Pura Vida!

すきな音楽の事やガーデニングや家族の事など、日常の出来事を綴っています。

前をむいて、いつも笑顔で

2007-09-29 | 外傷性黄斑円孔
今年の残暑の厳しさで、庭にはまだ夏のなごりのペチュニアが咲いています。
でも昨日の名月から一変、今日は朝から雨。
ようやく秋らしくなってきました・・。

今年ほど夏が早く終わってほしいと思ったことはありませんでした。
怒涛のごとく・・という言葉でしょうか。高波がよせてはくる・・と、言った状態でした。

でも・・その都度、しっかりと前をむきがんばって荒波を乗り越えてこれました。
だから・・・今、立ち向かっている荒波も、きっと乗り越えるられるはず!

人生には、無駄なものは一つもないから。
どんな思いも経験も、いづれ私の力へと変わっていくだろう。

今までも自分ではどうしようもない事や運命すらも、そんな気持ちをもって越えてきた。
そして、今はこんなにも幸せに生きていく事ができています。
だから、これからもどんな波も向かっていってやろう。

少しくらい泣いたって、涙は波に流されて誰にも気づかやしない・・。
いつも笑顔でいよう・・愛する者達のために・・。


2007年の夏の終わりに。



今年の夏ー自治会編

2007-09-23 | 我が家
毎日厳しい残暑の続き少しも秋らしさが感じられないこの頃ですが、気が付けば9月も後半になっていました。

2007年の夏はいろいろなことがあり、厳しかった暑さのごとく、精神的にも体力的にも随分踏ん張りを要求された夏になりました。
比較的逆境に強いと思っていた私ですが、少々弱気になってしまった夏でした。

まだまだ乗り越えなければならない事はあるのですが、その中で一段落した事があります。

それは自治会の役員の仕事である夏祭りが無事終了した事です。
予算も過去最高額の黒字したし、町会員の人達の評判も上々でした。担当していた模擬店のやきそばのお味も縁日とは思えないほどの美味しさだったと多くのお褒めの言葉を頂きました。

当然そうなるべく当日までの念入りの準備と気配りには、かなりの時間と神経を使いました。
それでもとんだ事件も起きました。事もあろうにお祭りの前日に、担当している地区のお宅に泥棒が入ったのでした。この地域は邸宅もあり市内では狙われやすい所で、過去にも何度も被害が続出しているのです。しかし今回の被害は相当なものでした。バンのような車で金目のモノを根こそぎ持っていくというエゲツないやり方で日本人ではないのでは・・との事でした。お悔やみを申し上げなければならない立場でしたが言葉がでませんでした。ご主人に先立たれご高齢のお母様と二人暮らしのお宅です。ピアノの先生のお宅でしたので、待っている生徒さんの事やピアノが残されていたことに気が付き、その事を話しましたら、少し落ち着かれた様子でした。
お祭りの当日も被害に合われた方が気になり、模擬店の食品を持って、お祭りを開催している事のお詫びに伺いました。

そんなハプニングもありましたが、お祭りを境に大きく変化した事があります。
通りを歩いているとこちらが戸惑ってしまう程、町内の人達が好意的に挨拶をしてくる事です。また何かやっかいな仕事か・・と、構えていると、ただ単純に話しかけただけのようで、拍子抜けすることも度々です。
あれ程うるさかったオバサン軍団も、一応、役員として認めてくれたようでした。
まあ・・認めてもらっても嬉しくないですが・・。

近所でも評判?のゴミ屋敷の件も、市の生活保全課との交渉で解決させました。
来年の3月まで任期は続きますが、これ以上、面倒な問題が起きませんように祈るのみです。

しかし自治会関係の話をするとき、いつも言ってしまいますが・・・時間と気ばかり使い本当にやっかいな仕事です。
もう少し年を増し、時間をもてあまし、地域とのつながりが欲しくなったときに、役につけばまた違った思いなのかもしれませんが、現状ではキツイものです。
災害時などには、その必要性を感じるのでしょうが、今はもう結構というのが本音であります。
みなさん、どうされていますか・・・?

