Pura Vida!

すきな音楽の事やガーデニングや家族の事など、日常の出来事を綴っています。

外傷性黄斑円孔 11

2010-02-09 | 外傷性黄斑円孔
ひさしぶりに次男と眼科に行った。

・・・早いもので、次男の手術からもう2年が過ぎてる・・。



息子が絶大な信頼をよせている、筑波大病院の網膜の専門の医師から、

『これからは近くの眼科で経過をみれば大丈夫。ここはもう来なくてもいいんだよ。』

と、言われた時は、一瞬、ちょっと心細そうな顔をしたくせに・・・

病気の事から、すっかり心がときはなされた様子で、この一年は眼科に行かなかった。



その間・・母は次男坊の目の事はかたときも忘れた事はなかったけれど・・

本人が元気でいて病状も安定している様子だったし、親子して、この事から少し気持ちを離したくなっちゃったね。

そう考えられる事は、何より嬉しいことです。



でも・・やっぱり眼科に行く時は今でも、結果をきくまで心配。



経過は良好。円孔もきれいに塞がっています。視力は回復していませんが、0・7まで上がっていました。

視界の真ん中の見えない部分は相変わらず残っているようですが、

この状況にずいぶん慣れた様子で『右左を比べるとやっぱり違うけど、気にならない・・』と、言っています。


よかったね・・。


次回は半年後。今日は高校在学中の最後の眼科通院になりました。




以前から、病院の後は,お互いの?元気付けに”美味しいものを食べる”というのが暗黙の了解だったので、今日も母は楽しみにしていたのに~~

終わったとたん・・・友達のウチに行っちゃった・・・。



それでよろしい それじゃなきゃだめ。 いってらっしゃい・・。







もうすぐ卒業なので、明日は、学校にその後の病状の件で最終的な電話をしなければ・・・・・母は、少々、気が重いです。


























引退…大事なひと言-外傷性黄斑円孔 10

2009-07-27 | 外傷性黄斑円孔
今日、次男の高校サッカー部での生活が終わりました。

県大会にむけての試合に敗退し、この試合をもって3年は引退です。



この日をむかえるにあたり・・息子が部活中にうけた事故をのぞいて考える事はできません。

高校に入学して、好きなサッカーに対し気力も体力もスキルも向上させていこうと、気持も充実していた頃でした。


公式戦でのこと、至近距離から蹴られたボールを、ヘッドで受けれずに左目に当たり、『外傷性黄班円孔』になってしまったのでした。

視力は急激に下がり、網膜の亀裂で左目の視界の真ん中には霞んだように見えない部分が出来てしまったのでした。



視界の悪さ、急な変化による頭痛、眼精疲労、平衡感覚の悪さ・・・

そしてなにより・・・闘志に燃えていたサッカーを禁止されたことに対しての収集のつかない心の痛み・・・

事故をうけた本人でしかわからないつらさ。 心身ともに苦しんだ日々。



網膜の穴を広げないための手術を受けたこと。

術後は約2週間もの間、24時間中ずっとうつぶせの体位をとるという過酷な入院生活もありました。




術後は・・・年齢的にも若いので、目の筋力も回復が早く適応能力もあるので日を追って楽になったようですが、忌々しい左目にあるブラックホールは残る結果となりました。



そんな中で、次男の出した結論は・・・・『チームのために自分が出来る事をする』と、以前と変わらずにサッカー部を続けるということでした。


・・と、いっても・・「今度また眼を打ったら、つなぎ合わせた網膜は再生出来ないので視力は失われる」との医師の忠告で、試合はモチロン、試合形式の練習も参加出来ない部員です。

後輩の指導の手伝いをしたり、キーパー練習の相手をしたり、グランドの端でひとり黙々と筋トレをしていた息子は、サッカー部のくせに上半身まで筋肉隆々になりました。



ひねくれることも、くさることも、ふてることも、ねたむことも、ケガを負わせた対戦相手をうらむことも・・・一回もなく・・・

この3年間、手術・入院以外は休むことなく、自分の出した結論どおり出来る事をしていました。






・・・・身体だけでなく弱まってしまった心の傷を、これ以上広げるような事からは絶対に守ってやりたい!・・・母親として、出来る事はそんなことだけでした。


ともに通院し、思春期の無口な次男坊の心の声を聞き、心を添わせて、一緒に苦しんで泣いて、同じ思いで気持ちを支え合いました。




親だから言わなければならない事があると思いました。

このまま何もなかったかのようにこの事故をほうむってしまわれないように・・同じ事故を防ぐために・・言い続けなければならないことは、今も残されています。



事故直後の顧問・コーチの対応のずさんさ、こちらの心情を理解し今後も見守っていくという言葉を述べても、結論的には、公式戦にも関わらず事故報告をしなかったり、責任を追及されまいとする威圧的な学校への不満、保障の問題・・・・・・

学校長と一緒に我が家に謝罪に来て、長い間頭を下げ続けた顧問・コーチ。

サッカー部を続けると決めた息子の心の中を理解するにはあまりに力量不足に感じ、所詮、この人達にとったらひと事なんだ・と、孤独感にしずんだり・・・・・・


「先生方にとっては3年でいなくなる生徒ですが、息子はこれからもずっと眼のことに苛まれなければならないでしょう。」と、いい返すのが精いっぱいだった。


「息子の意志を尊重し、私は卒業するまで息子はサッカー部員だと思っています。」と、言ったものの・・そんな精神修行のような事が本当に続けられるのだろうか・・・?
すっぱりやめてしまい、気晴らしになるスポーツを始めた方がいいのでは・・・?

