
ひさしぶりに次男と眼科に行った。
・・・早いもので、次男の手術からもう2年が過ぎてる・・。
息子が絶大な信頼をよせている、筑波大病院の網膜の専門の医師から、
『これからは近くの眼科で経過をみれば大丈夫。ここはもう来なくてもいいんだよ。』
と、言われた時は、一瞬、ちょっと心細そうな顔をしたくせに・・・
病気の事から、すっかり心がときはなされた様子で、この一年は眼科に行かなかった。
その間・・母は次男坊の目の事はかたときも忘れた事はなかったけれど・・
本人が元気でいて病状も安定している様子だったし、親子して、この事から少し気持ちを離したくなっちゃったね。
そう考えられる事は、何より嬉しいことです。
でも・・やっぱり眼科に行く時は今でも、結果をきくまで心配。
経過は良好。円孔もきれいに塞がっています。視力は回復していませんが、0・7まで上がっていました。
視界の真ん中の見えない部分は相変わらず残っているようですが、
この状況にずいぶん慣れた様子で『右左を比べるとやっぱり違うけど、気にならない・・』と、言っています。
よかったね・・。
次回は半年後。今日は高校在学中の最後の眼科通院になりました。
以前から、病院の後は,お互いの?元気付けに”美味しいものを食べる”というのが暗黙の了解だったので、今日も母は楽しみにしていたのに~~
終わったとたん・・・友達のウチに行っちゃった・・・。
それでよろしい
それじゃなきゃだめ。 いってらっしゃい・・。
もうすぐ卒業なので、明日は、学校にその後の病状の件で最終的な電話をしなければ・・・・・母は、少々、気が重いです。
・・・早いもので、次男の手術からもう2年が過ぎてる・・。
息子が絶大な信頼をよせている、筑波大病院の網膜の専門の医師から、
『これからは近くの眼科で経過をみれば大丈夫。ここはもう来なくてもいいんだよ。』
と、言われた時は、一瞬、ちょっと心細そうな顔をしたくせに・・・
病気の事から、すっかり心がときはなされた様子で、この一年は眼科に行かなかった。
その間・・母は次男坊の目の事はかたときも忘れた事はなかったけれど・・
本人が元気でいて病状も安定している様子だったし、親子して、この事から少し気持ちを離したくなっちゃったね。
そう考えられる事は、何より嬉しいことです。
でも・・やっぱり眼科に行く時は今でも、結果をきくまで心配。
経過は良好。円孔もきれいに塞がっています。視力は回復していませんが、0・7まで上がっていました。
視界の真ん中の見えない部分は相変わらず残っているようですが、
この状況にずいぶん慣れた様子で『右左を比べるとやっぱり違うけど、気にならない・・』と、言っています。
よかったね・・。
次回は半年後。今日は高校在学中の最後の眼科通院になりました。
以前から、病院の後は,お互いの?元気付けに”美味しいものを食べる”というのが暗黙の了解だったので、今日も母は楽しみにしていたのに~~
終わったとたん・・・友達のウチに行っちゃった・・・。
それでよろしい

もうすぐ卒業なので、明日は、学校にその後の病状の件で最終的な電話をしなければ・・・・・母は、少々、気が重いです。
返信ありがとうございます
親として悩みますよね…自分の身体の事より…。
ご心配な年明けを過ごされたご様子ですが…
お母様がそのように一生懸命自分の身体の事を心配して奮闘し、一緒に悩んで心を痛めてくれてる…という経験は、思春期のご子息にとって宝物になると思うのです。
普通はしなくていい経験ではありますが、何事もなく過ごされた親子より心の奥底でしっかりつながれたと思っています。
これからの経過観察期間にも、担当医師にわからない事など聞いて医師とも信頼関係を築いて治療にあたって下さい。
受信する間にご本人と先生とのコミュニケーションも取れて、このハードルに前向きに立ち向かって行けるようになると信じています。
若い力はたくましくお母様を安心させてくれる日がきっと来ますよ。
どうか親子で力を合わせて頑張ってください。応援しています。
いつでもコメント下さい。
すぐにお返事いただきありがとうございます。
息子さんご結婚されたんですね!
おめでとうございます。
実は、昨日、病院に行き、手術のキャンセルをしてきました。あと、1か月、自然閉鎖の可能性を信じて経過観察して頂きたいとお願いしてきました。
お正月休み明け、予約もせずに病院に行き、4時間待ち、先生とお話してきました。
不安な気持ちの待ち時間、MISAさんからのお返事に気づき、息子さんのご結婚のことを知り、思わず涙がこみあけてきました。
不安でいっぱいのお正月休みでしたが、とりあえず少しほっとしました。1ヶ月ですが、目にいことに取り組んでもらおうと思います。
MISAさんは、ガーデニングもされているんですね。
私も花が大好きです。
また、経過報告ささてください。
ありがとうごさいました。
はじめまして。コメントありがとうございます。ご返事が遅くともなりごめんなさい。。
このブログ記事を書いてから13年間…りんごさまのように…同じ思いの方々から途切れる事なくコメントを頂戴いたします。
そのつど…また学校での同じ事故が起きて辛い思いをしている子供やご家族がいるんだ…と、その頃の気持ちに戻り心が痛みます。
それほど私にとって忘れる事の出来ない出来事でありました。
コメントからお察し致しますと…自然治癒の可能性とのお話しがありましたが、手術を受けるにしても経過観察にしても、今一度主治医の先生とお話しされてみたらいかがでしょう?
ご本人とご家族が納得して、今後の治療に臨むのは大事で、回復も早いような気が致します。
ご子息の目の状態が軽度で在ることを願わずにはいられません。
目は他の臓器と異なり移植も出来ず、本当に大切な部位であることを、この経験を通して思い切らされました。
お母様のご心配は痛い程よくわかります。これは経験した者でなければわかりあえない感情だと思います。
お会いする事も出来ないブログでの繋がりですが、何かありましたら今後もコメント下さいね。
このブログ記事の主人公?となった次男坊ですが……
先日結婚をし、今年のお正月はにぎやかに幸せな年明けとなりました。
数日前、お嫁さんになった人に…
『一つだけお願いしたい事があるの。以前、目の手術などをするとヒトより早く白内障や緑内障を発症すると主治医に言われているので、仕事の多忙でないがしろになってしまう事もあるかもしれないので、どうかその事は忘れずに医者に行くように勧めて欲しい。
私は先に死んでいく身だけど、その事が心配だから。。』
と、伝えたばかりでした。
こんなお話が出来るも…同じ経験をした方々だからだとありがたく思います。
ご本人に気持ちを添わせて…お母様頑張って下さいね。
こんばんは。突然すみません。
12月上旬、高校2年生の息子が、体育の時間に至近距離から蹴られたボールに当たり、外傷性黄斑円孔と診断されました。
主治医の先生は、もう少し様子を見てから、手術の検討をしましょうと話されましたが、早く手術すれば治ると思い込み、急いで手術をしてくださいとお願いしました。1月中旬に手術することになりました。
しかし、正月休み中に、MISAさんのブログに出会い、感動するとともに、外傷性黄斑円孔について知りました。
わずかでも自然治癒の可能性があるのに、早々に手術を決めてしまったことを後悔しています。
もう一度主治医と相談し、手術をキャンセルしようか迷っています。また、外傷性の場合、術後の閉鎖率も50%くらいですと言われ、不安に感じています。
何か、アドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。
今野様はご本人だったのですね。。。
失礼致しました。。
ピンと外れな返答でお恥ずかしい限りです。
たぶん今野様も同様だと思われますが…スマホやPCなど目を酷使することの多い昨今ですので
次男にも度々話しておりますが、
どうぞ目を休ませる時間を作って、自分の目をいたわって下さい。
出来るものなら、ワタシの目と取り替えてあげたいと思った事もしばしばですが、
どうぞ大切に使って下さいね。
ただでさえ…年を重ねるとそれだけで、目の病院は多くなります。
頑張って下さい。
世の中には、学生時代の事故経験がとても沢山いらして、皆さんそれぞれにご自分の人生の中で折り合いつけながら暮らしていらっしゃいます。
応援しております。
息子さん、僕とほぼ同年代です!
ぼくも息子さんのように前向きに頑張ります!
こればかりは・・・実際に経験した者でないとわかってもらえないです。
折しも、コメントを頂いた本日は、怪我を負った次男の28回目の誕生日で少し驚いてしまいました。
事故にあったのが高校一年ですから13年前でしょうか。。。そんなに経ったのかと思える位、ワタシの記憶のなかでは鮮明で数日前のような気すらします。
思い出すたびに、今でも心臓がギュとなって呼吸が早くなり涙目になります。。
それどほど、息子のみならず私の人生においても強烈な経験だったような気がします。
ま。当の次男は・・・このことをなるべく考えないようにしているようですが。
さて、さて、ご質問頂きました現在の次男の目の様子ですが・・・
先日久しぶりに高校の同窓会があり、当時の担任の先生も真っ先に聞いてくださったとのことですが、
術後とあまり変わることはなく、一部に白い影のような見えない部分があるようです。幸いそれが真ん中ではなく少しズレているので、ずっと気になるという状態ではないとのことです。
視力が思ったほど回復しませんでしたので、目の状態がおちついてきた頃よりコンタクト使用していますので、半年ごとにレンズの交付を受けなければなりませんので、その度に見てもらっている・・といった状況でしょうか。
でも今となっては、街のフツーの眼科で視力の変化がないか程度のレンズ交付の作業だけだそうです。
退院当初、執刀医に事細かく伺ったところによると、目も筋肉であるし、再びぶつける事がない以上若いうちはさほど変化がないだろうが、目にメスといれると人より早く白内障や緑内障を発症する、と言われました。
今や白内障などは日帰りが出来るほど医学が進歩きましたが、次男にも同様に出来るのか心配で気になっています。
この13年間・・・ブログだけでなく、同様な思いでいる方とお会いすることもあるので、いまだに学校での事故が多発している事が残念で憤りを覚えます。
ほんの一瞬のことで、心を痛めている子供達がいることがつらく思えます。
余談が多くなりごめんなさい。ご質問に答えられたでしょうか。。。術後の病状の経過は記憶が曖昧になってしまった事もありますが、心情は今も鮮明です。
また何かございましたら、どうぞ遠慮なくお問い合わせくださいね。
微力ですが、私に出来ることはやり続けたいです。
あ。今までブログで書いた事はなかったと思うのですが・・・
大学生の時にスマホやPCなどで酷使している次男の目が『斜頸』気味なのに気付いたことがありました。
でも、ずっとそうなっているわけではなく、数分そうなっていると、言った感じでしょうか。ようするに酷使したときなど眼球の戻りがわるい時がある・・そんな時があります。
半年前に野球ボールが当たり左目を外傷性黄斑円孔で視力を落としてしまいました。
色々と検索していたらこのブログを拝見して、今現在、息子さんの目の様子がどうなったか気になりコメントさせていただきました。
大分前の話で大変申し訳ないですがよろしければお話しを聞かせて頂ければ幸いです。
連日勤務があり、PCのチェックも怠って帰宅後はバッタンキューの日々を過ごしておりました。
さて、ダブルゆう様のご子息は歪みの症状の事ですが、次男は視界の一部にみえない箇所があるとの事です。それは白い円のようなもので直径2~3センチ位に感じるとのことです。
そしてそれは今も残っており、消えることはないそうです。
網膜の手術は成功したとの事で、これはいったいなんなのですか?と、医師に尋ねたところ、
脳がその衝撃を覚えていて『残像』のようなものですとの、説明を受けました。
検診からの帰り道、「あなたは肝心な事は忘れるくせに、忘れてもいいことはしっかりと覚えているのね~~」と、冗談を言って、お互い苦笑いしましたが、正直、顔が引きつってしまいました。
たしかに、怪我をした数日は、今ま頭痛などほとんどなかった次男が、ずっと頭痛い...頭痛いと言っていたのを記憶しています。
悲しい事ですが・・・事故は起こってしまったのは事実で、もう以前のような正常な状態に戻ることはなくても・・・
その経験から、なにか学ぶものはあると思います。
親として、10代にしてこのような試練に立派に立ち向かっている息子達を、心から誇りに思いましょうよ。
そして、今後いかなる事が人生に待ち受けていたとしても、このつらい経験を乗り越えている彼らですから、きっと力強く進んでいける!と、誰が何というと・・・信じてやろうではありませんか。
また、いつでもメールください。
こんにちは。
早速の返信ありがとうございます。
MISAさんの息子さんも目の事故、辛かったと思います。怪我から10年近くになるのですね…立派に乗り越え、たくましく社会人として働いているのですね。
息子も運動が大好きで、クラブチームで野球をしているのですが、事故は学校の昼休み、サッカーで遊んでいる時に起きました。当時、中学2年生で成績の事も気にしていたので、体育に参加できない事が何よりも辛かったようです。3ヶ月の安静時期は、ほんとに時間が長かったです。
今は、まだ傷は残っていますが、打撲や激しい事は避けながら、眼鏡をして野球にも復帰していますが、キャッチャーには戻れず(本人が怖さを感じるようです。)比較的危なくない外野で復帰しましたが、元々の近視もあり、見えづらいと苦戦しています。
自然治癒を期待して待っていましたが、間もなく半年が過ぎようとしています。
まだまだ希望は捨てたくありません。
息子は相手の子をかばい、私も息子の気持ちを汲んで、周りに心配をかけないように、必要性のある人以外には公にしないようにしていたので、誰にも弱音を吐けず、苦しかったです。こうして気持ちを聞いてもらえてとても救われます。
もうひとつ、聞きたいことがあるのですが、うちの息子は歪んで見えることが主な症状のようなんですが、MISAさんの息子さんは、歪みはありませんか?怪我した当初は、目が回って酔う。と言っていました。
また、今後白内障などが心配との事ですが、息子さんは、定期的に受診されているのでしょうか?
