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成功した人が陥りがちな5つの落とし穴

2013年08月24日 12時22分05秒 | キャリア支援
成功した人が陥りがちな5つの落とし穴
ライフハッカー[日本版]
2013年8月18日 10時00分

大きな成功を収めたあとには分かれ道が待っています。

誰もが成功するために努力していることでしょう。
ですが、気をつけなければならないのは、
ある程度の成果を達成した後のこと。
そこには、ビジネスの方向性を決定づけるような課題が待っています。
経済的に成功したビジネスが1年足らずで
うまくいかなくなるのを、
筆者は何年にも渡って見てきました。


なぜこのようなことが起きるのでしょう? 
成功したとたんに失敗に向かってしまうビジネスパーソン、
特に企業経営者は、
5つの共通した習慣を持っているようです。

1.自分自身を酷使した反動で...

ビジネスを軌道に乗せるために自分を犠牲にした後には、
いいクルマや家、新しい洋服を買ったり、
異国への旅行にビジネスクラスのチケットを手に入れたりしたいですよね。
だけど贅沢な生活を続けると、
銀行口座からお金が消えていきます。
たまには贅沢してもいいでしょう。ですが、
(たとえばインスタントラーメンを食べていた)
いつもの食生活にすぐに戻りましょう。

2.成功に向かって維持していたモチベーションを見失ってしまう

なぜ成功できたか考えてみてください。
忙しすぎる毎日、憧れの人物、取引を勝ち取るため、
そして顧客を満足させるために奔走した時間...。
成功するとたいていこのような動機や気力が減っていきます。
自分に警鐘を鳴らさないまでも、
このことに気づかなければなりません。
ただし、成功の状態を保つに十分なぐらい
自分を奪いたたせられれば、それで十分です。

3.顧客と充実した時間を過ごさなくなる

ビジネスが軌道に乗ってくると、
従業員を雇う必要が出てきます。
そして経営者が表に出てくることが少なくなります。
成長の過程では
顧客へのサービスに多大な時間とお金を費やしました。
かつては経営者自らが熱心な顧客を厚くもてなしましたが、
成功するとほかのお客様と変わらない扱いとなってしまいます。
こうなると、その顧客があなたのビジネスに
情熱を失うまでに時間はかかりません。
どれだけ会社が大きくなろうと、どれだけ忙しくなろうと、
会社を育ててくれた顧客との関係は密に保ちましょう。

4.「なぜ?」という問いかけをしなくなる

多くの経営者が初期のころに抱いていた
「なぜ?」という問いかけは、
成功のためというよりも、
生きるか死ぬかの問題に関することでした。
しかしビジネスが軌道に乗り、死活問題でなくなってくると、
勝つか負けるかが問題となってきます。

緊急性が薄くなると、
モチベーションを見失ってしまうものです。
ただし企業経営者なら、1つ課題を乗り越えると
次なる挑戦をすることがとても大事です。
目標を時々に応じて変えていくと、
目指す対象を常に持っておくことになり、
モチベーションを持続させられます。

5.成功の状態がずっと続くと信じてしまう

常に失敗の恐怖におびえて過ごす必要はありません。
その逆です。経営では、
成功がずっと続くと思っている方が危険です。
あなたがそれを手に入れたことは間違いないけれど、
成功に伴う悪い習慣に気づき、
行動を起こす準備をしましょう。


5 Reasons the Word "Success"
Should Send Shivers Up Your Spine |Inc.
Andrew Griffiths
(訳:駒場咲)
Photo by Thinkstock/Getty Images.

http://www.excite.co.jp/News/it_lf/20130818/Lifehacker_201308_130818success.html

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伊藤穰一×波頭亮 (下)

2013年08月24日 00時48分54秒 | キャリア支援
結局、日本人は努力の総量が足りない
伊藤穰一×波頭亮(下)

波頭 亮 :経営コンサルタント
2013年08月18日

このブログの(上)は、
http://blog.goo.ne.jp/mirukikukaku/e/000edd828f7bfb2b8edcb6aab0220369