見ている私にもつらい心構えがもとめられました。



傷を受けた本人より母親の方がうちひしがれていたことも度々。





・・・でも、そのくらいでちょうどいいと思っていた。

自分のために心を痛めて泣いてくれて、自分が叫びたい苦しみを代弁してくれる誰かがいることは孤独にさせないですむと思っていたから。

代われるものなら代わってやりたいけれど・・・残念ながら、身体の傷は代わってやることは出来ません・・・。




今年から、校長が変わり、コーチが辞め、顧問が変わり、その時の状況の詳細をしっている方はいなくなりました。引き継ぎ事項として残されている様子ではあります。




引退をした今日、チームの皆と号泣して帰ってきた息子に

『一番がんばったね・・。』と、言いました。


信頼している中学からの顧問から、あたたかい労いの言葉かけをもらったと話してくれました。

またひとまわり、心身ともに強くなったと感じました。





『続けていてよかった・・・。』と、ひと言つぶやいた息子。



母は、その言葉を聞きたかったんだよ。




                       <ルピナスの花言葉は、多くの仲間>




















窓辺のアザレヤ&木々の枝

2009-03-10 | 外傷性黄斑円孔
日ざしが差し込むお部屋の中は、もう春です・・。あたたかい一日。

室内に置いてある鉢植えは満開。心も明るくなります。

箱入り娘?のアザレヤは雅に咲いております。



今日は午後から、しばらく体調が悪くお休みしていたラテンのダンスレッスンに行きました。
ダンスはお休みすると、体力&体型に顕著にひびいてくるので、出来る限りラテンも続けなければ・・。

癒しの心はフラで、しなやかな色香はベリーで、キレのよさはラテンから学びます。


室内ではあたたかく・・と思っていても、外は今日も風が強かった~~。クシュクシュです・・。


でも、ここのところのあたたかさで、木々の芽もひとまわり大きくなってることを発見。


小さく柔らかい芽をつけている木の枝が、今日のいたずらな風にあおられ、揺らめいているのをみて・・・


あ~ 大切なのは・・< この小さな芽をつけた枝のように、しなやかに物事に対応していく強さ >なんだ・・と実感。



日常の生活の中の、ふっとした瞬間の 哲学の時間。


















外傷性黄斑円孔 9

2008-12-12 | 外傷性黄斑円孔
ちょうど一年前の今日、いろいろな事を考えて過ごしました。

一年たった今でも、その一つ一つをしっかりと思い出すことが出来るくらい・・・。



その日の・・・次男の眼の手術の間ずっと繰り返し流していた曲は、

The Brooklyn Tabernacle Choir の 『I'll Give Him My Heart with WHAT CAN I GIVE HIM?』でした。

ほっちゃん先生からご紹介頂いたCD中に入っていた曲で、かわいらしい子供の声ではじまって子供達のすてきな合唱になっていく曲・・・疲れ果ててすれ切れていた心が、この曲でどんなに救われたかしれません・・・。

WHAT CAN I GIVE HIM・・・?
    
     WHAT CAN I GIVE HIM・・・?  いったい何回リピートしたことでしょう・・・。


今でもこの曲には涙がついてきます・・・。



       


部活のサッカーの試合中に事故で、外傷性の黄斑円孔になり左眼の手術を受けることになった次男をどう支えていけばいいのか・・母親として苦悩していた日々でした。
今も思いは変わりませんし、これからもずっと続いていくとは思います。だだ・・・あの思いがあったからこそ、

人生には無駄ものは一つもない  と、いうことが本当によくわかりました。


次男はきっと力強く豊かな人生をおくることが出来るだろうと確信出来ました。


小さい頃から勉強も運動もいっさい手を抜かず、根性で踏ん張りながらも常に爽やかな次男・・・母はいつもその姿に尊敬すら覚えます・・。

キミがいてくれた事で母は人として成長出来たし、誰よりも幸せな気持ちになれるんですよ。

これからも、キミらしく懸命に生きてごらん。
輝かしい未来がみえるよ。


外傷性黄班円孔 8

2008-10-17 | 外傷性黄斑円孔
今日は、ひさしぶりの次男の検査の日。

前回は初夏の日差しが眩しくなってきた頃に、2人で病院へ続く小道を歩きましたが、今は空が高く空気もすっかり、秋です。
最近では3か月ごとに検査をするくらいに落ち着いてきました。


いつもはすぐ点眼して、瞳孔をひらいて検査をするのですが、今回ははじめに、執刀して下さった先生が視力検査をしてくれました。


視力0.7

・・・と、いっても真中に、まだ残像のようなものが残って中央がぼやけて見えない状態が残っているとのことですので、実際の0.7の視力よりはも見えていないと思います。


眼圧もOKでした。OCTでもしっかりと孔はふさがっていました。


怪我を負う前の1.2の視力には比べられませんが、0.7まで回復したことは喜ばしいことです。

最近ではわずらわしがっていた日々の点眼もなくなりましたので、息子本人も病人意識も薄らいで気持も前向きに過ごせています。
でも変わらず、ゲームにも出れないサッカー部員であることには変わりないのですが・・・。


