water steppe memo

日々、考えていることをここに記します。
ブログと呼ばずに「日記」としたいところです。

ZABADAK 吉良知彦さん逝去に思う

2016年07月07日 00時47分40秒 | 真面目な話
ZABADK30周年記念ライブ後に感じた事を文章化しなければしなければと、ぐるぐるしているうちに、こんな日が来てしまうとは。
書きかけで推敲もしていない内容ですが、ここに記します。



東日本大震災のすぐあとに、新居昭乃さんのライブが予定されており、こんな時期だからこそライブを実行したらいいのでは、と私は思っておりましたが、昭乃さんは中止するというご決断をなさいました。当時は、東京のインフラは思ったより維持できているというのがわかってきたころでしたが、それでもまだ震災の影響が極めて濃く残っており、計画停電が行われていたり電車の本数が減ったりしておりました。あの大きな被害を目の当たりにし、アーティストご本人のみならず客のほうも気持ちが乗らないかもしれません。そんな中でライブを中止しよう、というお考えには十分な理があります。中止するという発表がなされた時に私は、
「ここはアーティストのお考えを尊重したい」
と感じたわけです。

時は流れて2016年。ZABADAKの30周年を記念した大きなライブがありましたが、その2日目公演中に、ZABADAK吉良知彦さんがお倒れになり病院に運ばれるというトラブルがありました。第1部の斉藤ネコカルテットさんとのコラボ中の吉良さんに、バンドマスターとしてのキリッとした感じではなく、どこか所在無げな印象を持ちまして、斉藤ネコさんに気を使っているのかもなあと思ったりしておりました。その後の日比谷カタンさんが演奏中、バックステージ(楽屋?)でお倒れになったそうです。カタンさん演奏終了後、向島ゆり子さんがお出になり
「システムトラブルのため、休憩をします」
と発表なさったわけですが、その割には技術系スタッフさんが落ち着いていらっしゃり、そもそも、ZABADAK(吉良さんか小峰さん)ご本人じゃない向島さんが出て発表していることも鑑みると、何か演者にトラブルがあったのだろうと拝察いたしましたが、まさか吉良さんというZABADAKのメイン中のメイン、根幹中の根幹システムにトラブルがあったとは、その時は思いもしませんでした。

15分か20分くらい休憩があったでしょうか、小峰さんだけが出てこられましたが、焦りといいますか緊張といいますかそういうような表情でした。
「30周年記念ライブで楽しくなっちゃったみたいで」
と吉良さんが病院に運ばれたことを説明なさったのが印象的でした。
その時、観客の一人としてその場にいた私は、中止やむなし、と覚悟したわけですが、
「ライブは続行します。」
「前もこういう事あったんですよ。そのときはお葬式みたいなライブになっちゃんたんですけど、、、」
という小峰さんのご決断とお言葉に、
「ああこれは、盛り上がってほしいって事なんだな。」
と受け取りまして、もちろん人間としてファンとして吉良さんのお体のご心配はしつつ、いつもと同じように盛り上がらなければならないんだ、と考えたわけです。もちろん、アーティストが病院に運ばれて心配で盛り上がることができなかった方もいらっしゃったと思います。そのような状況で盛り上がることを不謹慎と考える方もいるでしょう。しかし、バンドマスターであり、仕事のパートナーであり、配偶者でもある吉良さんが病院に運ばれた状況にも関わらず、当事者たる小峰さんが、ライブを継続する、というご判断をなさったわけですから、これは尊重しなければと思ったわけです。

その後のライブは、吉良さんのパートをカバーしつつ、たくさんの演者さんがその実力を発揮なさった十分に素晴らしい内容で、いつもと同じように盛り上がりました。時間の関係で何曲かできなかったかもしれませんし、アンコールもなかったわけですが、最後に演奏された相馬二偏返しの後、吉良さんは無事だという一報も入りまして、そしてきわめて困難な状況を乗り切って涙を浮かべる小峰さんを拝見して、
「子々孫々まで語り継がれるライブの、現場に居合わせたのだ」
と私は思いました。

実は小峰さんのご決断と言葉のあとずっとライブ中もライブ後も、アーティストとファンはどういう距離感でいるべきなんだろう、と考えているんです。アーティストがファンの事を家族やそれに類する表現で呼ぶことがあります。ファンの中には、アーティストを三大欲求の4番目のように考えている方だっていらっしゃるでしょう。人生の一部であるような、大切な存在であるアーティストが病院に運ばれた状況で、ファンはどうあるべきなのでしょうか。善良であることを目指す人間として命に別条が無い事を望むのは当然として、その次としてはどうなんでしょう。こんな時に盛り上がるなんて、と考えるべきだったんでしょうか。
私は、小峰さんがライブを継続すること、そして、小峰さんから大変な事態なんだけど盛り上がってほしいという意図を感じて、そのお考えを尊重しなければと思ったわけですよ。


以上が書きかけだった内容です。これを書いているときは、吉良さんが復帰なさってライブが行われ、そして今後の精力的な活動が予定されているときでした。今となっては、行くつもりだったライブは夢となり、これまで行ったライブは代え難い思い出となってしまいました。この気持ちをどう表現すればいいか、言葉を探すことさえできません。吉良さんご本人はもういらっしゃらず、そのお気持ちお考えを尊重することさえできません。まずは30周年記念ライブの時のように、もう一人のZABADAKであり配偶者でもある小峰さんのお考えを尊重し、そして自分自身でZABADAKの名曲群を尊重することになるのかなあと思います。

それにしても、好きなアーティストが逝去するというのは、こういう事なのですね。第一報が入ってからZABADAKの音楽を聞けるようになるまで、けっこう時間がかかりました。そして、これを書いているときもずっと聞いていますし、聞かなくてもよくなるのはいつか、まだわかりません。

吉良知彦さんのご冥福をお祈りして。

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