この対談の目的

なぜ、日本企業や日本人は、グローバルな舞台で苦戦を強いられるのか。
なぜ、日本からアップルやGoogle、Facebookのような世界を席巻する
ベンチャーが生まれないのか。
今回は、この問いについて考えてみたいと思う。
ゲストは、日本におけるインターネットの普及に絶大な影響を及ぼした
伊藤穰一氏(親しみを込めて、Joiと呼ばせていただく)である。
デジタルガレージ、ネオテニー、クリエイティブ・コモンズ等々、
次々と活動の場を広げていったJoiは、
日本という枠組みを超え、インターネットというオープンな文化、
そして世界というフィールドに活躍の場を見いだしている。
そのJoiが、MITメディアラボの所長に就任し、
今再び日本に目を向け始めている。
彼の目から見た日本、日本企業、
日本人はどう映っているのか。
また、自身の経験と照らし合わせて、
グローバルな舞台に出ていくというのはどういうことなのか。
日本の次代を担う若者にぜひ耳を傾けてもらいたい。


※対談の(上)はこちら

教育とラーニングの決定的な違い

伊藤 
日本と米国は、教育とラーニングという違いがあるんじゃないかと思う。
出題者が求める答えを返すと満点になるのが教育で、
出題者の意図とは違うけれど、
出題者をひっくり返すほどの答えなら満点になるのがラーニング。
日本はまさに教育国家でしょう。
権威にいかに従うかを教えている。
規格品をつくる工場労働者を育成するためには必要かもしれませんが、
多様化の時代になり、
オリジナリティが求められるようになると、
権威に従う人材より
「それはちょっと違うんじゃない」と言える人材のほうが重要です。


波頭 
メディアラボでは、
どういうカリキュラムになっているんですか?


伊藤 
1人ひとりが自分でやりたいことを決めます。
先生は学生をコーチングするという役割で、
主体はあくまでも学生ですね。
興味があることだから、積極的に、深く勉強する。
でも日本では、興味があるから勉強するというより、
「○○大学卒業」というブランドを手に入れるために勉強していますよね。
そういう土壌からは、
やはりオリジナリティは生まれにくい。


波頭 
何かに興味を持って、
探求したいという意志を持っている学生には、
どんどん好きな方向に行かせるべきだと私も思いますね。
幕の内弁当みたいな決まりきった
カリキュラムセットを全員にやらせる必要はまったくない。


伊藤 
もう1つ思うのは、日本のインダストリー同様、
教育までもが縦割りになっているということです。
メディアラボでは、学生や教師も含めて、
1つの専攻でずっと来ている人間は
おそらく1人もいないでしょう。
みんな2~3回専攻を変えています。

コンピュータ・サイエンスをやっている学生が、
「ちょっと行ってくる」と言って
スタンフォードでバイオロジーのPh.D.を取得し、
またMITメディアラボに戻ってきて、
遺伝子とコンピュータをつなぐ
新しい研究を始めるといったことが日常的に行われているんです。
これはメディアラボだけの話ではなく、
米国の大学教育では一般的なことです。

米国のベンチャーが強いのは、
そういうところにも理由があるかもしれません。
業種や職種の垣根が低く、
デザイナーとエンジニアとビジネスパーソンが一緒になって
プロダクトをつくる。
アップルがいい例です。
デザインと技術が一体となっている。
でも、日本ではデザインやアートの世界と
エンジニアの世界はつながりません。
すべて縦割りになっている。
それは異分野をクロスオーバーすることが少ない、
大学の教育現場に原因があるような気がしますね。


日米のエリート 努力の総量の圧倒的格差

波頭 
まったく同感です。
同感であるからこそ、あえて言うと、
コンピュータ・サイエンスをやっていた人間が
バイオロジーでPh.D.を取るというのは、実は大変なこと。
それだけのことができる知的トレーニングが
徹底的になされているということです。
それが世界のエリートであり、
日本のエリートにも同じことができるかというと、
大きな疑問符がつきます。

最近見た、最もショッキングな数字は、
大学卒業までに読むテキストの量の日米比較で、
米国の大学生は4年間で400冊読むのに対して、
日本の大学生はわずか40冊しか読んでいないということらしいです。
本を読んで理解するというのは、
スポーツでいえば筋力トレーニング。
その基礎的なトレーニングが、
日本人は圧倒的に少ない。


伊藤 
おっしゃるように、コンピュータ・サイエンスの筋トレが
しっかりできていれば、そこにバイオロジーの知識や
研究成果を乗せることができますが、
筋トレをやっていないと、乗せたくても乗せることはできませんね。


