Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

時かけ10周年記念「博物館で野外シネマ」に行ってきました

2016年07月17日 | アニメ
細田守監督の『時をかける少女』が公開されてから今年で10周年だそうで、それを記念して
作中にも登場する東京国立博物館で野外上映が開催されました。
前回の野外上映は2014年でしたが、あの時は仕事終わりに駆けつけたら既に長蛇の列で
映画の後半まで入場できなかったので、今回は最初から土曜日に行くと決めての参加です。

とはいうもののその前に済ませる用事があったので、現地に着いたのは17時過ぎ。
場内の場所取りは16時からなので、敷地内の芝生からアスファルトの上に至るまでのあちこちに
早くもレジャーシートが敷き詰められてました。
限定グッズを購入後に何とか座る場所を確保。かなり後ろですがスクリーンが見えるのでまだマシです。
そのうち奥華子さんが登場してリハ開始、スクリーン前に置かれたキーボードで「ガーネット」のサビを
入念にさらっています。歌も音楽もしっかり聞こえるのでこれは期待できそう。

しかしいざトークが始まってみればスピーカーの音が小さすぎて、話がほとんど聞こえません。
前から拍手は聞こえるけれど内容どころか誰がしゃべってるかも不明。この時間はかなりつらかった。
後で判明しましたが、この時は齋藤プロデューサーのトークだったんですね。

トークが終わっていよいよ本編の上映開始。最初は音が小さかったけど、後から調整したのか
映画自体は音楽もセリフもそれなりに聴き取れてちゃんと見られました。
……と思ったら2回目のタイムリープ中に映像がダウン。会場説明や復旧見込のアナウンスは
後方にまったく聞こえずやきもきしました。
結局十数分で映像が復旧。まあこれも時間が巻き戻ったんだろうと気を取り直して続きを観てたら、
今度はクライマックスのタイムリープでまたもや映像が落ちました。これには会場全体が苦笑い。
近くの人は「涙が引っ込んじゃった」とがっかりしてましたが、野外上映にはトラブルがつきものと
割り切るしかないのでしょう。

その後は無事にラストまで完走。エンディングの後に大拍手があって、いよいよ奥華子さんの登場です。
場内が総立ちで野外フェス状態の中、まずは「変わらないもの」、続いて「ガーネット」を熱唱。
映画の余韻が冷めない中で奥さんの弾き語りを聴くと、タイムリープのように感動が蘇ってきます。
背後の上野の森からは夏虫の鳴く声が響いてきて、季節感をさらに高めてくれました。

さて、私にとって東博で『時かけ』を観る一番の目的は、やはり「白梅ニ椿菊図」です。

この実在しない絵を実在する東博で観ることにより、作中の世界と我々の世界が交錯する瞬間を感じ、
その意味を考えたいというのが、自分にとって最大のテーマ。

もちろん、それを修復した芳山和子が東博にいる気分を味わいたいという面もありますが(笑)。


間宮千昭が「白梅ニ椿菊図」をなぜ観に来たか、それが彼の時代と今の時代にどう関係しているかは
以前にも考察しましたが、おそらく次のような事情によると思われます。

“千昭の住む時代はおそらく戦乱で人口が減少し自然も破壊されている。その時代を生きる千昭は
 かつて戦乱の世に無名の人物が描いた「白梅ニ椿菊図」を知り、実物を観るために現代へ来た。
 未来人にとって歴史改変は許されないことで、彼自身もそれは不可能とあきらめていたからこそ
 ただ「観る」ためだけにタイムリープを行った。そして「白梅ニ椿菊図」がこの時の展示を最後に
 失われたとされているのは、おそらくそう遠くない時期に東博をも巻き込んだ非常事態が発生し、
 それが千昭たちの置かれている境遇へとつながっていることを暗示している。”

だから私が東博で「白梅ニ椿菊図」を観たいのは、千昭の住む時代を現実にしないこと、そして
真琴が言った「なんとかしてみる」という言葉を自分の心に刻みつけたいという思いからなのです。
まあ単なる思い込み、思い入れにすぎないと言われればまったくそのとおりではありますが。

しかしこの野外上映が行われた空の下で、フランスやトルコでは人々の血が流れ、さらに世界各国では
次々と大きな揺らぎが起きています。
「白梅ニ椿菊図」という架空の絵には、そうした土地や人々にも共通する物語が示唆されている。
だから今、私は東京国立博物館でこの絵を観たかったのです。千昭と同じように。


『時かけ』が公開されてから10年。まだタイムリープは発明されず、川は地上を流れています。
それはこの映画を観たすべての真琴たちが歴史を変えたおかげなのか、それともまだ千昭の時代までは
遠く離れていて、その間に取り返しのつかないことが起きるのでしょうか。

その答えは、また10年後に東博で『時をかける少女』を観ることができたらわかるのかも知れません。


なお、東京国立博物館特別4室では「『時をかける少女』と東京国立博物館」を7/31まで開催中です。
映画と東博の関係にも迫る展示なので、こちらもお見逃しなく。
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2016年もよろしくお願いします

2016年01月03日 | その他の雑記・メモなど
あけましておめでとうございます!

2016年は申年なので、サルが主役のSF『禅銃』の表紙をアップしてみました。

ただしこちらは旧バージョン。現在の表紙は昔書いた記事で見られます。
今年はいよいよベイリーの代表作『カエアンの聖衣』も新訳復刊される予定とか。

お正月らしい画像ということで、暮れに永青文庫へ行くとき寄ってきた護国寺の写真も載せときます。


すぐそばに大きな建物がありましたが、これが講談社とは知らなかった。護国寺駅が最寄りなんですね。

こっちは旧社屋で、右上にちらっと見えてる高層ビルが隣にある新社屋です。
建物の前にあるディスプレイには講談社の雑誌やベストセラーが展示されてました。

それでは、今年もよろしくお願いします。
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日本SF大会メモなど、2015年の振り返り。

2015年12月31日 | その他の雑記・メモなど
2015年の最後の日もあとすこしで終わりなので、すこし振り返りなど。
今年もブログの更新ができなかったなーという反省はありますが、3月には念願の名古屋SF読書会に参加し、
8月末には米子で開催された第54回日本SF大会《米魂》に行くことができました。

後者は片渕須直監督のSF大会初登場ということで、2日間にわたって関連企画を追いかけてましたが
ちょっと事情があってレポート書くのは控えてました、すいません。
いまさらですが当日のメモからいくつか拾って書いておきます。

◎ラリイ・ニーヴン関連
・科学技術を保守する人間がいなくて朽ちていく様子は『リングワールド』が原点
・自力では何もできないボックスは精神制御で多種族に奉仕させる「スレイヴァー族」がモデル

◎アリーテというヒロイン
・実証主義的な考え方。女の子にサイン・コサイン(の知識)は必要と思う。
・サイエンスとはこういう(実証主義的)なもの、その原型へと遡って描いた。