長々と書いてしまいましたが、MISAさんの息子さんも頑張っていると聞いて励みにしたいと思います。ゆっくり時間をかけて現実を受け入れる事が出来ると信じて頑張るしかないですね。
今の時代、目に負担のかかる事が多く、心配は尽きないですね。
またお邪魔させていただきます。
はじめまして。コメントありがとうございます。
文頭にお礼を申し上げましたが・・・ダブルゆう様のように一年間に数回は、外傷性黄斑円孔のコメントを途切れることなく頂いております。
その度に、『あぁ・・またどこかで・・私達親子が過ごした苦しい時を過ごしていらっしゃる方がいるのだ・・』と、10年近く過ぎた今でも胸がしめつけられるような気持になります。
それと同時に、未だ学校での事故への管理体制はなされていないのではないか?という憤りも覚えます。
ご子息は11月に負傷されたのですね?
次男の時も術後一年間位は、本人も私も不安な日々をおくっておりましたが、時を重ねることにそのような状態に本人が慣れてきていくように感じました。
でもそれは、ゆっくりゆっくり時間をかけて、そのような心身の状態になっていきました。
その間、まわりの人(学校の部活関係者など)は、本人が気をはって平常心を保ち、まわりに馴染もうとしてる事などすっかり忘れ、ときおり何気なく発された言葉に、自分の今の状態が理解されてないんだと悲しい思いになったこともあったようです。
・・が、そんな些細な気持ちの変化を感じて、さりげなく心配りをしてくれたのは、チームメイトだでした。
そんなチームメイトとの関係は今も続いていて、先月には結婚式に招待されるなど、変わることなく良好な関係を築けている様子です。
彼らには親が出来ないことを、サラリ!とやってのけるパワーがあるのですね。
男の子っていいですよね(^'^)
お気になっている視力は、次男は場合は回復しませんでした。
それどころか・・・スマホやPCなど酷使する事がますます増え、25歳を過ぎた今になって青年期より身体の衰えもきになりだしたのか・・・
昨年末から、漢方薬局を営んでいる私の姉の勧めもあり『杞菊妙見丸』という漢方薬と、角膜の栄養になる『エラスチン プラスSC』を服用し始めたら、
目の疲れによ頭痛がやわらぎ、毎日続けているようです。
他にもポシュロムの『オキュバイト プリザービジョン2』もよいようです。
ダブルゆう様の場合は現在、経過観察で医師のもとお薬管理をされていらっしゃると思いますので、上記の件はご参考まで。
このような文章からもお気づきの事と思いますが・・・目の状態は変わることはありませんが、免許もとれましたし、就活の時や社での身体検査は、本人による説明は必要としましたが、それがハンディーになってはいないようです。
ただし、目のトラブルを持っている人は確実に早くに白内障。緑内障を発症するということですので、時おり、目を大切にするように注意を促しています。
彼が発症した時には、ワタシ自身が生きているかどうなっているかわからないので、今は若くて実感がなくても本人が自分の目を守り、長持ちさせようとしなければならないと話しています。
思い返しますと・・・
当時、親は本当に無力で何もできないのですが、息子の心に寄り添い、同じ思いを共有しているという事が一番心強かったように思います。
世間いっぱいに言う反抗期の真っ盛りの少年にとって、特に母親というのは複雑はポジションであると思いますが、
“転んだときには何かをつかんでたちあがろう!”と、ワタシ自身を励まし、怪我の功名、次男との関係も比較的良好で過ごせています。
同じ思いを経験したものとして、ダブルゆう様の心情を元気なお子さんをお持ちの方よりも理解しておりますので、今後もいつでもコメントくださいね。
このように文章にして書くことで心が落ち着いてきたり、誰かに話すことによってホンの少しですが心が晴れたりする時がもてますもの。
また、こればかりは・・・経験した者たちでなければ共感できないものがありますんから。
苦しい時は少しずつ和らいできますよ。
どうか、お母様はいつもと同じ笑顔でご子息との時間をお過ごしくださいね。
このブログに励まされ、感謝しております。
うちの息子も外傷性黄斑円孔の経過観察中です。
11月末、怪我をしてからずっと胸が締め付けられる思いです。息子の将来を思うと不安でたまりません。怪我のあと、1月には孔が一部繋がって塞がってきている、との事でしたが、その後、なかなか塞がらず、中心窩剥離が残存している状態です。視力は一部繋がったことで0.4まで上がりましたが、その後、変わらず5ヶ月が、経ちました。時間が経ちすぎると視力が戻らないとの事なので、落ち込んでいます。希望は捨てたくないのですが、ほんとに塞がってくるのかな、視力もどうなるのかな、と毎日不安です。
本人は普段と何らかわりなく過ごしていますが、なかなか良くならない状況に少しイライラしてるようです。
この苦しい状況はいつまで続くのでしょうか?
このブログのコメント欄にSSさんの投稿があり、経過観察で奇跡的に孔が塞がったとありましたが、どれくらいかかったのでしょうか?視力はどのくらいまで上がったのでしょうか?
誰にお聞きしたら良いかわからず、すみません。
MISAさんの息子さんは、元気に過ごしていらっしゃいますか?
はじめてなのに、いろいろとすみません。何かアドバイスがありましたら、よろしくお願いします。
昨年の暮れはお疲れ様でした。
音楽や庭の様子など・・のんきな内容ばかりのブログになってしまっておりますが
次男坊の目の病気については、当初を同じ気持ちでおりますので、次男の目が気になる時はその後皆様はどのような経過だろうか?・・と、いう思いが頭をよぎります。
ですから、Whoさまのように頑張ってお過ごしの様子をコメント頂けると、心から嬉しく思います。
キット・・・お知らせ頂いたお子さんのお一人お一人に、息子の姿を重ねてみているのだと思います。
日を追うごとに、子も親も、少しづつ落ち着いてきますね。
数か月経って、改めて思い起こすと
『あ~この子達はすごい経験して、乗り越えてきたんだなぁ』と、しみじみ思いますよね。
そして、こんなことを体験してもなお、またスポーツを続けたいという、ひたむきな健気な姿に尊敬すら覚えます。
もしかしたら・・スポーツで受けた心の傷は・・・
スポーツでしか癒されないのかもしれない・・
などど・・感じたこともありました。
学校生活では部活がなくったら、居場所がなくなったり友達j関係が崩れてしまう不安だけなのかもしれませんが。。。。
それにチームスポーツは心身ともに育ててくれますよね。
これから学校生活を終えて、社会の中で踏ん張って生きてかなくてなならない時に、彼らの力になることがキットあるはず・・。
目のハンディ?で消極的になるのではなく、むしろ希少な経験を乗り越えた者として自信を持ってくれることと願ってやみません。
・・・次男も視力は回復せず・・・真ん中の白い影も今だしっかり残っているそうです。。。。
もちろん日常生活には支障はありませんが
昨今は、当時より医療も進んでいるようなので、他にも方法があったかも。。。
など と、最善を尽くしたつもりでも・・・そのように思ってしまうのは母親の悪い癖なのかもしれませんね。
こちらのブログには、『外傷性黄斑変性』の検索からお入り頂いている方は、有難いことに今でも毎日平均して50アクセス以上はあるようです。
音楽関係から来て下さる方は、ほんの少し
数年前までは、この病名で検索すると、医学学会の資料のようなものばかりでしたが・・
最近ではHPやブログなど、声を上げる方も多くなってきたように感じます。
この病気を理解する方が増えるのはとても良いことだと思っています。
もともと、ブログを存続していこう!と決めたのは、次男の病気があったからなので、同じ思いの方とお話出来ることは、いつでも嬉し思っているんですよ。
いまや加齢性の同病はメジャーになりつつある病気ですが、外傷性による若い子供となると、やはり条件は違います。ましてや学校生活の中の事故によるものですから。。。。
いつの時も、どの親も同じ不安をいだき、同じ気持ちになることでしょう。
そのように感じますので、これからも細々ながら。。このブログは存続させて、微力ながらも。。。ケガを負った子供達やご家族の心に添えたらと思っています。
Whoさまも、これからは年々目のことを考えている時間が少なくなっていかれることを思いますが、
それぞれの息子たちの頑張っている様子や、たわいもない会話などを織り交ぜながら、またお話できればうれしいです。
私は、保護ゴーグル選手すばらしいと思う!
これからも応援しています!