9.11セプテンバーコンサート参加しました

2007-09-12 | 音楽
米中枢同時テロから早くも6年。
世界中この惨劇に震撼させられました。

平和を願い9.11を、音楽で街中を満たす日にしょうとニューヨークで始まった活動をうけて、2年前から日本でも庄野真代さんやジュディマリのTAKUYAさん達が主催でセプテンバーコンサートを開催されています。

私も、今年水曜ゴスの方たちと参加させて頂きました。
日本全国で56会場ある中で、私達の会場は東京エリアの早稲田大学国際コミュニティセンターでした。

今回参加にあたり、私自身、昨今、非常に日々多忙であった事とかつてない程の体調不良であったので参加を悩んでいたのですが、ゴスの牧師夫妻が目を負傷した次男の件で、いろいろと気にかけて下さった事が嬉しかったので、皆さんと歌う気になれたので参加しました。

日頃の練習不足が心配で、早めに会場入りした私達は、外れた所で最後のアガキで声だし等をしていましたら、マイクテストや特別にリハーサルまでやらせてもらい、おまけにオープニングの時に参加者全員で歌うテーマソングの『YOU CAN』の牽引をたまわり?ショッパナから、楽しんでしまいました。

この会場の参加者には、バグパイプの方や、クラリネットやチェロの現役早大生や、米&日本人の学生のサイモンとガーファンクルや、SAW(のこぎり)奏者や、アコギでオープンチューニングやタッピイング奏法しちゃう上手い若者、弾き語りに人など・・・バラエティに富んでいました。
共通点は、平和を願う気持ち・・・

大学の国際センターであったせいか色々な国の方がいらした中で、英語の歌を歌を歌うことは、さすがに抵抗はあったものの、英語力&歌唱力不足は、ハートと笑顔でごまかし?後は、いつものごとく全てを気にせず楽んじゃおう精神で歌ってきました。

心温まる雰囲気のあるコンサートで、我々も5曲を無事に?完唱?しました

今回一緒に参加したのは水曜ゴスの5名です。暗譜で苦しんでいる方もいたけど、誰も間違える事もハズすこともなく、身内びいきをのぞいても、今まで水曜ゴスでやったコンサートの中で一番よかった気がします。
まとまっていたし、ハーモニーがきれいでした・・・自己満足か

最近忙しくあまり練習にも出れなかったのですが、出場してよかった・・・。
庄野真代さんにも会えたしね。

今でもテーマソングの『YOU CAN』が耳にのこっています

ブログのアップが遅れましたが、ニューヨークと時差があるのでちょうどいいかな・・・。


『音楽は平和の大使である』 このセプコンのメッセージを胸にこれからも歌いたいです。


 


学校での事故

2007-09-09 | 外傷性黄斑円孔
高校のサッカーの部活で、私学大会の試合中に、次男が左目を負傷しました。

至近距離から相手方が蹴ったボールを、頭でうけようとしたところ、目にあたってしまったのでした。一瞬、目が開かなくなり、その場にうずくまってしまったとのことでした。

大会中のこと、そのままグランドから出され試合は続行しました。顧問の先生から『大丈夫か?小石が入ったかもしれないので、目を洗って来い。』との、指示があり、校庭横の水道で目を洗い帰宅してきました。

帰宅後、『試合中に目を打った・・見え難い・・。』
その言葉を聞いた私達夫婦は、とっさに医者に連れていかなければ・・・と、判断しました。

あいにく、土曜日の夜7時過ぎ・・・。あいている眼科はありません。
休日診療の病院の問い合わせをしたところ、翌日の日曜日に受診するようにいわれ、翌朝、眼科にかかりました。

 外傷性硝子体出血
 外傷性網膜しんとう
 外傷性虹彩炎
    『腫れと内出血がひいたら、目の奥をみましょう。目の奥が傷ついている
     可能性があります。いずれにしろ、重症です。』

その後、大学病院にうつり、

 外傷性黄班円孔であることがわかりました。



スポーツはリスクをともない、事故はいつでも起こりうるものです。
しかし、今回の、顧問の対応は適切だったのでしょうか・・・。

長男ほどの若い男の保健体育の教師で、日頃から部員には、かなり厳しいという評判の先生です。


保健体育の教師でありながら、なぜ目を打撲した可能性を考えなかったのでしょうか・・・?