思えば・・・息子の眼の状態も精神的にも・・・昨年の今頃が一番つらい時期だったね・・・。
あの頃は、こんなにも澄んだ秋の空を見上げるゆとりなんかなかったね・・・。

今こうして二人で、くだらないジョークを言い合いながら歩いていることが、とても幸せに感じられますよ・・・。


そうだ!手術を受けた12月11日には、一周年のお祝いをしましょう!
ずっと、息子の心に残るようなお祝いをしましょう。

・・・そうです。この眼の病気にかかると、白内障を発症しやすく緑内障やその他の眼の病気にかかるリスクが高いのです・・・だから・・息子が大人になって自分で定期的に眼の検診に来なければ・・・という意識を持ってい続けてほしいので、少しでも印象づけておきたいから・・・。

働き盛りで仕事の都合がつかなく検診なんてなかなか来れなくなってしまう可能性もあります。
母は・・・いつまでも生きて、キミのそばにいられるわけでありません・・・。


わずか・・一年という短い間に、息子はずいぶん成長しました。

大切な左目を負傷してしまったことは、本当に残念なことで今も心が痛みますが、ひきかえにとっても大きなものを体得した息子が誇らしくもあります。


通院の日はいつも・・・
心にあの強い決心をした日の、この病気に立ち向かってやるぞ!という気持の原点に立ち返ります。



母は、これからもずっと・・・応援団長でいようと思います。

がんばれ!うつぶせ闘病記ー外傷性黄斑円孔 7

2008-06-19 | 外傷性黄斑円孔
ーーこれは外傷性黄斑円孔と闘う高校生と母親の記録ですーー


久しぶりにこの闘病記を書こうと思います。
昨年の一時期の次男の病状の事が頭から離れないつらい状況とは異なり、こうして書く事をさぼれるくらい落ちついてきたといったところでしょうか・・。

最近、ご近所に同じく黄斑円孔になった方がいらしたり、ときどきブログに頂くコメントを拝見して、やっぱりこの闘病記は続けて書こう!と、思いました。

息子の症状や私達親子が感じた事が情報を必要としている方に、私が書く事で少しでもお役に立てれば・・・と思っています。

そして、息子が部活中に事故にあった直後に、病名の痛みより重くのしかかり私達があじわう事になってしまった絶望感や孤独な思い・・・そんな同じ気持ちになりそうなスポーツ少年の心を、ひとりの母親の立場で支えていきたいと強く感じたからです。

そうすることにより、実際に今、外傷性黄斑円孔わずらっている私の息子と私自身を支えていく事につながっていく気がするからです・・・。


そして思いもよらなかたのは、このようにネットで息子の病状を公開したり知人に話す事を通じて感じた事なのですが、当初私が思っていたより、学校の部活中の事故で外傷性黄斑円孔になってしまった子供達が多いことに本当に驚いております。


先生の指導や学校の対応のこと、そして何より息子達の経過について情報を分け合いながら、母親としての対応を考えたり励ましあって、息子達がこのやっかいな『外傷性黄斑孔』を乗り越えるのをサポートしていけたら・・と、思っています。




次男が黄斑円孔の手術を受けてから、早くも6ヶ月がたちました。


只今、学校の研修旅行でオーストラリア ブリスベンを旅行中

日頃からあまり感情を強く表現するのをためらう次男坊ですが、部活のサッカーの試合中の事故後、担当医から今後サッカー禁止令が出た時は、泣きました・・・。

そして・・・今回出国する数日前の出来事なのですが・・・
『旅行中にオーストラリアの高校生と交流戦があるのだけれど、これから一生サッカーをしないと約束するから、この試合にでる事を許可してほしい!』と、強い要望があった時・・・
医師に言われた通り、ヘディングなどをして手術をしてふさがった孔が開き失明する可能性もあることを理由に許可しなかった私に、めずらしく執拗に食い下がって来た時の事、返す言葉を失った私が、『じゃ・・・残念だけど旅行は中止だね・・・』と、トランクの中身を出した時に、

再び・・・泣きました。

これからの人生、この病気のせいで、もっとつらい思いをしなければならないこともあるんだよ・・・


ここで失明するわけにはいかないじゃない・・・

多くの可能性を秘めているキミの未来を、限ったものにしてしまうのは親として出来ません!


キミが泣いている姿を母はみているからね・・・。
気持ちはわかっているからね・・・。

どうか、そんな人がいる事をわすれないでね・・・。


その流した涙は、いつかきっと、キミの力変わるから!
何も苦労をしないで生きてきた人間より、人として豊かな人生がおくれます。

また一歩、強くなれましたね。



--- 写真は、庭のやまぼうしの花です。---


次男の通院の日ー外傷性黄斑円孔 6

2008-03-29 | 外傷性黄斑円孔
今日は一ヶ月ぶりの次男の通院の日でした。
気が付いたら、息子が左目の手術を受けてから早くも3ヶ月がたっていました。

入院している息子に会いに、冷たい北風が吹いていた病院へ続くあの小道も、今日はうららかな春の日ざしに包まれていました。
あの時は一人で通ったけど、今日は息子と二人でのんびりと。

『しかし・・よくがんばったね~。』と、私。

『いや~。オレは下向いて寝てただけだから・・・。お母さんこそ大変だったよ・・。』と、息子。

外傷性の黄斑円孔は実にやっかいな病気です。
OCTでは黄斑部のあなは、しっかりとふさがっているのに、術後の今も目の真ん中の部分に見難い部分が残っていると言ってるし・・・。
本日、先生に伺ったところ、今後の事は個人差があるのであせらずにとのことでしたが、なくなることはないそうで、次第にうすくなってくるでしょうとのこと。