ご無沙汰しています。
我が家の長男が手術をしてから、もうすぐ半年になろうとしています。
入院・手術の折には、色々とアドバイスをいただき、ありがとうございました。
長男は、今年、年が明けて1月後半に入った頃から眼の中のガスも抜けて運動が出来るようになり、同時に部活にも復帰しました。
今後再び、眼に直接ボールが当たることの無いように、今は保護ゴーグルをつけて野球をしています。
5月の終わり頃からは、少しずつ練習試合にも出してもらえるようになり、ゴーグルを着けていると言う事以外は、ケガをする前と変わらない毎日を送れるようになりました。
肝心の視力の方は…手術前0.15だったのが、0.2にはなり、見えない黒い部分が真っ黒だったのが、少しだけ透けて見えるくらいのグレーになったかな…という程度にしか回復していません…
今は、左眼だけで見ているようです。
なかなか視力が回復しないのは残念ですが、手術をしていなかったら、もっと後悔していただろうと思うので、やれることはやった、と言う気持ちで毎日を過ごせています。
長男本人は楽天的な性格なので(^^;
親である私が気にしているほど何も気にすることなく、普通過ぎるくらい普通に、周りの友達と変わりなく高校生活を楽しんでいます。
こうやって、普通に、何事もない生活が送れていることが、本当にありがたいなぁと感じる毎日です。
音楽やライブのことなど、楽しい話題のブログの中にまた子供のケガの話で恐縮ですが…
その後の経過と、元気になったと言うご報告をしたくて、書き込ませていただきました。
小学生のご父兄からのコメントと頂き、
そのような小さな子供も事故に合われたということに驚きと、子供の運動のケアに対する不満や怒りのようなものを覚えながら、読ませて頂いたのでしっかりと?覚えております。
”年齢が若いと円斑のふさがりや、視力の回復の可能性が高い”と、医師がいったことは確かなんですね。
中心暗点は、ウチの次男も今も残っていて、
担当の医師からは”孔はふさがっていても、脳が強い衝撃うけて、その残像として残っている”とのお話がありました。
『肝心なことは覚えていないで・・・こんなことだけはしっかり覚えているなんて・・・・まったく・・あなたの脳は困ったもんだね~~』と、冗談をいっていました。
ご子息は、アイガードをしてサッカーを続けられているのですね
今は引退していませんが、オランダの選手だったダービッツみたいで、かっこいいです
ダービッツは、次男にとって永遠のHIROです。
おっしゃるとおり、あきらめることなく
これからも子供達を見守っていきたいものですね。
こちらこそ、ありがとうございました。
私達は、幸か不幸か、ほかの親達が経験しないような事をすることになりましたが、
どんな状況でも、与えられたことを、エネルギーに変えていくすべを学ぶ機会をえることが出来たように感じています。
その後 息子は2ヶ月半で視力は0.6まで回復いたしましたが、中心暗点はまだ残った状態のようです。
サッカーは傷が治っているのでアイガードを装着して始めることができました。
このプログを読まれている方々へ あきらめず子供を見守りましょう。
色々ありがとうございました。
手術をされて月日が経たれているのに色々思い出して頂きありがとうございます。
今は、まだこれから息子が学校生活の不自由さを考えると不安でしかたがありません。
手術をした今でさえ、まだこの出来事を受け入れる事ができてません。
情けない親です…。
また、不安に思う事
分からない事があればお邪魔させて下さい。
また同じ経験をされている方と出会うことが出来ました。
クリスマスからお正月にかけて・・・大変な時を過ごされたのですね。。。ご子息をはじめご家族様、本当にお疲れ様でした。
我が家も次男は高校生でしたので出席日数の関係で進級が出来なくなると困るので、azuazuさまのご子息と同じように冬休みを待って手術いたしました。
冬の手術は、よりいっそう・・・心細さがますような気がいたしますよね。
野球のボールはサッカーより小さいのでより衝撃は強かったことでしょう。。。。
今は学校に通われていらっしゃるご様子ですが、
術後の目の状態になれたり、運動が制限されて気持ちの上でもしばらくは戸惑われることがあるかもしれませんね。
さて、ご質問にお答えいたします。
次男坊の視力の件ですが、手術を受けた方の目はもとは1・2ありましたが、現在は0.2です。眼鏡をして0.7まで見えるようになりました。
コンタクトは手術を受けた目はいれておらず、片目だけ使用しています。
日ごろ、コンタクトを使用することが多いので(花粉症が悪化した時以外はほとんど)片目だけで見ているようです。
一時は、視力バランスが悪かったせいか、頭が痛いこともあったようですが、
最近はすっかり慣れてしまったようで・・・眼科でも何も言われていないようです。
手術を受けた目にコンタクトは勧められなかったので、目が適応している・・・といった状態でしょうか。。。
それと・・・
無意識にしている時、
痛めたほうの目の眼球が、良い方にくらべて斜視のように少しずれている時があるときがあります。
このことを本人に言っても、そんなことはない!と断言しますが、本人は気が付かないようですが、見ている私にはわかる時がたまにあります。。。。
もう術後5年も経過してるのですが、この期間何度となく気付いた症状です。
これは明らかに正常の目の時にはなかったことでした。
一度眼科にいって相談をするように言いましたが、本人の自覚がないことと、通院した時にはならないので(ボーっと無意識になった時になることがあります。。。)
いまだ本人から却下されています。。。。
確かに、
視力はガタ落ちで、良い方の目も合わせておちました。
期待していたほど回復はしていません。。。。
もっともPCやスマホ・・・目に悪いことばかりしているせいかもしれません。
私も体育の授業が気になりました。
高校生でしたので、単位もとらなければなりません。
次男もレポートなんか書くくらいならやっちまった方がいいよ~~~と文句を言っていました。
制限しながら一通りは、みなさんと同じように受けておりました。
これがなかなか判断が難しいように思いましたので
親からも教師に直接、再度目を打ったら、もう網膜の結合は不可能であることを伝え、指導現場の判断を体育教師と本人に任せました。
けっきょく。。。。
そのつど本人に確認してセーブしながらやらせていたようでした。しばらくは見学が多かったようです。
もちろん細心の配慮は頂きましたが、教師サイドからすれば本人確認を取るということで責任の回避になりますし。
これも。。。。。。
もともと運動は好きな子たちですから、
セーブをすればストレスも溜まる、ほかの人と違った行動をとって特別扱いされることへの不満、そして自自身の目に対しての不安・・・・
もう充分に傷をおっているのに、日常の些細なことにも胸を悩ますことがあり、親としても心配でつらかった思い出があります。
でも、
大好きな運動で鍛えた心は強くてしなやかで、
常に前をむいていよう!と、かまえているような感じでした。
そのようにすることで自分を支え、日々鍛えていたのだと思います。
きっとazuazuさまのご子息も、この経験をしたことで以前よりもっと強い心を持てるようになられたと思います。
あ。
剣道は”面“とか怖いですね・・・・柔道は強く投げられたときの目の衝撃はつよいのでしようか・・・
もうしばらくは制限されると思いますが、高校までの期間他のお子さんと同じようなリズムに戻られると思います。
親としては、注意を払うのは大前提ですが
息子が、目のことで気持ちまで萎縮しないように励ましていました。
ご心配な日々は続きますが、私や次男坊がお答えできることがあれば、些細なことでも構いませんので、
いつでもご質問ください。
しばらくご子息と穏やかな時をお過ごしください。
我が家の中1の息子も去年10月に野球の練習試合で、自打球が左目にあたり外傷性黄斑円孔と診断されました。
最初はそれほど大変な事になっているとは思わずそのうちに完治するのだろうぐらいの気持ちだったのですが、次々に過酷な医師のからの説明。
そして、色々なことを決断していかなくてはいけない辛さ…。
それでも、まだ、自分の息子に現実に起き
ている事とは信じたくない現実…。
そんな時、whoさんのブログにお邪魔させてもらい、こちらのブログを紹介してもらいました。
たくさん励まされ、同じ状況の皆さんのコメントも参考になりました。
そして、自然治癒は難しく冬休みを利用し12月25日に手術をし、うつ伏せ生活を経験し無事1月4日に退院しました。
今は、まだ運動は禁止ですが学校には、通ってます。
手術後の事をいくつかお聞きしたいのですが!
視力の方が0.7まで回復されたと書かれてますが、これは、矯正されての視力でしょうか?
まだ、それほど変化がないみたいなのですが、眼鏡やコンタク
トをしても視力回復には問題ないでしょうか?
そして、体育の授業ですが剣道や柔道などがあるみたいなのですが大丈夫でしょうかねぇ?
後は、運動等がOKがでれば日常生活で制限される事や気をつけなくてはいけない事はないのでしょうか?
はじめましてコメントさせてもらって質問ばかりしてしまいすみません。
そしてご退院おめでとうございます。
本当にお疲れ様でした。
みなさまおそろいでお正月を迎えられ、ひとまずホッとなさったことでしょう。
新しい春に向かって、心の緊張もどけて目もすこしずつご回復にむかわれることを続けていのっております。
立派でしたよね・・・・
がんばりましたね・・・・
私たちにとって自慢の息子に格上げ?になりましたね
おそらく、ご子息と過ごされたあの特別な期間は、一生忘れるないでしょうね・・・・
実は、わたくし・・ウチの次男坊の身体の事で心配をしたのは2回目なんです。。。
ブログ初カミングアウトなんですが
次男坊が7か月の赤ん坊の時、
我が家では姑が2年前に亡くなり、舅も癌が発病し入院しておりました。
世話をする人手がなかったものですから、長男が幼稚園に行っている間に次男を負ぶって病院に通っておりましたところ、院内で感染したのか腎臓に疾患をおってしまい血尿・むくみ・発熱がつづいてしまいました。
赤ん坊を連れて病院に通い、授乳をしたりおむつをかえたり・・・・親として出来ればさけたほうが望ましかった事もやむをえなくしてしまった後悔と反省で、幼い子にすまない思いで看病しましたが
当初は、明日をもしれない癌末期の義父優先せざるをえなく、正直いって落ち着いたケアをしてやれなかった・・・
そんな経緯もありまして
あの次男との過ごした時間は私にとりましても、今度こそはなにを置いてでも向かい合ってやれる大切な時をもらえた思いでした。
ま。母親であれば、どなたも同じお気持ちになることとは思いますが。
余談をしてしてしまいましたが
これからも、同じ状況に置かれた親同士、力を寄せてまいりましょう。よろしくお願いいたします。
そして、このような学校での事故で心を痛めた子供たちやご家族のお力になれるように・・そして事故がなくなるようにちいさな草の根運動を続けていけたらと思っています。
昨年は、眼のケガのことに始まり、手術のことや入院中のことなど、色々アドバイスいただきありがとうございました。
こちらで書きこんでMISAさんのメッセージをいただくことで、ずい分と気持ちも楽になりました。
今年も、こうして時々、書き込みに来ると思いますが、よろしくお願いいたします。
うちの子の眼の孔は、少し時間がかかったんですけど、無事に閉じて、年末ギリギリに退院することが出来ました。
先週金曜日に、年明け最初の診察を受けましたが、孔はちゃんと閉じていて、手術前0.15だった視力も、ほんの少しだけですが0.2に上がっていました。
ただ、うちの子の場合、黄斑の右側部分に脈絡膜の破裂があり、その部分は破れたままなので、見えない部分は残ってしまいます。あとは、黄斑部分での視力がどれだけ回復するかで、脈絡膜の影の部分が小さくなるかならないか…という事のようです。
とりあえずは、「第一段階突破」と言うところです。
視力の回復には時間がかかると言われているので、焦らずに、ゆったりと、回復を待とうと思います。
お忙しい中コメントありがとうございます。
ひとまず…大きなハードルをクリアーしてくれましたね。
Whoさまも安心なさったことでしょう。
さて、さて。。はじまったんですね・・・
ん~ひたすら・・・応援エールをおくります!!
3日たったのですから、もう後半戦!!試合の一番つらい時です。もうひとふんばりです!!
湿布も貼ってパワーアップしてもらいたいです!!
次男坊は5日すぎに退院したように記憶しています。
ゴールは目の前。
重い頭を細い首が、無理な姿勢で支えているのですからこるはずですよね。。。
どうかたくさんマッサージをして差し上げてくださいね。
最近になって、次男坊が、家にあった電動ハンディマッサージャーを使いながら
『入院中に、コレあったら楽だったかも~~』と、言っていたのを思い出しました。
でも、私が強めに肩や首を叩いてやった
『げんこつじゃなく手のひらで叩いてくんない?強いと目がヤな感じするから~~』といってたので、心地よいかどうかはわかりませんが、
もし医師の許可がでるようでしたら、
ハンディの電動マッサージャーなど使用でできれば、自分でほぐせるかもしれません・・・。
こちらは何にもしてやれない状態で心が痛みますが、
楽しい話をして親子で笑ったりするだけでも、気がまぎれるようですよ。
あと、面会許可がでれば、部活の仲間や先生が応援も励みになったようでした。
Whoさまもお疲れでないようにしてくださいね。
今はとても大変だと思われますが・・・難しいお年頃の息子に必要とされていて一緒に過ごせる時間があって・・不安のなかにも、じわじわ~と、幸せも感じられますよね・・・
本当にささいな幸せなんですが、私が心配顔ばかりしているより、
『こんな状況だけど、一緒にいられてうれしいな~』
なんて言ったら、次男坊も嬉しそうでした。(もっとも・・・うつぶせだから表情はわかりませんが
面会時間が終わって、病室を出る時が・・・一番つらいですよね・・・
Whoさまのコメントを読みながら、言葉にはされておりませんが・・・
お考えになっているであろう事が次々に心に浮かび、Whoさま親子がとても身近に感じます。
同じご経験をされている方の何か力になることができれば、このブログも意味があると思いますので
どなたでもお待ちしております。
手術は13日に無事終わって、今はうつ伏せを頑張っています。
本当にやってみないと分からなかったのですが、3日目にして、首がとても痛くて辛いようです…
それでも、何の意地か知りませんが、湿布をもらったらと言うのに「絶対にいやだ、負けたくない」と言って、湿布を貼ろうとしません…そんなところで負けるとか負けないとか言ってるのが、ちょっと笑えますが…
ところで、私のブログの方に、やっぱり黄斑円孔になってしまったお子さんのお母様から書き込みがあるのですが、MISAさんのこちらのブログのことをお教えしてもいいでしょうか?
まだまだ入院中で治療中のうちのことだけでなく、MISAさんの書かれていること、また書き込みをされている方達の経験など、私も参考になったり、励まされたりしましたので、ぜひ、読んでいただきたいと思うのですが…
Whoさまへ
日程がせまってきて、準備でおちつかない日々をお過ごしのこととおもいます。
手術のご成功と、早いご退院を息子とともに、心からお祈りしています。
大丈夫。
きっと、きっと・・・ご子息を誇りに思える特別な時ですよ。
入院後は、忙しくなるのはお母様です。
寒さも増してきますので、お母様のご体調管理にもご配慮ください。
もしかしたら・・・私たちは、他のお母さんより・・・・
難しい多感期の息子達と一緒にいる時間が特別に与えられ、とても幸せなのかもしれませんね。
どうぞ、今はご家族様、充分に身体を休めてお過ごしください。
大変参考になります。
U字枕は、前にもMISAさんが書かれていたのを読んで
購入してきました。
たまたまU字枕を購入した店に、うつ伏せ寝用枕なるものも売っていたので…
どんなものが役に立つかもわからないので、それも購入しました。
ラジオは、思い付かなかったです。ipodは持って行こうと思っていましたが、ラジオも考えてみます。
うつぶせでずっといると言う状態が、どうも想像がつかなかったのですが…
テレビは股の間から見ていたんですね。
それに、うつ伏せでずっといることは、大変だろうとは思っていましたが、
やっぱり、かなり頑張らないといけないのですね…
息子にも、MISAさんのアドバイス読ませましたら、
入院中のうつ伏せでいるイメージが大分出来てきたようです。
5日後の手術&入院に向けて、最後の準備をします。
ありがとうございました。
ご質問から答えます。私もWhoさまと同じように、マンガや本で退屈をまぎらわせたら・・・・と、考えて用意いたしましたが
術後は、細かい字が読みにくいとのことで、本人も一切、読みたがりませんでした。
お読みいただきましたことと思いますが、術後はガスを入れたので、次男は
『水の中にいるようだ』と、言っておりました。
だから手術をしていない眼だけでみているので、次男の場合は視力の弱かった方だけでしたので、クリアーには見えていないようでした。
視力の良い方の目を傷つけたことも、とてもくやしくて、
二人でたびたび、『もう片方だったらよかったね~~~』と、言い合っていました。
退屈のあまり。。。根性で?DVDを楽しんでいましたが??さすがに疲れるらしく。。。かつての持続力は?維持できないでたびたび休憩をとっていました。
また、看護婦さんにも『ずっと見ていてはだめよ~』と注意をされていたので、看護婦さんがくると慌ててけしてました~~~~。
病院の夜は早いので、消灯後はイヤーフォーンで毎晩ラジオを聞いていたようです。
あとは・・・
病院でレンタルしてもらったTVを、床にあおむけにおいて、膝の上に肘をついて股の間からみていました(うつ伏せのため) 看護婦さんに『あらぁ~よく考えたわね~~♪』と、感心されていましたが、
そのTVさえもセーブするように言われてました。。。。と、言っても見てましたけど
基本的には・・・退屈ですよね~~。
想像していたより、うつ伏せがしんどくなってきますので、体位を変えたり肩や腰をさすったりしてることに時間をさいている・・・そんな様子でした。
でも!そこは運動部で鍛えた根性で、自分を追い込むことにチャレンジ?していますから、頑張ってくれますよキット!!
