災害支援ボランティア 宮北会(みやきたかい)

東日本大震災後、岩手県宮古市・山田町で被災者との「顔の見える」交流活動を続けています

第六次(2011.10.29~31)現地視察報告

2011-11-15 07:51:09 | 報告

                            宮北会 第六次現地視察報告(2011102931日) 

                          江藤 

参加者:江藤・嶋田・野本  3 

目的 

A 第五次現地視察までの地域との継続的関係の更なる構築 

B 前回、宮北会に地域の高齢被災者への心のケア―の要請を受け、実践活動 

 以上の目的を持って102931日に視察してきた。 

行程 

 29日 浜松町から宮古行き夜行高速バス 利用 宮古駅前 朝7時10分到着

 30日~31日の活動

子どもとのイベント 一人暮らし高齢者との交流 障がい者との交流 復興への息吹

a.宮古市崎山地区仮設住宅 

            避難所で出合った子ども達と再会。昼まで一緒に遊ぶ。

             針金細工で一緒にアクセサリー作り・ストローでの笛作り。 

b.仮設住宅に住む独り暮らしの高齢者訪問

             一人暮らしの高齢者女性を訪問、心を通わせた。

c.障害者施設「共同作業所」訪問

        災害で一番後回しにされる知的障がい者作業所で行われている活動を見学。

d.「絆の花」・・被災地と埼玉を結ぶ花の縁

       第二回宮北会支援活動で、持って行った花が、思いがけず被災者の手で今も

        しっかりと生きづいていた。可憐な花を、見捨てることなく面倒を見てくれた

        被災者の皆さんがいた。その心に触れることができた。

e.「海をうらまない」 佐藤啓子さんを訪ねて

        知的障がい者ケアホーム 「希望」を訪問 佐藤啓子さんと会う。

f.山田の海に生きる、これからも生きる決意のもとに頑張っている素敵な家族と出会う

        「海に生きる」、現在の状況の困難さを生みだしているのは何か!

        国の「支援」が現場を無視したものであるかに驚く! 

出合った人々

宮古市  崎山仮設住宅在住の皆様  宮古市議・橋本氏

山田町  仮設住宅在住の被災者  サトエさん・ミヤさん・ミツオさん

東海林さん(北浜老人クラブ世話役)  タクシー運転手佐藤さん

「ケアホーム希望」佐藤啓子さん他     やまだ共生作業所・佐藤理事長

 三陸カキ安全丸の白野さん親子 

  

 (崎山仮設住宅の談話室にて)                                  (山田港の安全丸をバックに)

今回のハイライト

1029日から31日の訪問で印象的だったのは「花の絆」だった。

第二次宮北会の炊き出しボランティア活動の時に、参加者の一人が沢山の花の小鉢を持っていった。

焼け野原の中で花があれば、心が慰められるかも知れないと思ってのことだった。

 

1995117日の阪神大震災の時、崩れ果てた街の中で、辛うじて全壊を免れた一軒の家があった。

その家の屋根には、沢山の美しい花が咲き乱れていた。

黒と茶色の瓦礫の中を歩いていた時だったから、その家の屋根に置かれていた鮮やかな春の花々は、私の心に深く深く飛び込んできた。

そして、花を置くことで人々の心を慰めようとした、その家の人の心に、思わず涙したのだった。

その95年の7月に神戸長田地区の焼け野原には、ボランティアが播いたコスモスとヒマワリが咲き乱れていた。

 焼け野原の一角のプレハブで営業していたうどん屋さんのおじさんが、一生懸命に水をやり、肥料をやり面倒を見続けたからだった。これも印象的だった。 


5月第2次の参加者が持って行った沢山の花の小鉢は、焼け野原と化したJR山田線の陸中山田駅前ロータリーの黒焦げのシナの木の下に植えられた。

そして残りの花の鉢は、山田北小学校避難所で出会ったさとえさんに喜んで受け取っていただいた。

陸中山田駅は、JR山田線の宮古=釜石が壊滅状態で復旧の目途はつかず廃墟と化していた。

シナの木がある花壇にも瓦礫が散乱して地面が見えない状態。瓦礫を少しのけてそこに2列に植えたのだった。

誰もいない駅のロータリーで水もない。やがては枯れるのははっきりしていた。

それでも緑ある今だけでも、見てくれる人がいるかもしれないと、埼玉のメンバーは残して行った。

 

8月の初め、宮北会の事務局長をしている嶋田さんが第四次の現地訪問をした時、駅前ロータリーの花がどうなったのかと行ってみると、なんとそこにはあの時植えたヒナギクをはじめ多くの花が咲いていた。