片目とはいえ常に視界の真ん中が見え難い状態は、さぞやうっとおしいことでしょう・・・。

息子の状態が落ち着いてきたので、再び学校の方へ病状の説明と今後の事へのお願いにいかなければ・・・。
どうやら校長と学年主任が代わるらしいし・・・新任の先生などはキット自分は関係ないという対応なのだろう・・。現役の校長だって息子の事故なぞ、さっさと過去の事としてすませてしまおうという感じがみえみえだったから。

親としては、学校の対応の遅れやコーチの監督責任は忘れてほしくないのですよ!
スポーツはケガや事故のリスクがあるのは承知していますが、事故後の対応は真価や資質が問われます。学校自体の質がわかりますよ。
息子達には質の良い環境を望み私学に入れているわけですから!再発を防ぐためにも、息子の状態を忘れることなく、せめて在学中は配慮してもらいたいものです。

配慮すると言っていた入院・通院の為の遅刻や欠席は、結局そのまま次男の通信簿に記載されていました。
条件付きの遅刻・欠席なので進学には問題がないとのことで、医学部でも受験しない限り問題ないといわれましたが、特に通信簿には何のコメントもなく、今まで無遅刻・無欠席なんですよ、残念です。

目を負傷しても、成績は上位10番以内はキープしているのは本人の意地でしょうかね・・・。
私にはとても真似できませんよ。


これからも私は息子に気持ちを添わせてやっていこうと思っています。
母親だもの・・・。
考えれば、考えるほど、無力ではありますが・・
           だれよりもキミの事、大切に思っているから・・ね。


がんばれ!うつぶせ闘病記ー黄斑円孔 5

2008-01-15 | 外傷性黄斑円孔
** これは外傷性黄斑円孔と闘う高校生の記録です **


2007年8月30日

次男が夏休みの部活中に目の事故にあってから、もうすぐ2週間になろうとしている。
自然治癒の可能性もあるという医師の言葉を信じて、少しでも改善されれば・・・と、願うばかりであるが、やはり左目の状態は良くない様子で、電信柱や看板の淵などが歪んで見ると言っている・・。

手術だけはしないですめばいいのだが・・。
通院している医師の話によると、治癒するどころか失明の可能性も否めないなどという手術なんて、将来のある高校生の息子が受けるにはあまりに酷ではないか・・・!

出来る事なら・・代わってやりたい。
私のこの目でよければあげたっていい。
もう私はこの目で、充分に美しいもの素晴らしいものを見てきたから・・。
でも・・
息子はこれからなのだ・・
満開の桜や美しく水平線に沈む太陽、満天の星・・・
心を衝き動かされる多くのものを、これからその目で見なくちゃいけない・・。
多くの書物を読み、いろいろな所に行って、たくさんの人達と出会い・・・
そして恋をして、自分の生きていく場所を築いていかなければならない。

片目とはいえ失明し障害を負ったら、これからの人生を人より苦労することになるだろう・・。

そんな事を考えて、眠れない日々が続く・・。
夜中に、急に心臓がバクバクして息がつまりそうになって、目を覚ましたこともあった。

     *       *       *        *

私は、次男が事故にあってから、心に強く決めたことが一つある。

それは、息子にはその目の治療の事だけを考えさせてやりたいと思ったことだ。
たとえそれがわずかな望みのものであったとしても、最後まであきらめずに前向きに望んでほしい・・本人が治そうとする気持ちが、身体にとってなによりの治療になるばずだから・・。

だから、わずらわしい事や不安に思えるだろう事は私がすべてやろう。
息子には、嫌なことはなるべく関わらないようにしてやろう。
もう充分に傷ついているのだから、これ以上、心まで傷つけたくない・・・と。



その事の大きな一つは、学校との関わりであった。

今日になって、ようやく校長と顧問2人が自宅に謝罪に来た。
新学期が始まると忙しくなるので、その前に済ませておきたかったのだろうか・・。

私の方から、事故がおこってしまったものは仕方がないが、事故後の対応に疑問だと話す。

① これは部活中におこった事故である事。

② 顧問の監督責任について
  私学戦の試合中に、フリーになったボールを取りに行っていた時、先にボールをとった相手の選手が至近距離(約1m)から蹴ったボールが目にあったって、うずくまってしまった。その時の対応が、ピッチから出すだけで、すぐ医者に連れて行く等の処置がなされなかった事。
  その後試合終了後に、グランド横の水道で『目を洗って来い』など不衛生な指示を出した事。試合後も事故が起こったとは認識せず、状態を確認したり調べなかった事。

③ 部員が重体であると報告し欠席をしているにも関わらず、一度も顧問から状況を聞くなどの電話がなかった事。

④ 事故後10日目の8/28に、その日の診断結果を報告する為にこちらから電話をした際に、現場で試合を見ていたばずの顧問から『この黄斑円孔の原因は小石なんですか?』という無神経な言葉があったこと。     
                    など。

◎通院・入院などで欠席・遅刻が考えられるので、配慮してもらいたいという事。
◎そのために受けれない授業は責任を持って指導してもらいたい事。
◎進学の際、そのために学校推薦に不利にならないようにしてもらいたい事。
    
      言いたいことはたくさんあった。

視力の低下も避けられないだろうし、不自由になったら、将来の職業だって制限があるだろう。

先生達にとったら、3年たてばいなくなる生徒だが、本人や親は一生向き合っていかなければならないだろう。

息子は、この暑い夏も一日も休まずに部活に行っていた。厳しい顧問の指導も上手くなりたい一心で、先生を信じてやってきた。これから、大好きなサッカーが出来なくなるかも知れないし、将来なんだかの制限がある人生をおくることになったとしても、もしあの時、顧問がすぐ飛んできて親身になって対応してくれていたら、本人だって将来納得できる日がくるかもしれない。
そう考えたら、身体の傷と、もっと大きな心の傷を残したとは思わないか?