面会時間の終わりが近づき、私が帰る直前に毎日身体を熱くしぼったタオルで身体を拭くのを手伝ってやってましたので、
必要なものといえば、私が真っ先に思い出すのは洗面器やタオルでしょうか・・・(コレは一般的な用品ですが)冬場でしたので、お母様のハンドクリームもお忘れなく。
洗顔がままならないので、本人が一番気持ち悪がっていたのは、ニキビの悪化でした。痛いニキビが出来てしまったときは、病院でニキビの薬を処方してもらいましたが・・・もしお気に入りのがあれば、お持ちになれば?
そして。枕。
病院でもU字枕はありますが、固くて嫌がっておりましたので、東急ハンズで買った”ドライブ用”などに用いるビーズのようなものが入った肩に乗せて首をささえるU字のものが大活躍でした。
今でもソファでTVを見るときに使って役にたってます
そう!そう!
同室の隣のベットのおじさんのいびきがうるさくて、夜が眠れない・・・・というので、売店に耳栓を買いにいきましたがなかったので、近くの薬局に買いに行きました。
眼下の病棟は、基本的には皆さん目以外はお元気なので
だから、目新しい若い子が来たもんですから~~同室の方たちに可愛がってもらっていました。
もともとは黄斑円孔は加齢の病気ですから、年配の方にとって”うつぶせ”はキツイご様子でした。
何人も頭をあげてしまい、医師から『入院のびますよ~』と言われているのを聞いたせいか
早くすませたい一心で『クソッ・・・クソッ・・・』と、つぶやいていましたので、まわりのおじさん達から尊敬されていましたよ~~
ごめんなさい・・話がそれてしまいました~。
とりあえず、入院用品で思いついたことを書きましたが、一般的なものばかりでしたね。
また思いついたら書きますね。Whoさまのブログのコメントに
とても些細なことのですが…教えていただきたくて、書き込んでします。
MISAさんのご次男は入院中、DVD等を見て過ごすことが多かったようですが…
ブログを拝見していまして、雑誌や本をたくさん持って行っていたけれど、それにはあまり手が伸びなかったと書いていらっしゃいました。
何気なく読める雑誌や、マンガ本などをたくさん持って行こうかと思っていたのですが…
手術後は、やはり集中して見なければならない本よりは、
何気なく見ているだけで良いDVDやテレビの方が、楽なのでしょうか?
とても些細なことなのですが…
入院中の時間を過ごすのに、どんなものを用意した方がいいのか、覚えていらっしゃるようでしたら、アドバイスいただけるとありがたいです。
ところで…
実は、私もブログを書いておりまして…
息子のケガ以来、しばらく書けなくなっていたのですが、
最近、また書き始めました。
とても拙いブログなので恥ずかしいのですが、
我が家の息子のケガの経験でも、
もしもこれから同じような状況におかれた人の、何かしらの参考になれば…と思ったので…
ケガの事を少しずつ書き始めています。
コメント欄のURLのところに、リンクを張らせていただきました。
もしよろしければ、お時間のある時にでも覗いてみて下さい。
私はMISAさんのように、心に響くアドバイスなどは出来ないとは思いますが、
息子のケガや経験が、せめて少しでもどこかで役に立てば…と思っています。
同じ思いを経験された方から頂けるお言葉は、スゥーっと心に響きます。【頑張っていこう!】と強くなれます。
息子の生命力を信じて!!
MISA様、本当にありがとうございます。
またお邪魔させていただきます。
コメント頂きましてありがとうございます。
またおひとり、気持ちを分け合える方に出会えました。
今でこそ私も自分のための時間を持っておりますが・・・気持ちは次男の事故当初と少しも変わっておりません。
コメントを頂戴する方々の感じていらっしゃることが手に手にとるようにわかります。
お読みしながら、その頃のようにドキドキしたり憤りがよみがえってくるんですよ。
それだけ、私にとりましても、次男のこの事故は衝撃的なものだったのだと思います。
まなみさまのご子息は、中1ということはまだ13歳くらいなんですよね・・・。
年も若く、幼さも残ような年齢の子供が、そのような事でつらい思いをしてることに本当に胸が痛みます。。。
きっと、中学生になって好きな野球に夢中になって取り組んでいらしてのことだとお察しいたします。
どうして・・・一生懸命にがんばっている子ほど、
このような事故を引き起こすリスクを負わなければならないのか・・・青少年のスポーツのありかたに不満すら覚えます。。。。
一か月前ということは、きっとまだ経過観察の状態なのでしょう。
年齢が低いということは心情的にはかわいそうに思えますが、息子が通院していた病院で何度か、円孔がふさがる可能性も高いと聞きました。
手術にならずに回復に向かえば、こんなにいいことはありません。
ご両親様もご子息とともに、不安の日々をおくられてることと思いますが、
たとえ・・・少しでも回復の可能性が残っているのであれば、ご子息の生命力を信じていらしては?
言い方は変ですが、もう事故は起こってしまいました。
治療は医師にまかせるしかない段階です。。。
今までコメントを頂戴した方々も、
そんな時に、親にしか出来ないことを精一杯やってやるのが、息子たちの底力の源になっているようです。
私も、”身体にケガを負った息子に、これ以上心の傷も負わせたくない・・・いまこそ親として踏ん張りどころだ!不安要因はなるべく、私が受け止めてやろう・・・”そんな思いでした。
きっと、まなみさまも同じお気持ちなのでは?
病状により経過はそれぞれだと思われますが、私たち親子がやってきたことでわかる範囲のすべてのことはお答えいたします。
次男も私が微力でも皆様のお力添えをすることに大賛成しています。
もし、わからないことがあっても、
きっと同じ病名の方が、コメントをを読んでくださって教えて下さるでしょう。
いつでもコメントお待ちしています。
ご両親さまも、時にはご子息とリラックスする時間をお持ちになり心身を休めてくださいね。
我が家の息子(中1)も、1ヶ月前に大好きな野球の練習試合中に打球が直接右眼に当たり、外傷性黄斑円孔になってしまい…絶望の中、こちらのブログに出会う事が出来まして、希望の光が見えてきました。ありがとうございます。
全ての記事、コメント欄を読ませて頂きましたが、我が家だけじゃないんだ!と思えた事で、救われた気がします。
手術はしません。という先生の言葉に夫婦で、どうしてなのかわからず不安でいっぱいでしたが、皆さん3ヶ月位は経過観察されてるんですね。
また、不安な事があった時、いろいろ教えて頂けると嬉しいです。そんな時、こうやってまたコメントさせて頂いてよろしいでしょうか?
12月13日に決まったんですね。
思い起こせば…次男も冬休みを使って(高校なので出席日数の関係から)手術をした記憶が。
しかし。セカンドオピニオンは必要ですね
医師の話を信じるコトも大切ですが、
納得しないでは、踏み切れません!
網膜の専門の医師を探すのも、患者にとったら一苦労です。
ご心配な事で我々親子が分かることはご遠慮なく。
もし、忘れてしまったことがあれば、
二人で思い出しますね。
ご両親様もおつかれなく。
長男の手術が決まりました。
実は、11月1日に検査をした結果、かかっていた病院では「手術をしても視力の回復は見込めないので手術はできない、また、円孔の大きさと、すぐそばに脈絡膜の破裂があり、自然治癒の可能性はほとんど期待できない、治療の手段はないが今後は経過だけを見て行きます」と言われ、途方に暮れてしまいました。
その後、その病院に非常勤で来ている大学病院の先生にセカンドオピニオンで診察を受けると、言われることが全然違っていて、「手術をしても視力がすごく良くはならないけれど、今の0.15が0.3位になる可能性はあるし、見えていない範囲が今よりも狭くなる可能性があるので、あきらめないでください」と言われ、大学病院に直接行って診察を受けるように紹介状を書いて下さいました。
大学病院で網膜手術専門の先生に診ていただいて、12月13日に手術を受けることになりました。
その先生も、視力は少しは良くなる可能性はあるし、見えていない部分が今よりは見えるようになる可能性がある」と言われました。
ただ、うちの子の場合、右側の脈絡膜が破裂していて、その部分にかかる視界の部分は黒いままだそうです。また、とても丁寧に説明を受けたのですが、自然に孔がふさがった外傷性黄斑円高の症例の写真を見せていただいたのですが、うちの長男の孔とは比較にならないほどでした。うちの子の孔がいかに大きいか…という事を思い知り、それで自然治癒の可能性に未練を残さずに、手術をお願いしようと決めることができました。
先生から、せっかく手術をしてもうつ伏せを頑張らなければ水の泡なので、しっかりうつ伏せをするように!と釘を刺されました。
これから手術の日まで、色々そろえて入院の準備をしようと思います。またこちらのブログを参考にさせていただきますね。
小学生の事故の例がほとんど知ることが無い状況でしたので、希望の持てるお話をいただきうれしく思います。
うちは娘(小1)も同じサッカークラブにはいっているのですが、兄がサッカーが出来ないのをかわいそうに思ったのか娘もチームを休むと言い出したところ 息子が「何でやめちゃうの? 続けなよ」と娘に言っているのを聞いて胸が熱くなりました。
これからは本人の回復力を信じて家族で頑張って行きたいと思います。
また、経過進捗などわかりましたらコメントさせていただきます。
ありがとうございました。
おいで下さってありがとうございます。
ご子息が小学3年生とのことで、年齢が小さいのには心がしめつけられます。。。
学校での事故か、所属されているクラブチームでの事故なのか存じ上げませんが・・・
いづれにしろ、このように学年の低い子供達もが事故にあうことは、子供の運動中の事故の対応や危機管理がずさんで整っていないことに不満を感じます。
おっしゃるとおり、球技の指導にあたる方達に、もっともっと認識してもらいたいです。
事故が起こった後の責任のがれは、精神的にますます追い込まれてきますからうんざりです。。。。
次男が怪我を負った時、
近隣の病院ばかりを中心に、通院・手術をするところを探していたためか・・・私達親子が納得できる医者に出会えず。。。医者の不用意な一言に傷ついたり、技術的に不可能といわれ追い込まれていくような気持ちになりました。
同じ検査を繰り返し受けることになり四六時中、瞳孔が開いているような状態で・・・親子ともに心身ともにつらかったです・・・。
でも、
その過程の中で、
いろいろな先生から、多くの事例を聞く機会がありました。
たしか2~3人位の先生だったと思うのですか(複数)
小学生の事故の例を出されていて、学年が小さいと
円孔が回復しやすいと話されていました。
そして、打ち身の痣と同じで、しばらくすると黒い部分も収まってきたと、聞いた記憶があります!
いろいろなケースがあると思われますが、
年齢が小さいことには心が痛みますが、回復への可能性も多いのでは?
親も何も力になれず、つらいのですが・・・ご子息の持っている生命力を信じて待ちましょう・・・・私も次男もよい結果をお祈りしてやみません。
しん様が言われているように
次男坊も、ケガをした当初は周りも気遣ってくれたのですが、その時と状況は何も変わっていないというのに、だんだんに忘れ去られ、
体育の時などまるでサボっているような扱いを受けたり、教頭からは『おかあさん、そんなに深刻に悲観的に考えずに・・』と、言われた言葉が、今でも脳裡にこびりついています。。。
その件につぃて、当時、次男坊との会話の中で
『もっと自分の今の状態について、まわりに理解をもららえるように話したら?』と、言った私に
次男は『特別扱いされる方がつらい。友達やチームメイトと過ごす時は気がまぎれるから、その事は思い出したくないんだ』と、話しておりました。
そういわれて、私も・・・
あぁ・・・私も私なりにこの子の事をとても心配をしているが、私が考えているより、この子はもっとずっと傷ついていて、
どんなに尽力してもケガを負った本人にはなり替わることは出来ないんだなぁ・・と、思ったことがありました。
長々と話をしてしまいました。
今は、ご子息の快方への可能性を祈っております。
些細なことでも構いませんので、これからもコメントを頂ければと思います。
ご両親様の悲しむ姿は、子供にとって一番つらいようです。。。。ひと時でも、ご家族さまがこころ休まる時をどうぞお持ちください。
次男坊も、10歳か・・・』と、言葉をつまらせておりました。
練習中たまたま私が迎えに行っていたので事故を目撃し、本人が目の前が真っ暗というので眼科の救急外来に連れて行きました。 1時間ほどの検査のあと直ぐ入院となり、産まれたとき以来の入院となりました。 当日先生より完全には治らないとのお話を聞き、息子が病院で点滴を「腕にしたままベッドで寝入ったのを確認し自覚に帰り家内と二人で涙が止まりませんでした。
幸い円光は2,3日でふさがり腫れも収まったとのことで5日間で退院をしました、視力は当初0.03だった物が2週間で0.2まで回復しましたが真ん中に大きく暗点があるらしく上側と下側しか見えないといっています。
毎日その後の経過がどうなるかを調べようとネットをしているときにこちらを拝見させていただき、大変勉強になりました。
息子もサッカーをはじめて2年半ですが毎日サッカーの練習ばかりしているような子で今も いつからサッカーが出来るの などといっている次第です。
とりあえず希望を持って信じていくしかないと思っています。
こちらで読ませていただいた通り、見た目は普通に生活しているので周りからは重症だという認識があまり得られず家内ともども苦しんでおります。
このケガの認知度が球技を行っている指導者や親御さんにもっと浸透すればいいののなぁなどと思います。.
