがねー。イスラムの戒律もユルいみたいでラクそうでした🎵。
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