今日、次男の高校サッカー部での生活が終わりました。
県大会にむけての試合に敗退し、この試合をもって3年は引退です。
この日をむかえるにあたり・・息子が部活中にうけた事故をのぞいて考える事はできません。
高校に入学して、好きなサッカーに対し気力も体力もスキルも向上させていこうと、気持も充実していた頃でした。
公式戦でのこと、至近距離から蹴られたボールを、ヘッドで受けれずに左目に当たり、『外傷性黄班円孔』になってしまったのでした。
視力は急激に下がり、網膜の亀裂で左目の視界の真ん中には霞んだように見えない部分が出来てしまったのでした。
視界の悪さ、急な変化による頭痛、眼精疲労、平衡感覚の悪さ・・・
そしてなにより・・・闘志に燃えていたサッカーを禁止されたことに対しての収集のつかない心の痛み・・・
事故をうけた本人でしかわからないつらさ。 心身ともに苦しんだ日々。
網膜の穴を広げないための手術を受けたこと。
術後は約2週間もの間、24時間中ずっとうつぶせの体位をとるという過酷な入院生活もありました。
術後は・・・年齢的にも若いので、目の筋力も回復が早く適応能力もあるので日を追って楽になったようですが、忌々しい左目にあるブラックホールは残る結果となりました。
そんな中で、次男の出した結論は・・・・『チームのために自分が出来る事をする』と、以前と変わらずにサッカー部を続けるということでした。
・・と、いっても・・「今度また眼を打ったら、つなぎ合わせた網膜は再生出来ないので視力は失われる」との医師の忠告で、試合はモチロン、試合形式の練習も参加出来ない部員です。
後輩の指導の手伝いをしたり、キーパー練習の相手をしたり、グランドの端でひとり黙々と筋トレをしていた息子は、サッカー部のくせに上半身まで筋肉隆々になりました。
ひねくれることも、くさることも、ふてることも、ねたむことも、ケガを負わせた対戦相手をうらむことも・・・一回もなく・・・
この3年間、手術・入院以外は休むことなく、自分の出した結論どおり出来る事をしていました。
・・・・身体だけでなく弱まってしまった心の傷を、これ以上広げるような事からは絶対に守ってやりたい!・・・母親として、出来る事はそんなことだけでした。
ともに通院し、思春期の無口な次男坊の心の声を聞き、心を添わせて、一緒に苦しんで泣いて、同じ思いで気持ちを支え合いました。
親だから言わなければならない事があると思いました。
このまま何もなかったかのようにこの事故をほうむってしまわれないように・・同じ事故を防ぐために・・言い続けなければならないことは、今も残されています。
事故直後の顧問・コーチの対応のずさんさ、こちらの心情を理解し今後も見守っていくという言葉を述べても、結論的には、公式戦にも関わらず事故報告をしなかったり、責任を追及されまいとする威圧的な学校への不満、保障の問題・・・・・・
学校長と一緒に我が家に謝罪に来て、長い間頭を下げ続けた顧問・コーチ。
サッカー部を続けると決めた息子の心の中を理解するにはあまりに力量不足に感じ、所詮、この人達にとったらひと事なんだ・と、孤独感にしずんだり・・・・・・
「先生方にとっては3年でいなくなる生徒ですが、息子はこれからもずっと眼のことに苛まれなければならないでしょう。」と、いい返すのが精いっぱいだった。
「息子の意志を尊重し、私は卒業するまで息子はサッカー部員だと思っています。」と、言ったものの・・そんな精神修行のような事が本当に続けられるのだろうか・・・?
すっぱりやめてしまい、気晴らしになるスポーツを始めた方がいいのでは・・・?