◎アニメ「この世界の片隅に」
・戦時中の生活を描こうとするとドラマなどのフィクションが原典になってしまうのが現状。
・服につけられた名札、窓に貼られた紙などのディテールにもそれぞれ理由があるはずなのに、
 (今のフィクションの多くで)本来の形とその理由が作中から落ちてしまっている。
・ドラマの表現は必ずしも実証的ではない。戦時中の原典を調べたほうがおもしろいものができる。
・そもそも『この世界の片隅に』の原作マンガ自体が、膨大な原典を調べて描かれている。
・劇場公開時は尺を90分に調整する必要があるが、できればディレクターズカット版も出したい。

◎コニー・ウィリス関連
・当時を見てきたように描く『この世界の片隅に』は、まさに『ブラックアウト』『オール・クリア』。
・タイムマシンで当時の呉に降下できるとしたらすぐ行きたい。ウィリス作品ではコリン君がロンドンの
 爆撃地点を調べていたが、呉は自分で調べて日時から場所まで覚えているので、生き残る自信がある。
・でも事前にリサーチしても現地と違うことがある。『ドゥームズデイ・ブック』もそういう話。
・「ブラックアウト」も米版が出た後に英国の読者から指摘があり、英版では修正が入っている。
・日本でも70年くらい前に行くと、今と結構違っているのではないか。


当日はウィリス作品を訳した大森望氏や『MM9 ─invasion─』の文庫版あとがきで片渕監督による
アニメ化企画について書かれていた山本弘氏も来場されました。

また初日の夜には監督を囲む食事会があり、参加者からは科学技術と人間の関係や「信頼できない語り手」の
話題が出るなど、SF大会らしい雰囲気の中で親睦を深めることができました。
私は中座して飛浩隆先生の食事会に行きましたが、普段のイベントとは違った顔ぶれも新鮮でしたねー。
普段のイベントといえば、片渕監督関連のイベントでよくご一緒するイルカのおかげさんもいらしてたのは
ちょっとびっくりでした。お仕事の関係で初日夜には帰られたのが残念です。

飛先生の食事会ではVRにおける身体性と意識の問題などについて、先生本人や濃い飛浩隆ファンと
熱い話を交わすことができましたが、あまりにテンション上がりすぎて細部を忘れました(^^;
創元SF短編賞受賞者の理山貞二さんやオキシタケヒコさんも参加されてたし、後から星雲賞受賞者や
各社の編集さんもどんどんやってきて、飛先生の人徳を垣間見ることができました。

しかし米子はよかった。前日に一人で行った飲み屋さんも最高に楽しかったし。



書籍関係では日本翻訳大賞授賞式の内容がすばらしく、また『教皇ヒュアキントス』という傑作と、
これを通じて古書ドリスという素敵な古書店を知ることができたのが大きな収穫でした。
ドリスさんはヒュアキントスの売り上げに多大な貢献をされたので、訳者の中野善夫さんから特別に
限定一部だけの私家版豆本「饅頭ヒュアキントス」を贈呈されており、店頭で読ませてもらえます。



以前に記事を挙げましたが、初めて参加した名古屋SF読書会の雰囲気がすごくよかったのもいい思い出で、
時間と機会があればまた参加してみたいです。
名古屋のSFファンは本当に熱いというのが肌で感じられたので、今後も注目ですね。
あとはSFセミナーで、ついに我が心の師匠であるらっぱ亭さんとお会いできたのもうれしかったなー。


そして今年の後半はヤマト2199の星雲賞受賞記念イベントで出渕監督のお話を聞いたり、
伊藤計劃作品の劇場アニメを見に行きましたが、なんといっても強烈な体験だったのは
ついに完成したガールズ&パンツァー劇場版でした。
ちなみに初日の11月21日は、6年前に『マイマイ新子と千年の魔法』が公開された日と同じです。

映画の公開前にはHerbst Musik Fest 2015に行って盛り上がったり。


バルト9の前夜祭で観て衝撃と感動に思わず泣いてしまったあと、oazoでガルパンメニュー食べたり。




「この包囲網は、スコーンを割るように簡単には砕けません。」


これがやりたくて、聖グロの席があくまで待ったんだよねー。

舞台挨拶にも行ったし。


横浜の期間限定ショップにも行ったし。


立川にも何度も行ったなー。音響チームイベントにも参加できたし、年明けにも行く予定。


こんな感じで、暮れはほとんどガルパン劇場版づくしでした。
マニアックなのに王道、ユニークなのに感動的。何より映画として面白かったし、細部のこだわりがすごい。
物語の各所に深読みできる要素が配置されてて、余白を楽しむ作りになっているのもいいですね。
劇場帰りにサントラやラジオドラマを聴いたり、いろいろな関連書籍を読み返すことで新たな発見があるし。
さらにはTV版を見返すことで劇場版とのつながりを再確認できるという、まさに何度でも楽しめる映画です。
上映が続いてる限り、なんとか観つづけたいと思ってます。

最後はガルパンで締めという意外な2015年になりましたが、この様子だと2016年もガルパン初めで
スタートしそうです。
年内に読めず持ち越したウルフのファンタジーやダンセイニもあるので、それも消化していかないと。

それでは、来年もよろしくお願いしますー!よいお歳を!
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【お知らせ】日本SF大会に片渕監督が来場、上映会&トークと懇親会もあります!

2015年08月17日 | この世界の片隅に
劇場アニメ『マイマイ新子と千年の魔法』やTVシリーズ『BLACK LAGOON』を手がけ、
現在は2016年劇場公開予定の『この世界の片隅に』を製作中の片渕須直監督が、
8/29~30に米子で開催される「第54回日本SF大会《米魂》」に来場されます。

そこで今回は大会期間中に開催される片渕監督関連の企画について、ご案内させていただきます。

さて、当ブログにお越しの方には周知かもしれませんが、まずは監督の経歴紹介から。
片渕監督は宮崎駿監督の薫陶を受けてアニメ版『名探偵ホームズ』の脚本でデビューを飾り、
『魔女の宅急便』や『MEMORIES』といった名作で多大な貢献をする一方、
世界名作劇場『名犬ラッシー』では初めてのTVアニメ監督を務めました。

その後は満を持して劇場用アニメ『アリーテ姫』を発表。ヨーロッパ映画を思わせる陰影の濃い映像美と、
中世ファンタジーの世界に科学技術を無理なく溶け込ませたSF的設定は、目利きのアニメ関係者から
高く評価されています。
SF作品としての『アリーテ姫』について論じた文章では、氷川竜介さんがSFオンラインに掲載した
こちらのレビューが特に優れていますので、作品をご存じない方はぜひご一読ください。きっと見てみたくなると思います。

ちなみに当ブログの過去記事でも『アリーテ姫』を取り上げてますので、ついでに読んでもらえたらうれしいです。

続く劇場アニメ第2作『マイマイ新子と千年の魔法』では、はるか古代からの歴史がいまも息づく
山口県防府市を舞台に、昭和30年と平安時代という異なる時間に生きる少女の日常を交錯させつつ、
子供時代の楽しさと大人になることの痛み、そして未来への希望を高らかに歌い上げました。

そして現在はこうの史代先生のマンガ『この世界の片隅に』を原作とした新作劇場アニメを、
綿密な調査と徹底した現地取材を元に製作中。
原作の柔らかなタッチを最大限に生かしつつ、当時の様子を極限までリアルに再現しようとする
渾身の作業が続けられています。
そんな多忙な中を縫って、片渕監督がついにSF関係のイベントへとやってきます!

