災害支援ボランティア 宮北会(みやきたかい)

東日本大震災後、岩手県宮古市・山田町で被災者との「顔の見える」交流活動を続けています

第33次交流活動参加者レポート-(1)

2019-03-24 20:16:08 | 報告

去る3月8日~10日、5名のメンバーが、山田町での交流に参加しました。

参加者のレポートを、以下に紹介いたします。

嶋田憲一

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3月の8日から2泊3日で山田町に出かけて来ました。三日間とも晴天に恵まれ、北浜老人クラブの例会があった9日は今年に入って二番目の暖かさだったとのこと。春がきたようなぽかぽか陽気でした。

一日目は山田線で宮古に到着。ちょうどお昼時だったので駅前のお店で海の幸がたくさん詰まった瓶丼(牛乳瓶につまっている具を丼に自分でトッピング)を食べてホッと一息。この瓶丼は震災後に復興のための名物として考案されたとのこと。

満腹のお腹を抱えて車で浄土ヶ浜へ。

私の故郷は岩手の盛岡なので夏は家族でよく泳ぎに行ったものでした。浄土ヶ浜のレストハウスの近くに昭和三陸津波の碑がありました。

「大地震の後には津波が来る」「大地震があったら高い処へ集まれ」「津波に追われたら何処でも高い処へ」「遠くに逃げては津波に追いつかる常々逃げ場を用意しておけ」「家を建てるなら津波の来ぬ安全地帯へ」と刻まれていて、身の引き締まる思いでした。このような碑はこの日訪れた何ヶ所かにもあり、三陸に暮らす人々の教訓になっているのだと感じました。

この日の夕食は復興住宅に住む方がもてなしてくださいました。心づくしの手料理を頂きながら話がはずみましたが「復興五輪なんて嘘っぱち、お金の使いどころが間違ってる」「あんな大きな防潮堤はいらない。もっと違うところにお金を使うべき」の言葉は強く心に響きました。

二日目はメインイベントの北浜老人クラブの例会へ。台所でちょっとだけお手伝い。そのあと、健康体操に参加。学生さん二人も混じって盛り上がり、楽しく過ごした後はおいしいちらし寿司を頂きました。釜石で活動しているミュージシャンのグループがゲストで来ていてその伴奏にのって全員で大合唱。

宮北会を代表して渡邉さんが相撲甚句を披露してくれて大好評。

ミュージシャンの演奏を聴いたり婦人部の方たちの踊りを楽しんだり、と時間はあっという間に過ぎ、気が付くとお開きでした。

個人的にお話しをすることができなかったのは残念でしたが老人クラブの方たちの暖かさが伝わってくる会でした。

この夜は東海林さんのお宅でご馳走になりました。山田でしか味わえない海の幸たっぷりのお料理に大感激。震災直後の話や家の壁や床の津波の傷跡は何度聞いても何度見ても衝撃的でした。

そして最終日。

北浜の碑の前で記念撮影。

11日の慰霊式に参加できないのは心残りでしたが、山田に別れを告げて宮古から三陸鉄道北リアス線に乗り八戸経由で浦和に戻りました。浄土ヶ浜も三陸鉄道も八戸線も海の景色はすばらしくて、とても津波とは結びつきませんでしたが、現実として津波があったこと、大災害で2万人近くの人が亡くなったり行方不明になっていること、まだ復興途上であることは忘れてはならないと強く思った旅でした。

北浜老人クラブのミュージカルがとても楽しみです。   (2019.3.20)

小川 厚子



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