事故が起こったと認識せず、試合後もまたそれ以降も、生徒の様子を調べなかったのでしょうか・・・?

目が痛いので医者に行ったと電話して、あらかたの状態を説明していたにもかかわらず、いつも、こちらから電話するまで、何も連絡をくれないのでしょうか・・・?


今年の夏は猛暑でした。本当に暑い夏でした。
そんな中、次男は一度も練習を休むことなく、毎日学校に行っていました。

そんな生徒が、医者に行き休んでいると報告しているのに、気にならないのでしょうか・・・?サボっているとでも思ったのでしょうか・・・?


先日、校長と顧問2名が謝罪にきました。

以下のように、話しました。



子供というのは、「先生のいう事を聞いていればサッカーがうまくなるし、間違いない、いざとなれば僕達チームを守ってくれる。」そう信じているから、厳しい練習も休まず、土日も夏休みも学校に通っているのです。

これからは好きなサッカーを出来なくなるかもしれないし、将来も仕事に制限が出来て、本当にやりたい仕事につけないこともあるかもしれない。これから、どんな苦労をするかわからないが、

そんな時、自分は不幸にして目を負傷したが、あの時先生がすぐとんできてくれて、「目は大切だから、すぐ医者に行け。ついていってやろう。その後はどうか?」と、親身になって対応して自分の事を考えてくれた・・・。そんな対応をしてくれたら、息子だってわかるはずです。
あのチームでやってよかった。いい先生、仲間にめぐまれてよかった。サッカーをやっていてよかった・・・。と、思ってもらいたい。そう思うから、日々バックアップしているのです。

それを、「いざとなったら、先生は自分のことはほったらかしだ。」と、考えたら、身体の傷と、もっと大きな心の傷を、一生残したと、お考えになりましせんか?

それで医者からは、なぜもっとはやく来なかったのか?と、言われ、息子はどう思うでしょうか?



顧問は、最敬礼で長い間、謝罪していました・・・。
校長は今後、このようなことは二度とおこらないようにすると言っていました。

しかし、『すみません』と、いう言葉は、全く意味のないもののように思えました。
結局、顧問と、一度も目を合わせませんでした。


それから、何度か担任や学年主任、教頭、副校長と話しをして、
今後の学校生活のことを話し合っています。


今回の事故の件を、私の中でまだ総括できませんが、学校側の対応について納得出来ない結果になりました。これからもネット等をとおして、今後の対応を考えていかなければなりません。

同じようなご経験をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どうぞご意見をお聞かせ下さい。よろしくお願い致します。





がんばらないと・・・・!

2007-09-07 | 外傷性黄斑円孔
次男がサッカーの試合中に左目を負傷してから、早くも3週間がたとうとしています。なんとも気の休まらない、つらい時間でした。

人と話をするのもきつく、メールやブログなど言葉にする動作が拷問のように感じました。
だから、ずい分いろいろと失礼してしまったな・・。
ここのところ、ようやく状況を人に話すゆとりが持てるようになったかな・・。


その間、毎日のように息子と大学病院に通い、学校との話し合いをし、今まで経験したことがない思いをした3週間でした。

現在の息子の目の病名は外傷性黄班円孔というもの。
網膜に穴があき、目の奥の黄班部に穴が出来ています。
症状としては、左目の真ん中に一部見えない部分が出来てしまい、線がゆがんでみえて、遠近感がとりにくい状況のようです。

もとは1.0あった視力ですが、幸い、0.3残り、片目なので、眼鏡で矯正して生活には支障はなく、今は以前と同じように学校に通っています。・・とは、言っても、急な視力低下と見えない箇所がわずらわしく、また、はじめて眼鏡をかけたことが原因か、頭が重くなることがある様子です。