しかも2列に簡単に植えただけだったのに、黒焦げのシナの木のまわりにぐるっと、円になって植え替えられ数も増えて咲いていた。

誰かが、あの死にそうな花に水を掛け続け、植え替え増やしてくれたことだけははっきりしていた。

嶋田さんは感激して、花の水をやり続けた人を探すことにした。

するとタクシーの運転手らしいということがわかり、埼玉に戻って、5月に花を持参した張本人が、この近くのタクシー会社に電話しまくって、佐藤さんという方を探し当てた。

ロータリーに植えられた花々を見て佐藤さんは、それから半年水をやり続けたという。

しかも震災で水はないのだ。だから、駅前ロータリーから歩いてもかなりある、山際の水が出るところまで、ペットボトル数本に水を入れて持ち帰り、暑い時は何回も行き来して面倒を見たという。

頼まれたわけでもない、金になるわけでもないにも拘わらずである。

こうして、ヒナギクは生き残り咲いていた。

 

今回、もう暗くなった18時過ぎに、ロータリーに行ってみた。

そこに佐藤さんが来てくれていて一緒に話を聞きながら、彼が照らしてくれた明りの中で、白く咲いている沢山のヒナギクを見た。

小さくか細い可憐なヒナギクが点々と咲いているではないか!しかも他の草花の花もある。

その姿は感動的だった。

神戸長田の焼け野原で見たヒマワリとコスモスの姿と、その面倒を見てくれたうどん屋のおじいさんの姿がタブった。美しい花が咲いている。本当に美しい花がここにはあった。

 

翌日、もう一度見たいと駅前ロータリーに向かった。

今にも泣き出しそうな曇り空の下、廃墟の駅前ロータリーの花壇には、311の証人のような焼け焦げたシナの木が無言で立っている、そしてその裾に花咲いている可憐なヒナギクを見た。

言葉が無かった。あまりの美しさに言葉が出なかった。

しかも、そのロータリーに一台のタクシーがあった。

なんとその中には昨日会って話を聞いた佐藤さんがいたのだった。あまりの偶然に互いに笑いあった。

 

おごり高ぶった人間も、大自然の力の前ではひと捻りで消えていくしかない存在。

ひと捻りで消えていく力のない花、簡単に踏みつぶされる花だからこそ、花の持つ意味は大きい。

小さな花が持つ大きな花の意味を、人間は知らなければならない。

(陸中山田駅前ロータリーに咲くヒナギク)

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宮北会 今後の動きを考える (2011.11.5)

2011-11-08 14:40:35 | 設立趣旨・方針

 文責 宮北会代表 江藤善章 

 災害ボランティアとしての活動を考えるときに、長い見通しを持って活動することを最初から「宮北会」は考えて行動している。今後の動きを考えるときに、神戸・中越・中越沖地震で体験から、見えたものがあるので、それをたたき台に考えてみる。 

災害における被災者の状況変化を考えることが必要 

第一段階・・災害発生と避難所生活の段階 

※この段階は緊急対応が必要。何よりも衣食住の確保。 

  食料の確保段階では、単調な弁当食しかないので、炊き出しが非常に有効であり要望も強い。 

※被災者は、とりあえず命の確保で失望の中でも、生き残った人達との共生と支援に安堵する。 

第二段階・・避難所生活の長期化・・一般に1ヶ月から半年 

※悲しみの中でも避難所の中での日常生活が始まり、落ち着くが同時に、プライバシーも何もない状態でのストレスも高まる。 

※ボランティアが積極的に入る意味がある。炊き出しもまだ有効。

第三段階・・避難所から仮設住宅へ

※避難所から仮設住宅への移動の時に、被災者は非常な苦痛を伴う。希望の仮設への移動が実現した人とそうでない人、また仮設住宅そのものの不満、行政の対応の不満、「また捨てられてしまうのか!」「自分達は社会のお荷物になっているのか?」という苦しみが襲う。

※非常に苦しい時期。

第四段階・・仮設住宅入居  二年間の限定居住

※仮設住宅の入居をテレビや新聞は大きく取り扱うが、それ以後のニュースはこの段階から、一挙に減少する。テレビや新聞の取り上げ方もかなり変わる。

※被災者側の問題

1 仮設住宅は、たかだか2年程度しかいられない。その後の不安を抱えたままの生活。

  現実は延長になるだろうが、限定的な期間であることはかわりない。

2 個人や家族のプライバシーは守られるが、それは同時に孤独感を多く募らせてくる。

特に家族がいない、病気、障がい、などハンディーを持つ人は孤独感をより強く持つ。仮設住宅全体での連帯感は非常に薄れて行く。

3 個人個人の状況が、より複雑になって行く。

  自殺者拡大・痴呆などが進行。

※この段階では、仮設住宅の住宅で自治的な組織が出来て、そこが中心になって上記の問題を意識した行事などを積極的に出来るかが大きい。個人の状況に追われてなかなか進まない。