さて、今回は片渕監督に関連して、2つの企画が予定されています。

まずは大会内の企画として、8/29の10:30~12:00に分科会プログラム
「ある航時史学生の記」が開催されます。
最初に傑作アニメ『アリーテ姫』を上映し、その後に監督からお話を聞くという流れですが、
この『アリーテ姫』という作品、実は諸事情によりレンタルソフトが出回っていません。
つまりソフトを買うか上映会でしか見られないという、なかなかレアな作品なのです。

しかも今回は監督自らにお話を伺うことができるという大変に貴重な機会となりますので、
SF大会の参加者でアニメに詳しいと自負する方や、SFファンタジーにはうるさいぜと
豪語するツワモノはもちろん、アニメ作ってる人ってどんな感じ?と気になった方まで
ぜひ気軽に足をお運びいただき、貴重な映像とお話を楽しんでいただければと思います。

また「ある航時史学生の記」というタイトルでおわかりのとおり、片渕監督はコニー・ウィリスの
「オックスフォード大学史学部シリーズ」を読まれており、またその作品づくりの基礎的な部分は
ウィリス顔負けの調査と取材に支えられています。
そして『アリーテ姫』で遠い未来へ、『マイマイ新子と千年の魔法』では昭和30年と平安時代という
二つの時代へと降下してみせた片渕監督が、こうの史代先生の卓越した原作を得て、いよいよ戦時下の
広島・呉へと歴史的な降下を試みようとしているのが『この世界の片隅に』という作品なのです。

ある意味、これは日本版の『ブラックアウト』『オール・クリア』であり、今回の企画に参加する方は
ウィリスの2大作品に匹敵する歴史絵巻の誕生前夜に立ち会うことになる……とも言えるでしょう。
この新作についての最新の製作情報や、あるいは片渕作品の随所に見られるSFマインドの原点である
愛読書についてなど、普段は聞けない話が飛び出すかも。
個人的には「航時史学生というより、ダンワージー教授本人では……」という気もしてますが(笑)、
一学生の気持ちで歴史と向き合う片渕監督のひたむきな姿を、身近に感じていただけると思います。

なお、本企画は大会公式プログラムのひとつなので、ご参加にあたっては大会への参加登録と
2日分の登録料(2万円)が必要となります。これから参加を検討される方はご注意ください。


しかし『アリーテ姫』上映後のトークタイムだけでは、話す時間が足りなくなるのはまず確実。
というわけで、今回は夜の自主企画として「片渕監督を囲む親睦会」も開催します!

こちらは大会参加者でなくてもOKですが、参加人数を絞っての開催となりますので、
事前に主催者の「ooi@n_m」さん(@JDSDE214)にツイートするか、私のtwitterアカウント
@BitingAngle)へご連絡ください。
開始の目安は18時ごろ大会会場内に集合、18:30から米子ワシントンホテルで開催だそうです。
会費は当日清算で6千円程度を見込んでいます。(注:8/20に情報追加しました。)
親睦会の申込期限は8/23とさせていただきますので、お早めにお申し込みください。
その他詳細については主催者のooi@n_mさんにお問い合わせ願います。

ちなみに片渕監督は航空史を中心とした戦史研究家でもあり、「ギャラクティカ」の
熱烈なファンでもありますので、そちら方面の参加者も大歓迎です!

以上、日本SF大会関係の告知でした。皆様の参加を心よりお待ちしております。
合言葉は「8月29日に米子で片渕監督と握手!」
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第2回名古屋SF読書会『虎よ、虎よ!』に参加してきました

2015年04月02日 | SF・FT
twitterでお世話になってる舞狂小鬼さんたちが主催する「名古屋SF読書会」に参加してきました。

この読書会、回数はまだ2回目ですが第1回の盛り上がりがすごかったと聞いていて、
さらに小鬼さんを初めとするスタッフの皆さんは10代20代のころににSFファンダム界で
バリバリ活躍していたというツワモノぞろい。
これはいっぺん参加したいなと思っていたところ、第2回で取り上げるのがベスターの歴史的傑作
『虎よ、虎よ!』に決まって、参加したい度がさらにアップしてしまいました。
とはいっても実は読書会とか出たことないんで、どんな感じになるか不安はあったものの、
そこはなんとかなるだろーという勢いで、関東の端っこから名古屋まで駆けつけちゃいました。

当日はお昼ちょっと前に名古屋入りして、舞狂小鬼さんの他に放克軒さんとたこいきおしさん
(このお二人も若いころから鳴らした、SFファンの兄貴分)と合流。
小鬼さんお勧めの店でエスニックな昼食を食べつつ、雑談がてら読書会のウォーミングアップとして
小一時間ほどベスター談義を繰り広げましたが、この時点で早くもミニ読書会の様相を呈することに。

このカレーはさっぱりしてるけどコクもあって、大変おいしくおただきました。

その後は会場に移動し、いよいよ本番の読書会がスタート。
まずは30人ほどの参加者が3班に分かれて『虎よ、虎よ!』について感想を述べ合う形式で進みました。

私の班はSFにあまりなじみがなかったり、ミステリ読書会からの参加という方が比較的多くて、
『虎よ、虎よ!』についてのファーストインプレッションが「あまり好みじゃない」という方が
全体の半分くらいを占めてました。
理由としては「主人公の悪逆非道ぶりに共感できない」というのが多かったのですが、一部の女性からは
「復讐のためにいろいろ学んで努力する姿がだんだん健気に見えてきた」という意外な支持もあったりして、
単なる嫌われ者という見方だけでもない様子。
内容については「サクサク読めるけどなんだかよくわからない」「いろいろ書いてありすぎて読むのが大変」
「勢いに任せて書いてるみたい」という意見もあって、とにかく詰め込みすぎな印象が強かったようです。

ここで班長の小鬼さんから話題のとっかかりとして、元ネタのひとつ『モンテ・クリスト伯』が紹介され、
大筋は元ネタが踏襲されていることや、主人公のガリー・フォイルが刑務所内で知識を得る場面などは
一種の教養小説とも読めるとの説明がありました。
さらに終盤で、フォイルが実現不可能とされていた宇宙へのジョウントを行う一連の場面については、
『2001年宇宙の旅』との相似性に触れつつ、ニーチェの超人思想の影響が現れているとの指摘も。

私のほうは小鬼さんの指摘を受ける形で「ジョウントとは何か」についての解釈を披露しました。
なぜジョウント現象は単にテレポーテーションと呼ばれないのか?というのが最初の疑問ですが、
それは発見者の名前というだけでなく、物語が進むにつれてフォイルの容姿と精神が変容するように、
ジョウントという言葉の持つ意味も変容していくからなのでは…と考えたわけです。

それを解く鍵が物語の序盤にある「ジョウントを成功させる鍵は、何よりも疑念をもたず信じることである」
という説明と、終盤でフォイルが語る「信仰において最も重要なのは、信仰を持つということ自体なんだ」
というセリフだとすれば、すなわちジョウントこそがニーチェの言う「神が死んだ」24世紀における、
新たな信仰のかたちなのではないでしょうか。
そして人間は己の可能性を信じることによって遂に星々の彼方へと跳躍し、人類という種は新たな段階へと
進化できたのではないか…というのが、私なりの読み方です。