(今、振り返っても・・言いたいことはまだまだたくさんあるが・・)

顧問2人は身体を90度に折り、3分間くらい頭を下げていた。

私は・・・そちらの方を見る気にならなかった。

そんな事を望んでいるのでなかった。
そんな事は全く意味のないものだった。

そんな事より、もっと息子の心情を察してやって欲しかった。

学校にいる時間だけでも、あの子事を気にかけてやって欲しかった。

                    つづく・・。























がんばれ!うつぶせ闘病記ー黄斑円孔 4

2007-12-24 | 外傷性黄斑円孔
** これは外傷性黄斑円孔と闘う高校生の記録です **

2007年8月27日(月)

 今日は、紹介をしてもらった慈○大の眼科部長の郡○先生に、ようやく診てもらえる日だ。
 OCTを撮るために先日受診した橋○医院では、週1回は当番医として診療されているそうである。
 橋○院長がおっしゃるには『無愛想なヤツだが腕は間違いないから。』との
ことである。確かに今日は外来が混んでいる。
 しかし総合の大学病院にもかかわらず、OCTがないなんて・・・。
 もし手術にでもなった際、大丈夫なのかな・・・と、思った。

 思っていたよりお若い先生。思っていたよりはるかに無愛想な先生。
 
 こういう先生は質問しづらいから苦手だ。
 患者本人の息子は『腕がよければいいよ・・・。』との事だけど・・。

 眼科の外来は、一度視力検査をしてから、その後瞳孔を開く目薬を点眼して20~30分後に再びよばれ診察する。結構時間がかかることがわかってきた。

 届いたらしいOCTを撮って結果をみながらの診察である。

 おや・・3日前に橋○眼科でみせてもらった黄斑部の写真より表面が離れているではないか・・。しろうとの私でも確認できるほど。わずか3日間であるというのに・・。
 そんな急激に変化していってしまうものなのか・・と、あせる。
 
 
 郡○医師によると、『前回は表面が点々と繋がっていた様子だが、今回は孔自体は幅が狭くなって変化をしてきているようだが確実にはなれてしまっている。
 年齢的に若いので孔が自然に閉じてくる場合もあるので、ステロイドの注射をして、来週まで様子を見て今後手術かどうか決定します。』

 注射を打ってもらうため処置室から出てきた息子の言葉
 『ものすごくこわいなんてもんじゃないよ~。目に注射するんだぜ~。あんな怖い経験はじめてだよ~。』あの我慢強い息子が言うんだから、大げさではなく相当恐ろしかったのだろう・・。見れば手が震えている。握ってやったら冷たかった。

 郡○医師の話によると、事故後一番はじめに受診した個人病院の医師は後輩であるが、そこで、このステロイドの注射をしていればすぐに治ったかもしれない。早い対応ほどいい。おそらく未経験でその処置が出来なかったのだろうと、おっしゃる。
 
 ・・・早い対応がいいのなら・・・最初にこの慈○大病院に行った日、紹介されたあなた(眼科部長の郡○医師)がいなくてOCTもなかった日に、久保川医師がかわりに診察をした際に、このステロイドの注射を打つことも可能だったのではないか・・・。と、思った。
 郡○医師の言葉に、そう言ってしまいたい衝動にかられたが、これから息子の目を執刀するかもしれない医師だ・・。あまり悪い印象を持たれたくなかったので黙っていた。

 孔が少しだが変化しているような様子も覗えるので、今後3ヶ月くらいの長期で経過を診ていくのがよいのではないかとの、言葉に、出来ることなら手術は避けたいと、息子の生命力を信じたい思いでいっぱいになる。


 息子の自覚症状は、
 線がゆがんで見える。 
 片方の目の視力が、急に低下したことにより遠近感がとれない。という状態らしい。

 この医師の話で強烈だった言葉は
 
 『もし手術をしても、若いと視力が治る可能性はないので、あまりやりたくない手術である。逆に手術のリスクのほうが大きいので、僕はやりたくないんだ』
 
 
 はたして・・やりたくない医師にそんなリスクの多い息子の手術をまかせていいのか・・・。
 あせり・・。不安・・。


 

 とどめは、息子が何気なくサッカーの練習をやっていいか質問した時の返答だった。

◎ボールスポーツはリスクを負う。陸上や水泳だったら、その意味ではリスクは少ないだろうからいいだろう。

◎今後ヘディングなどはもってのほかだ。

◎遠近感がない状態で、気を使いながらスポーツをしていて、君は楽しいのか?

