告別式

2014-07-13 | ご挨拶

40年近くお付き合いしている親友から電話があり、

主人、亡くなったの」 「えっ」 いきなりだったので絶句です。

病気をしているとか、入院をしているとかいう話は、まったく無かったので大変驚きました。

具合が悪くなってから一週間もたたない内の昇天でした。

相当つらい筈なのに、死に至るまでの経過を気丈にも淡々と語ってくれました。

聞いている私の方が涙涙でした。

「葬儀の事は、これから決めるから、又連絡するね」

そして翌翌日、お通夜と告別式の日取りを告げた後、

「最後まで見送ってくれるよね」 「勿論」

「お願いがあるんだけど、告別式の受付をしてほしいの」 快諾しました。

 

彼女との最初の出会いは、私がデザインスクールに通うため、広島から東京に出てきて、

スクールの春休み、夏休みにアルバイトをした先の職場です。

両親に「水商売のアルバイトをしていると判ったらすぐ連れ戻す」とキツク言われていたので、

堅い仕事を捜し、準公務員の会社に応募して、採用されました。

彼女と同じ部署だったので、お昼休みは一緒にランチをしたり、話をしたりしていました。

その頃、洗濯用の粉石鹸が品切れで、どのお店に行っても手に入らなかった時代がありました。
(年齢がバレテしまう

だからお風呂用の固形石鹸で洗濯をしている話をしたところ、翌日

「これ、家にあったから使って」と持って来てくれました。

その時「じゃぁ、明日持って来てあげるね」と言われていたら、それ程印象に残らなかったと思う。

何も言わないで持って来てくれた事は、インパクトありました。

もう1件「明日、あなたのお弁当も作って来るから、持って来ないでね」

私は当然お母様が作っているのだとばかり思っていたので、

「お母さんに面倒かけて悪いじゃない」と言うと「いえ、私が作るの。いつも自分で作っているのよ」

私は実家に居る時、お弁当は何時も母が作ってくれていたので、チョットびっくりでした。

無言実行だし、思いやりはあるし、その上自立している人なんだな

と感じ入って、それ以来の長い長いお付き合いです。

お互い別の道に進み、忙しくて2・3年会えない時があっても、

逢えば昨日も逢ったような感じで話せる相手です。

 

告別式の当日は、一時間前に来てほしいとの事で、千葉まで出かけました。

「ほとんどの方がお通夜にお見えになったので、告別式は少ないと思う」

と、いう事で受け付けは私一人ですることになり、

初めての事なので、係の女性にいろいろ説明して頂きましたが、

ふと、気になる事があり「香典袋にお金が入ってなかった場合どうしたら良いのですか?」

「そうですね、皆さん慌てていらっしゃるので、時々ありますね。その場合は、

我々に言ってください。ご本人様に私共の方からお伝えします」

粛粛と式が進み、御棺の中にお花をいっぱい詰めて、

お花畑で眠っているような御主人様とお別れです。

親友のお姉様方2人が「焼場は親戚だけだよね」と話していらしたので、

当然、私は出棺までと思い、お見送りの他の方達と一緒に、庭にたたずんでいました。

すると、係の女性が「喪主様が、一緒に行って欲しいと言っていますのでお車に乗って下さい」

親戚で無いのは、私一人でしたが、寄り添っているだけで良いのかも知れないと、

勝手に解釈して用意されていた車に乗り込みました。

火葬場で、待っている間に豪華なお食事も出て、

親友の隣に席を設けて頂いていたので、久し振りにいろんなお話をする事ができました。

ここの所、お互い忙しくて一年以上逢ってなかったので、

御主人様が、ゆっくり話でもと逢わせてくださったのかなと思います。

ご冥福をお祈りいたします(合掌)

 

 


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2 コメント

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告別式 (ナオ)
2014-07-22 00:20:05
ご友人の旦那様のお別れ、お辛いところ
まっきーさんが一緒にいてくれてお友達は
心強かったと思います。
生きているときは現実のことに精一杯に
なりがちですが、日々生きていることに
感謝していきたいです。
お友達は何年経っても出会った時と同じ
時代に戻れますね。
これからも大切に関係を育んでいって
くださいね。
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告別式 (まっきー)
2014-07-22 11:27:08
ナオさん
ありがとうございます
人は何時亡くなるか本当に分かりませんね
2月の健康診断の時は何ともなかったそうで、
まさかまさかの出来事でした
親友が一番驚き、そしてショックだったと思います

投稿を迷ったのですが、
彼女と出会った時の事など一気に思い出し
記録に残して置こうと…
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