次男の時も
周りの方も状況を理解しようと努めてくださいましたし、なぐさめの言葉もたくさん頂きましたが・・・・
こればかりは、同じ思いをしたものでなければわからないようですね。。。。
治療の方向も決まっていない今が、一番ご心配な時ですね。。。
形成が日ごとに落ち着いてきて、手術にむかう選択や他の方法に決まっても、することが定まってくると
ずいぶん気持ちが楽に?になり、やるべきことにむかって力がわいてきますよ!
代わってやれるもんなら・・・代わりたい・・母親はそんな風に感じてしまいますね。
でも、私達が思っているより、息子たちはもっともっと力今は怪我の衝撃で心身が弱まっていらっしゃることと思いますが・・・皮肉なもので、運動部で鍛えて頂いた心の強さが助けてくれます。
次男も冬にむけての手術でしたが、
この大事な時期に、母親が先にバテるわけにはいきません・・・お母さまの体調にも充分にお気を付けください。
今が一番つらい時です。。。
医者も最善を尽くしてあたってくれることでしょうし、医学も、次男の時より進歩していることでしょう。
これ以上悪くなることはないし、もう充分に心身ダメージを受けています・・
これからは日ごとに少しづつ気持ちが座ってきて、底力が湧いてきますよ。お二人心をあわせてお過ごしください。
Whoさまもご子息を誇りに思うことでしょう。
お忙しい中、お返事をありがとうございます。
MISAさんを始め、ご家族が、普通の生活を送られている様子をブログで拝見していると、とても勇気付けられます…
我が家にも、息子の眼のことを気にしないで、自分の仕事のことや趣味のことに時間を割ける…そんな日が来るのかなと、思う事が出来ます。
このひと月、すっかり生活が変わってしまって…
仕事をしながら長男の入院・手術があり、病院通いもして…仕事が手に付かなくて、という生活の中で、眼のことも気になって、いつも心臓がドキドキしている状態なので…
MISAさんが、ご次男が怪我をされた当初、夜中に目が覚めて心臓がバクバクしていた…というようなことを書いていらっしゃる日がありましたよね…
ああ、私も同じだと思いながら、読ませていただきました。
今の心境は、周りの人にはなかなか理解はしてもらえないし、顔の骨折の手術が終わった時点で、もう回復していくものだと思っている人もいる様です。
ウチの主人でさえ…主人は単身赴任で家にいなくて、長男の様子や、病院での説明を直接聞いていないので、治療さえすれば治るものとかんたんに考えているようなところがあるのです。
すみません、愚痴を言いに来たみたいになってしまっています。
MISAさんのブログやコメントで、ずい分気持ちが落ち着きました。
何年かたったら、私たちも、息子は息子の生活をして、私は私の生活をする、そんな日が来るのかなと思えるようになりました。
とりあえず、明日、病院に行って検査を受けてきます。
気持ちだけでも明るく…MISAさんを見習って、せめて長男の前では。
そうして行きたいと思います。
ようこそおこし下さいました。
仕事の関係や現在やっております音楽のリハ等で、ブログを見そびれてしまい、お返事が遅れましたことお許しください。
同じ思いをされてる親御さんから頂いたコメントは、
息子の症状が落ち着いてきた今でもこれからも、お一つお一つを大切にしていこうと思っています。
そのようにしていくことは、
おっしゃるとおり、この疾患の情報が医学文献以外に少なく、些細な疑問や不安で心を痛めているお子さんや心配していらっしゃる親御さんが、当初おもっていたよりとても多いのに気付いたからです。
そして・・・直接的ではないにしろ、負傷した次男のの将来を案じる親の思いが、なんだかの形でよい方向に導かれるように願ってやまないからです。
このようなことしか、してやれない・・と、いったところでしょうか。。。
前置きが長くなってしまいましたが・・
事故が起きてからひと月と、まだ日が浅いのですね・・・。大きな事故でしたね・・・・。ご子息もご両親も不安の日々をおくられていらっしゃいますね・・・。
お気持ちが手にとるようにわかります。おそらくこの感じは忘れることはないと思います。
コメントを拝見していて、
・・・身体を鍛えるための部活なのに・・・なんでこんな思いをさせなければならないんだ!!と、今でも本当に腹立たしくなります。
懸命に打ち込めば打ち込むほど、リスクは高まるわけで・・・親としては、いたたまれません。
ご質問にありました件は、
次男坊は、事故後サッカーやっておりませんが、遊びとして、今でもフットサルはたまにやってます。フットサルは、サッカーと違いヘディングがないので目にあたる危険性が低いからと、本人が注意をはらいながら軽い運動としてやっているようです。
もっぱら・・・気をつかいながらやる球技より、ウインタースポーツの方が気が晴れるらしく、スノボにはまっています。
もちろん免許をとって、自分たちで勝手に出かけています。
免許取得の際は、
次男坊は一部白い部分が残った状態ですので、いちおう『コンタクトをしているが疾患のために見えずらい』と、届け出をしたそうですが、視力検査をクリアーしたため大丈夫でした。
もしかしたら、取得にあたり、どこかに細かい注意点が記載されているものがあるのかもしれませんが、この事例じたいが少ないので、特別な審査がないといった状況なのかもしれません。
私もとても心配いたしましたが、運転には支障がないとのことなので、この点におきましてはクリアーしました。
・・・親として、いったいなにができるだろうか・・・私もそれで心を悩ませました。
親もいっぱいいっぱいで、つらいのですが・・・心身ともに一番つらい思いをしているのは本人です。そしてこれからも、親が死んだ後も、この怪我と一生向き合っていかなければならないんですよね・・・。
親の力なんで無力で・・・息子達の生命力や心の強さに何度救われたかしれません。
息子たちに心をそわせ、一緒に苦しんで、なやんで、悲しんでくれる親の姿こそ、彼らが一番必要としているものではないでしょうか。
親だけにしか出来ないこと。
これからも、些細なことでも結構ですのでご質問がありましたらコメントお待ちしております。
その後の手術予定や経過がよい方向にむかい、ご子息の気持ちが明るくなるよう心からお祈りしております。
コメントを頂いたことを次男坊に伝えましたら、力になってあげてほしいと言っておりました。
2週間ほど前に「外傷性黄斑円孔」で検索していて、こちらのページにたどり着きました。
御次男のケガから手術の過程、書き込まれたコメントまで、「外傷性黄斑円孔」に関する記事を隅から隅まで読ませていただいています。
我が家の長男がひと月ほど前、部活の練習中に野球のボールが右目に当たり、黄斑円孔になっています。他にも顔のあちこちに骨折があり、眼球を動かす筋肉が骨の折れたすき間に引っかかってしまっていたので、骨折の処置の方が緊急だと言われ、約2週間前に形成外科で手術を受けました。
形成外科の手術は無事に終わり、術後1週間経ったので改めて眼科の治療にかかるため、先日受診したのですが、期待していた黄斑部分の穴がふさがるような兆しはなく、それどころか、初め受診した時は繋がっていた一番外側の薄い膜が引っ張られてちぎれてしまっていて、前はぼんやりとしていた穴が、はっきりとした○に…まさに円孔になってしまっていました…
今の状況からは自然に円孔がふさがる可能性は低いと言われ、その上、手術をしても、症状から視力の回復は難しいと言われました。今度、造影検査を受け、その結果を見て、手術をするかどうかカンファレンスにかけると言われています。
今、一番の心配は、野球をするために毎日を過ごしていたような息子が、今後野球ができるのかどうか…という事です。御次男はケガの後、サッカーができなくなったと言う事ですが、それはサッカーが激しい球技だからだったのでしょうか…?
書きこまれたコメントも読ませていただきましたが、部活を続けられた方も何名かおられたようですが、スポーツ自体が出来なくなるわけではないのでしょうか?
3年の引退までサッカー部を続けられた御次男には、本当に頭が下がります。サッカーができなくてもサッカー部に所属…とは、考えただけでも胸が締め付けられる思いです。
うちの息子がもしも「野球禁止」と言われたら…MISAさんのご次男のようにはできないのではないかと思います。…というか、今の息子には「野球ができなくなる」という選択肢は無いので…もしもそう言われてしまったら、私自身がちゃんと息子と向き合えるかどうかも、自信がありません…
すみません、嫌なこと、つらいことを思い出させてしまっているかもしれません…申し訳ありません。
長々と書きこんで申し訳ないのですが、もうひとつだけ、お聞きしても良いでしょうか…?
ご次男は今は大学生でいらっしゃるのですよね?運転免許は取られていますか?運転免許をとるにあたって、黄斑部分の見えない影の部分は、障害にはならないのでしょうか?
すみません、初対面で根掘り葉掘りお聞きして…
手術もできないかもと言われたので、手術しなかった場合、今の視界の黒い部分が一生残ってしまったらこの子の将来はどうなるのかと思ったら、気が気ではなくて…
インターネットで調べても、本当に外傷性黄斑円孔について詳しく書かれているところはなくて、つい、こちらのブログに頼ってしまいました…もしもお時間があって、この怪我のことを思い出すのが不愉快でなければ…アドバイスいただけたらありがたいです。
初めての書き込みで、長々と、本当に失礼しました。
一時期回復傾向にあられ、ご両親様も少し安心されいらしたんでしたね。
親にいっても仕方がないだろう・・と、思っているのか、心配かけまいとしているのか・・
おそらく・・・我々が気にかけていない場所でも、学校生活の弊害はいろいろとあるのだと思います・・。
ご本人なりに工夫しているのですね。。
学校側も当然の配慮ですよね!
SSさまのご子息は、そのまま回復近ずいていくのでは・・と、願っておりましたが、
見えにくい箇所が残りましたか・・・・・・・。
半年ぶりの検診なんですね?
