災害支援ボランティア 宮北会(みやきたかい)

東日本大震災後、岩手県宮古市・山田町で被災者との「顔の見える」交流活動を続けています

第28次活動報告(3/3)

2017-03-28 10:25:55 | 報告

2017年3月11日 震災六年目 第28回目 現地訪問 報告(3)

江藤善章

「鉄の棺桶」にならないようにしなくては!

 宮北会の最初からの目的は、高齢な被災者を孤立させない、孤独死や自殺などの絶望に追い込まないようにすることであった。埼玉から何が出来るか?と言われそうだが、できることをやる。そういうスタンスで立ち上げた活動である。いよいよ震災後の被災者が置かれる最後の段階にきた。仮設から復興住宅(名前はいろいろとある)に入居する。この段階を見て一般には復興が終わったように言われるが、実はそうではない。復興住宅に入ってから、被災者の孤立化、孤独化が一気に進行する。壁が薄く不自由な仮設住宅だったからこそ維持できたコミュニケーションというものがあった。互いに心配しあい助け合う気持ちが、立派な住宅に入ると一気に薄まる。神戸ではこの段階からの孤独死・自殺・精神不安・認知症の進行・身体不調が拡大していった。だから、これからが心配だと思っていた。

 3月10日の夜、山田の北浜老人クラブ事務局長の東海林さん宅でテレビを見ていたら、ニュースが突然入ってきた。宮古市の復興住宅に入った被災者が、一人で亡くなっていたというものだった。二人とも顔を見合わせた。心配していたことが起きたのだった。詳細は分からないが、これから起きる事態を予見させるものであった。

 やはり、最大の問題は、復興住宅に入ってから、そこに住む人たちの関係をどう構築するかである。実はこれが非常に難しいのだ。被災者の年齢はすでに6歳上昇している。住宅内で自治会を組織し、関係を作りだすのはかなりのエネルギーが必要だ。だんだんと部屋に閉じこもっていく。外部からの働きかけも少なくなっていく。・・・そして気づいたら亡くなっていたという状況が神戸だった。一昨年1・17の阪神淡路の震災記念日に、20年間通い続けた復興住宅で聞いた話が、「鉄の棺桶」という言葉だった。厚いコンクリートの壁と鉄の入り口で囲まれた居住空間、それがそのまま「鉄の棺桶」になっているというものだ。最初に聞いた時は何という言葉だろうかとショックだったが、実態を知るにつけ、実感としてその言葉を受け入れるようになっていた。

 一緒にみていたNHKのテレビは、震災記念日前日だったので、特番が放送されていて、なんと明日訪ねるこの北浜の関谷の仮設住宅が報道の現場になっていた。そこには、北浜老人クラブの人たちが何人かいて、東海林夫妻は、顔を見つけては名前を挙げていた。報道のテーマは、やはりコミュニケーションを今後どうするかだった。仮設に残っている人、すでに復興住宅に入っている人、かつては一緒に住んでいた人たちが今後どうするかということで、参加者にインタビューをしていた。

 ふと見ると、その参加者の中に前回の報告で話した武藤さんがいた。亡くなった旦那さんの似顔絵を、この二年間で書き上げていた。自分の心の中にある、愛する旦那さんに語りかけるようにしながら、描いてきたのだという。でも決して後ろ向きでなく、元気で生きていく姿を見て欲しいから描いたのだと語っていた。

 11日の震災記念日の行事のあとに、復興住宅を見せてもらった。立派なものだ。仮設住宅とは比較にならない。まだ移ったばかりだから、荷物が整理してないからと、中には入らなかったが、外からのぞかせてもらった。記念写真を取って別れた。

これから、どういう風にすればよいのか、本当に考えていかなければならないと思いながら、山田を後にした。   報告終わり。

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月例会(4/6)のご案内

2017-03-28 09:47:16 | 連絡

第53回目の月例会を、以下の要領で開催いたします。

・日時:4月6日(木)18:00~ 

・場所:「さいたま市市民活動サポートセンター交流スペース」(いつもの場所です)