◎プロだって片目が使えなくなったら引退する。ましてやアマチュアで高校生がリスクを負いながら、やる意味はない。

◎君が自分の人生だから、片目つぶしてもいいなら、やればいい。
 僕が決めることではない。君が決めればいい。



 今後サッカーは無理だろう・・・くらいの言葉で充分じゃないの?
 感じのいい先生とは思わなかったけど、そんなにストイックに言わなくても・・と、感じる。

 
 今後主治医になるかもしれない医師の、はじめの印象は、残念ながらあまりよいのもではなかった。
 しかし、技術の高い医師であるのなら、息子を助けてもらわなければならない・・・今後、この医師との関わり方を考えていかなくてなならないだろう・・・。
 

 今振り返ると、この頃が不安のピークである。
 息子の心情も、一番不安定。

 自分の目の状態にも不安を覚え、また好きで続けていたサッカーが出来なくなったというショックでかなり落ち込んでいた。
 
 親としてしてやれることはなんだろう・・・。
     私も悩んでいた。
                      つづく









がんばれ!うつぶせ闘病記ー黄斑円孔 3

2007-12-24 | 外傷性黄斑円孔
** これは外傷性黄斑円孔と闘う高校生の記録です **


2007年8月23日(木)
 
 『その後、目の具合どう?』と、私がたずねる。
  『やっぱり、左目の下半分がみえないや・・。』と、息子。

 今日は、個人病院からの紹介状を持って、慈○大病院の眼科に行く日である。

 予約の時間に伺うと、紹介された眼科部長先生はおらず、今日は久保川医師が診て下さるとの事。
 
 『今日はまだOCTが届いてないんですよ~。申し訳ありませんが、明日予約を入れてもらえますか?』

 結局、本日は、今まで行っていた個人病院と同じ検査で、視力検査や瞳孔を開いて目の奥を確認するということのみであった。
 病状の説明もほぼ同じ。

 個人病院の先生が確認してくれれば、すみそうなものだが・・・。

 まぁ・・・2人の医師が同じような診断を下したのだから、この病状は、ほぼ間違えはないものと思われる。

 網膜にあなが開き、目の奥の黄斑部というところが傷を負っているらしい・・・。

 しかし・・・ほんの一瞬で、これほどのケガを負うとは・・・
     目は本当にこわい・・・。

 今まで、サッカーを続けている次男に足のケガについては、充分に注意するように何度か話していたが、目のことは考えもつかなかった・・・。

 

 *** *** *** *** *** *** *** *** *** 

2007年8月24日(金)

 朝8時近く。
 予約していた慈○大病院から電話がかかってくる。
昨日診察した久米川医師からの電話だった。

 こんなに早い時間になんだろう・・。

 OCTの調子が悪いので、地元の橋○眼科にいくように言われた。
 その病院なら地元では評判のよい医院で、以前に名前だけは聞いたことがある。

 なにぶん当日の事で、紹介状がないので以下の説明をして受診するようにとの事。

 「本日、いきちがいで紹介状を持ってこれなかったのですが、慈○大病院・眼科の久米川先生からのご紹介で、外傷性黄斑円孔の疑いがあるのでOCTを撮って頂きたい。その断面写真を持って、8/27(月)に郡○先生にお見せするように言われた。」と、受付に説明するようにとの事。

 もちろん、そのように説明はするつもりだが、そのように病院側の理由であるのなら、医師からその医院に連絡を入れてもらうのがすじであろうと思い、依頼し、昨日の診察内容について、いくつか質問させてもらう。

 久米川医師いわく
 『場所があんまりよくないんですよ・・・。』
  
 この黄斑円孔という病状は、自然治癒するケースも多いが、孔の程度となかなかふさがってこない場合は手術する可能性がある との事。


 やれやれ・・今度はOCTの具合が悪いとは・・。

 結局、何か不都合があった場合にと久米川医師のPHS番号をもらい、支度をして息子と、ご紹介頂いた橋○眼科へ行く事になった。


 
 橋○眼科はものすごく混んでいて、閉口気味。
 月曜と金曜は医者は混むもんだ・・と、不機嫌な息子をたしなめる。

 機嫌が悪くなるのも無理もない・・・連日、慣れない目の検査で瞳孔を開かれっぱなしで、検査後はしばらく眩しくてチカチカしてばかりいる。
 それに毎日違う医師で、同じ説明を受けなければならないし。

 ここの眼科は、ただOCT撮影だけに来ただけだ・・・。


 最近、通院が終わると、二人で美味しいランチを食べて帰宅するのが日課。
 『しょぼくれてないで、何でも好きなもの食べてかえろ。』と、話しかけたことがきっかけで、『やり~!』と、息子の顔が明るくなったから。実際、嬉しそうに食べてる姿をみるとホッとする。『怪我して、ちょ~ラッキーじゃん!』との事。
 結構、親にも気を使っているのだ・・・。


 橋○医師は、白衣も着ないで言葉も医師のイメージとは程とおい方だった。
 そのフランクさが人気の秘訣なのかもしれないが、

 『おまえも運が悪いよな~。ついてないよな~。もう2~3センチずれていたら、なんとかなったのになぁ~。』とのストレートのお言葉に、親の私は、ピリピリしていましたよ。
 私は、今まで眼科の医師で尊敬出来そうな先生に出会った事はない。
 息子は、なんだあれ・・という感じで爆笑していましたが・・。


 診察室のパソコンで、OCT映像をみせてもらう。
 
 まるで月の写真のような眼球の写真と、緑色に写った黄班部の拡大写真。
 確かに・・。さけて穴が開いている。
                    つづく
 


 

がんばれ!うつぶせ闘病記ー黄斑円孔 2

2007-12-23 | 外傷性黄斑円孔
** これは外傷性黄斑円孔と闘う高校生の記録です。 **

2007年8月19日(日)