波頭 
基礎学習、さらにいえば努力の総量が、
日本人には足りないように感じます。
日本でエリートだった人間も、
米国に留学すると、あまりの学習量の違いに
皆ショックを受けるようです。
米国に限らず世界のトップランナーたちは
それくらい勉強している。
ちょっと日本人はラクしすぎていると言わざるをえない。


伊藤 米国は、
いい意味で競争が厳しいですからね。
メディアラボの学生たちも、徹夜は当たり前、
週末でも誰かしら研究室に来て研究に没頭しています。
メディアラボに来る学生は、
プログラムも書ける、設計もできる、
アートもできる、ナノでデバイスもつくれば、
クルマもロケットもつくれちゃう。
ほとんど何でもつくれるという自負を持っています。
そういう人間たちが、まだ誰もやっていない分野を見つけてきて
チャレンジする。
そこではとても厳しい競争が行われているのだけれど、
それは強制的な競争ではなく、
自ら望んで参加するコンペティション。
そうやって、アイディアもスキルも磨かれていくんです。


波頭 
もう1つ感じるのは、集中力の差です。
日本にも徹夜や、週末返上で研究したり、
働いたりする人間はいますが、集中力が全然違う。
米国のエリートの集中力の高さは並みではありません。


伊藤 
1980年代、学生運動が失敗した後くらいからだと思うんですけれど、
日本では一生懸命にやるのがカッコ悪いという風潮が出てきましたよね。
努力を見せず、軽くこなして成功するのが
カッコいいというような。
その影響も多分にあるのかなと思いますね。
米国には、まだ一生懸命にやることが成功につながるという
伝統が息づいていますから、1つのことに没頭したり、
寝食を忘れて集中するということに偏見はありません。


波頭 
どちらもある物事に執着して
一生懸命になるという意味ですが、
米国でよくいわれる「ギーク(geek)」と
日本の「オタク」の評価はずいぶん違います。
ギークにもほんの少しネガティブなニュアンスもあるようですが、
9割方はポジティブ。
一方、オタクとなると9割方はネガティブなニュアンスです。
憧れられるギークと揶揄されるオタクでは、
情熱的に1つの物事に没頭することに対する
社会の評価がまったく違うのでしょうね。


建設的な議論か、隷属的な追随か

波頭 
先ほどJoiが、他人の意見に対して
「それはちょっと違うんじゃない」と言える人材が
重要と言いましたが、オリジナリティを養成するためには
非常に重要なポイントだと思う。
日本では建設的なクリティカルシンキングや
クリティカルディスカッションが弱いんです。
権威に従属するか、さもなくば徹底的にこき下ろすか。
議論を戦わせて互いに考えを深めるということができない。


伊藤 
権威を疑うと同時に、
そうでなければどうすればいいのかと
自分で考えるコンビネーションが重要なんだと思います。

メディアラボでも、
学生たちは「それは違う」と意見をぶつけ合っています。
それはある種の格闘技みたいなもので、
当然勝ち負けはあるんですが、
それがまた自分たちのためにもなると考えられている。
ディベートが健康的なスポーツのように捉えられているんですね。


波頭 
メディアラボのような研究機関では、
自由闊達な意見のバトルが非常に重要ですよね。
ところが、日本の研究機関や教室では、
先生が主張している仮説に反論を試みようものなら、
多くの場合浮いてしまう。

数学の天才ピタゴラスは、
無理数の存在を証明した弟子を殺してしまうという過ちを犯したとされていますが、
日本ではそのような過ちをいまだに繰り返しているようです。
正しいことに対する敬意、あるいは違うことを言うことの価値が、
日本ではまだ十分理解されていない。


伊藤 
ディベートの仕方を知らないということもあるでしょうね。
メディアラボはMITの建築学科の下にあるので、
どんな研究も実際に「モノ」をつくるんですよ。
議論は、つくられたモノに対する評価が中心となるので、
比較的客観的なものになりやすい。
エゴから離れたところで、建設的な議論ができるんです。
しかし、概念だけの議論は、
相手へのアタックになりやすいから、
感情的な対立になってしまうのでしょう。