でもハードSF派の人から見れば、超能力よりは量子テレポーテーションのほうが納得できるという
厳しい意見もあって、このへんは50年代SFをいま読むことの難しさなのかなーと思いました。

『虎よ、虎よ!』のいささか詰め込みすぎとも見えるアイデアの一部は、後にさまざまな作品へと
転用されており、中でも特に有名なのが『サイボーグ009』の加速装置です。
参加者の多くも、真っ先に思い浮かんだのはこれか『AKIRA』の燃える男だったようですね。
新しめの作品では、うえお久光の『紫色のクオリア』がそのまんまベスターへのオマージュであるとか、
『天元突破グレンラガン』の螺旋界認識転移システムがまさにジョウント能力だといった例が挙げられ、
21世紀になってもベスターの影響力は絶大だということを改めて感じました。
まあベスターもデュマの小説とブレイクの詩にインスパイアされて『虎よ、虎よ!』を書いたわけで、
名作の遺伝子は常に時代を超えて受け継がれるということなのでしょうね。
また、終盤に出てくるタイポグラフィについては「まるで3Dのようだ」という感想もありましたが、
それなら『虎よ、虎よ!』を下敷きにした009を3Dアニメ化した『009 RE:CYBORG』のような作品は、
ベスターの脳内映像に現代の映像表現がようやく追いつきつつある一例なのかもしれません。

感想のあとは、関連書として次に読むオススメ本の紹介へ。
これまで出た作品名のほかには『地球へ…』『スター・レッド』といった往年の名作マンガ、
ワイドスクリーン・バロックつながりでバリントン・J・ベイリーの作品などが挙げられました。
復讐譚として挙がったのが『マルドゥック・スクランブル』で、これは個人的にツボでしたねー。
『虎よ、虎よ!』という作品は主人公が自分を掛金に危険な博打を打ち続ける印象があるのですが、
『マルドゥック・スクランブル』のギャンブルシーンもやはり危険で熱いです。
当日は時間切れで挙げられなかったけど、私のオススメはタイトルの元ネタでもあるブレイクの詩集
『無垢と経験の歌(無心の歌、有心の歌)』。
終盤で赤々と燃えながら時空を翔け抜けるフォイルの姿は、この詩の描き出すイメージそのものです。

班別ディスカッションの後は、各班の板書を見ながらの全体ディスカッションへ。
フォイルの女性への仕打ちは他の班でも不評だったらしく、こういう奴はけしからんという声が多数でした。
あと、放射能男のダーゲンハムはアラン・ムーアの『ウォッチメン』に出てくるドクター・マンハッタンの
元ネタだろうという意見がありましたが、ならばラストに出てくるロールシャッハの手帳と、雑誌編集長の
「みんなお前に任せたからな!」のセリフも、やはり『虎よ、虎よ!』へのオマージュっぽいですね。
(同じムーアの『V フォー ヴェンデッタ』には、収容所から脱獄する燃える男のエピソードも出てきます。)
そのダーゲンハムの発する放射線で狂った給仕ロボットが、突然予言めいた言葉を発するくだりについては、
「まともなことを言ってるけど実は狂ってる」という二重性によって曖昧さを残しているという解釈に加えて、
あれは宗教そのものを皮肉った描写なのではないかという意見も出されました。
そういえばフォイルの新しい名は「NO→MAD」(ノーマッド)ですが、これは遊牧民や放浪者だけでなく、
NOからMADへと至るとも、MADの否定系にも読めますねー。さていったいどっちなんだろ…?
他にもいろいろな意見が飛び交いましたが、さすがに全部は追いきれませんでした。

そんなこんなで、初体験の名古屋SF読書会は終了。
好きな作品について、いろいろな人のいろいろな読み方、楽しみ方に触れられたのは大きな収穫でしたし、
なにより楽しかったです。
参加者の皆さん、そしてこの読書会を主催されたスタッフの皆さんに、改めて感謝いたします。


次回のお題はブラッドベリの名作『華氏451度』とのこと。
これまた盛り上がりそうですし、今の時代こそ読まれるべき作品のひとつだと思います。
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劇場用アニメ映画『この世界の片隅に』公式支援サイトを開設、クラウドファンディングも始動

2015年03月09日 | この世界の片隅に
『夕凪の街 桜の国』や『ぼおるぺん古事記』で知られるこうの史代先生のマンガ『この世界の片隅に』が、
『アリーテ姫』『BLACK LAGOON』『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督によってアニメ化されると
このブログでもご紹介してから、早くも3年半が経ちました。
その後もさまざまなイベントで製作の状況が伝えられ、作品の舞台を訪ねる探検隊も実施されましたが、
具体的な完成時期等については明言されないままの状態が続き、この作品の完成を心待ちにするファンを
やきもきさせていたことと思います。

そして本日、アニメ版『この世界の片隅に』の公式支援サイトが、ついに開設されました!

今の時点では試作版の映像から切り出したカット写真や、この作品の説明が掲載されている程度ですが、
今後は製作状況や関連イベント等についての情報が随時掲載されていくと思われます。

イベントへの参加を通じて、片渕監督の原作に対する溢れるような愛情と、舞台となった広島や呉に寄せる
強烈な思い入れを知るにつれ、この作品は絶対にすごいものになるとの期待を日々強めてきました。
いよいよその期待が形になる第一歩を踏み出したことを、まずは喜びたいと思います。

その一方、この支援サイトは名前のとおり「作品の製作を支えてもらうための呼びかけ」の場でもあります。

本作のようなアニメの場合、いろいろな理由によって、いわゆる「商業的に厳しい」と判断されてしまうと
資金繰りが大変に難しくなります。
しかしアニメーション、特に長編アニメーションを1本作るためには、膨大な人手と時間が必要であり、
それを支えるための相当な資金を要します。

ここまでは片渕監督や作画の松原さん、浦谷さんたちの力によってこつこつと作業を進めてきましたが、
いよいよこの作品を世に出す段階に差し掛かったとき、ここから先は多くの人から支援を受けなければ
作り続けられないという状況に至りました。
今回開設された支援サイトでは、その支援をいただく手段であるクラウドファンディングについても
紹介されています。

アニメが日本の誇る文化であるとすれば、日本の一番暗い時代に明るさを失わず生きた人々の姿を
その土地も含めて丸ごと描こうとする『この世界の片隅に』こそ、日本アニメが文化たりえるか、
そしてアニメによって何が表現できるかについての試金石になると思います。

この作品が完成したら、日本アニメにとって、いや日本映画界にとっての大きな財産となるはず。
2015年の夏に予定通り公開されるよう、皆様の御支援をよろしくお願いいたします。
そして映画が完成したら、少しでも多くの方を誘って、ぜひご覧いただきたいと思います。

今後の情報については、当ブログでも随時お知らせしていきたいと思います。
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2015年はヒツジ年!今年もよろしくおねがいします!

2015年01月01日 | その他の雑記・メモなど
あけましておめでとうございます!