 部活の試合中で左目を負傷した翌朝、休日診療で個人病院を受診する。

 病名は、目を強く打ったことによる

 「外傷性虹彩炎」
 「外傷性網膜しんとう」・・・はれている
 「外傷性硝子体出血」・・・・内出血(血管が切れている)

 『いずれにしろ、重体です。』

 医師の言葉に、親子とも愕然とする。

 『網膜が分離している状態です。視神経がやられていると今後、網膜剥離に進行する可能性があります。はれがひいてから、目の奥をみますので、1週間ほど経過を診ます。』

 それでも、今、思えば・・・その頃は、この病気にたいする知識もなく、1週間の治療のうち、次第に改善していくものだろうと、思っていた。

 目薬を2本投薬するように言われる。

 負傷する前、1・0あった左目の視力は、0・15まで下がってしまった。

 さすがに、次男も自分の病状について、不安を隠せないようである。

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 次男は、この暑さの中、一度も休むことなく毎日、部活に通っていた。
 それも、上手くなりたいという一心なのであろう。
 こんな時でも、部活の事を気にかけている。

 本日、朝一番で休日診療に行った為、欠席連絡をしなかったことを、さかんに気にしている。
 
 うわさには聞いていたが、顧問は非常に厳しい先生らしく、部員の生徒から恐れられているらしい。欠席・遅刻連絡は、必須で、本人から直接する事がルールとのことである。・・・サボりの部員も出てくるだろうから、当然といえば当然だ・・。

 しかし、重体であるとの事では、保護者が連絡をすべきであろう。
 でも、もしかしたら、顧問の先生の方から電話がかかるかもしれないと、思いながら、結局、夜7:40、母親の私から顧問の先生の携帯電話に連絡を入れて、上記の状態で重体であることを伝える。

 驚いていた様子であったが・・・目の件はある程度知識をお持ちのようでした。 それにしても、顧問は、前日の試合で目を打って、うずくまった部員が欠席をしているのに気にはならなかったのだろうか・・・?
 顧問から連絡があってもよかったのではないか・・・。ましてや、今まで無欠席であるのだ。いつもいる部員がいない事に気づかないのだろうか?それともサボっているとでも思っていたのだろうか・・?
 きっと前日の私学大会に勝ち抜いたので、そちらに意識がいっているのだろう。

 だいいち、事故後、グランドの横の水道で『目を洗って来い。』と、いう指示だけで、いいわけが無い。不衛生であろう。
 打っているのに、どうして打撲の可能性を考えなかったのだろう?
 ましてや保健体育の先生というではないか。
 目は危険な事くらい、誰でもわかるはずだ。

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 負傷してから数日間、個人病院での通院したのち、3日目に自宅に医師から連絡が入る。

 『はれがひいてきて、目の奥を診たところ、黄斑部に異常があります。
  当院では、OCT(目のMRIのようなもの)がないので、大学病院での受診を薦めます。経験のある医師を紹介します。』
 
 地元の慈○大学病院の紹介状をもらい、予約の電話を入れてくれる。
 明日ならOCTは撮れるとの事で、明日、大きな病院で再検査してもらうことにする。

 目の状態は非常に心配だが、息子の不安そうな顔も気になる。
 今まで家族にひとりも目の病気の者はいなかったし・・・。

                          つづく
 

 
 

がんばれ!うつぶせ闘病記-黄斑円孔 1

2007-12-22 | 外傷性黄斑円孔
*** これは外傷性黄斑円孔と闘う高校生の記録です。 ***


2007年8月18日(土) 朝
 今日も暑くなりそうだ・・・今年の夏は、本当に暑い。5月にすでに夏日が数日あり、梅雨明けした後の暑さは、かなりきつい。
 
 高校生の次男が寝ぼけた顔をして、慌てて起きてくる。
 サッカーの部活があり、今日は遠征して私学大会の日である。
 私もいつものように、時間に追われながら、お弁当の準備をしてやっている。この暑さ対策に、水筒にたっぷり氷をいれ、おにぎりにも保冷剤を入れる。この時期のお弁当つくりは本当に気を使う。でも、きびしい練習の後は食欲がなくなり、あれだけの運動をしているのに、朝からおにぎり一個なんて日もあるから、親としては心配だ。
 
 今日はお盆休みあけで、この5日間で生活のリズムが変わり、まだ身体が戻ってないので、体力的にきついのは今まで以上であろう。
 次男は、この夏休み中、まだ一度も部活を休んでいない。高校になって練習も本格的になり、チームのレベルも上がってきた。『もっと上手くなりたい!』そんな一途な思いなのであろう。
 息子ががんばっているのであるのなら、親として応援してやろうと、おかげで私も、ここ数年、休日も早起き習慣が身についてきた。

 『よくストレッチしなさいよ~。』
 『うん!いってきます。』

 ・・・一年前に左太ももの「肉離れ」をしてから、息子を送り出す時の朝の挨拶になっている言葉である。
 思えば、捻挫をしたり骨折をしたり、両膝はオスグットで悩まされたり、慢性の腰痛でケガの連続の日々だ。サッカーとはいえ、本当にハードなスポーツである。


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 夜8時。
 次男はそろそろ帰宅してくる頃だろう。
 少し前に帰ってきた夫に、休みの日ぐらい夕飯は家族一緒に、次男とともに食べたいので、先に入浴してもらうように言う。息子達が成長して大きくなると、それぞれの生活で、夕飯の時間はまちまちだ。
 