・寄せ書き対象人数:6名

部分参加可です。

「6年目の3.11」、現地での交流報告を予定しています。

ご参加をお待ちしています。

(臥竜梅@山田町 大沢:2012.4)

嶋田憲一

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第28次活動報告(2/3)

2017-03-19 06:18:08 | 報告

2017年3月11日 震災六年目 第28回目 現地訪問 報告(2)

江藤善章

悲しみを本当に悲しむとき、悲しみは、一つの力になる。生きていく大きな力と昇華する!そう思えてならない。そんな場面があった。

 311日が誕生日だった冨士子さんのことだ。宮北会の誕生日メッセージを書くとき、誰もがこの11日が誕生日である冨士子さんへの言葉を迷わない人はいない。「誕生日おめでとう!」と書いていいのだろうかと?これほどの災害の日が誕生日であっただけでなく、この津波の被災が原因で最愛の旦那さんが体を悪くして亡くなっている。なんという不幸の重なりであることか。私たちはこれまで何度も山田に行ってきたが、いつも元気な姿で女性たちの踊りのメンバーとして踊りを披露してくれる姿を見せてくれていた。その姿の奥に、そんな悲劇を抱えているようなことは一つもみることはできない。だからこそ、誕生日のメッセージの色紙を前にして、ことばが詰まるのだ。

 この日の例会で、宮北会から花のプレゼントを私が直接手渡すことになった。東海林さんが冨士子さんを前に呼ぶと、ちょうどその時は厨房で片づけをしていたようで、みんなが大きな声で「冨士子さんさ~ん、出ておいで!」と呼ぶと、急いで前の方に出てきてくれた。私はその顔を見ながら「おめでとうございます!宮北会からのプレゼントです」と渡すと、喜んで受けてくれました。同時にみんなからも「おめでとう!」という声が掛かった。ここに参加している誰もが彼女のことを知っている。だからこその、とても優しさがこもった掛け声だった。その声援を受けて彼女が挨拶してくれた。

 「皆さん、ありがとうございます。この3月11日が、何と言うことか、私の誕生日なんです。あの前の日に、主人が、明日の夜は二人でお祝いしようね、それからカラオケで二人で歌でもうたおうか!と言っていたんです。でもその日があんな日になるなんて思いもしませんでした。私は職場から逃げましたが、主人は防災担当でみんなに声をかけて最後に逃げ出したけど、ついに津波にのみこまれました。でも助かったのですが、あの黒い波を何度も飲んでから、体が悪くなり、結局亡くなりました。本当にただただ悲しく、何もできなくなっていたときに、皆さんから励まされ、踊りに参加させてもらい、今ではこんなに元気になっています。きっと天国にいる主人は、この姿を見て喜んでいると思います。しっかりと生きて、そして主人のところに行きたいと思っています。それまでは、皆さんと一緒に、これからも前向きにしっかりと生きていきたいと思います。どうかよろしくお願いします。」すると、割れんばかりの拍手が沸き起こった。「頑張れ!」「きっとおとーちゃん喜んでいるよ!」「北浜の誰もが、仲良しの夫婦だって知っているからね!」・・いろんな激励の声が上がった。悲しみを超える、良く聞く言葉であるけど、たやすいことではない、しかし、この冨士子さんの姿と言葉を聞いた人すべてが、自分の中にも、前に向かって生きる勇気が生まれてきたに違いない。「ありがとうございます。私はおとーちゃんが大好きでした。だから、これからもがんばりますよ!」・・・・。そう笑顔で応えていた。

あの日から6年。様々な人生がここにはあり、助け合い励まし合いながら生きているのだった。

悲しみを本当に悲しむとき、悲しみは、一つの力になる。生きていく大きな力となる!そう思えてならない。そんな場面であった。

(続く)

