

邪馬台国はどこにあったのか
この問題は日本の歴史を 日本国家の成立を揺るがす大問題である
大和朝廷の成立前は いかなる状態であったのかが まるでわかっていない
中国の魏志倭人伝に書かれていることが 日本では全く書かれた本がない
これは一体どういうことか
この事をここで追及するには別の膨大なエネルギーが必要なため ここでは一端矛を収めることにして
卑弥呼は一体どこにいて どうしていたかということである
ひみこ という呼び方は 神社の巫女さん ミコを想起する それを いやしいという卑を当てた ヒミコ
中国は ことごとく 周辺国に対して 蔑視している 邪馬台国という字もそうである
邪見な馬 と書いて邪馬台国 全く噴飯ものである 現代日本人はこのことを何とも思っていないこと自体が
歴史を大切に思わない証拠である 確かにおわったことを ああだこうだといったところではじまらない
しかし 我々はこういう経過を辿ったから現在 こうであるということは よくよく脳裏に刻んで将来のあり方を
決めるべきである
邪馬台国は消滅して大和朝廷に移行したのか そうではないのか これも大きな論点
神武天皇の東征は史実であろう これが唯一日本史と接点がありそうなものである
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また 後日
これが帯方郡から邪馬台国に到る距離の概略である
帯方郡 (今の北朝鮮平壌付近か) から邪馬台国迄一万二千余里とある
これこそが 邪馬台国の位置までの決定的距離
概略であるが 大雑把さは 否定できない
狗邪韓国 今の韓国釜山付近から 海を1000里渡り 対馬へ
対馬から南に海を渡り 1000里 一大国(壱岐) へという 大雑把さ !
さらに海を渡り1000里 末蘆国 今の唐津 松浦 へという 大雑把さ !
ここまでが 一万里 邪馬台国までは 一万七百里しかないから ここからは
1300里 ということになる
佐賀県唐津からだと 福岡県南部までが 該当距離
そこには ヤマトがある 山門郡 どう考えてもここしか邪馬台国はあり得ない
途中の 伊都国には魏使の常駐する大使館的窓口あり 当時は牛 馬はいないと書いてるから
徒歩圏内しか邪馬台国は考えられない
すると 南部に吉野ヶ里や 平塚川添遺跡で発見された城柵に囲まれた国などを含む七万戸の大国は
筑紫筑後平野であるとしか 言えない
アマチュアとしての 結論
邪馬台国の位置
福岡県山門郡大和町 瀬高町
卑弥呼の居住地 瀬高町 女王山 神籠石に囲まれた山城風の山
帯方郡から一万二千里 である 帯方郡から奴国までは一万七百里
奴国(福岡.博多)からは1300里 一里は70m
距離的にも符合 七万人の人口を擁する平地は 筑後南部しかない
南の隣国には狗奴国(熊本. 球磨)であること
いろんな条件考慮したら 福岡県南部の山門しかない
そこには女王山があり 近くには 女王塚も存在している
女山 (ぞーやま) と言う
昔は 女王山 (じょうおうやま)。 ぞーやまとは じょーおーやま が訛ったものだと 言われる
そこには女山神籠石というのがあり 昔の石でできた城柵 がある
女王卑弥呼の居城として 居留地として 特定できる
八女市の南隣
福岡県山門郡(やまとぐん)瀬高町 数年前から みやま市に変更
山門郡は大和町(やまとまち) 三橋町 瀬高町 がある
読み方から 地名が特定
地名というのは 大昔から それほど変化しているものでもなく
歴史を伝承している
やまと という地名 ぞぅおーやま という地名
神籠石という神域 また ふもとには 誰の墓かわからぬ 大きな古墳群
それに 邪馬台国の世帯数七万戸 という むかしとしては 破格の人口を抱えるには
広大な平地 耕作地が必要
これらの条件を満たしている
ここの南隣は 狗奴国あり 男王 官に狗古智卑狗あり ここは熊襲即ち熊本の菊池市
だろうか
すばり アマチュアが特定する 女王 卑弥呼の 居城 は ここだ !
です゜
興味尽きない邪馬台国論 三国志の倭人の条に書かれていることからしか
推察できない 日本国史には決して存在しない邪馬台国 不思議な話である
なぜそうかといえば 日本の黎明期に何があり どうなってきたのかが
よくわかっていないからだ
倭国騒乱 動乱 大戦があったという それがいかん
内乱でどこでどれだけの人間が どう死んだか はた迷惑な話である
もしも 自分の家が戦死者の埋葬地であったり 殺人現場であったりしたら
その土地の上に住んでるとしたら おそらく住人は一生幸運が訪れることはあるまい
だから 歴史は深く知る必要がある
そういえば石原裕次郎 彼の自宅は縄文時代の遺跡 墓が発掘されたという記事があった 晩年大病して短命に終わった彼は こんなことからも考えた
邪馬台国の卑弥呼 ひみこというのは現代の神社の巫女さんがその後継者だろう
みこさんは 神社に在りて かいがいしく働く女の人 卑弥呼が女であったように
ただし 卑弥呼という字 いやしい という字を当てた中国
いかに見下していたかわかる 邪馬台国という よこしまな 馬と書く
国名からして 野蛮な国といういいかたする 憤懣やるせない
いまも 中国は 他国を見下す この伝統を担いでるようだ おのれの野蛮さを棚に上げて 世界の中心であるとか 中華即ち中の花 華
次回に
交通機関としては 牛 馬 がいいのは昔
その牛馬が邪馬台国にはいない いなかった とある以上は
伊都国の大陸窓口から さほど離れていない 福岡が
卑弥呼居城としては 断然有利
邪馬台国福岡説が 光を浴びることになった