早に起きて日の出ずるを見
暮れに見る棲む鳥の還るを
客の心は自から酸楚しむ
況んや木瓜山に対するをや
李白
素晴らしい構図
この三笠山すなわち宝満山は これでも標高900mに達する
阿部の仲麻呂の歌に
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
という 望郷の歌がある
これこそ まさに 筑紫すなわち福岡の この山の事だろ
一般的に 奈良の大和の三笠山という説があるが
福岡県春日市から南東に見上げるこの三笠山こそ この歌だ
山のふもとは明治大正の頃まで 御笠郡三笠村 春日 大野という地名
しかも 天の原とは その南に 甘木市 現在朝倉市に変わって数年
この辺一帯を 天 アマ と呼ぶ
その昔 朝鮮半島南部を支配した倭は 白村江の戦いを進めるために
朝倉に斎明天皇の居住地を建て前線指揮とするも 半島戦いに敗れ
この地を撤退した経緯がある
まさに大陸と半島の関連地として この地は重要だったが
白村江敗戦で すべて大和 奈良に引き上げた
という 歴史
だから 百人一首の一首目は 朝倉の地で歌われたものである
ついでに 天の香具山とは 朝倉にある現在の高山(こうやま)のことである
日本の黎明期が ここ発祥は万人がみとめるところ
もっと深く 掘り下げたい