見ている私にもつらい心構えがもとめられました。
傷を受けた本人より母親の方がうちひしがれていたことも度々。
・・・でも、そのくらいでちょうどいいと思っていた。
自分のために心を痛めて泣いてくれて、自分が叫びたい苦しみを代弁してくれる誰かがいることは孤独にさせないですむと思っていたから。
代われるものなら代わってやりたいけれど・・・残念ながら、身体の傷は代わってやることは出来ません・・・。
今年から、校長が変わり、コーチが辞め、顧問が変わり、その時の状況の詳細をしっている方はいなくなりました。引き継ぎ事項として残されている様子ではあります。
引退をした今日、チームの皆と号泣して帰ってきた息子に
『一番がんばったね・・。』と、言いました。
信頼している中学からの顧問から、あたたかい労いの言葉かけをもらったと話してくれました。
またひとまわり、心身ともに強くなったと感じました。
『続けていてよかった・・・。』と、ひと言つぶやいた息子。
母は、その言葉を聞きたかったんだよ。
<ルピナスの花言葉は、多くの仲間>
県大会にむけての試合に敗退し、この試合をもって3年は引退です。
この日をむかえるにあたり・・息子が部活中にうけた事故をのぞいて考える事はできません。
高校に入学して、好きなサッカーに対し気力も体力もスキルも向上させていこうと、気持も充実していた頃でした。
公式戦でのこと、至近距離から蹴られたボールを、ヘッドで受けれずに左目に当たり、『外傷性黄班円孔』になってしまったのでした。
視力は急激に下がり、網膜の亀裂で左目の視界の真ん中には霞んだように見えない部分が出来てしまったのでした。
視界の悪さ、急な変化による頭痛、眼精疲労、平衡感覚の悪さ・・・
そしてなにより・・・闘志に燃えていたサッカーを禁止されたことに対しての収集のつかない心の痛み・・・
事故をうけた本人でしかわからないつらさ。 心身ともに苦しんだ日々。
網膜の穴を広げないための手術を受けたこと。
術後は約2週間もの間、24時間中ずっとうつぶせの体位をとるという過酷な入院生活もありました。
術後は・・・年齢的にも若いので、目の筋力も回復が早く適応能力もあるので日を追って楽になったようですが、忌々しい左目にあるブラックホールは残る結果となりました。
そんな中で、次男の出した結論は・・・・『チームのために自分が出来る事をする』と、以前と変わらずにサッカー部を続けるということでした。
・・と、いっても・・「今度また眼を打ったら、つなぎ合わせた網膜は再生出来ないので視力は失われる」との医師の忠告で、試合はモチロン、試合形式の練習も参加出来ない部員です。
後輩の指導の手伝いをしたり、キーパー練習の相手をしたり、グランドの端でひとり黙々と筋トレをしていた息子は、サッカー部のくせに上半身まで筋肉隆々になりました。
ひねくれることも、くさることも、ふてることも、ねたむことも、ケガを負わせた対戦相手をうらむことも・・・一回もなく・・・
この3年間、手術・入院以外は休むことなく、自分の出した結論どおり出来る事をしていました。
・・・・身体だけでなく弱まってしまった心の傷を、これ以上広げるような事からは絶対に守ってやりたい!・・・母親として、出来る事はそんなことだけでした。
ともに通院し、思春期の無口な次男坊の心の声を聞き、心を添わせて、一緒に苦しんで泣いて、同じ思いで気持ちを支え合いました。
親だから言わなければならない事があると思いました。
このまま何もなかったかのようにこの事故をほうむってしまわれないように・・同じ事故を防ぐために・・言い続けなければならないことは、今も残されています。
事故直後の顧問・コーチの対応のずさんさ、こちらの心情を理解し今後も見守っていくという言葉を述べても、結論的には、公式戦にも関わらず事故報告をしなかったり、責任を追及されまいとする威圧的な学校への不満、保障の問題・・・・・・
学校長と一緒に我が家に謝罪に来て、長い間頭を下げ続けた顧問・コーチ。
サッカー部を続けると決めた息子の心の中を理解するにはあまりに力量不足に感じ、所詮、この人達にとったらひと事なんだ・と、孤独感にしずんだり・・・・・・
「先生方にとっては3年でいなくなる生徒ですが、息子はこれからもずっと眼のことに苛まれなければならないでしょう。」と、いい返すのが精いっぱいだった。
「息子の意志を尊重し、私は卒業するまで息子はサッカー部員だと思っています。」と、言ったものの・・そんな精神修行のような事が本当に続けられるのだろうか・・・?
すっぱりやめてしまい、気晴らしになるスポーツを始めた方がいいのでは・・・?
見ている私にもつらい心構えがもとめられました。
傷を受けた本人より母親の方がうちひしがれていたことも度々。
・・・でも、そのくらいでちょうどいいと思っていた。
自分のために心を痛めて泣いてくれて、自分が叫びたい苦しみを代弁してくれる誰かがいることは孤独にさせないですむと思っていたから。
代われるものなら代わってやりたいけれど・・・残念ながら、身体の傷は代わってやることは出来ません・・・。
今年から、校長が変わり、コーチが辞め、顧問が変わり、その時の状況の詳細をしっている方はいなくなりました。引き継ぎ事項として残されている様子ではあります。
引退をした今日、チームの皆と号泣して帰ってきた息子に
『一番がんばったね・・。』と、言いました。
信頼している中学からの顧問から、あたたかい労いの言葉かけをもらったと話してくれました。
またひとまわり、心身ともに強くなったと感じました。
『続けていてよかった・・・。』と、ひと言つぶやいた息子。
母は、その言葉を聞きたかったんだよ。
<ルピナスの花言葉は、多くの仲間>