water steppe memo

日々、考えていることをここに記します。
ブログと呼ばずに「日記」としたいところです。

満月に免じて

2011年09月13日 04時43分43秒 | 真面目な話
満月に免じて頂いて、少し真面目な話を書こうと思います。Twitterだけでなくて、ブログにも書いておきたくなって。すこし乱暴な事を書きます、と先に宣言しておきます。

2011年9月12日の満月の写真がこちら。

カメラとは光を集めて写真にする道具ですから、光の少ない状態を撮るには、かなりの手間が必要です。光が足りないとシャッター速度を遅く(=シャッターを開けている時間を長く)しなければならず、そうするとブレが問題になったりするわけです。シャッターを速くしたくて感度を上げるとノイズが気になったり、明るいレンズ(=概ね高価)を使わなければならなかったり、三脚をセットしなければならなかったりと、とにかく大変です。光の少ない状態の最たるものは夜です。夜はありとあらゆる場所が暗くなってしまい、写真を撮るには難しい環境であると断言できます。でも、その雰囲気を撮りたくなってしまうのも夜です。夜景という言葉があるように夜は特別な景色なのであり、これを写真に収めたくなるのは自然な感情だと思います。
で、満月写真の話になるわけですけども、満月は星空に比べて非常に簡単に撮影出来る印象を持っています。夜なので周囲の光は少ないわけですけど、満月そのものはかなり明るいので、望遠レンズで月をメインに捉える(ちょうど上に掲載しているような)写真でしたら、かなりシャッター速度をあげる事が可能です。つまり、感度を下げてノイズを抑えたりもできるし、そんなに高級なレンズでなくてもそこそこ写せる、ということになるでしょう。

しかし、満月を「写真としていい感じ」に撮るのは、とても難しいとも思っているわけです。

古来から魔力が宿るなどとイメージされていることからも想像できますが、多くの人は月に不思議な魅力を感じ、おそらくかなり多くの方が芸術の対象としていると思います。写真の世界だっておそらくそうでしょう。月をモチーフにして写真を撮っても、それは何処かで見たようなありきたりの写真になる可能性が高いのではないでしょうか。もちろん月の魅力が開発され尽くしたと言いたいのではなく、純粋に競争相手が多いという意味です。
私はあくまでも趣味ですから、
「どっかで見たことのある、いい感じの写真」
が撮れるだけで嬉しかったり楽しかったりしますが、オリジナリティが尊ばれる芸術の世界で、それでも敢えて月をモチーフにしようとするのは、かなりの勇気というか自信というか、そういうものが必要なんじゃないのかなあ、、、と今日の満月を撮影していて思いました。


6ヶ月前にあった震災でも同じ事が言えるのではないか、というのが、実は今日の本題です。日本に住んでいて、
「震災について何も考えていません、なんの思いも意見もありません。」
という人はいらっしゃらないと断言できます。全ての人は地震やその後の状況に関して何らかの思いを持ち、多くの人はそれを自分なりの手法で表現しています。時には感情的に、時には静かに、ある場合は心に響けど間違った物が、ある場合は正しいけど冷徹な物が、主にインターネットを通じて無数にやり取りされているわけです。そんな現在進行形で発生し語り合われている震災をモチーフとするには、相当な覚悟が必要でしょう。しかし、芸術を志しているにも関わらず震災をモチーフにしないのも、相当な覚悟が必要なのではないかと、私は思います。

先日、ある芸術家さんが震災をテーマにした作品を発表なさっていましたが、それを鑑賞した時に
「偉そうに評論家風な物言いをしやがってど素人が」
と罵られる事を承知で書きますが、
「陳腐」
と表現せざるを得ないほどのガッカリ感だったと共に、これ程有名で実力もある方ですら、震災というモチーフの前では無力であるのかと、驚くほどの脱力を覚えてしまいました。
思い付きもしないような何かであるにも関わらず、でもきっちり震災を表現していて、それでいて心に響くような感じでは"ない"。すでに多くの人が語った事をほんの少し修飾しただけの作品は、良く言えば「共感」であるかも知れませんが、私には「周回遅れ」にしか思えませんでした。いまごろそのステップで思い悩まれてもしかたありませんよと。

いや、もちろん芸術ですから納期がどうとか市場に即応してとか、そういう世界とは一線を画して欲しいのは当然です。でもそうこうしているうちに芸術家でない普通の人たちが、その母数の大きさを利用して多くの事を語り表現してしまうわけです。そんな中で芸術家たる方々がどういう作品を創造していくのか。所謂素人が生み出せない何かをつくりだせるのか。真価が問われてしまう、もしくは
「我々が、真価を問うてしまう」
のではないかなあ、などと思ってしまった次第です。
私は芸術家ではありませんから、基本的には芸術家さんの作品を鑑賞することしかできませんが、多くの芸術家さんが震災に挑み、それを表現してくださる事を望んでおります。そして、その中からいつ鑑賞しても変わらない感覚を貰える何かが創造される事を願ってやみません。

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