ウチの次男坊は手術により孔をふさいで頂きましたが・・(今も塞がっておりますが・・)
やはり同じく、一部白くなっていて見えない箇所があると言っております。
何回か検診の際に、先生に原因をお尋ねしましたところ・・
『孔は塞がっていますが、これは残像のようなおので、脳が覚えていることにより残ってしまったのだ』との、ご説明でした。
帰りの道すがら、
『肝心な事は忘れるくせに、こうゆう事だけはよく覚えているね~』と、親子で苦笑いした記憶があります。
3年以上たっておりますが残像は、いまだあり。。。
でも、本人はこの状態に適応してきたようで、以前のように気になる事は全くないと言っています。
いったいどんな風に見えているのかと、試しに紙に書いてもらったことがあるのですが、
右下の方に塊のようものがある・・というイメージを受けました。
こんなのが見えていたら、さぞや、うっとおしいだろうと、思わず閉口してしまいました。
あれからというもの、半年ごと検診の”異常なし”の結果は、
ほっとすると、ともに・・・・・・・
毎回、異常はあるんだけれどもね~。と、内心思ってしまいます。
今後やりようがない、どうしようもない状態のまま、彼は年を重ねていくわけですが、
目にメスを入れたり目のケガをすると、早くから白内障、緑内障を発症するとのお話でしたので、
母が年とり本人も仕事追われていても、ちょっとでも変だったら、必ず早めに受診するように!!と、再三いっています。
今ふり返ると・・・あの事故はいったい何をもたらしたのか・・・。
時がすぎ・・・冷静に思いおこしてみると、
また、改めて悔やんでも悔やみきれない思いが湧いてきます。
いつまでも嘆いている自分も嫌だし、目の事を考えるストレスから逃れたいという思いも強いらしく、
結果が変わらないのをいい事に、何事もなく生活しているようですが、
部屋の明かりが暗かったり、PCを近くで見ているときなどを見計らって、
自分の目は自分で守りなさい!と、言っています。
うちの子供は昨日インターハイ予選でベスト4をかけた試合で残念ながら敗れました。
帰りの車中で「見えない領域が広がった」って。
高1の10月にボールを眼に当て、翌年5月まで休部し、奇跡的に孔が塞がったのですが、見えない領域は残っていました。
今年の3月からスタメンに復帰し昨日まで眼のことは何も言ってなかったんですが、よくよく聞くと、クラスでの席も右側の席にしてもらってるようで(左目にボール当たった)、こっち(親)はのんきに考えていたんですが子供は苦労していたようです。「試合中ボールが左方面からきたら見にくい」らしいです。
約半年ぶりに病院に行く予定です。
またお一人同じ思いの方とつながる事が出来ました。ありがとうございます。
3か月で復帰されたのですね
目の筋肉も若いので、早く回復するというのは本当なのですね。
その子の持っている生命力のなせる業ですね
人知れない心労はたくさんありますが、
どうぞ、もうしばらくは、今までどおりご子息に心を添わせサポート頑張ってお続けくださいね。
私達の事を今思い返すと、次男が一番成長できた貴重な時期であったように思います。
しかし、
運動を続けていると、それだけやらない子に比べてリスクは伴うと理解していても、
こんなに一所懸命に頑張っているのに、なんでこのような事になったのかと、親として悔やんでも悔やみきれない思いになりますね・・。
長くサポートしている親御さんなら、その気持ちはなおさらのことでしょう。
"勝っては喜び、負けては悔しがり、こんな当たり前のことがこんなに幸せとは…"この言葉の思い、とてもよくわかります。
次男が高校を卒業して3年が経っているというのに、このようにお話伺うと、今でもその頃と同じ気持ちになります。
あの事故は、私にとりましても衝撃的な出来事でしたので、フラッシュバックする・・とでもいいましょうか。。。
でも、私自身のそんな心の翳りは、息子の傷に比べれば大した問題ではありません。
ある意味、気持ちを分かち合う事くらいしか、親としてやってやれることはないような気もします。
大人への変革期で複雑に心が揺れる年齢で、
幼少期のような甘やかしや叱咤激励も通用しない中で、そんなことしか出来ない・・・そんな思いで過ごしていました。
どうぞ、上記コメントの案山子さまのご子息さまのように、引退試合まで見届けてあげてくださいね。
私達も心から応援しております。
同じ経験をされたお子さん達が頑張っている姿は、私達に力を与えて下さいます。
以前にもこのブログをお読みいただいてたのですね?
この病名の情報の少なさから、こんな稚拙な記事にすぐたどりついてしまうのでしょうか
このような話は、同じ経験をした者同士でしか理解しずらく、
話した相手に気をつかわせてしまったり、返答に困らせたり、ましてや同情をしめされたりするとかえって孤独感がますばかり・・・。
ちょっと、話したい、それだけなんですよね
でも、こんな事もありました。
息子が在学中、かつて担任だった先生にもお読み頂いていたようで
息子はもう高校を卒業いたしましたが、
学校での教育課程や青少年の育成目的での事故という、大きく責任が伴われる事例の中で、まだまだ改善の必要性も痛感致します。
私が一番気になる点は、
学校での事故に対する危機管理が薄く、中でも
ケガを負った当事者の子供の心のが置き去りされていることです。
担任や保健室の先生には、気づいた時にお声掛け頂いていたようですが、専門のカウンセラー等も必要に感じます。
私達が学生の頃より、身体も運動能力も技術も向上している現在、運動のリスクも高まっていると思います。
事故がくりかえし、同じように心を痛める子が出るのでは、息子達の経験が無駄になってしまう・・と、思っています。
最近では、自分のコトにかまけている私ですが
この件におきましては、まだやり残しがあるような気が致します。
同じサッカーだということや、その後の展開など涙を隠すのが大変でした。あの時の衝撃は今も鮮明です。
幸い息子の孔は1か月でふさがり、運動制限もなく、好きなサッカーを頑張れ、と先生も言ってくださり、受傷後3か月で復帰。今高校生最後の1年をまさしく体を張って頑張っております。
サッカー追っかけ12年目でこれほど息子のことを愛しく、誇らしく思えるとは…。毎試合毎試合はらはらして心臓が止まりそうなシーンもありますが、勝っては喜び、負けては悔しがり、こんな当たり前のことがこんなに幸せとは…
でも時々ふっとどうしようもなく悲しく切なくなります。以前と同じようにボールを追っているようには見えても、彼の視界は…
こちらのMISIAさんの日記や、いろんな方々のコメントは本当に涙なしでは読めません。情報が少ない中、本当にありがたかったです。
あとどれくらいかはわかりませんが、精一杯息子を応援しサポートしていきたいと思います。
このブログを忘れずにいて下さりコメントを頂戴し、
まるで同級生からの便りがあったような気持ちになり、とても嬉しくなりました。
とうとう、引退を迎えられたのですね。
よかった・・・引退まで続けられて本当によかった・・・心からそう思います。
股関節の不調もあったのですね?
キャプテンという責任を背負うことで、ご自分を支えていたのですね?
よくやりとげました・・・よく頑張りました・・・
大学3年になった次男坊にも、
『ブログの子も引退まで続けたよ』と、つたえました。
『うん。』と、言っただけでしたが、自分の時を思い起こしているのは、様子でわかりました。
同じ病名で運動を制限された子達は、
本人の身体の不都合や精神的な苦痛のみならず、親の心配で、続けることを断念してしまうケースが多い中、
ここまで乗り越えてこられた事は、本当に立派なことだと思います。誇れる事です!
周囲の人々にはわからない大変な思いが、たくさんありましたよね・・・
その思いは当事者でなければ、知りうることのない苦労でした。
親も子とともに同じ思いで苦しみました。
あの子達は、
自分に出来る最大限の事・・つまり引退まで頑張る事で、今まで必要以上に親にかけてしまった苦労に、体をはって精一杯報いてくれました。
身体的な傷が残ったことは、何度思い出しても悔やまれて仕方ありませんが、
それと同じ回数、息子を誇らしく思えますし、
私自身をも強くしてくれたことに感謝しています。
私も、早くも3年前の”引退”の事を今もはっきりと思いだす事が出来ます。
おそらく忘れる事はないでしょう。私にとりましても誇らしい出来事の一つになりました。
案山子さまやご家族さまも、きっと、きっと同じ思いでいらっしゃることでしょう。
長い期間、応援そして心身のケア、本当にお疲れ様でした。
このたび、私たちは、他の親御さんがしない経験をすることになりましたが、
まだまだ親として進路や学費の用意などやってやらなければならない事はありますけれども
親の務めを果たす満足感を、少しばかり味あわせてもらった・・・とでもいいましょうか
これからご子息は、次なる受験という挑戦に挑まれます。
ウチの息子も、東進ゼミナールに通って完全受験体制でしたが、最後には学校推薦枠で滑り込みました。
受験勉強をしている期間は、
四六時中、『目が疲れた』と、言っていましたので心配しました。
どうぞ、目を休ませる時をつくるように、お伝えくださいね。
また、座っている時間が長くなりますので、
腰の痛みや、患っていらっしゃる股関節もご心配になるのではないかしら??
でも、どうぞ!ご心配なく!
誰しも訪れる受験期間特有のストレスはあっても、
心の強さは、どの受験生にも負けることはなく、がんばってくれることでしょう。
受験は人生の難関の一つですが、逃げることなく立ち向かう事は、価値のあることですよね。
来春には、またひとまわり大きく成長したご子息になられることでしょう
案山子さまやコメントを頂戴した方々とは、
息子達のケガ・・・という、思いもよらない事から繋がったご縁ですが、
このようにお話できて、私も気持ちの整理をする事ができ感謝しております。今まで本当にありがとうございました。
もしよろしければ、
これからも同年代の子供を持つ親として、愚痴?を言いあえたら幸せです
そして、
ご子息さまに・・・
今までの君の努力を讃えて、心から応援してる親子がいて、
今も同じ気持ちで、頑張って生きている事をお伝えください。
今日、息子の最後の試合が終わりました。
ゴーグルをつけて復帰した後も、小さな怪我が続きました。
追い打ちをかけるように、グレインペイン症候群となり、走ることさえできなくなりました。
キャプテンとしての責任も果たせない中で、本人が一番苦しんだと思います。
ようやく走れるようになり、試合も最後の数分だけですが、出場できるようになりました。
今日の試合も、最後の15分。ボールへ絡む機会もかぞえるほどでした。
会場にいたほとんどの人がゴーグルをかけている理由をしりません。奇異の目で見ていたでしょう。
「片眼でよくここまでやった」と、
大きな声で褒めてあげたい気持ちでいっぱいになりました。
小学校3年生からはじめた親の「追っかけ応援」も、これで終わりです。
今、息子はお別れの食事会に出かけました。
明日はこれまでのサッカー生活の区切りと、卒業の進路に向けて相談するつもりです。
お気持ちの隅っこにこのブログを残していて下さったこと、心から嬉しく思います。
初めてコメントを頂戴してから、もう一年が経ったのですね。月日が経つのが年々早く感じます~~。
変わらずサッカーを続けていらっしゃるご子息は、ほんとうに立派ですね。
コメントを拝見して、お姿を想像して・・数年前に気持ちがフラッシュバックしてしまい、思わず目頭が熱くなりました・・・。
3年生になると進路の事もあり、実質サッカーに打ち込めるのは半年くらいでしょうか・・。
以前より不自由を感じることもあると思いますが、どうか・・今までどおり他の部員とともに引退するまで頑張ってほしいです・・!!
このつらかった一年を乗り越えられた案山子様のご子息のことだから、きっとそのつもりでいらっしゃることと思いますが
それは、ご本人のこれからの人生の自信につながってくることと信じています。
ある意味、精神修行の域ですよね・・・。
もし私だったら。。。出来ないと思います・・。
あの事故以来、私は”愚息”と言わなくなりました
部活時代は親も応援やら差し入れで忙しいですが・・・私も・・・あのケガ依頼、一度も応援に行く事が出来ませんでした。
一度経過報告で学校に行った際に、チラリと覗いたグランドの隅で、一人で筋トレをしている姿を見てしまって以来、
私の感情がコントロール出来なくなってしまいそうでしたので・・。
それに顧問やコーチ、他の父兄にも気をつかわせるのもはばかられましたから・・。
息子達は、そんな親の気持ちにも気づいていて、自分なりに親に気をつかっているようですよね?
進路決定の時期になると、推薦をめぐって生徒間で、少々、殺伐とした雰囲気になるようですね~~。
次男はケガを負う以前から、進路についてめざしている大学2校がありました。
その年度はその一つの大学の希望の学部の推薦が2名枠あり、めざしていた学科がありました。
推薦出願をし、幸いなことに学校推薦で入学することが出来ました。
中学の時から部活と勉強の両立を心掛け、学校生活にまじめに取り組んでおりましたので、
6年間にわたる本人の努力として、友人もクラスメートも認めてくれて、親も評価いたしましたが、
一部の心ない父兄の”学校の事故の責任としての推薦”のような言葉を耳にして、うんざりした記憶もあります・・。
そんなことは、たかが大学受験などは一時の事にすぎなく、これからの人生が本当の勝負です!
人と異なった経験をしたということは、けっして無駄にはならないと信じています。
少々のマイナスはあの子達には、むしろ”いいバネ”ですよね!!
親だからこそ信じられること・・。
親だからこそ祈り続けられること・・。
近年は、日頃は自分の好きなことばかりやってるようなブログになってしまい、少々気恥かしいですが
また経過をお知らせくださいね。
黄斑円孔と診断され右往左往したこと。
このブログと出会ったこと。
手術は無理だと言われたこと。
サッカーを続けると決断したこと。
色いろいろなことを思い出します。
先日経過観察で病院へ行きました。周囲の網膜きれいになってきた分、円孔ははっきりしてきたとのことです。
サッカーでは疲労骨折や捻挫など怪我が耐えませんが、ゴーグルをしてまでも続けたい本人の意志を尊重して見守っています。昔のように応援に行きたいと思う親のわがままな気持ちを閉じこめながら・・・・
視力は戻っていませんが、外見的にはなんら健常者とかわりありません。
学校の先生方の中にも息子の障害を知らない人がいます。大変つらいことですが、年度初めには親の方から再度学校側に配慮を要望しました。
息子も来年は3年生。来年の今頃は卒業後の対応について学校と相談しなければいけないと考えています。
すみれ様をはじめ、コメントを頂いた方のご子息様のことは、
その後の経過がどうなったか・・・気になっているんですよ。
回復傾向にあるというコメントは、心から”本当によかったな~”思えますし、
前向きに過ごしているというお話を聞くと、”よし!えらいぞ!がんばれ!!”と叫びたくなります。
どの子も同じ・・・。どの子にも、いとおしさを覚えます。
何よりも嬉しく思うのは
”当の本人”である次男坊が、このように皆様とつながり、情報を交換し合い、励まし合う事に理解をしめし応援してくれていることです。
息子達のケガによって、私達も多くの事を学ぶことができましたよね?