波頭 
なるほど。
概念の戦いでは、価値観や美意識など
人間のコアの部分の良し悪しを評価することになりやすいから、
そうなると譲れなくなってしまう。
異なること、多様であることの必要性や、
ディベートのスキルを日本人はもっと学ぶ必要があるでしょうね。


牛に乗りながら、馬を探せ

波頭 
オリジナリティとチャレンジが、
もう少し日本の国民性として
1人ひとりの価値観の背骨に
インストールされないと、グローバル社会、
ネット社会でいいものを生み出すことは難しいと思うのですが、
次代を担う『Think!』の読者にアドバイスをお願いします。


伊藤 
人とは違うバリューを身につけることだと思いますね。
人と同じルールで競争するのではなくて、
自分のルールで勝負できるようなゲームをすること。
40代になると子どももできて
リスクをとれなくなる人が多くなりますが、
30代ならまだ1~2回はリスクをとることができるはずです。


波頭 
世に出て評価を受けたいなら、
30代までに勝負を仕掛けてみろと。


伊藤 
そういうことです。
そのとき、プランA、プランB、
さらにプランZを持っておくことが大切なんです。
プランAというのは今やっている仕事、
プランBは夢、つまり自分が本当にやりたいことです。
日常の仕事をこなしながら勉強を重ね、
プランBにリアリティが出てきたら、それに乗り換える。
そのために、余暇は酒を飲んで終わるのではなくて、
自分のバリューを磨いたり、
勉強して知識やスキルを磨いておくことが重要になってきます。
ただ、そうは言っても、
プランBに乗り換えて失敗することもある。
そのときに帰れる場所である
プランZを用意しておくことも忘れてはいけません。

中国に「牛に乗りながら、馬を探す」という諺がありますが、
常に馬を探していることが大事です。
駄目なのは、牛に乗りながら、
ただぼやいているヤツ、あるいは馬も見つかっていないのに、
後先考えずに牛から降りてしまうヤツです(笑)。

それから、プランZを用意しておくことは重要ですが、
あまりに細かい計画は逆効果を生むことも付け加えておきましょう。
計画を綿密に立てると偶然性(セレンディピティ)を排除することになります。
偶然性のないところにはラッキーもチャンスも生まれません。
そうではなく偶然性のなかから
チャンスをキャッチすることが大切なのです。


波頭 
学生に「これからはどんな人材が求められるか」と問われたときに、
希少性と有用性という言葉をよく使います。
どれだけレアであるか、どれだけ役に立つか、
希少性、有用性を徹底的に磨けとアドバイスしています。
そのとき、友達のなかでいちばん、
大学のなかでいちばんでは意味がない。
これに関しては日本中で誰にも負けない
というくらいに徹底的に磨くことが重要です。

私がマッキンゼーに入ったとき、
上司から「自分のレポートは、
そのテーマに関しては世界でいちばんと胸を張れるくらい
クオリティを上げろ」と言われました。
それくらい徹底的にやって、
やっと本当に一流の仕事になる。
オリジナリティというのは
そういうものだというふうに心得ておいてほしい。


伊藤 
ニッチを探すというのも大切なことですよね。
たくさん人がいるところで勝負することはない。


波頭 
おっしゃるとおり。
その上で、誤解のないようにもう1つ言っておきたいのは、
オリジナリティとは、
ただ変わっているということとはまったく違うということです。
何でもよいから人と違うことを言ったり、
斜に構えたりすることがオリジナリティではありません。

オリジナリティには
水平軸と垂直軸があります。
水平に変わっているだけなら、
ただ人とは変わっているというだけで大した価値はありません。
そこに垂直軸、つまり深みやクオリティの高さがあって
初めて有用なオリジナリティといえるのです。
ここを履き違えて、ただ単に
変わっていればいいと思っている人もしばしば見かけます。

つまり、本物のオリジナリティを発揮するには、
希少性と有用性を上げていくための努力の総量を
徹底的に高めていかなければならないということです。
Joiが世界で高い評価を得ているのも、
インターネット黎明期からネットの可能性に目を向け、
この分野を徹底的に追求したからこそですよね。

本日はどうもありがとうございました。
さらなるご活躍を期待しています。


伊藤 
こちらこそ、どうもありがとうございました。
少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。



Think! 2011年秋号39号
http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/think/detail/BI/40c51fd9711bd41f7afadd0df756d319/

http://toyokeizai.net/articles/-/17073より

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