

千駄木の漱石山房跡 碑が目印 現在は日本医大の敷地になっている
今年は夏目漱石が亡くなって96年。小説「坊ちゃん」発刊から106年です。おじちゃんが覚えているのは生誕100年、没後50年と銘打って岩波から限定版「漱石全集」が出版され、毎月本屋さんに届けてもらったことです。その時買った全集は湿気の多い倉庫に入れておいたのでブクブクになって今では使い物にならなくなってしまいました。漱石先生にとっては誠に迷惑千万なことだろうと思います。
やはり散歩のついでに千駄木の漱石旧居跡にも行った事があります。以前は空き地になっていたのですが、今は日本医大の建物が建ってしまいました。ロンドン留学から帰国した漱石は、明治36年から39年12月までの4年間この地に住んでいたそうです。「吾輩は猫である」「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」「野分」などを執筆し、小説家としての礎を築いた場所なんです。その後有名になって近くの西片町へ移って行きました。

池之端に残る鴎外旧居
千駄木の家はその前に鴎外が住み、鴎外はすぐ近くに移り、現在「鴎外荘」として文京区が管理しています。漱石が引っ越した西片の借家の坂の下には、同時期樋口一葉が竜泉寺町から移り住んでいました。漱石の次男であった夏目伸六氏の『猫の墓』のエッセイの中に「実は父の兄と一葉女史との縁談の話がありました」という下りがあり、しかし、樋口家がよく金を借りに来たので、親戚になればもっと頻繁に借金の要請があるだろう、ということで破談になったことが書いてあり、もし一葉女史と伯父が結婚していたら、と思うとなんだか不思議な気がします、と述懐しています。

鴎外荘 別名:汐見荘

昔はここから海が見えたそうです
当時の西片や丸山福山町界隈は静かな環境と、都心に近い住宅街として文人たちが好んだ場所だったそうです。西片は、今でも高級住宅街の雰囲気を残している場所です。しかし散歩をしながら漱石や一葉や鴎外が住んでいたことを想像しようと思っても、東京の変様の中では、とても難しいことになってしまいました。