問題は、高齢者の黄班円孔と違い、外傷性のものである点だそうで、目を拳骨でなぐられるボクサーのような事例で、極めて特異な例とのことでした。

孔をとじて視力を回復する手術は早くすればするほど効果的との事でしたが、若いので水晶体をのこした手術をしなければならなく、場合によったら、現在0.3残った視力がなくなる可能性も50%との事。

おまけに術後が、患者にとって、とても大変な事を強要されるものでした。
それは、2週間ものあいだ、24時間ずっと、目を下にしてうつむいた状態を保っていなければならないそうで、手術より大変な思いをしなければならないとの話を医師から聞かされました。

そんな手術は出来ればさけたいと思い、自然治癒の可能性を伺ったところ、わずか1%と、聞かされ、深いため息がもれました。
眼鏡を使用した矯正視力もだんだん下がっていくとのことで、いづれ悪化を防ぐ手術は、必要になるかもしれないとのことでした。



でもね・・・9/3の検査で、少し、視力が回復していたの・・・。
孔も形が変化しているといわれたの・・・。

病院からの帰りに、息子から『治る可能性は1%あるんでしょ!心配するなって!』
と、言われた時は、この子の生命力を信じてみようと、強く思えました。

私よりつらいはずなのに、ふさいでいる母親に気を使う事が出来るほど、息子は成長していたのでした・・・。


もう、しょげている期間は終わりにします!

しっかりと、がんばらないと・・・・。

      だいじょうぶ、まだまだ、やれるから!

大変な事になりました・・・息子の左目が

2007-09-01 | 外傷性黄斑円孔
しばらくブログをお休みしていました。こんにちは。

かなりの時間費やし精神的にも体力的にも消耗した地元の夏祭りも無事に終わり、役員の役割をしっかりとこなすことが出来て成功でした。

これで一安心の予定でしたが・・・

去る8月18日、高校生の次男が夏休み中、サッカーの部活の私学大会の試合中に、至近距離から相手側の選手が蹴ったボールが目にあたり、重症になってしまいました。

    網膜に穴があいていて、黄班円孔です。

重症です・・・。

来週の9月4日の診察の時に、手術になるか決まります。

いずれにしろ、回復する手術ではなく、これ以上悪化させない為手術を行うかどうかとのことでした。

次男の左目は視界の真ん中が見えない状態で遠近感が一生とれないと宣告されました。視力もかなり失いました。

次男は好きなサッカーを出来るかと、医師にたずねたところ、

ボールスポーツはリスクを負う。ヘディングなんてもってのほかだ。
遠近感が無い状態でスポーツをして楽しいか?プロだって片目が使えなくなったら引退する・・ましてやアマチュアの高校生がリスクを負いながらやる意味はない。


息子の心にはつらい言葉であったことでしょう・・・。

親はこれからの彼の人生を案じます。

片目がそのような状態で、これからどんな苦労をするのでしょうか・・・。

希望する仕事に就けないかもしれません。

人より苦労することはわかっています。

   連日、眠れない夜がつづきます・・・・。


昨日、校長と顧問が謝罪にきました。

どんな謝罪の言葉も意味がありません。
『先生方にとったら、3年でいなくなる生徒です。・・・でも、私達はこれから、一生この事とむきあっていかなくればなりません。』
・・・と、いいました。


この夏は・・いったい我が家に何がおこったのでしょうか・・・・。

それぞれに一生懸命がんばってきたのに・・・。


でも・・・9/4の診察の時までは、手術になるかどうかわかりません。

今は・・・少しでもよい方向になるように、希望をつないで・・・

今は、祈りのときです。

母親の私が信じてやらないで、いったいどうするのですか・・。
しっかり、しなければなりません・・。


力を下さい。どなたでもかまいません。
ほんの少しでも結構です。

    ・・・・私達に力を下さい・・・・。