※ボランティアは、ここでは行事に積極的に参加する。

あるいは、ボランティア団体が積極的に行事を作ることが必要。

※特に大人を対象にするよりは、子どもを対象にした行事が良い。子どもが集まると大人が集まる。

仮設住宅に住む住民と密接な関係を維持して、連絡を取るなどが必要。自治会があればそこから。

※その段階で知り合った独居者や、悩みを抱えている人達と出合い、継続した手紙を中心にした関係をつくることは、大きな励みになる。

第五段階・・仮設住宅から住居へ

※「被害の階級性」が非常に鮮明になる。経済的な基礎がある、様々な基礎がある人達が自立していくが、経済基盤・基礎基盤がない人は、置き去りになり、孤独感はさらに拡大し、大きな問題になる。  高齢者・障がい者・独居者等々への支援が必須。第四第五段階から痴呆・自殺者が急増する。

被災地支援の今後と宮北会の取り組み=最後まで顔と顔が見える関係を継続することの意味

被災地の支援をするためには、被災地の現状に即した支援行動が求められる。

そこを考えないと、支援者の独りよがりの思い込みによる押しつけ支援になる。

このことをしっかりと肝に銘じなければならない。

 

現在は「第四段階」である。

それに応じた支援を模索するため10月29~31日に、第六次としての岩手県宮古市・山田町を訪問した。

(詳細、別途第六次報告を参照)

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宮北会の活動趣旨

2011-11-07 13:31:04 | 設立趣旨・方針

千年に一回あるかないかの2011.3.11東日本大震災、メディアを通じて見る惨状は壊滅的で悲惨なものでした。
埼玉からでも、何か出来ることがあるとの想いで、以下の基本的な考えで宮北会を立ち上げました。
特定の地域に根拠地を定め、顔の見える関係を構築すること
長い時間を要する復興の課題に、ともに背負う姿勢と実践のため、顔の見える関係の構築が重要と考え、その根拠地として、岩手県宮古市、山田町を選択しました。
理由は、以下です。
  ・津波被害激甚地であること
  ・漁業を中心とするこの地域は復興がとても困難になること

岩手県は今から40年前から「海は山が育てる」という考えのもとに実践した地域として特色があり、かつて三陸の海は高度成長のなかで、やせ細ったけれど、海と山の交流で豊かな海の復活を実現してきた日本でも稀有な地域です。

人間は、他者が突然現れて、それがどんなによいものであっても、なかなか受け入れることはできないものです。
しかし、いったん人間関係が信頼の中で出来ると、それは継続します。
災害の緊急性が終わった後での関係性の構築は難しく、だから最初から関わるときにその意識を持つことが必要との想いです。

第1次隊として、4月に宮古、山田の被災地に行き2箇所の避難所(山田北小学校・崎山小学校)で「味噌けんちん汁」の炊き出しを行い、ボランティアによる支援の第一歩を踏み出しました。

第2次隊は1次隊の体験を生かして、5月に第1次隊と同じ避難所(山田北小学校)で「中華風コーンスープ」(昼食)・「餃子スープ」(夕食)の炊き出し、さらに崎山小学校を訪ねて、「現地の被災者から学び、次の課題を見つける事」を狙いにして、顔の見える交流に一歩踏み込んだ支援を行ってきました。
岩手県では避難所はすべて閉鎖され、被災者の方々は仮設住宅で生活されています。

第3・4・5次隊の7・8・9月には宮古崎山と山田北小学校の関係者との交流を続けつつ、仮設住宅の被災者に対して何が出来るか、現地のニーズを聞き協議の中から出来る支援を模索しました。

第6次隊として10月からは、現地との協働で、はっきりと顔の見える支援を開始しています。

この活動の母体となる団体は、当初、大宮北高関係者有志、地名としての大宮・宮原の宮・宮古の、「宮」、東北の「北」の意味合いを込めて「宮北会」と命名しましたが、学校・大宮の地域を超えて様々な人々と活動しています。

今後の被災地の復興には長い時間が必要な状況で、さらに長いスパンでの支援を続けていく予定です。
これまでの支援活動に対して、多くの皆様からご支援をいただいています。
そして、同じ想いの人たちが関わることが出来るようにしたいと思います。
引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。

宮北会代表 江藤善章
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