すみれ様のブログにもお邪魔させて頂きたいです。こちらこそ・・ありがとうございます。
長男は右目が見にくいなりにも、がんばってクラブに行ってます。
時々、ボールが視界から消えてしまう事があるそうで、イライラする…と言う時もありましたが、何とかやっています。
案山子様のご子息がサッカーに復活された記事を読んで、ほんとに嬉しかったです。
まだまだ手放しで喜べないし、まだまだ辛い事がこの先沢山あると思いますが、息子が術後復活した時を思い出し、少しでも前へ進まれた事を知り、嬉しくなりました。
復活と言っても、以前のようには動けないし、ボールに対する怖さもあると思います。
それでも、ご子息の頑張り、他人事とは思えなくて…。
うちの息子も、障害が残ります。
悔しいですね。
でも、本人ももう、受け入れられるくらいに精神面も強くなってきました。
この不同視の状態に慣れてきたからだと思います。
MISA様のブログによって、ほんとに勇気づけられました。時々、おじゃまさせてもらっています。
私もgooではないのですが、ブログをやっています。長男の怪我の事も少し書いています。
URLのところに貼り付けましたが、大丈夫でしょうか?。
MISA様のような、素敵なブログではありませんが、ケガをされた皆様と情報交換や、勇気をもらえるので繋がっていけたらと思います。
また、おじゃまさせていただきます。
ありがとうございました。
ゴーグル着用でがんばったんですね。
想像しただけで・・立派な姿に感動の涙が出そうになります。
がんばりましたね・・・えらいです。
今の医療は日進月歩です!!
レザーでの施術も、もうすぐのようです!!
治療もどんどん変わっていきますよ!
だって・・世の中には、加齢による黄斑円孔の患者さんはたくさんいるんですから!!!
絶対に!新しい治療が可能になると、私は信じています。
長いスパンで望みをつなげていくのは、きついことのように思えますが、
子を思う親なら、無意識的にやっていることですよね。
案山子さまなら、出来ますよ。
でも・・・時折・・
親として、多くの事を考えて、気持ちがふさぎこんでしまわれる事とお察しいたしますが・・・
どうぞ・・今は
前向きに過ごしているご子息の気持ちに足並みをそろえ、
頑張って気持ちを上げて、二人三脚してくださいね・・・。
また、ご連絡くださいね。
今日、息子は専用のゴーグルをつけ、サッカーの1年生大会にほんの少しだけ出てきたようです。
1月、網膜の権威である大学病院の医師から「治る可能性は低い、デメリットが大きいので、手術はできない。障害を受け入れるように。」と言われました。
さらに、「眼圧も正常で、網膜剥離の危険性もなくなった、リハビリのつもりでどんどん活動しなさい。」とも・・・・
親子で混乱し、別の大学病院での診察も検討しましたが、結果的には、現実を受け入れる決断を、息子本人がし、学校へも、その決断を報告に行きました。
これでよかったのか、親としては自信がありません。右目の真ん中にぽっかりと穴が開いた状態にもかかわらず、「もう慣れたから」と前向きに取り組む息子の姿勢に、親の方が勇気づけられています。
今後も、地元の病院へ通いながら、経過観察を続けます。
奇跡的な自然治癒がないかぎり、右目の視力は回復しないでしょう。将来的には障害認定も検討すべきではないかと思っています。
また、報告します。
同じようなケガで悩んでいる皆さん。
お互いにがんばりましょう。
知り合いのお子さんも部員です。
大人数の部ですし、一軍以外は試合に出ることも出来ないようでしたが・・。
なんと言っても、
流経の運動部は、よくウチの前を走っていますから~~~
すぐ近くの高校ですので、なんだかこちらまで誇らしい気持ちになってきます!!
さて、ご子息快方にむかっていらっしゃるとのこと。よかったですね
ご両親の手厚い看護と願いが通じたのでしょう。
その思いが、ご子息の持っている強い力を目覚めさせたのですね。よかった・・。
快方に向かっていく子がいる事は、
今も、この病気で心を痛めている子にとって、最後まであきらめない・・という希望を与えてくれる事になると思います!
SSさまご夫婦が、ご子息の為に行っていらしたこと(ビタミン12や、お墓参り等々)たとえ・・気休めだとしても、親としたらやろう!と、思いますよね?
どんな情報でも"知りたい””有難い”と思われると思うんですよ。
これからも、ぜひその後の経過など教えて下さいね。朗報待ってます!!!
その準々決勝の流経柏 VS 山梨学院の試合は
見られましたか? その試合の流経の1点目は
相手が至近距離から蹴ったボールが流経の8番(?)の顔面に直撃し、その跳ね返りがそのままゴールインでした。テレビで何度もスローを再現してましたが、目のわずか上に当たったようで見ててヒヤツとしました。家の子供同様左サイドバックの子でした。やっぱりある程度の確率で起こるんですね。
家の息子の状況ですが、12月末の検診で円孔の
上(五線譜のような画像)が多少狭まってました。そして1月5日の検診では上側だけつながりました。そして今日手術の注意を受けに行ったところ、下側がまだ凹んでますがたった数日でさらにひっつきました。で結局主治医はもう少し様子を見ようということになりました。
主治医は、10月下旬から今になってこのようにつながることは珍しい,普通はつながる場合すぐに変化があるとの見解。息子は黄斑円孔、網膜しんとう症、網膜出血の診断で出血は収まってます。
10月以降ビタミン12が良いと言われればのませ。いろんな健康食品(クロレラとか・・)を食べさせたり、神頼み、仏様、じいちゃんばあちゃんの墓参りなどやりましたが、もしかしたらそのどれかが効いてくれたのかなと思ってます。
まだまだ予断を許す状況ではありませんが初めて快方に向かい少しほっとしています。また2週間後に検診です。
そのうちコミュ作りましょうね。
その節はよろしくお願いいたします。
それにしても・・
すみれ様も、ss様も、案山子様も、私ともも、皆、負傷したのが、高校一年生の時とは。
きっと、中学の時より、運動量が増えて運動の質も高度になってきて
まだ慣れていない状態の中で、がんばろうとするので無理な力が働いてしまうのでしょうか・・。
指導する側も、求められる高校レベルに達する為に、
始めが肝心と指導におわれ、新入者への安全配慮が欠けてしまうこともあるのではないか・・と推測してしまいます。
運動はリスクが伴い自己責任であることは理解できますが、
本来の学校での部活動の意味から外れてしまうようでは、本末転倒です。
・・年内じゅうに、久しぶりに次男坊の眼科に付き合うつもりでいます。
なかなか気持ち全部をさらけ出す事が出来なくて…。まだまだ治ると信じているので、あきらめたくないのですが、ふと不安になることがあります。
長男は保護用のサングラスをつけてテニスをしています。夜は見にくい様で、よく不機嫌で帰ってきました。
それでも、あきらめず頑張っています。
MISAさんのおっしゃるように、ケガをしたからこそ…と言うこともありました。
高一ともなれば親と出掛けることなんてなくなるだろうな…と思っていましたが、思いがけないケガで運動できなくなり、学校もしばらく行けなくて、その代わり家族で出掛ける機会が増えました。
2人でランチにもいっぱい行きました。
でも、帰りに2人で今後を考えて泣きながら帰った事もありました。
今は出来る限りサポートしてやりたいので、本人の意思を尊重しながら、家族みんなで支えています。
ホントによく頑張っていると思います。
いつ心が折れるかヒヤヒヤしっぱなしでしたが、最近はよく笑うようになり少し安心しています。
私も強くなりました!。
健康が当たり前だと、普通に生活できてる事が当たり前だと思っていましたが、ケガをしたからこそ、いろんな事に感謝の気持ち、些細なことでも幸せに感じるようになりました。
恵美先生には本当に感謝しております。
労災病院の看護士さんたちも、先生に任せておけば、見えなくなることはないから!!とおっしゃってくれていました。
手術前は、視界が半分以下・視力0・01の最悪の状態でした。今は瞳孔は開いたままですが、視界は全部みえるようになり、レンズをつけて0・5まで戻ってきました。
裸眼でテレビも前よりは見えるようになってきた!と言っています。
いずれ外傷性白内障になるそうで、その時に眼内レンズを縫い付けて遠くにピントを合わせて、手元はメガネで矯正するそうです。
失明にはならなくて良かったです。
コミュニティーを立ち上げられた際は、何かお手伝いできる事があればおっしゃってください。
私に出来る事があればお手伝いしたいです。
今日も長文で失礼しました。
これからもよろしくお願いします。
コメント有難うございます。よく見つけてくださいました。
皮肉なことですが、このように次男の事故をつうじ、多くの方と気持ちを分け合えることは、とても幸せなことです。
親として・・・どなたも・・思う事は同じ。
皆さまそれぞれ、つらい状況にいる我が子に何かしてやれないか・・と、一生懸命に心を添わせていらっしゃいます。
コメントを頂くたびに・・何度も何度もうなずいている私です。
恵美先生の治療を受けられたのですね・・。
何度もお名前があがっていた先生で、当初は受診を真剣に考えましたが、
率直に、担当の医師に相談し、治療の経過の中でお任せすることに致しました。
専門の先生に施術頂けたのは、本当によかったですね・・。
結果はともかく・・納得のいく良い選択をされましたね。
拝見したところ・・
サッカーのボールより、テニスボールの方が小さいせいなのでしょうか・・。網膜剥離とは。
痛みをともなう手術では、ご子息は大変でしたね・・。よくがんばりましたね・・。
本当に・・えらかったですよね・・。
今の医療は素晴らしいです。
あきらめることなく懸命に、恵美先生までたどり着いたご両親も、つらい治療に立ち向かったご子息も立派だと思います!
本当なら・・・しなくてすむなら、したくない経験ですが・・
この出来事で、得たものも多くあります・・。
息子が誇れること。
強い心が根いて、苦労にも立ち向かっていけると思える事。
親子の絆が深くなった事。
私自身、親として強くなれた事。
・・・などなど・・・まだまだ、あげられると思います。
情報の少ない目の病気ですので、
少しでも多くの子供やご両親とお話しをして、互いに治療の情報を得たり、憤りのない気持ちを整理するきっかけになれれば・・と、思います。
必要があれば、いつかスポーツでの目の事故にあった人のコミュニティーを、立ち上げる心づもりでおります。
これからも、ぜひまたお話をさせてくださいね。
高校入学して一週間での怪我でした。
硬式テニス部の練習中、顧問のいない時に事故は起こりました。
自分の打っているボールではなく、近くで打っている生徒のボールが運悪く長男の右目を直撃しました。
その日は天気が悪かったので、たまたま息子さんを迎えに来られた先輩のお母様に病院につれていってもらい、連絡を頂いてすぐに病院にかけつけました。
始めはすぐに治ると思っていましたので、大きい病院で念のため検査してくださいと言われても、一応行ってみようか…という感じで行きました。
その日のうちに関西医大に行き検査してもらうと、担当の先生が言うには、『重症です。本人には言えませんが、視力回復は無理でしょう。』と言われました。何の事かさっぱり理解できませんでした。
・虹彩離断
・低眼圧
・水晶体亜脱臼
・眼底出血
・網膜しんとう症
・網膜剥離
特に眼圧が下がっていて、目がしぼんでいる状態なので、一ヶ月がたっても眼圧が戻らない時は手術しましょうと言われました。
手術しても良くならないとは思いますが、一応やりましょか、みたいな言い方だったので、こんな大事な手術を簡単に任せられないと思い、セカンドオピニオンの病院を探しました。
友達の看護士や、知り合いの方に聞いたりして、大阪労災病院に行ってみようとなり、主人と長男と3人で行きました。
その日は恵美部長先生のおられる日でした。
初めから部長先生には診てもらえません。
最初に診てもらった先生がおっしゃる事は関西医大の先生とほぼ同じ事でしたが、一つ違う事は見える様になる方法があると言う事、失明なんて言葉はありませんでした。
手術は労災病院でお願いしました。二時間の大手術でした。
・眼圧を戻すために眼球にベルトを巻く。
・裂けている部分をレーザーでふさぐ。
・虹彩を縫い合わせる。
と、大変な手術でした。
痛みもすごかったようでした。
恵美先生でなければ、倍の時間はかかっていただろうと、最初に診て頂いた先生はおっしゃっていました。
長男はテニスの推薦で高校に入学しました。
インハイのメンバーにも選ばれていたので、
かなりの落ち込みでした。
あきらめないといけない事が次から次にやってきて、心が折れそうでした。
3ヵ月でとりあえず復活しましたが、モノを立体的にとらえられないので苦労していました。
それでも試合にも少しずつ復活しましたが、空振りしたり、体力もなくフラフラでいると長男がケガをしたことを知らない人から、『下手くそやな~』と、聞こえるように言われた事もあったようです。
それでも、『動けるようになっただけでもマシや、今のオレはホントに下手やもん…悔しいけど…』と言っていました。
今は見にくいようですが、あきらめずに練習には行っています。いつでも辞めてもいいんだよ、学校も変わってもいいんだよ、と話しました。本人はケガをしても、この学校で頑張って行きたいと、今の仲間とやって行きたいと言っています。
長々と取りとめのない話ですみませんでした。
病名やクラブは違いますが、話を聞いてもらいたくて…。
またお邪魔させてもらいます。
入院のイメージがわいてきました。後で嫁さんにも見せます。既に息子は中学時代の友人達に入院した後のお見舞いを頼んでいるようで、そのため息子は家に近い病院がいいと・・・まぁ
それもいいかなと思ってます。この怪我の情報が少ない中助かりました。たぶんまたお聞きしたいことがあるかもしれません、またよろしくお願いします。
その後いかがかな・・と、気になっておりました。
年が明けてからですか・・?寒い時期ですからご両親もどうぞ体調にお気をつけくださいね。
今の医療は日進月歩ですから、3年前の次男の手術の時より、より良い方法があるかもしれませんね。
いずれにしろ・・
私もその手術方法を聞いた時は、びっくり致しました。実に、細かい外科施術で・・神業のような気すらしました。
次男も日程が決まってからは、早く済ませたい・・と言っておりましたよ。
医師からも説明をお聞きの事と思いますが、
手術は、わずか30分位ですみました。
次男の話しによりますと
・先生が、流行りの音楽を流してくれてリラックス出来たこと。
・部分麻酔なので、先生と会話をしたり、経過がわかって怖くなかったこと。
・短時間であっという間にすんでしまったので、なにか感じる暇もなかったとのこと。
術後は、車いすで運ばれてきますが、その瞬間から目を下に向けており、うつぶせがはじまります。
病院にもU字枕のようなサポート用品はありますが、あまり利用しませんでした。
次男は、東急ハンズで購入したのですが、
”ドライブ時の肩に乗せて眠るU字枕が、中にビーズのような物が入っていて、
やわらかく使いやすいといって、気にいっていました。
一つの物ではなく、バスタオルを丸めたりして、いくつかのものがあると、身体も楽なのではないでしょうか?
