むるあの趣味部屋

むるあの話の中でも趣味に関しての評価関係を集めてみようかなと。

最近のゲームの物語を考えてみる

2005年02月09日 10時32分46秒 | 雑記
なんか第3次スーパーロボット大戦αにバーチャロンが出るようで。(リンク先はマーズの公式です)
なんていうか、個人的に「操作出来ないバーチャロン」に魅力を感じないんですけど、どうなんでしょうか(^^;
個人的に『A.C.E』の購入動機が「憧れのロボが動かせる」だった人間なのもありますが、バーチャロンって操作してなんぼ、な印象が大きいんですよね。
それが、1ユニットになるわけですよね?
なんか、動かせたものが動かせないっていうものの切なさの方が根本にあったりします(汗)

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というわけで、ルミネス攻略考えながら何故か雑記です(苦笑)

たまたま『GameNews Watcher』経由で覗かせていただいた『Biting Angel』さんの、ラジアータストーリー(以下ラジアータ)の感想を読ませていただいて、ふとTBしたくなったのでした。
といっても、ラジアータについてのTBではないんですけどね(苦笑)

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なんとなく、こちらので青の零号さんの記事を読んでいる時に、ふと目に留まった文章があったのですね。

【記事中より引用】

でも実は一番嫌いなのが、この作品のシナリオ。
やたらと宿命論や世界の運命という話を持ち出してダラダラと重い世界観を語る
RPGには、いささか食傷気味なんですよ。
おまけに内容もどこかで聞いたような、新鮮味に欠ける話ですし。
人の感情を逆なでするための胸が悪くなるようなエピソードも
安易に入れられるとただ腹立たしいばかりです。

この文章見て「あぁ、ほんとにそうだよなぁ」と思ったんですよ。
といっても、ラジアータについてそう思ったわけではありません。
なんたってラジアータ、発売日過ぎてから知ったくらいですし、購入もしてないですからね(苦笑)

いや、これは最近のゲームだけじゃないんですけど、アニメやら漫画やら、そういったものにも当てはまるんですよ。

とにかく重い、壮大、そして運命とかなんとかって語る物語。
登場人物がとにかく妙に性格や設定が普通じゃない。
そして世界的になんかこう、健全っぽくないブラックな印象(よくいえば深い部分で変わった事を表現したい、ということなんでしょうね)かつ、無闇やたらに特殊的な世界観を強調して、なんか深みがあるようにみせようとする。

そういうのって多いんですよね。
でも、昔やっていたRPGしかり、アニメしかり、漫画しかりって、もっと単純で、だけどそれが面白い、っていう気がしたのです。

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例えば自分の中の最高峰RPGは、未だにドラゴンクエスト3(苦笑)

時間が止まってると思われるかもしれないですが、単純なのですよ。
バラモスやゾーマといった、一意的なボスがいて、世界を闇に覆い尽くそうとしている。
そんな中で、勇者の息子として、仲間と旅に出る。
各所での事件や問題を解決し、謎解きしてボスに辿りつく旅をする。

考えると単純です。
だけど、今でも思いますが、必ず必要な話もあるけれど、自分で率先して行動ができるっていうのがあるんですよ。

例えば、ロマリアでの王冠の話や、ノアニールの話をこなさずとも、アッサラームから先に進もうとすることができます。
船に乗れば、レベルによりきついところはあれど、自由に海洋を進んで、自分が進めたいところから話を進めていくこともできる。

そこにあるのは主人公達の自由意思。
最後の行きつき方は一緒でも、自分が物語にのせられているだけ、という感じがないんですね。
だから、父親の話を旅の各所で耳にしてはにやりとし、地上で散々悪事を働いていたカンダタが地下のアレフガルドに落ちていたのにあら? っとか思ったりも出来る。

そして、物語根本は決して複雑な事情とか設定を把握しきらずとも、自分は勇者だ! と突き進めるわけです。

今ってそういう単純さ、ってほとんどRPGでもないですよね?

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ゲームを作る以上、クリエイターの個性がありますし、そこに物語があってもいいと思います。
というかそれもないのはどうかと思いますからね。

でも青の零号さんのコメントにありましたが

【記事中より引用】

正常な人が出てくるあたりまえな世界の物語が、なぜつくれないんだろう?
それだと話を面白くできないんでしょうか?そんなルールはないはずです。
狂った世界の話ばかりを描かなければならないこと自体が、間違ってるんじゃないんでしょうか

この一文はほんとにそう思うのです。

ありきたりな話っていうのは仕方ないです。
それは人の生活ですし、人の考える物語です。

だけど、その単純さ=王道的なもので、人は熱くもなれますし、哀しくもなれるんですよね。
そうやって生きているのが自然なんですから。
だからこそ、そのために変に深いトラウマしかり設定をつけて、煽る必要もないし、狂った世界である必要もないと思います。

勿論、深い設定の物語もありだと思いますけど、それなら登場する人達も絞って、それこそきっちり練りこんだ物語にし、同時にちゃんとそれがゲームに合うのか、とかプレイヤーが楽しめるのか? とか、そういう部分も考慮するっていうのが必要じゃないかな? って気がするのです。

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こう書いて、ほんと最近はそういう意味でRPGやアドベンチャー買わなくなったなぁ、って今更思い出しました(苦笑)

個人的にやはりのせられる物語より、自らある程度自由に行動を起こしたいのもありますが、何より「お金出して買うのだから、自分が楽しいと思うゲームをしたい」のです。
まあ、誰もがそうでしょうけどね(^^;

自分がそこに求めたいのは「こちらの心がどんより」するようなものじゃないですし、まるでドラマのような映像ばかりの、そして壮大過ぎる物語でもないのですよね。

ラジアータが117人それぞれから、仲間にした人に対する日常的物語がそれぞれおこって、その流れを進んでいくことで、それぞれの仲間と共にした人達とのそれぞれの結末がある、というゲームだったら、間違いなく買ってましたけどねぇ(笑)