さて、2015年は未年ということで、ご挨拶代わりに羊にちなんだ写真をご紹介。
昨年暮れに早川書房1Fの喫茶店「クリスティ」で期間限定開催された「PKD酒場」の入口にかかっていた
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のポスターです。

横にかかってるのは、同じイラストを使ったPKDブランドのTシャツですね。

私が頼んだカクテルの名前は「レイチェル」。もちろん、ブレードランナーのヒロインの名前です。

ジョニ黒やチンタオという選択肢もあったけど、ブラスターとレイチェルは切っても切れない関係ですから。
あ、下に敷いたクリアファイルは私物です。他にも撮影用にいろいろとネタ小物を持ちこみました(笑)。

品切れのメニューも多い中で、注文した料理は「アンドロイドはグリル羊の肉を食うか?」と
「PKD風焼きうどん」。後者はPKDというよりはブレードランナーネタですけどねー。

焼きうどんは二つで1セット。
ちなみに店員さんに「四つくれ」と頼むと、当然のように「二つで十分ですよ!」と返してくれました。
一見イロモノ風ですが、味もなかなかよかったですよ。
イタリア風の味つけなので、例えるならトスカーナうどん……ってそれはガルパンのアンツィオ高校か。

アンドロ羊の知名度が一気に上がった理由のひとつは、アニメ作品「PSYCHO-PASS」内で
カリスマ的犯罪者の槙島聖護が紹介した事ですが、そもそもこの作品の中核を成す設定であり、
世界の根幹を規定する“シビュラシステム”の名称も、そもそもディック作品からの引用です。
そんなわけで、店内に公安局グッズと「シビュラの目」の表紙も置いてみました。

ホントは「紙の本」を持ってくるべきだったんですが、積み本にまぎれてただいま行方不明……。

食後にアイスコーヒーを注文すると、ユービック風のスプレーでクリームを盛ってくれました。

クリームはコテコテな味でしたが、退行現象が止まるとかの特殊効果はなかったようです。

店員さんに頼むと、フォークト・カンプフ検査も受けられました。

簡易化されたペーパー式なので、おなじみのシュコーシュコーいう赤いレンズの装置はありません。

さてさて、私の判定結果は……?

というわけで、タイレル社とPKD酒場からレプリカントであるとのお墨付きを受けたのでした(笑)。
これならブラスターじゃなくて、銃口が4つあるCOP357(レオンの銃)を持ってくるべきだった~!

こんな調子の人間もどきがお送りする当ブログではありますが、2015年もよろしくお願いいたします!
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2014年もありがとうございました

2014年12月31日 | その他の雑記・メモなど
2014年も残り1日。
今年もあまりブログを更新できませんでしたが、記事をご覧になっていただいた方、
そしてリアルでお世話になった方の両方に御礼申し上げます。
古い記事でもいまだに感想をもらえたりして、ブログはブログでいいものだなーと。
こんな調子なので、今後も細々と書き続けていこうと思ってます。

さて、2014年のざっくりしたまとめ。
本はいろいろ話題作が出ましたが、国書の「未来の文学」がぜんぜん出なかったのは痛かった。
しかしその分を1冊で取り返すかのような傑作が、ジーン・ウルフの『ピース』です。

実にさまざまな読みを許容するこの作品、何度読んでもいまだに読みつくした感じがしません。
西崎憲氏の訳文も読みやすくかつ心地よいもので、作品の幻想的な雰囲気にぴったりと思います。
いつかはこれのレビューを書きたいけど、なにぶん手ごわくてねえ……。

2014年は私が敬愛する唯一無二の偉大なSF作家、R.A.ラファティの生誕百周年でした。
年頭に「そっち方面ではどんな催しがあるのかな…」と書きましたが、年末近くになって
なんとSFマガジンの特集号が刊行され、さらには本人の誕生日に生誕祭が開かれるという
予想の斜め上を行く展開が待っていました。

ありがたいことにこの場に参加させていただき、特集号の執筆者やラファティ好きの方々と
多いに盛り上がることができたのは、SFイベント関係では今年一番の思い出です。

アニメ関係では映画もTVもある程度見ましたが、新作よりは以前から追いかけてる作品に関して
いろいろなイベントに足を運んだなーという実感が強いです。

このブログを始める発端である『トップをねらえ!』では、夏に田中公平先生のコンサート
日本初演となる「ガンバスター交響詩」を聴けたのがうれしかったなー。
この日は最終話のガンバスターをプリントしたTシャツを着て行ったのですが、劇中で流れる
おなじみの曲が次々と演奏された後、最後の山場で二人が脱出する瞬間の“ティーン”という
あの一節が流れたとき、自分の胸の中からふたつの光の球体が飛び出していったような感動で
全身が震えたのを、今でもはっきりと覚えています。

そして、このところずっと追いかけ続けている片渕須直監督作品について。
こちらは『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台である防府を再訪し、村井秀清さんの熱演を聴いて
片渕監督や現地の友人と親しく交流させていただくという機会に恵まれました。
残念ながら、11月には現地のコーディネーター役として大活躍されていた有馬さんが急逝されるという
突然の悲報もありましたが、せめて6月にお会いできてよかったと思います。
新作『この世界の片隅に』はいまだ製作途中ですが、トークイベントや広島での探検隊などを通じて
作品の背景や製作の進行具合を知ることができたのは大きな収穫でした。
所沢で2回目が開催された「すずさんの食卓」は、2015年も開催予定とのこと。行けたらいいなぁ。

他にはPSYCHO-FESで朗読劇と生ライブを堪能し、ガンダムUCのライブでAimerの歌声に衝撃を受け、
逆襲のシャアのコンサートでオーケストラの迫力ある音に酔うといった体験もできました。
日本科学館でやった攻殻ARISEのイベントでは、コーネリアスと高橋幸宏も生で見られたし。

この夜は名物のGeo-Cosmosまでが、何者かにハッキングされていたようです。

あとは復活したヤマト講座やスペースカインズのライブにも行ったし・・・結構がんばったなぁ(^^;

美術では最近行った「日本国宝展」と「超絶技巧!明治工芸の粋」の印象が強烈です。
故宮博物館展は肉形石みたさに福岡まで遠征したけど、むしろ思い出に残ったのは台風の中を
福岡市博物館まで見に行った金印と、帰りの時間が迫る中で駆け足で見た福岡市美術館にあった
ラファエル・コランの作品だったりします。
福岡市美術館はサンリオSF文庫版『ヴァリス』の表紙に使用された藤野一友の作品も所蔵してますが
今回は見ることができなかったので、いつか実物に対面したいなー。
福岡は食べ物もおいしいものが多かった。目当てのひとつだったサバは海が荒れて入荷しなかったけど、
そのぶん肉関係を満喫してきました。やっぱり石の肉よりは牛の肉ってことですかねー(笑)。
特に牛タンで有名な「たんか」は絶品ぞろい。かたっぱしから注文しまくって食べまくりました。

これが「たんか」名物、牛タンと牛サガリの串焼き。ぷりっぷりです!