 

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第28次活動報告(1/3)

2017-03-15 09:03:07 | 報告

2017年3月11日 震災六年目 第28回目 現地訪問 報告(1)

江藤善章

 あの東日本大震災から六年目の今年の311日は、あの日と同じ土曜日となった。その意味でも、是非とも参加したかった。被災した皆さん方にもやはり特別な想いがあると思う。

  前日の夕方に山田町の北浜老人クラブの事務局長である、東海林さん宅に到着した。家の中には明日のクラブの例会で使うものが沢山用意されていた。月一回のクラブの例会と、追悼式を行う予定になっていた。

  11日朝10時からの予定だが、9時に行ってみるともうクラブの若手女性陣が、昼のご馳走の準備をしていた。年配の方々も9時半には、かなり集まってきた。それぞれ近況を話しあっていた。

  10時から例会が始まった。最初は「みなさん、少し今日は頭を使うクイズをしましょう!」と言って、プリントが配られた。その中にはことわざが半分書かれていて、後の言葉を探すというものだ。例えば、「猫に・・・・・」という具合だ。簡単なものもあるが、かなり難しいものもある。みんな一生懸命やっている。隣の人と相談しながら、真剣に、そして楽しんでいた。解答をみんなで声を出し合いながら、和やかな雰囲気になって行った。

  約40名の集まりになった。その後、様々な報告事項を手際よく東海林さんが紹介していった。その後に、今回は宮古市から健康体操の女性が来ていて、一緒に動くことになった。いったいどんなことをやるのかと思ったら、これがなかなか楽しいものだった。何よりも指導者の女性の語りが本当に上手く、土地言葉で絶妙のやり取りを展開し、爆笑の渦が何度も起きた。座ってやるものから、椅子取りゲームのような立って動き回るものもあり、体も心も本当にリラックスしていった。私は初めての体験だったが、学ぶことが多かった。


 お昼には、とても美味しく量のある昼食が出てきた。女性陣が頑張った成果で、本当に美味しかった。

  その後、私の用意したスライドを上映した。この六年間の交流の足取りを簡単に追って、また宮北会の埼玉での活動である、誕生日のメッセージ書きや、折り紙の会の活動、チャリティーコンサートなどを写真で紹介すると、とても喜んでくれた。自分の誕生日に送られてくるメッセージが、どんな形で作られているかがわかったようだった。宮原のチャリティーコンサートの様子では、ここで、クラブの女性たちに踊ってもらいたいと言うと、絶対にいきますよ!と力強い声がかかって来た。嬉しい限りだ。

 その後、私がパンフルートを演奏して、みんなと声を合わせて懐かしい歌を一緒に歌った。これも楽しかった。

 14時から追悼式をはじめた。北浜老人クラブの犠牲者への追悼と、証言集から何人かの文章を朗読して、悲しみをみんなで共有。事務局長の読む決意の文章にも、全員で声を合わせた。悲しみを乗り越え、生きていく力にすること、互いに支え合うこと、そして受け身でなく、自分たちが何かをしていこうという気持ちがそこには溢れていた。

(続く)

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「山田町震災復興事業協同企業体 山田町CMJV工事事務所」HPより

2017-03-09 00:45:04 | 宮古・山田

山田町震災復興事業(大林・戸田・飛島・建設技術研究所・復建技術  山田町震災復興事業協同企業体 山田町CMJV工事事務所)のホームページ(http://yamada-cmjv.jp/)に、山田町の詳しい復興の状況がアップされています。

工事かわら版の「360度パノラマ写真」、とても解りやすいです。

一度ご覧ください。

山田町役場前(2017年2月)→ 

http://yamada-cmjv.jp/panorama/2017-02/yamada-yakuba/yamada-yakuba.html

国道45号・車道開通(2017年2月)

http://yamada-cmjv.jp/panorama/2017-02/r45-kaituu/r45-kaituu.html

嶋田憲一

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