先生が『目が疲れなければいいよ・・』と言ったのをいいことに
DVDを観たり、今まで忙しくて出来なかったゲームをクリア―したり、好きなアーティストのCDを聴きこんでいたり・・・
ポータブルDVDが大活躍でした。
お見舞いに来たサッカー部員が、あまりの快適さに『代わりてぇ~~』と、羨ましがっていたくらいです。
ただ・・読もうと持っていた本やマンガは
さすがに手がのびませんでしたね。PCも。
冬の時期ですが院内は暖かいですし、代謝のよい男の子は、身体が汚れますので、
気分転換にもなるし、寝つけるので、私が帰宅する前に、毎日身体を拭くのを手伝っていました。
熱いタオルで拭くだけでも、本当に気持ちがよさそうでした。
一番気にしていたのは、顔が洗えないので顔のニキビの事・!
入院中に先生に薬をもらっていました。
すいません・・私・ちょっと・・気が急いてしまいましたね・・
手術まで日がありますので、ご子息を相談しながらご準備なさってください。
・・と、申しましても・・なくてもすむものばかりですが・・少しでも快適なように・・という親心からなのですが・・・。
次男に、『今までの学校&部活生活から離れて、ちょっとしたバカンスのような気持ちでいればいいんじゃないの?』
と、言った私に、Vサインを出していました。
些細なことでもかまいませんので、何かご質問があれば・・
ご遠慮なく・・・。
医師は多くの事例に基づいて、完全治癒の低さを言われたのでしょうが、
炎症がひいて、孔の状態が鮮明に確認出来たら、快方にむかってるかもしれませんよ!
どのような状態でも、ご子息の言われるように自然治癒を願っておりましょう・・。
もう術後2年半以上も経っているのに・・
この私も、次男の目の見えにくい部分がいつか回復して元通りになるような気持ちを、今でも持ち続けていますもの。
部活の事は、やはりご子息の気持ちのままに選択されるのが、ご本人のためにもいいのでしょうね・・。
サポートメンバーとして継続される中でも、人には分かってもらえない些細な心の葛藤もあると思いますが、
現実を受け止めて立ち向かっていく方が、今後の治療の力になりますものね・・。
皆さまからのコメントの事を、時々、次男坊に話すんです・・。
『力になってやって・・思い出しながら・・。母さんのやってる事いいことだよ!』と、言っています。
オロオロしてしまうのは当然です・・・
ご子息もそんな親の姿をみて、口には出さなくても感謝の気持ちでいっぱいだと思いますよ。
『・・ごめんね・・ケガして・・』って、つぶやいた次男坊の声が忘れられない私です。
結果は「経過観察、自然治癒を待つ。」でした。
我が家の息子の場合、眼球が受けた衝撃が大きく、網膜のあちこちが炎症を起こしており、出血もまだ引いていません。
この状態では手術は無理との結論。
とても丁寧に診察・説明してくださいましたが、完全治癒はあり得ないという結論はさすがにショックでした。
その後、学校へ赴き、診察結果の説明と今後のことについて相談してきました。
校長先生まで声をかけてくださり、大変丁寧な対応をしてくださったことに救われました。
その後、事の重大さを認識していない息子とも、初めてサッカー部のことについて話をしました。
このブログも読ませました。
「部をやめる選択肢はない」
「自然治癒にかける」
涙を流しながらでしたが、これ以外の答えがみつからないというのが本音だと思います。
今日も練習試合について行き、終了後、部員のの前で自分のケガの状況と練習ができないことを説明してきたとのこと。
また、部顧問からもマネージメントを手伝って欲しいと声をかけてもらったようです。
これから、経過観察で通院が続きます。
先が見えないことに不安が大きいのですが、予想外に息子が落ち込んでいないことに救われています。
(気丈に振る舞っているのか、鈍感なのか・・・・?)
可能性が低いことはわかっていますが、ただただ神に祈るばかりです。
いつまでも親がおろおろしていないで、息子をサポートしてやらなければと思います。
ss様はけして馬鹿な親なんかではありません・・子供を持つ者ならば当然の心境です。
私はもう充分に多くのものを見て満足しているら、出来る事ならば、自分の眼球と取り替えてやってもいいと感じたほどです。
・・・そう・・・おっしゃるとおり・・周囲の理解はなかなかえられませんでした・・・。
問われた時や報告の必要のある時は、親として常に冷静に、その時の病状を伝えましたが、
同情や謝罪やトンチンカンな返答ばかりで、かえって親子ともに孤独感を味わったことも思い出されます。
今後どのようにしたらいいか・・との相談に、前向きの答えをくれた人は誰もいませんでした。
『おかあさん、そんな悲観ぜずに・・』と、即答した教頭先生の顔は忘れることが出来ません。
・・・無理もないことです。実際のところ、本人しか分からない感覚なのですから・・。
次男も高一の時でした。
15.6歳の子に、この現実を受け止められるのか悩みましたが、
自分自身の目のことですので、これからの治療に前向きに立ち向かっていくためにも、現状を認識させました。
部活に限らず日常の学校生活においても、くれぐれも目をかばうように強く言っていました。
視力が急激に落ちたことから、目が疲れやすかったり頭痛もしていたようでした。
本人も視界にある見えない部分を感じているので、おのずとセーブがかかっていた様子でしたが。
ssさま・・もう治療は医師にゆだねるしかありませんが・・
今こそ親子の絆で、この時期を乗り切る時ですよ。
お子さんをこれほどまでに愛しておられるss
さまのこと・・
日々の息子さんの様子を見ていれば、何をしてやればいいか、必ずみえてきます。
何度も同じようなコメントを書いてしまう私ですが、
どうぞ、息子さんに気持ちを添わせて、同じ思いでいてあげて下さいね。
新人戦に出れなかった・・・収まりつかない気持ちや、自分の力では何も変えられないむなしさ、焦り・・・
本人の心の内を考えると、つらくなりますね・・。
大切なのは・・・今の自分の気持ちを理解してくれて、一緒につらいと感じてくれている誰かがいることだと思うんです。
『そうだね・・そうだね・・』と、不安そうな顔してうなずいている私に
『たとえ1%でも可能性はあるんでしょ?だったら、今は、考えているより、可能性を信じていた方が楽なんじゃない?』
と、ちゃんと自分で答えを出していました。
拝見したことろ・・(まだ未決定でいらっしゃいますが・・)
経過観察の時期も手術の可能性の時期も、次男と同じ頃のようですね・・。
何かお役に立つことがありましたら、些細なことでも結構です。いつでもお待ちしておりますから。
親としての思いや願いを書き綴っているこの稚拙な内容の薄いブログが、
どなたかのお役に立てれば,こんな嬉しい事はありません。
ご子息はまだ経過観察ですので、
孔がふさがってくる可能性も信じてお過ごしくださいね。
気持ちを立て直しながら、前向きに一つ一つ・・。
よい方向に向かわれる事を、心よりお祈りしております。
途方に暮れていた私たちに”ひかり”をくれたの
がこのブログでした。
改めて読み直し、SSさんのも我が家の息子とほぼ同じ時期(11/2)に、この不幸に見舞われたことに驚いています。
このブログを通して情報交換をし、支えていただけることに心から感謝しています。
ついこの間買い換えた新品のスパイクが、箱のまま息子の部屋にあります。
サッカーを続けられると信じている息子は、今はまだ経過観察段階で手術の予定もわかりません。
でも、息子の手術が済んだら、このブログを読ませるつもりです。
これからも、サッカーが息子を支えてくれることを心から願っています。
11/22に病院へ行ってきます。
また、報告します。
10/31付の記事にご記入下さいましたSS様に引き続き、また同じ思いの方がお立ち寄り下さいました。
息子の事故は親にとっても悲しい出来事でしたが、この経験を同じような思いの方のお役に立つことが出来れば・・・それは無駄なことではなかった・・と、思える気が致します。
ご子息がケガを負われてから、まだ日にちも浅いのですね・・親子ともにご心配な日々を過ごされていることでしょうね・・。
今のご心情、ホントによくわかります。年月の経った今でも鮮明によみがえってくる程、衝撃的な出来事でした・・。
次男坊は、この事故で目は弱めてしまいましたが、引きかえに強い心を得ましたよ。
【日本スポーツ振興センター】の件、お知らせ頂きありがとうございました。
センターの保障の件は、在学中に学校側からも提示がありまして、
卒業にあたり保険請求をして、この件をすませてしまおうかとも考えましたが
これからも何だのスポーツはするつもりだ・・という息子の言葉を聞き、
事故発生から10年間という有効期間は有効にしておこうと決めました。
期間中通院費用は適用されますが、高校を通して請求しなければなりませんので、卒業後も関わりをもっていかなければなりません。
次男坊も高一の時でしたので、残りの期間には、担任はもちろん校長・保健室の先生も異動され、この事故の詳細を知っている方はいらしゃらなくなる事と思いますが、
今後の再発を防ぐためにも、この部活中に起こった事故を忘れることなく引き継ぎ事項としてつなげていって欲しい・・と、いう願いもあり、継続していくことに決めました。
学校での事故を専門にした弁護士にも相談をしました。
もっと重体になり重い後遺症のでたケースや、まったくもって理不尽な学校での対応のケースなど、いくつかの事例があることも知りました。
弁護士のいうように、学校での事故はほとんど泣き寝入りであることが多いということもわかりました。
親として、いったい何がベストな方法なのか・・悩みました。
やはり・・息子にこれ以上、不快な思いをさせることは避けたかったです。
悪意はないとしても、実際にこの目の病気になっているものなければわからないようで、
心ない軽はずみな言葉に、親である私も心が折れそうな事もありましたが、
なるべく冷静な対応を心掛け、事態の重大さを理解してもらうように努めました。
息子には、なるべく事故が起こる前と同じように過ごせるように心配りをしていたつもりです。
事故後しばらくして・・
サッカーが出来なくなった息子の部屋に、一枚のサッカー選手の写真が貼ってありました。
オランダ代表のエドガー・スティーヴン・ダーヴィッツ選手の写真です。
初めて名まえを聞く選手でしたので、『どんな選手なの?』と、私が聞くと
以前に目の事故にあい、今も緑内障が悪化し、試合の時は必ず保護ゴーグルを着用して出場している選手だと、次男が教えてくれました。
『怪我のハンディだけじゃなく、黒人差別にも戦ってきた選手なんだよ!!』と、目を輝かして言った息子の事を私は誇りに思いました。
サッカー好きの息子達にとって、15~6年の人生の中で、おそらく・・はじめての挫折に違いありません・・
多くの悲しみや抱えきれない程の不安はぬぐえないことでしょう・・。
でもね・・
若い力はしなやかに乗り越えていかれますよ!
ましてや、運動鍛えたで心身は、ちょっとのことではへこたれません!
その時を待ちながら、しばらくはご子息に心を添わせてお過ごしくださいね。
また、お待ちしています。
【日本スポーツ振興センター】http://naash.go.jp/anzen/saigai/seido/tabid/86/Default.aspx
ネットで集めた情報から、もう2度とサッカーができないことがわかりました。その事実をいつどのように「サッカー命の息子」に伝えようか悩んでいます。このブログそのものを読ませようかと思っています。ぜひ、息子を励ましてやるためにもこのブログを続けて下さい。