来年もいい本、いい映像、そしておいしい酒と食べ物に出会いたいものです。
そしていろんな人と交流して、少しでも前に向かって進んでいきたい。

それでは、今年もお疲れさまでした。みなさまよいお年をお迎えください!
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SFマガジン2014年12月号「R・A・ラファティ生誕100年記念特集」

2014年11月07日 | SF・FT


2014年は孤高の奇想作家R・A・ラファティの生誕百周年にあたる、記念すべき年。
なので2013年のうちからネットでお付き合いのあるすっごくディープなラファティ関連の人たちに向けて
「なんかすっごいこと企んでるんでしょー?ね?ね?」と無責任なアオリを繰り返してきましたが、
心の奥では「2012年の暮れから2013年の前半にかけて3冊も本が出ちゃったから、さすがに弾切れかな…。」
などと思ってました。

そしてSFセミナーでも京都SFフェスティバルでもラファティ企画は組まれず、このまま今年も暮れるのかと
半ばあきらめの境地でいたところに、SFマガジンでまさかの特集号が出るというサプライズイベント!
2014年を冠する最後のSFマガジンの、しかも生誕百周年を迎える直前の号にこの特集を実現させるとは・・・。
しかもこの号、ラファティ生誕百周年記念日である11月7日の時点では世界で唯一の記念誌となります。

そして執筆者はと見れば、現在のSF業界を担う立役者から知る人ぞ知る達人まで、いずれ劣らぬ強者ぞろい。
我が国におけるラファティアンの層の厚さと、監修を勤めた牧眞司氏の人脈の広さがよくわかります。

ラインナップは邦訳短編が3本、本人のエッセイが1本、インタビューが1本、そして我が国における
ラファティ紹介の草分けである浅倉久志氏が海外の雑誌に寄せた英文エッセイの訳しおろし。
さらには邦訳全長編の個別レビューに未訳全長編と邦訳全短編の総まくりガイド、未訳短編20選紹介に
世界のラファティアン総括、評論が4本、さらに若島正氏の連載も特別にラファティを取り上げるという
まさにいたれりつくせりの充実ぶり。実に誌面の1/3がラファティで埋まってます、すごいすごい。

それでは、感想にいってみましょーか。

まずは邦訳もある「アウストロと何でも知ってる男たち」シリーズより「聖ポリアンダー祭前夜」。
猿人少年アウストロと彼が仕える(?)天才奇人グループをめぐるドタバタ劇が、文字どおりの
ドタバタ芸術と化しててっぺんまで舞い上がり、やがて地の底までおっこちるというお話です。
もう巻頭から強烈な先制パンチを食らった感じで、この特集の本気度がビンビン伝わってきました。
怪しい人物のもっともらしいウンチクと暴力にあふれた祝祭描写はラファティならではの楽しさなので、
まずはその過剰なまでの破壊力を堪能してもらうのが一番でしょう。
一方、テクノロジーによる現実拡張やテレイグジステンスによって生じる意識の変容に目を向ければ、
サイバーパンク以後のSFとして読んでも十分通用する作品だとも思います。
(柳下毅一郎氏の訳文も、実はそのあたりを意識してるんじゃないかなーと思いました。)
つまり「十分に発達したSFは、ラファティと見分けがつかない」ということなのですねー!

山形浩生氏の評論に“ラファティは異様な女嫌い”と書かれてましたが、自分の受けた感じでは、
むしろ女性が大好きなんだけど、その反面ですごく苦手にしてたんじゃないかなーと。
ラファティの目には女性(特に若くてキレイな女性)はことごとく魔女かポルターガイストに見えて、
しかもそれを鎮める方法がわからなかったんじゃないですかね。
異性に興味津々だけどその扱い方がわからない姿には、思春期の少年のような初々しささえ感じます。

山形氏が訳した「その曲しか吹けない-あるいは、えーと欠けてる要素っていったい全体何だったわけ?」は、
まさにそんな思春期の少年が主人公なので、読み方によってはこの年頃の少年が抱えるもどかしさとか
やるせなさについて、SF仕立てで語りなおした作品にも思えてきます。
とはいえ、世界の謎について繰り返しほのめかしながら話を進めていき、最後にドカンとオチをつけて
種明かしをするところは、かの名短編集『九百人のお祖母さん』の収録作に通じるところがありますし、
読み終えた後に首尾一貫した論理性を感じるあたり、3作中で一番SFらしいとも思います。
ラファティになじみがなくて比較的ストレートなタイプのSFを好む人には、まずこれから読み始めるのを
お勧めしたいですね。

短編のトリを勤めるのはラファティ界隈には知らぬ者なき超人のひとり、その名も“らっぱ亭”こと
松崎健司氏が手がけた「カブリート」。
仔山羊の丸焼きと幽霊にまつわる奇譚ですが、安酒場でうさんくさい少女と老女からホラ話を聞かされ、
最後にはなんだかよくわからないけどヒドイ目にあうという展開は、実にラファティらしいと思います。
南米やアフリカの文学等で魔術的リアリズムの手法になじんでいる人なら、これが一番楽しめるかも。
逆にSFらしさからは一番距離がある作品なので、その手の話が好きな人にはかなりの難物かもしれない。

余談ですが、らっぱ亭さんはラファティだけでなくアヴラム・デイヴィッドスンやキット・リード、
マーガレット・セント・クレアにリサ・タトルにキャロル・エムシュウィラー等の“こじらせ度高め”な
奇譚系を大の得意にしてますので、まだご存じない方はtwitterで追いかけてみてください!

ラファティによるエッセイ「SFのかたち」は、作者自身がSFと小説の作法を語ったものですが、
語り口を小説風に改めればそのまま“SF小説について語るSF小説”にもなりそうですね。
ラファティの小説観もおもしろいのですが、一番興味をひかれたのは旧約聖書に出てくるカインについて
「キリストもアンチヒーローだとわかったとき、カインはある程度の復讐を果たしました。」と書いた部分。
ラファティはイエスをそう見ていたのか…やっぱり彼のカトリック信仰は、普通の信者とは違ってるのかも。

浅倉久志氏の「ラファティ・ラブ」は、ラファティ作品との出会いから、やがて翻訳者としてラファティ
(の作品)と相思相愛になるまでの道のりを簡潔にまとめたエッセイです。
短い文章の中に浅倉さんの人柄とラファティ愛を感じると共に、浅倉さんらしい語り口を見事に再現した
古沢嘉通氏の訳文に、先達への深い敬意を感じました。

ラファティへのインタビューは本人が68歳の時に行われたものですが、矛盾した世界にひとり立ち向かう
頑固じいさんというハードボイルドな一面を垣間見ることができます。
ラファティならではの歴史観や世界観も楽しいけど、特に注目したいのが「小説より先に詩を書いていた」
「詩の多くは小説の章題に使ったり、一節として小説の中に散りばめている。」と語っているところ。
ラファティの書く小説は、実のところ詩につけられた膨大な注釈なのかもしれません。

井上央氏が交わしたラファティとの書簡はラファティの思想と人物像に最も深く迫る貴重な資料であり、
さらにはインタビュー以上に彼の肉声を伝えているように思いました。
邦訳長編レビューからは各執筆者の思い入れを感じ、未訳長編ガイドにはまだ見ぬ作品への憧れを抱き、
邦訳短編全紹介がラファティ作品全体への評論になっていることに舌を巻き、未訳短編20選を見ながら
「らっぱ亭さん、次は何を訳すんだろう?」と期待してみたり。海外での動きにも要注目です。