 『ただいま・・。』次男が帰ってきた。いつもの挨拶よりトーンが低いのが気になる。
 『お疲れさん・・どうした?』

 
 『試合でボールが目にあたって、左目が見えないんだ・・・』

 どうやら1メートル以内の至近距離で、相手のチームの選手がクリアーしようと上に力いっぱい蹴り上げたボールを,足を出していて片足で立っていたため避け切れなかったとのことである。
 
 目を打ったと聞き、とっさに嫌な予感がした・・・。
 急いで休日診療に電話をするが、眼科は明朝受診するようにとの事。

 目のまわりにも打った後のような痣がうっすらでている。
 『冷やしたの?あたった後、すぐ病院には行かなかったの?』矢継ぎ早に質問する。

 試合中うずくまってしまい、そのままグランドから出され、その後、顧問の先生が目を洗ってこいとの事で、グランド脇の水道で洗ったのみであるとのことだ。

 目は心配だ。
 帰宅してきた長男も夫も、とても心配している・・・。
 
 なんともないといいが・・・翌朝一番で休日診療にいこう。
                             つづく

 
 

黄斑円孔ー退院できました。

2007-12-20 | 外傷性黄斑円孔
2007.12/14 (fri)

テレビのお笑い番組を見ながら、『ちょっと、コレ見てよ~』と、笑いながら息子が私に話しかけてくる。
それを見て、私も吹き出しそうになるのをこらえながら、思わず笑ってしまう。

何気ない親子の会話ですが、ここは眼科の病棟で、他の入院している人に気を使いながら、小さな声で顔を寄せ合って話しています。


高校生の次男は、今夏、部活中にボールが目にあたり、外傷性の黄斑円孔になってしまい、12月11日に手術を受けて入院中だからです。

テレビの置いてある場所は、ベットの横の椅子との間の床の上で、画面を上向きに置いてあり、ベットに腰掛て脚をひらき頭を椅子にのせて、脚の間のテレビを覗き込むような状態で見ています。

こんな変な格好でも、これが一番楽にテレビを楽しむ事が出来るからです。
術後、2週間くらいの間24時間中、目の中のガスを上に保つ為に、うつぶせの体勢を強いられています。

日ごとに首筋や肩がこってきて痛みがでていますが、運動部で鍛えた根性と筋力で、担当医から褒められているほど。

何度も手術の成功を喜びあい、こうして笑いあえる事が本当にうれしい。
                  

2007.12/19 (wed)

執刀医の先生が『完璧っ!』と、言って下さった手術から8日目、心配されていた合併症も無く、みごとな?うつぶせ生活を全うし、回復力の速さゆえ、わざわざ主治医の教授が病室まで、良好である報告に出向いてくれるという優等生の患者でありました。

自宅で療養することを条件に、早くも退院することが出来ました


いろいろご心配頂いた方、本当にありがとう。

これからボチボチですが、多くの同じ病名のかたの参考に、息子の闘病生活についてブログで書いていくつもりです。





いよいよ明日入院です。

2007-12-09 | 外傷性黄斑円孔
次男がこの夏に部活中のサッカーの試合で、左目を負傷してから4ヶ月。
今まで経過を診てきましたが、明後日いよいよ手術の日をむかえます・・・。

病名は外傷性の黄斑円孔です。
次男も明後日から、2週間くらいの『うつぶせ生活』か始まります。

今ようやく、明日からの入院の準備が一通りすませたところ・・・。
U字枕やTVを写して観る為の鏡、退院まで顔が洗えないそうなのでニキビの薬・・
普通の入院とは違った準備も必要です。

今となっては、執刀医の先生を信じて手術が無事に終了する事を願うばかりです。

どうか・・・術後の痛みも最小限でありますように・・・。



以前、ブログにいろいろアドバイスのコメントを下さったユウコさん!
その節はありがとう・・負傷後の精神的につらい状態の中、勇気や希望を頂きました・・・。
いよいよ・・です。
貴方ががんばって乗り越えたように、私も息子のサポートをしながら、がんばらせますね!

あすの朝・・・病院に行ってきます。


次男の手術の日が決まりました-黄斑円孔

2007-11-06 | 外傷性黄斑円孔
次男が夏の部活での試合中に目を負傷してから、3ヶ月をむかえようとしています。外傷性の黄斑円孔です。

2週間ごと位に通院し症状の進行状況を診てもらっておりましたが、12月11日に手術を受ける事に決めました。

手術自体は短時間で終了するそうですが、術後2週間うつぶせ状態を保つ事が必要になるやっかいな手術で、高校生の次男にはかなりの負担になることを思いますが、症状が少しでも改善される事を信じてかんばらなければなりません。

私も息子の大きなケガという人生初めての体験で、子供の病気は本当に予想以上のストレスを感じるものだとわかりました。

落ち込んでいたり悲しんでいた時、一番励ましたり勇気づけてくれるのは、ナント、怪我を負った本人である息子なのでした。私より苦しんでいるはずなのに・・・。

もう悲しみの時は終わりました。

これからもずっと・・・キミのその目で、
青く澄んだ空や満天の星、美しい色づいた紅葉や満開の桜・・・美しくて人生が豊かになる素敵なものをたくさんみましょう。

さあ・・・そのために・・・一歩をふみだしましょう。


母もとても強い気持ちでいることが出来ています。