評論では柳下氏と山形氏の書いた内容が、偶然にも互いを投影するかのような相互関係を見せながら、
笑いだけではないラファティ作品の奥深さについて言及しています。
それに対し、牧眞司氏は作品のうちに潜む終末観を見据えつつも、それを越えた先にあるものを信じて
“ラファティを全肯定する”という姿勢を明確に打ち出します。この迷いのなさはすごい。
若島氏はラファティ至上主義に冷や水を浴びせるような出だしですが、最後にはきっちりと誉めつつ
この作家の特徴をズバリと指摘してみせるのがすばらしい。これぞ名手による名エッセイです。

最後は山本雅浩氏の評論「ラファティのモノカタリ」について。
これはラファティ作品にもましてちゃんと読みこなせてない不安があるのだけれど、山本氏の指摘する
「イメージのとめどない増殖と飽和状態」「作者自らがアイデアやイメージを破綻させてまわる」には
全く同意する一方、自分が手塩にかけて作り上げた世界を無邪気に、あるいは執拗なまでに叩き壊して回る
作者の姿に、私はある種の解放と爽快感を覚えます。
あるいはこれがラファティの考える世界のカタチであり、彼が世界に対して示す意思表示なのかも…。

いびつで不完全なコラージュである故に、誰にも真似のできない奔放さと美しさを持つ芸術がある。
ヘンリー・ダーガーとラファティの作品は、そうした点でよく似ていると思います。
特にラファティの長編は必ずしもバランスがよくない分、ダーガー的な美しさを強く感じます。
世界がダーガーを見つけたように、いつかラファティも世界に見出されると信じているのですが、
今のところはスワンウィックが「絶望とダック・レディ」で書いたとおりの厳しさなんですよね…。

しかし絶望してばかりはいられないと、スワンウィックも牧さんも書いている(と思う)。
だからラファティのファンは何度ぺしゃんこにされても復活するし、ラファティの作品もまた復活して
新しい世代へと受け継がれていくものと確信しています。

来たるべきラファティ新世紀に向けて、我らの航海は始まったばかり。お楽しみはこれからだ!
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この世界の片隅に(このセカ)探検隊3 ~中島本町編~

2014年08月08日 | この世界の片隅に
7月27日に広島の中島本町で開催された「この世界の片隅に」探検隊3に参加してきました。

こうの史代先生のマンガ『この世界の片隅に』で幼少期のすずさんが海苔を届けに来て迷子になった場所、
そして周作さんと初めて会った場所であり、物語の最後に再び訪れる場所が、この中島本町です。
当時の広島では有数の繁華街であったこの町も、広島への原爆投下によって一瞬のうちに全てが失われました。
現在は広島平和記念公園として知られている場所に、かつては映画や喫茶店といった娯楽施設が軒を並べ、
夜はモダンなすずらん灯に明るく照らされた通りを多くの人が行き来していたのです。

今回はヒロシマ・フィールドワーク実行委員会とのコラボレーションにより、かつて中島本町に在住し、
原爆投下時は現地を離れていたため難を逃れた3名の方から当時のお話を聞いた後に、平和記念公園で
当時の町なみをたどりながら片渕須直監督に解説をしていただく…という2部形式で開催されました。

講演前に、広島平和記念資料館の東館地下1階で「この世界の片隅に」アニメーション版複製原画展を見学。






会場には約40枚の複製レイアウトが2枚1組となって展示され、それぞれのパネルに日本語と英語で
どんな場所を描いた物であるかのキャプションが添えられていました。
緻密に描き込まれた町のレイアウトは見応え十分。添えられたキャプションも絵を理解する助けになります。

なお、展示会場の先を曲がった通路には、原爆投下前と投下後の中島本町を建物屋上から撮影した比較写真の
大きなパネルが置かれています。
これを見ると現地の徹底した破壊のありさまがよくわかるので、『この世界の片隅に』の舞台を知る上でも
レイアウト展とあわせて必見だと思います。

レイアウトの展示を見終わった後に、第1部の講演会場へ移動しました。
100人くらい入る部屋はほぼ満員で、全体的に年配の方が多い感じ。
特に探検隊に参加しない全体の半分は、60~70代以上の方が8割くらいを占めているようでした。

まずは中島本町出身の3名の方から、お話を伺いました。

最初に話されたのは丸二屋商店の緒方さん、昭和3年生まれ。
化粧品や石鹸を扱う丸二屋は大正2年に堀川町(現在の広島三越の裏あたり)で創業し、
昭和5年に中島本町に移ってから、昭和11年まで同地で営業したそうです。
当時は粉ハミガキが主流だったけれど、やがて練りハミガキが発売されたというように、
お店で販売していた商品にまつわるエピソードなども、写真つきで紹介されました。


緒方さんは後に陸軍士官学校に入り、8/6は朝霞駐屯地にいたそうです。
この時、広島の状況を見てきた上官には「広島には何もない。帰る家がないと思え」と言われたとのこと。
東京大空襲も経験された緒方さんは「戦争はいけない。アメリカの責任は大きい。」と語っておられました。

続いて濱井理髪店の濱井さん、高橋写真館の高橋さんからお話を聞かせていただきました。
今回の語り手では最年少の濱井さんは昭和9年生まれ。当時は11歳の遊び盛りだったそうで、
中島本町で過ごした幼少期を懐かしく語ってくれました。

緒方さんと同い年の高橋さんは、実家の店を含めて写真館が4つもあったこと、豆腐売りや花売りの行商、
映画館の壁に穴があいていて人が覗いていた事など、当時の盛り場の雰囲気を生き生きと伝えてくれました。
当時は中島本町を取り巻く川を帆掛け舟が行き来しており、橋をくぐる時は帆をたたんでいたなど、原作で
すずさんが船に乗るエピソードに通じる話も披露されました。

こうしたお話のバックでは、当時の写真や再現地図などの資料が次々と映し出されましたが、これらはすべて
片渕監督が収集したデータを、監督自身が操作して映写していたもの。
事前打ち合わせはあったと思いますが、パソコン内の膨大なフォルダやファイルの中から話者の語りに応じて
次々と関連資料を見せていく監督の手際のよさには驚きました。

イベントで片渕監督が集めた資料の本棚が映し出されると、あまりの分量に観客から驚きの声が上がりますが、
映像を出す前に見えるパソコンの中もほとんど同じか、それよりも分量が多い印象です。
その中のどこに何があるかを覚えている片渕監督は、きっと並外れた記憶力の持ち主なのでしょう。

地元のお三方のお話に続き、片渕監督からは現在製作中の『この世界の片隅に』についてのお話がありました。
書き漏らした部分も多いですが、以下にメモした内容を写しておきます。
(文中カッコ内は聞き手による補足です。その他にも聞き取った範囲で意味が通りやすくなるよう、
 細部で内容を整理しています。発言そのままの記録ではないことをご了承ください。)

 (監督のイメージとしては)「まず世界があって、その片隅に女の子がいる。」
 この女の子のいる片隅を描くには、この世界を知らなくてはならない。

 原作のマンガには(背景等の)全てが描いてあるわけではない。
 よく「人物があって世界がある」というが、実は「背景」というものはないのではないか。
 単に世界のすべてがクローズアップにならないというだけで、(物語の都合上背景となってしまう物事にも)
 すべてに意味がある。

 何年か前までは広島に来たこともなかったが、(この作品のために広島に来るようになって)もっと大きな
 世界の中で、広島がようやくわかってきた。
 (そうしているうちに)中島本町を描くためのレイアウトが、中島本町を囲む場所まで広げて描かざるを
 得なくなってしまった。
 どこまで自分たちが知った気になっても、(物語の舞台を取り巻く世界が)それを許してくれない。

 原作ではヨーヨーが描かれているが、こうの史代さんが当時のヨーヨーブームを知らずに描いたとは
 思えなかったので、ご本人に直接聞いたところ「私は歴史に詳しくないので、最初に年表を作ったら
 ヨーヨーブームが出てきたので描きました。」とさらっと答えが返ってきた。
 (こういう原作を手がけるからには、アニメ化にあたっても相当に調べなくてはいけないということ。)

 いま写している中島本町のレイアウトでは丸二屋が出てくるが、この看板は丸二屋さんに話を聞く前のもの。
 その後に何パターンも修正している。
 (ここで同一のレイアウトで看板を描き直したものが何枚も映し出される。)
 アニメーションを作るのにそこまでする必要はないが、想像しないとその世界がどんなふうなのかが
 わからない。
 世界の形を知るよすがが、建物の形などになる。

 濱井理髪店のレイアウトは、濱井さんに話を聞きながらレイアウト修正をした。
 高橋写真館の向かいの建物は後にカフェ・コンパルになり、これが焼け残ったあとに新しい建物が
 増築されたのではないか。(高橋さんから「そのとおり」との指摘あり。)

 新相生橋は洪水で流された後の修理によって大正と昭和では手すりが違うとわかって、あわてて描き直した。
 すずさんの実家が海苔を作っているので海苔漉きの体験もしてみたが、東京と広島では漉き方や道具が違うと
 わかったので、簀巻きの材料をヨシから竹に変更したこともある。

 マンガの場合、白い部分には無限の可能性があるが、アニメではなにかを描かなくてはいけない。
 では何を描くか。
 たとえば原作の1コマに出てくる奇妙な道具が、広島の西半分だけしか使わない盆燈籠であることは、
 東京の人間にはわからない。
 原作を読むことが知的冒険であり、(その中で世界が)たまたま見えてくると、どこまでも見えてくる。
 その世界は現在までつながっている。

 アニメーションが自分たちの描いた世界をどこまで拡張できるか、これも自分たちの冒険だと思っている。


最後に片渕監督から「11月の広島国際映画祭で機会を与えられたので、その時には中島本町の動く絵を
お見せしたいと思っている。」との最新情報が伝えられ、イベントの第1部が終了しました。

第2部では広島平和記念公園に移動し、公園内に設置された説明板等を巡りながら「原作で少女時代の
すずさんが歩いた道」を、中島本町の入口にあたる本川橋から終点の相生橋までたどりました。

当時の写真パネルを見せながら、原作ですずさんが歩いたと思われる場所について説明する片渕監督。










「ここからは商店とかが続くにぎやかな場所なので、たぶんすずさんはこっちへ入っていって道に迷ったのでは」
といった、原作に出てきたシチュエーションについての考察もありました。

しかし実際に回ってみると、防府や呉の探検隊に参加した時とは決定的な違いを感じてしまいます。
それは、当時を想像させる地形や建物がこの場所には一切残っていないこと。

『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台となった防府では、映像に出てきたのと同じ形をした山を眺め、
新子たちが見たのと同じ国衙の石碑の前に立ち、千年前と昭和30年の時空を同時に感じられました。
呉ではすずさんが見下ろした海を同じ角度から見下ろし、すずさんが歩いた道ぞいに建つ蔵の前を歩き、
実在しない人物がいたはずの実在する場所を目の当たりにしてきました。

しかし、中島本町は爆心地から半径500m以内に位置していたため、原爆の投下によって
そこにあった町と人の全てが失われています。
そして戦後、この場所は住民が立ち退かされ、新たに盛られた土の上に平和記念公園が作られて、
かつての町の痕跡は公園内に設置された説明板だけとなりました。

だからここには当時の道もなく、建物もなく、人の生活の痕跡もない。
現地を回って説明を聞いても、その説明がいま見ている風景となかなか結びつかないのです。
すずさんがここを歩いたんだなという感覚が、自分の中に湧き上がってこないというか。

なんだか砂を掴むような、ここにあったはずの人の営みのすべてが拭い去られてしまったあとの
きれいになった場所に立っているような、ちょっと言いあらわせない無常感。
この身を切るようなつらさは、いままでの探検隊では感じたことがありませんでした。

平和記念公園の意義を否定するつもりはまったくありませんが、今回の探検隊で何よりも強く感じたのは、
公園化事業によって失われてしまったものの大きさかもしれません。
ああ、ここは本当に「戦前・戦中」を徹底して葬り去ってしまった場所なんだな…と実感することの痛み。

なお、この平和記念公園でデビューした建築家の丹下健三は、のちに東京オリンピック国立屋内総合競技場
(代々木体育館)や大阪万博会場、新東京都庁などを手がけていきます。
ある意味、この平和記念公園で始まった「戦前・戦中との訣別」が、後の丹下建築、そして高度成長期の
日本の姿を形づくっていったのではないか…そんな思いも浮かびました。

うろ覚えですが、かつて片渕監督は『この世界の片隅に』のアニメ化を手がけるにあたって、
「原作を読むと、戦中の暮らしが戦前とはガラリと変わったわけではないということがわかる。
 戦時中にも人々の変わらぬ営みがあり、変わらぬ喜びや悲しみがあったことを描きたい。」
 という趣旨のお話をされていたように思います。

戦前・戦中の人々の痕跡が失われた中島本町は、今回のアニメ化で最も描くのが困難であると共に、
この作品が挑もうとする「戦前から現在までを貫く人の営みを描く」というテーマを表現するうえで、
最もふさわしい場所でもあると思います。
片渕監督や浦谷さん、松原さんたちの今の苦労が、やがて作品として大きく結実することを信じながら、
こちらもじっくりと腰を据えてアニメの完成を待ちたいと思います。

探検隊の終了後は、完歩証がわりのアイスが配られました。

ちなみにアイスの下に置いてある扇子は、急ごしらえの手製です。
あの日から69年目の中島本町に、どうしてもすずさんを連れてきたかったものですから。

その後はコミケよろしく、急ごしらえの物販コーナーが開店。
片渕監督のサインもいただけるとあって、青葉のポスターやこのセカTシャツ、手ぬぐいなどが
次々と売れていきました。

ポスターが折れ曲がらないようにとバズーカのような図面ケースを背負ってきた猛者も多数。
ここにもファンの熱意を感じました。

次の販売は9/28に阿佐ヶ谷ロフトAで開催されるイベント「ここまで調べた『この世界の片隅に』」を
予定しているそうなので、欲しい方はぜひ同イベントへお越しください。
今回の探検隊についての報告や最新の成果について、片渕監督や松原さんから直接聞けるかもしれませんよ。
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